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065 増援


 遡ること少し前──


 数刻前とはまったく様相を変えた街並み。狂気に染まった少女を斃したアリスは、八雲とイーナと思しき魔力反応を見つけ出し、その方角へと向かっていた。


「あと少し……っ」


 八雲たちの魔力反応は目と鼻の先だ。しかし、八雲の魔力反応が生命にかかわるレベルで弱っている。早く行かねば八雲の命が危うい。


 アリスがさらに速度を上げようとした、そのとき。


「お姉さんっ♪」


 幼い声が響き、横合いから斬撃が飛んできた。一刻を争う事態のなか、行く手を阻む痴れ者に対しアリスは鬼の形相で敵意を向けた。


「あなた……生きていたんですか。随分しぶとい子ですね」

「ううん、ちゃんと死んだわぁ。ただ生き返っただけよぉ」

「そうですか。ならもう一度死んでください」


 怜悧な眼差しを向け、アリスは《無銘》を顕現させると同時に“神隠し”を発動。少女の目の前に現れると、神速の動きで少女を両断した。


「どういう仕組みか知りませんが、あなたのお遊びに付き合っている暇はありませんので」


 言って、アリスは再び走り出す。しかし少女との死合いはまだ終わっていなかった。


「こんなに可愛い子を躊躇うことなく殺せるなんて、お姉さんはやっぱりこっち側のヒトじゃない。それにしたって、ああ……痛かった。また死んじゃったじゃない」


 アリスは苛立った表情で臍を噛んだ。あのとき、殺すのではなく四肢をもぐなりして無力化するのみにしておけばよかったのだ。


 街の中央部に位置する噴水広場前。


 血の臭いをまき散らしながら初代勇者と気狂いの少女が相対する。


 先手を取りに行ったのは少女だった。斬馬刀を軽々と構え、地を蹴った。その形相たるや血肉を欲する虎狼がごとく。


「アハハハッ。やっぱりすごく強い魔力! ちょうだい──全部私に食べさせてよぉ!」

「邪魔をッ! しないでください!」


 少女の引く斬馬刀が石畳を削りながら斬り上げられる。アリスは渾身の力をもって《無銘》で少女を迎え撃つ。


 ドンッ! と揺さぶられるほどの衝撃が二人の間を行き来する。打ち合った互いの得物はその刃にわずかな損傷もなく、間を置かずしてさらに打ち合わされる。


 一合、また一合。

 一歩も退かない両者の剣撃は徐々に速く。


 鈍い金属音が響くたびに衝撃が身体に伝わり脳を揺さぶる。それでもアリスが平衡感覚を失わないのは数々の戦いを制してきたゆえだろう。


「ああぁ……早く食べさせてちょうだい……? その蒼い瞳も、きめ細かな頬も、ねっとりした舌も、しなやかな腕もなめらかな指も柔らかな脚も綺麗な髪も────動き続ける心臓も!」

「ぐ、ぅう……」


 重さを増す少女の剣に思わずアリスがうなる。しかも彼女の斬馬刀からは禍々しい魔力反応が発せられている。まるで蟲毒を繰り返したかのように濃密な怨念が籠っているのだ。


 アリスは少女の剣を弾き返して一旦距離を取ると、


「凍てつけ、“氷結咬(フリーズバイト)”」


 詠唱の終わりを以て、四方から現出した氷が牙となって少女に襲い掛かる。しかし少女は自身を穿たんとする氷の牙を目にしてなお大笑した。


「すごいすごい! アハハハハッ!」


 四方を囲まれた末に少女が取った行動は常軌を逸していた。


 少女が取った策は──何もしないことだった。


 必然、四つの牙は少女の四肢を貫き、ちょうど心臓部のあたりで氷結し、身動きを封じる。


 アリスは少女の策に初めこそ驚いたが、相手が気狂いであることを思い起こし、さらに警戒を強めた。なにしろ自らの頸動脈を掻っ切って得物を召喚するような使い手である。きっと己の血を代償とする魔術を使うのだろう。


「“血染めの花嫁(ブラッディ・ブライド)”」


 そしてアリスの考えはまさに的中した。穿たれた四肢から滴る鮮血を利用し、少女は自らを拘束する“氷結咬”を破壊、さらに鮮血で形作られた衣装に身を包んでいた。


 その衣装はまるで婚前の花嫁のようだが、赤黒く染まったそれは花嫁衣裳と呼ぶにはあまりにも不気味で凄惨な色合いをしていた。


「うふふふ……このドレスを着てあの子を食べるの……でもその前に前菜を頂かなくちゃねぇ! 飲み干しなさい、《血吸いの首斬り刀》」


 少女の瞳が爛々と輝く。


 斬馬刀は主の命に応え、滴る血液を飲み干すかのように脈動を始めた。流血が治まる頃には、少女の斬馬刀は一回りほど大きくなっていた。


「気味の悪い魔法を……!」

「お姉さんってば結構酷いのね。でも、今はとてもいい気分だから許してあげる」


 来る。そう悟ったときにはすでに少女は間合いを詰めている。アリスの《無銘》をたたき割る勢いで斬馬刀を振り下ろす。


 アリスは辛くも急襲を凌いだが、少女の連撃はまだ終わっていない。


鮮血杭(ブラッディ・パイル)

