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003 騎士団との邂逅

 列の最後尾を歩いているうちに、少しずつ状況が掴めてきた。まず、ここは確実に日本ではない。どうやらここはアルス城というらしい。もちろん日本にはこのような西洋風の城などテーマパークにしか存在しないが、ここまでの規模の城は日本にはないはずだ。


 拓哉とそんな内容のことを話しつつ、八雲は自分らに向けられる好奇の視線に気がついた。次いで、ひそひそと話し声も聞こえ始める。


「あれが勇者さまらしい」

「なんとも珍妙な格好じゃな……」


 鉄製であろう鈍色の甲冑の男と、これまたアンバランスなほどに顎髭を伸ばした老人とが、八雲たちを見ている。

 現在進行形で甲冑を使用する国など、世界各国を見渡してもなかなかないのではなかろうか。


「なあ、ここってどこなんだろうな」

「俺に訊くな……俺だってわからん」

「でもま、気にしなくてもよさそうだよな」

「そりゃまたどうしてだ? 俺はかなり深刻な事態だと思うぜ」


 拓哉は暢気な調子だ。八雲が胡乱な目を向ける。いつも能天気な拓哉だが、今回ばかりはさすがに焦ると思っていた。が、そうでもないらしい。


「どうしてって……どうしてだろうな?」

「こっちが訊いてるんだけどな……」


 八雲は溜息を吐く。こうも能天気でいられると、八雲としても調子が狂う。いつものことなのだが、いつもの状況ではないから困る。

 拓哉は、しばらく考えた末に、


「わかった!」


 と手を打つ。むろん、その考えは八雲にはわからない。が、拓哉の表情からすると、それは思ったより重大な理由ではなく、むしろ当たり前の理由を考え付いたようだ。

 拓哉は八雲の肩を叩いて、言った。


「俺が焦らない理由はさ、たぶん、お前らがいるからだ」

「俺たちがいるから?」

「そ。俺ひとりだったらパニックになってたと思うぜ。でも、お前らがいるんだ、俺はひとりじゃない。なら、心配しなくたっていいじゃねえの」


 拓哉の真っ直ぐな物言いに、八雲は驚いた。が、その言葉は腑に落ちた。なるほど拓哉の言うとおり、ひとりではないのだ。ひとりではないから。信頼できる友がいるから、心配しなくてもいい。

 

 ──本当に馬鹿なやつだ。


 八雲は心中で拓哉に感謝しつつ、唇に微笑を過らせる。拓哉は能天気というより、ただ真っ直ぐな男なのだ。今思うことをそのまま口に出せる、ある意味すごい奴だ。


「……お前らしいよ」

「そうか? へへ、そう言われると照れるな」

「お前が照れても気持ち悪いだけだから照れないでくれ」

「なんか言ったか? へへへ……」


 本当に気持ち悪い。


 拓哉は、勉学に関しては滅法弱いが、こと格闘技となると、まさしく鬼のような強さを発揮する。空手や柔道、さまざまな格闘技を修得した男の体技は伊達ではない。


 以前、八雲が年上の不良に絡まれていたときも、そこを通りすがった拓哉に助けられた。それはもう、小さいころに憧れたヒーローのような強さだった。強きをくじき、弱きを助ける、を体現している、とも思った。

