006 魔法適性
王城内に作られた騎士団用の訓練場。まだ朝日が昇って間もないというのに、訓練場は活気にあふれていた。
鎧を身につけたままで槍術の鍛錬に勤しむ者、身の丈ほどもある長剣をただ一心に振るう者。さまざまな騎士たちがいるが、そのなかでも一際目立つ集団があった。
薄手の革鎧を着た、この場には似つかわしくない者たち。昨日召喚された勇者。つまり、八雲たちだ。八雲たちの前には、三枚目風の二枚目──クルトがいる。
翌朝、八雲たちは授業を受けていた。いくら勇者でも戦う知識と経験を養わなければどうにもならない、とのことだ。
八雲は王を訝しんだが、だからと言って考えを見抜けるほど聡明な頭をしていない。何より、クラスの総意には従うほか選択肢がなかった。
「魔法は魔力を使って発動させるっす。昨日俺がやったときも、俺の保有する魔力を使って発動してたっす。ちなみに魔力は魔素からできてるっす。このあたりの細かい話は嫌いなんで省くっすよ」
ニシ、と人の良さそうな笑みを浮かべると、クルトは背負っていた矢筒から一本の矢を取り出す。ここは弓を扱うための訓練場であるらしく、前方にはいくつもの的が置かれていた。
「魔法ってのは便利で、たとえば何か物質を媒体にして発動させることもできるっす」
クルトは弓を構える。静謐な空気が場を支配する。矢をセット、弦を引いていく。弓はしなり、きりきりと音を立てる。そしてクルトは、詠唱を始めた。
「魔より生まれし風を、今解き放たん」
クルトの瞳はただ一点、はるか遠くに設置された複数の的を捉えていた。しかし矢は一本。すべてを穿つことはできない。
弦はとうとう限界点に到達した。クルトは自己を落ち着かせるように息を吐く。そして──、放った。
放たれた矢はうなりをあげる。空間を切り裂く。的付近に到達したとき、クルトは厳かに唱える。
「“嵐風刃”」
言葉に応じて魔法陣が展開される。矢を中心として深緑色の幾何学模様が生み出された。
魔法陣からいくつもの鋭利な刃が飛び出す。風で作られた刃、それはまるでかまいたちのように周囲の的を切り刻む。複数の的は、元の形が想像できないまでに切り刻まれていた。
文字どおり開いた口が塞がらない。
「…………」
「…………」
しばらく静寂が続いた。
──これが、本当の魔法……。
八雲は嘆息して魅入っていた。言葉が出なかった。
魔法の発動を終えて、クルトはふう、と息を吐く。それから笑顔で説明した。
「ちなみに詠唱は省略できるっす。魔法を唱えるだけでも一応使えるけど、威力が低くなるのが難点っすね」
あとは、とクルトは続けた。その後しばらくは、魔法を見せるのではなく、口頭で魔法の説明をするに留まった。八雲は一心に聴きつづける。これまでにないくらい集中して、クルトの言葉すべてをノートに取りたいとまで思った。
魔法には、いくつもの属性がある。基本的な属性は、火、水、風、光、闇、の五つだ。が、その基本属性には上位互換がある。それぞれ、焔、氷、嵐、聖、魔、である。
これら属性魔法は、基本的に適性がないかぎり使用できない。たとえば、火と水の二つに適性を持っていれば、火と水の属性魔法が使える。が、その他の魔法は使えない、ということだ。
この適性には、その個人が持つ魔力が関係している。人それぞれ魔力には違いがあり、これは、言ってみればDNAのようなものだ。だから、魔法の適性は生まれたときすでに決まっているのである。
しかし魔法には、これらの属性以外に、誰でも使役できる魔法がある。それは、非属性魔法と呼ばれるものだ。治癒魔法、強化魔法などがこれに当たる。非属性魔法の中には、固有魔法と言って、特定の個人にしか使えないものも存在する。
もちろん固有魔法は誰かに教えてもらえるものではない。天啓めいたものや、一瞬のひらめきによってその存在を初めて知ることができるらしい。ちなみにクルトは幼いころに夢で見たと言う。