聖盾(アイギス)!」


 首の裂傷から噴き出した血液が杭となって守護壁に突き刺さる。アリスは斬馬刀を受け流すと、少女の腰を全力で蹴り込んだ。


 守勢から攻勢に転じる。


 無詠唱で魔法を発動させつつ《無銘》で斬りかかる。さらに付与(エンチャント)魔法(・マジック)で剣を強化。


 顔を焼く。闇で彼女を縛り、四肢を斬りおとす。水の槍が少女の心臓に突き刺さった。


 ──しかし、それでも。


「すごく濃密な魔力……お姉さんの身体はきっと美味しいんでしょうねぇ」


 焼いたはずの皮膚が、斬りおとしたはずの四肢が、貫いたはずの心臓が、次の瞬間には何事もなかったかのように再生している。


「何回も殺されちゃったなぁ。でも安心してちょうだい? まだ百回は死ねるわ」

「────っ」


 アリスはぞっとした。少女の発言が真実であれば、自分はここで延々と戦わねばならない。そうなれば、いつかは魔力が尽きて喰われるのだ。


 アリスは覚悟を決める。残りの魔力のほとんどを使ってもいい。この少女の身体を、再生すらできないように消滅させてやるのだ。


「ねえ、お姉さんは誰かと一緒になりたいと思ったことはない? たとえば、愛する人とか。私はね、ずっと思ってるわ。出逢ったのはついさっきだけど、いままで見た人間のなかで一番おいしそうなの。きっとこれが恋で、愛なのよ。私はあの子とどろどろに溶け合って、一緒になりたいと思っているわ。でも現実にはそれは難しいでしょう? だから、喰らってあげるの。あの子のすべてが私の身体を作って、融け合う。それってとても素敵なことだと思わない?」


 戯言を垂れる少女。その間にもアリスは魔力を練り上げていた。


「思いませんね。私はとなりにいられればそれで幸せです」

「あら、残念。でも理解されなくったっていいわ。私の運命のヒトはきっとわかってくれるもの」

「さて、どうでしょう。あなたのそれが受け入れられるとは思えませんね」


 相対する凶獣を殺す術を編むための、濃密で質の高い魔力。自身の持つ全魔力量の半分を注ぎ込んで精製したその魔力の一部を、流し込むイメージで聖剣へと譲渡する。


「いいえ、イーナはきっと受け入れてくれるわ」


 まるで電撃を受けたような衝動がアリスを打った。震える唇で、問いかける。


「──いま、誰と言いましたか」

「イーナ。新鮮な血みたいに赤い髪が素敵な子なのよぉ」

「ふざけないでください……!」


 感情が揺さぶられる。アリスの裡をただよう魔力が波打ち荒ぶっていく。


「あらぁ? もしかしてお姉さんも知ってるのかしら? だとしたら、最高ね……。披露宴には呼んであげるわ──たとえお姉さんがしゃれこうべだけになっていたとしても、ね」


 ケタケタと嗤う血塗れの少女。その脳は、ただイーナの血肉を求めているのだ。まだ幼い彼女の未来を奪い、縛りつけようと画策している。そう考えるだけで。


 アリスの怒りは最高潮に達した。この少女は、ここで完璧に消してやらねばならない。


「絶対に、あなたをこの先に行かせはしない!!」


 双眸が鋭く引き絞られる。注いだ白銀の魔力が、聖剣の表層を覆い尽くす──、


「──断罪の(セイクリッド=)聖煌剣(ジャッジメント)!!」


 目がくらむほどの光量が、絶大な威力とともに迸った。


 断罪の(セイクリッド=)聖煌剣(ジャッジメント)。アリスが己の剣を極めた先に会得した、自身の使うどんな魔法をも凌ぐ剣技。


 天を衝いた光が収束していく。残るはほのかな血の香りのみ。


 昔、魔王に追い込まれた際に放った全力の一撃は魔王城を半壊させたこともある。が、いまの腕の鈍ったアリスでは街道を吹き飛ばすほどの威力しか出せなかった。


「ハァッ、ハァッ……」


 アリスは激しく息切れした。いまの一撃に残存魔力がほとんど持っていかれたために魔力が枯渇しかけているのだ。しかし、アリスは首を振ると自身の身体に鞭打って走り出す。


 街道に沿う建物は軒並み倒壊し始めていた。前に進むたび、強まっていく熱気がじりじりと肌を焼く。この先に、八雲とイーナ、そしてあの赤き龍がいる。


「あっ」

「うわっ。大丈夫?」


 足がもつれ、倒れかけたアリスを支えたのは長身の青年だった。真っ黒の外套に身を包んでおり、また、長い前髪が目許を隠している。腰に提げている一対の刀剣は、片方が黒、もう片方が白と、まるでピアノの黒鍵と白鍵のようだった。