 そのとき残した拓哉の「これで貸し借りなしだな」という言葉の意味はわからなかったのだが。


「俺も、お前らがいてくれてよかったよ。正直、お前らがいなかったら俺はずっとひとりだ」

「そんなことねえよ。お前はひとりになったとしても大丈夫だ」

「いいや、それはお前さ」

「俺は本心から言ってるんだぜ、八雲。……なんて恥ずかしいこと言わせんなよなー!」


 そう言って、拓哉は八雲の肩に手を回す。八雲は、やめろと抗議しつつも、振り払いはしなかった。


「なあ、八雲。気をつけろよ」

「なにに気をつけろって言うんだ」

「中田たちだよ、中田たち。あいつら、今回もお前につっかかってくるだろうから」


 八雲は、前方に目を向けた。集団のなかでも大股で歩いている中田はどこか不機嫌そうだった。その取り巻きも、なにやら嫌な雰囲気を醸し出していた。


「言っとくけど、これまでに起きたことなんか、これっぽっちもお前のせいじゃないんだからな。それをお前、自分のせいだなんて言い張るのは、ゴーマンってやつだ」


 あれ、コーマンだったかな、と拓哉は顎に手を当てる。


「傲慢で合ってるよ。それにしても、お前に傲慢と評されるなんて思ってもみなかった」

「そ、そうか。……ん? それって、なんか俺のこと馬鹿にしてないか」

「いいや、馬鹿になんかしてないぜ。こいつは俺の本心さ」

「その本心が俺のことを馬鹿にしてんだろぉ!」


 視線と言葉で遺憾の意を示す拓哉を横目に見つつ、八雲は空を見上げた。


 ──羨ましくなるくらい、かっこいいよ。


 見上げた空は、高く、澄み渡っていた。今思えば、ここはとても空気が綺麗だ。清涼感があって、気持ちが和らぐ。

 パニックに陥っていた生徒たちも今は落ち着いている。もしかすると、新鮮な空気には人を安心させる作用でもあるのかもしれない。


 ただ無心に歩き続けていると、前方の一団がにわかに騒ぎ始めた。今度は、パニックになると言うよりかは、まるでスター選手や有名俳優が目の前にいるといった騒ぎようだ。

 すると好奇心の塊である拓哉は、あっという間に駆けていって、


「すげえ!」


 と一際大きな歓声を上げる。当然八雲も気になったが、拓哉のように生徒の一団をかき分けて進むわけにもいかない。また惨めな思いをするのは嫌なのだ。

 しばらくすると、男子の軍勢に押されたのか、愛華と麗華が一団から抜け出てきた。愛華はニコニコとしているが、一方で麗華はもうこりごりと言った風だ。


 麗華の様子から、一団の興味を惹くものがあったのだと推測できる。八雲は尋ねた。


「この騒ぎようはなんなんだ」

「えっとね、映画に出てくるようなね、なんだったかな……」

「騎士団よ、愛華」

「あ、それだよ麗華ちゃん!」


 耳慣れない言葉に、八雲は片眉を持ち上げた。騎士団というと、漫画やアニメなどでよく出てくるあの騎士団だろうか。


「騎士団というと、あの騎士団か?」

「まあ、その騎士団で間違いないでしょうね。気になるのなら見てきたら?」


 麗華は服装を正しながら提案する。八雲は逡巡して、


「……やめておく」

「どうして? すごいよ、あの人たち」

「ま、面倒だからな。それに、俺としちゃお前らと話してる方がよっぽど有意義だ」


 これは嘘偽りなく八雲の本心だ。素性もわからない騎士団を見るより、親しい仲である麗華や愛華と話をした方が落ち着く。それに、聡明な麗華の意見を聞きたくもあった。

 しかし麗華は、八雲の言葉を聞くなり半眼になって、


「有意義、ね……あなたが私たちをどんな目で見ているのか、よくわかったわ」

「な、なんでそんなに冷たい目で見るんだ」


 訴えるも、麗華の目つきは変わりそうにない。ならば愛華は、と目を向ける。


「有意義ってことは、つまり、私たちとお話するのが好きってことだよね……」


 愛華はなにやら顔を赤らめつつ、伏し目に八雲を見ていた。確実に間違った解釈だが、麗華の反応よりはマシだ。


「ちょっとニュアンスが違うんだが……まぁ、いいか」

「愛華。騙されてはダメよ。有意義っていうのは、つまりそこに感情を挟んでいないの。いい? 私たちとの会話で得られる情報が目的なのよ」


 覗き込みながら、麗華は愛華に言い聞かせる。しかしそこまで疑るとは、いくら聡明だと言っても考えすぎではないだろうか。

 

 ──昔からそうだったか……。


 麗華の疑り深さは今に始まったことではないのだ。

 幼いころから麗華は目に映る大抵のものに疑ってかかっていた。幾年経ても直っていないのである。

 懐古的な気分に浸りつつ、八雲は溜息を吐いた。


「心外だな。俺はお前らと話すのも結構好きだぞ」

「や、やっぱり好きなんだ!」

「愛華!」


 愛華がさらに顔を赤くし、麗華はそんな愛華を宥める。

 これではいつまで経っても本題に入れない。八雲はやれやれと首を竦めると、ひとり呟いた。


「どうしてこうなった」


 むろん、八雲の迂闊な発言のせいだ。それは自覚している。が、認めるのも癪だ。事実、麗華の疑り深さと愛華のよくわからない解釈さえなければ、会話からの情報収集は捗っていただろう。

 諦念めいた眼差しで愛華と麗華とを見ていると、前方の一団が割れてすっと道が開いた。現れたのは、白銀の鎧を装備した男たち。


「すまんな、通してくれ」

「悪いね、俺たちも大所帯なんだ」


 先陣を切るのは、体格のいい、いかにも歴戦の闘士と言った風体の男だ。しかしその男は、威圧感を持ちながらも、人のよい柔和な笑顔を振りまいている。腰には長剣を佩いており、盾を背負っている。が、一目見ていいおじさんとわかる顔立ちだ。