固有魔法を除けば、魔力がある限り非属性魔法は、基本的に誰でも使えるのだ。
誰もが使役できると言っても、やはり人には得手不得手があるから、使役しても効果を生み出せないものもある。
たとえば治癒魔法などは、素質がなければ傷を癒すことができない。充分な魔力があっても素質がなければ意味を成さないのである。
反対に強化魔法は、魔力があるかぎり誰でも使役できる。もちろんこれにも素質の有無は関係してくる。ただ、そこまでの素質が求められないのが強化魔法のいいところだ。
強化魔法は、魔力を注いだ分だけ身体を強化できる。エネルギーを使った分だけ激しい運動ができるのと一緒だ。素質があれば少量の魔力で最大限の効果を発揮できるのだが、これは長期戦以外ではあまり関係してこない。
「こんなもんすかね。……あ、じゃあ最後に固有魔法を見せておくっす」
クルトは得意げな顔をすると、生徒たちに向かって手をかざした。ざわざわと、生徒間でにわかに動揺が走る。
「大丈夫っすよ。俺の固有魔法はただの幻術魔法。今から見せる幻術は別に怖いもんじゃないっすから」
淡々と告げて、クルトは詠唱した。
「我が裡にありし力を以て命ずる。惑わせ、“変幻の霧”」
詠唱を終えると共に、クルトの頭上に灰色の魔法陣が現れる。
それは形を大きくしていき、ついにはクルトの頭からつま先までを飲み込むように透過していく。魔法陣は霧を噴出させていき、クルトの姿を覆い隠した。
しばらくして霧が消えていく。
そこにいた人物を見て、生徒たちは息を呑んだ。
腰ほどまで伸びたなめらかな黒の長髪。潤んだ瞳は黒曜石に光を当てたような輝きがある。肌理細やかな頬はほのかに赤らんでいて、その姿はまるで恥じらう乙女そのものだ。
「あまり……見ないでちょうだい。その、……恥ずかしいわ」
少女は上目遣いに見る。男子生徒たちがごくりと生唾を飲み込んだ。なぜならば、その姿は──、
「何をしているのかしら。殺してしまいたくなるのだけれど」
とびきりの笑顔だが、麗華の目は笑っていなかった。まず発言が怖い。
麗華が怒っている理由。それは、とりもなおさず、クルトが麗華の姿をしていたからである。馬鹿にされるのが一番嫌いだといつも言っている麗華だ、怒らないはずがなかった。
「わわ、怒らないでくださいっす!」
クルトは狼狽えて平謝りする。が、その姿はやはり麗華にしか見えない。今現在の状況は、麗華が麗華自身に説教すると言う、なかなかに面白い光景になっていた。
それを見て、数名が笑いをもらす。
「解除」
呟くと、クルトの姿は元に戻った。が、麗華の機嫌は元に戻らない。
「次にやったら殺すわ」
「それだけは勘弁っす!」
「あら。口答えできる立場なのかしら?」
麗華の凄みにクルトは黙り込んだ。獰猛な笑みを見せる虎、そして怯えきった兎、といった構図である。何とも居たたまれなくて、八雲は蟀谷に手を遣った。
「ふふ、私は優しいから今は許してあげるわ。……今はね」
クルトは青ざめた顔でこくこくと頷く。
麗華の後ろに般若がいる。そう見えたのはなにもクルトだけではない。事実、八雲たちを見る目には優しさなど少しも介在していなかった。
「ま、まあこれが俺の固有魔法、“幻術魔法”っすね。おもに相手の感覚を惑わす魔法っす」
説明しながらも肩が震えているように見えるのは八雲の気のせいだろうか。それとも、ニコニコしてクルトを見つめている麗華に恐怖しているからなのだろうか……。
──まぁ、後者だろうな……。
不憫になって、八雲はクルトを慰めた。むろん、心中でのみだ。本当に慰めようものなら麗華の怒りが飛んでくるかもしれない。躱せる火の粉は躱すべきなのだ。
「じ、じゃあ、みなさんの魔法適性を調べに行くっすよー」
