01. 中枢の影
明けましておめでとうございます!
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北部中央基地爆破より遡ること数時間。正午間近。
ねっとりとした灰色の雨が降りしきる大都会。
大きな危機を知らせる警告音かサイレンのような激しい雨音に覆い尽くされ、排気ガスが飽和した埃臭い大気にのし掛かられた都会の景色は、まるで湖底に沈んだ限界集落のようだった。いつもは遠くに聳え立つ大きな黒い影も、今日ばかりは雨霧によって霞み、遮られ、見る者を憂鬱にさせる悍ましい身形を隠していた。
そんな、暗く沈んだ街並を見下ろす大空も、コールタールを薄めたような、黒く厚い水蒸気の中に押し込められて、窮屈そうに、肺をベルトで締め付けられた小動物のように呼吸しているようだった。
よくよく目を凝らせば、雨煙の底には、大勢の人間が息を潜め、生き、暮らし、隠れているであろう堅牢なコンクリートの巣箱が立ち並んでいる。それら、ミニチュア模型のような巣箱の中には、きっと、建物以上に小さくて、細やかで、下劣で、愚鈍で、且つ楽観主義的な、最小にして最愛の喜怒哀楽が溢れているに違いない。
そして、それらは、巣箱の中でいつしか腐敗し、やがて蒸散し、水蒸気と共に空へと舞い上がる。停滞した頃には、もはや元がなんだったのかさえわからないほどに劣化した刹那の情愛は、気がつくと、目には見えない、想像も付かないほど大きな意思によって作り出された価値観と常識、社会通念によって絡め取られ、狭い型の中で焦げ付いた飴のような支配構造を生み出し、助長する。それらは所詮、人間社会の根底を形成する糧として、特定少数の支配者たちを楽しませる嗜好品として消費されているのだけだった。
都会には、天がない。
どこにも、逃げられる場所はない。
彼ら人間が生きしこの場こそが地上の地獄。
楽園などは、ありはしない。
待っているのは、息を吸い、生きるだけでも精一杯の、狭苦しい空虚な世界。
少数の支配と、大多数の被支配。
いつかの時代、最高の栄華と反映を極めた国の心臓部も、今となっては、古びた箱だけが空しく残り、形骸化した様式と文化、偽りの歴史と為政者だけが威勢を張り跋扈する、虚構の地と化していた。
街行く人の目は、皆虚ろ。
生きているのか、死んでいるのかもわからない。
死んだ魚が地を這う、不気味な灰色の街。
生きとし生ける誰しもが、胃と腸の中に、仮初めの与えられた生だけを無理やり押し込められ、吐き気をもよおしながらもそれを無闇やたらに受け入れて、ただただ生かされている。
これこそが、この国の今であり、象徴なのだろう。
今日の雨は止むことを知らなかった。
吐きかけた唾を振り下ろされる天罰のように、神から振り下ろされた鞭のように、ねっとりと、そして激しい雨が、無数の巣箱に打ち付けられている。
平日の午後、ここには誰もいない。まして、この雨なら尚更だった。
都会の中心。
国の中枢。
総理官邸。
雨煙に暗躍し、雨しぶきの中に蠢く黒い集団があった。
濡れぼそった漆黒の雨合羽は、雨霧の中で不気味な艶を放っている。
雨音は、地表を覆うすべてを打ち付け、リズムを刻み、ノイズを生み出す。
木々、葉、コンクリート、土、水面、車のボンネット、鉄門。
打ち付ける場所によって、様々な音色が奏でられる。
それら自然の多重奏が、蠢く影を覆い隠し、尋常ではない動きの素早さと滑らかさに一役買っていた。
影は、湖面近くを這い泳ぐ大蛇の如く、音もなく、連続的に動いた。
そして、標的を確認し、最後の意思確認を終えた彼らは、雨合羽のフードを深く被り直すと、獲物を見つけたカラスのように、一斉に動きだす。
その数、十数名。
「止まりなさい、警察です」
「ここは一般の方は立ち入り禁止です」
機械のような、当たり障りのない冷たい応答。
冷たい雨。
濁った空気。
それらとは相反するように、雨煙の中、賑やかに、煌びやかに、そして、温かげに、黄色味がかった一閃が、線を描く。
続けざまに、銃声。
銃声。
無数の薬莢が溢れ落ちる硬質な音。
すべては、激しく泣き叫ぶ雨音に吸い込まれるようにかき消された。
自然の生み出す伸びやかな雨のノイズ。
人工物の放った鋭い閃光と爆発音。
一閃ごとに、地を這う魚が命を失い、地表にできた雨の海に沈む。
紅の鮮血が、灰色の雨の這う黒いコンクリートにじんわりと広がっていく。
うねりのような黒い影たちは、濃厚な雨霧に包まれた豪勢な箱の中に吸い込まれ、消えていった。
*
全国同時多発爆破テロ。
爆破されたのは、筑紫の北部中央基地だけではなかった。
この日、この国に長きに渡って栄えていた見せかけの安全神話はすべて崩れ去った。
生ぬるい湯に浸かり続け、頭の芯まで冷えて怠け切った国民たちは、襲い来る業火に巻かれ、身を割かれ、肉を焼かれ、魂を焦がされた。
全国に散らばる国防軍の全基地、全駐屯地。
政令指定都市、
有名観光地、
繁華街、
テーマパーク、
高層ビル、
超高層タワー、
新幹線、
地下鉄、
飛行場。
人が集まる場所は、すべて例外なく標的となった。区別も差別もない。全国民が、無差別に、死の標的とされた。そして、国全土が隈無く示し合わせたように、圧倒的な暴力に晒された。
一瞬のうちに、数え切れない命が消去された。
人々は、恐怖に打ち震え、逃げ惑った。
頭がはち切れそうなくらいに祈り、喉が割れるほど叫び、瞳孔がこぼれ落ちそうなくらいに涙を流した。
阿鼻叫喚とは、このことを言わずして何をさせばいいのだろうか。
静かな地獄の上に舞い降りた、真の地獄。
しかし、今更逃げ惑ったところで、もうこの世界に逃げ場などない。安全な場所など、この地上には残されてはいない。まして下らぬ祈りなど、天の存在し得無いこの世界では届く場所さえない。
死は、ある時、無情にも、一瞬のうちに、誰の元にも忍び寄る非情で平等なもの。
こうなることは、もう何十年も前から既に決まっていたのだ。
「まさかこんなことになるとは思ってもいなかった」
「こうなるとわかっていたら」
「この国だけは大丈夫だと思った」
誰もが口々にそう告げた。
しかし、すべては、起こってからでは遅いのである。
後悔する頃には、もうすべてを失っている。
気づいた時には、もう遅い。
その無数の繰り返しによって、この世界は成り立ってきた。
溶け出した鉛のように緩み、低品質なチョコレートのように甘く爛れた劣悪な認識こそが、すべてを引き寄せる元凶となっていることに、多くの人間は死ぬまで気が付かない。否、死という制裁をもってしても気付かないかもしれない。
それだけ、この国は長い年月を掛けて劣化してしまった。
だからこそ、囚われ、扇動され、洗脳され、支配される。
もはや、止めようが無い。
これは、ほんの一歩。始まりに過ぎない。
対岸の戦火が、ようやくこちら側に辿り着いただけのことでもある。
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