 彼らは談笑していて、その会話は八雲の耳にも届いた。


「なんというか、こうも好奇の眼差しで見られると恥ずかしくなってくるな……」

「堂々としてください、団長。あなたがこの騎士団の顔なんですから」


 後ろに続くのは、優れた美貌を持つ二枚目。先を結われた蒼の長髪や切れ長の瞳は、鋭利な印象を与える。彼の背には、槍の穂先が見えた。


「セルグ、お前は顔がいいんだから、もっと愛想よくしろよ……ああ、まだ入団したてのころのお前が懐かしい」

「恥ずかしいから、思い出さないでくださいよ」


 そう言うと、セルグは破顔した。その笑顔は、愚直なまでに真っ直ぐだ。


「そんなことより、ほら、堂々としてください」

「そうは言っても、なぁ、クルト。お前は恥ずかしいだろ?」


 呼ばれて、青年はザイクを見た。ダークブラウンの髪色に屈託のない笑顔。クルトと呼ばれた青年は愛想のいい笑顔で恥ずかしげもなく言った。


「ん? 俺は恥ずかしくないっすよ。だって、こんなに女の子がいるんすもん!」

「お前らしいな」


 セルグは苦笑する。その笑顔に女子生徒がざわめく。顔が良ければどんな表情でもいいらしかった。


「けど、もう少し緊張感を持て。俺たちは騎士団なんだからな」

「へへ、でも俺にとってはみんなの笑顔を作るのも仕事っすよ!」


 周囲のものたちにとってのムードメーカーなのか、そのおどけた様子は三枚目でもある。不思議な魅力を持った青年だ。

 彼は周囲とは違って甲冑ではなく革の軽装を纏っており、また、弓と矢筒とを背負っていた。


 ──こりゃ黄色い声があがるのも当たり前だな。


 心中で頷きつつ、八雲はその格好にも注目した。やはり騎士団と言うだけあって、そのほぼ全員が甲冑を身につけている。

 白銀のそれは、いかにも頑丈そうだが、しかし機能性に富んでいるようにも見えた。


「ね、すごいでしょ」


 いつの間にか、愛華は八雲の横に立っていた。見れば、反対側には麗華も立っている。相変わらず不機嫌そうな目つきだが、それでも麗華は平静を取り戻したらしい。

 自分のことのように尋ねる愛華に、八雲は腕を組んで、


「本当にすごいな。ここまで凝ってるのか」

「凝っているだけなら、いいんだけれどね」

「……と言うと?」

「まず、ここまでの甲冑を用意するにはかなりの金額が必要になるわ」


 麗華の言うことはもっともだ。騎士団の名は伊達ではないらしく、三人の男以外にも多くの甲冑姿がそこいらを闊歩している。

 材質まではわからないが、歩くたびに鳴る音からして金属製であることは間違いない。


「妥当だな」

「次に、これはまあ当然のことだけれど、彼らは外国人よ」

「たしかに日本人じゃなさそうだ」


 頷くと、八雲は騎士団の面々を見つめる。なるほど麗華の言うとおりである。

 日本人的な特徴を持たない者がここまで多いとなれば、外国人であると判ずるのも正当だ。しかし、妙な点がある。

 八雲はその不思議さに眉を曇らせた。


「気づいたでしょう? ここでおかしな点は、ただひとつよ。彼らは日本語を話しているの。それも、かなり流暢にね」

「ここまでの人数がいて、全員が流暢な日本語、か。たしかに不自然と言えば不自然だが……」


 あり得ないこともない。

 言いかけて、八雲はその言葉を飲み込んだ。


「でも、それが何故かを問う時間はないわ」

「……俺たちはまずこの場がどこであるのかを知らなくてはならない」

「端的に言うとそうなるわね」


 顔を顰めて、麗華は思案している。騒いでいた愛華は、うう……と唸って頭を抱えているようだった。


 ──ある程度の整理はついたな。


 だが、核心には至っていない。それがもどかしくもあり、また、安心できる要因でもあった。

 思考しているうちに、騎士団一行は八雲たちのすぐ近くまできていた。先頭にいた大柄な男、ザイクが、ニッと笑って声を掛ける。


「お、君らも召喚勇者ってやつか。俺はザイクだ。これからよろしくな」

 