その後もずっと明るく務めるクルトの姿は勇ましかったと八雲は記憶している。麗華のあんな笑顔は向けられたくないと、八雲は心からそう思った。
× × × ×
数十分後、八雲たちの目の前には六個の水晶が並んでいた。それぞれの後ろには羊皮紙らしき紙と羽ペンを持った男たちが立っている。
これではまるで身体測定だ。
「これが魔法適性を調べる魔具っす。さ、みなさんこっちに並んで」
クルトの誘導に合わせて、生徒たちは一列に並ぶ。先頭は聖也、最後尾はもちろん八雲である。八雲の前には愛華がいた。麗華と拓哉は真ん中あたりで、女子生徒二人と仲好さげに話をしている。
不意に愛華が振り返る。なにやら嬉しそうな顔だ。
「なんだかわくわくするね」
「ま、わくわくしない方が無理なのかもしれないな」
愛華と同じく、八雲もまた胸を弾ませていた。ただその一方で、言い知れぬ圧迫感があった。
恐怖なのか、違う何かなのか、その正体は八雲自身にもわからないが、とにかく、胸を圧す何かがあった。
そのうち、適性チェックが始まった。
クルトの指示に従って、聖也が一つ目の水晶に手を置く。すると水晶はぼんやりとした赤い光を宿す。
「こんな感じで順番にやっていくっす」
クルトは陽気に言って、先を促していく。
どんどん列は進んでいき、ついに八雲の番になった。他の生徒たちはすでに退出している。先ほどセルグが来て、連れていったのだ。
「最後っすね! あー……八雲さんでしたっけ? じゃ、進むっす」
クルトは乗り気ではない。どうやらクルトは昨日から八雲に敵対意識を持っているらしい。
まあ気にすることでもない、と八雲は一つ目の水晶に手を置いた。光は灯らない。次へ。
そう言えば、このクルト、騎士団の中でも魔法の腕では右に出る者がいないらしい。
講義に際しても非常に分かりやすい説明であった。とは言っても、簡単なものなのだが。魔力は生命力と結びついているのだとか。
残存魔力が少なかったら弱るし、もとより魔力が少ない人は病弱な体質で生まれてくるという。
魔力とは簡単なようでなかなか複雑である。
「次は水っすね」
二つ目、三つ目……五つ目まできたが、そのどれもが光を宿さなかった。
そして、六つ目。非属性魔法の適性を調べるものだ。たとえば、愛華のように桃色が現れたのであれば回復魔法に適性がある。もし固有魔法があれば、靄が浮かぶといったところだ。
八雲は六つ目の水晶に手を置いた。
しかし、何も反応がない。結果、八雲には何の魔法適性もないということかもしれなかった。
先ほどまで見てきたが、聖也はすべての水晶に光がともっていたし、他の生徒たちのほとんども適性があるようだった。愛華は属性魔法に適性がなかったが、回復魔法には適性があるらしかった。いずれにせよ、みな何か一つには適性があったのだ。
「この場合、俺には魔法適性がないってことなのか」
どうやら八雲には何の適性もないらしい。結局、憧れは憧れでしかなく、手に掴めるものではないということなのだろう。
八雲が溜息を吐く中、横に立つクルトは「うん……?」と唸っていた。なにか思うところがあるのだろうか、と八雲は視線を寄せる。
「なんすかね、調子悪くなったのかもしれないっす。この魔具、替えがないからずっと使いっぱなしなんすよ」
それは、どうやら憐憫などの情からきた言葉ではないようだ。クルトは顔を顰めて、おかしいな、と呟く。
「不調っすかね?」
確かめるっす、とクルトは手を翳す。六つ目の水晶は、ぼんやりとした靄を現せた。つまり、水晶の不調ではない。ならば、問題は八雲自身にあるのだ。
「八雲さんの手から魔力を感知できなかったってことっすかね? ……よし、後で魔具に詳しい方に訊くっす。八雲さんはそのあともう一回やるっすよ」
クルトは至って楽天的に笑い、部屋を後にする。
八雲はそれに続く。振り返っても、水晶はやはり透きとおっていて、何の色味もなかった。