 アリスは突然の闖入者に目を丸くした。が、ハッと我に返ると、青年の手を振り払って《無銘》を構え突撃を仕掛ける。青年は慌てた様子で手を振った。


「新手……っ!」

「いやいや俺は敵じゃないって! いや、本当に! なんて言えば……あっ! 服部だ! 服部八雲!」


 その名を聞き、アリスは青年の鼻先ギリギリで《無銘》の剣先を止めた。


「ハァッ、はぁ……八雲さんを、知っているんですか……」

「っぶねぇ~……知ってるも何もクラスメイトだよ。同じ学校に行ってたの」


 懐疑的な眼差しで青年の姿を上から下へと観察していく。敵意や殺意は感じられないが、アリスはこの青年に不穏なものを感じていた。


「あんたに危害を加えたりはしないって。むしろ俺はあんたを助けにきたんだから」

「助けに……? どうして私を?」

「だってほら──、まだコイツ死んでないよ」


 言って、青年はごく自然な動作でナイフを投擲した。アリスの頬を掠めたそれは、すぐそばにまで迫っていたものに弾かれた。


「……お姉さんを殺す(たべる)絶好のチャンスだったのに。とんだ邪魔者だわぁ」

「俺って昔っから空気読めねえって言われてるかんな~」


 アリスは信じられなかった。それは、首を掻かれそうだったことに気づけなかったことでもなく、確実に身体を消し飛ばしたはずの少女が生きていることでもない。


 この青年は、いったい何者なのだ。


「あなたは、いったい──」

「そういう質問コーナーは後にしよーぜ? あんたはとにかく服部のとこに行ってやんなよ。ほら、負けそうな主人公を助けるのはヒロインの役目だろ? これやるからさ」


 青年が投げてよこしたのは一口大の果実。魔力の生成を促進する効能のある果物で、巷ではその強い副作用から劇薬とも言われている。


「……ありがとうございます」


 しかしアリスは、躊躇なく口に放り込んだ。噛み潰すと、言い表せないほどのえぐみと苦みが舌中に染み渡っていく。


「まさかそんなものまで用意してるとはねぇ」

「うちの相方はそこらへん周到でね。にしても、普通止めるもんだと思うけどー?」

「そうかもしれないわ。けど、魔力の漲った肉体のほうが美味しいじゃない。それに、止めようとしたって邪魔をするんでしょう?」

「……わかってるじゃん」


 ひゅう、と青年が口笛を吹く。その表情には一切の不安も迷いもない。むしろ、この展開を待ち望んでいたと言わんばかりの笑みを忍ばせている。


「でもね、黒いお兄さん。私って我慢強いほうじゃないのよ?」

「あ~、やっぱり? 実を言うと俺も待ちきれないんだよね」


 青年は腰に提げていた得物を引き抜いた。黒と白、一対の剣を器用にくるくる遊ばせながら、


「行きなよ、初代勇者さん。ここは俺に任せてさ。あ、笑顔で行かなきゃダメだぜ? いまのあんた、すげえ切羽詰まった顔してるからね」

「余計なお世話です!」

「あはは、そんな感じ。じゃないと服部のやつも安心できないからさ」


 目の前に敵がいるのも気にせずに青年が茶化してくる。アリスは難儀そうに頭を下げた。


「……この御恩は、必ず」


 言って、アリスは青年に背を向け走り出す。




 青年は肩越しにアリスを見送ると、不敵に唇の端を吊り上げた。


「さ、早いとこ始めよーぜ? さっきからうずうずしてたんだよね」

「お姉さんのほうがよかったんだけどね。それに、この先にはイーナがいるもの。早くあの子に会いたかった……けど、目的は果たしちゃってるからすぐ帰るわ」

「つれないな~。でも、あっちはあっちで()りあってるし、帰るにしてももう少し時間かかるって。暇つぶしくらいにはなるぜ?」

「……そうね。少しの間、付き合ってあげるわ」


 少女の目つきが血に飢えた獣のそれに変わる。その眼差しに射止められた瞬間、青年の背にゾクゾクと怖気が走る。


 なんと甘美で、愛しいのだろうか。


 青年は、対峙しただけで彼我の力量差を悟っていた。少女の魔力は自分のそれよりも何倍も強大で膨大だ。しかし、だからこそ、昂るのだ。


 この、死と隣り合わせにある感覚。あの世界では決して味わえなかったスリル。


 それだけで、青年は絶頂してしまいそうな快楽を覚えていた。


「あぁ……俺、いま、すっげえ生きてる」



八雲くんたちの前以外ではちょっぴり冷酷なアリスさん

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