 名乗ると、ザイクは手を差し出す。

 八雲はそれを見て逡巡した。一体何を求めているのか、八雲には考え付かなかったのだ。


 するとその後ろにいたセルグが、


「団長は顔は怖いが、いい人だ。それとこういうときは、握手が基本だぞ?」


 微笑して八雲の手を掴み、ザイクと握手させる。

 ザイクはしっかと八雲の手を握る。その握力の強さに、八雲は驚くとともに痛みを必死でこらえなければならなくなった。

 八雲は不愛想に、


「よろしくお願いします」


 と、挨拶をした。ザイクは満足げにうむと大仰な素振りで頷く。まだ放してはくれず、八雲の手はぎしぎしと痛みを訴えていた。

 しかしその痛みのなかで、ふと気がついた。


 ザイクの手はごつごつとしていて、まるで岩と握手しているかのようだ。


 ゴツゴツした掌は、いくつもの豆が潰れた証でもあった。これは、いわゆる職人の手だ。いや、この場合は騎士の手と形容した方がいいのだろう。


 しばらくして、ザイクは八雲の手を放した。ザイクは二枚目の男に「お前も挨拶しとけ、セルグ」と背を叩く。

 セルグは痛みに顔を歪めると、八雲に向き直って微笑んだ。なるほど女子が黄色い声をあげるのも道理である。八雲も一瞬心を奪われた。……いや、奪われてはいないはずである。


 そんな八雲の内心は露知らず、セルグは明るく自己紹介を始める。


「今団長が言ったとおり、俺はセルグ。副団長を務めている。ところで、君の名前を訊いてもいいかな」

「服部八雲って言うんです!」

「そうか、八雲くんか。よろしく頼むよ」

「よろしくお願いします!」


 一連の会話だが、なぜか愛華が嬉しそうに答えている。八雲は心中で、「お前は俺の母親か……」と溜息を吐く。愛華は昔から、お節介というか、世話好きなのだ。

 隣では麗華が額に手を当てて、「まったくもう……」とぼやいていた。こちらはこちらで愛華の姉のようにも見えるのだから不思議だ。


「……両手に花とはこのことっすか、セルグさん?」

「まあ、そうなるな。……そうそう、こいつはクルト。たぶん、年齢は君らと変わらない」


 当のクルトは恨めしそうな半眼を八雲に向ける。いかにも不服と言った表情だが、その双眸は八雲の人柄を見定めようとしているように感じられた。

 八雲が視線を逸らさずに見つめ返すと、クルトはずいと近寄って、


「クルトっす。十八っす」

「よ、よろしく……」


 なんとも挨拶のしづらい距離感だ。八雲とクルトとの間は十センチもないだろう。しかもその半眼が八雲をじっと捉えているのだ。話しづらいことこの上ない。


「こらクルト。八雲くんが困ってるじゃないか」

「俺の方が困るっすよ」

「お前な……。すまないね、八雲くん。この馬鹿は今すぐ連れていくよ」


 セルグはクルトの首根っこを掴むと、ずるずると引きずっていく。クルトはたちまち顔を赤くして、「うあ、歩くっす! 歩くから引きずらないでください!」と恥ずかしそうに喚いた。しかしその頼みも、セルグが聞き入れることはなかった。


 嵐のように過ぎ去っていく騎士団の姿を見送ると、八雲は呆れたように苦笑する。


 すごい男たちだ。


 よく見ればわかるが、ザイクたちの身体は甲冑ごしにわかるほど鍛え抜かれていた。がっしりとした体型は、まさしく騎士団と言うべきだ。

 それに、クルトの一言には、なかなか感心させられた。対応しづらい相手ではあったが、決して悪い奴、また、嫌味な奴というわけではないのだ。


「こりゃ拓哉が狂喜するわけだ」


 八雲はふっと笑みをこぼす。意味を取れなかったのか、愛華は小首を傾げる。一方で麗華は、神妙な面持ちで八雲を見ていた。


「けれど、拓哉には騎士団以上に興奮する出来事があったみたいね」

「は?」


 なにを言っているのだ、と思ったとき、後方から軽やかな音が聞こえた。次いで、トン、とジャンプする音が。

 嫌な予感がする。だが、その予感は少し遅すぎた。


「やくもー!」


 げ、と唸って逃げようとするも、時すでに遅し。これまた鍛え抜かれた上腕二頭筋が、八雲の頭を拘束した。

 ヘッドロックの状態で、拓哉は嬉しそうに、


「八雲お前、なに仲良くなってんだよ!」

「うぐっ、別に仲良くなんかなってない。それより、は、放せ。苦しいだろうが……」

「ったくお前、いつの間にあんな風に初対面の奴と話せるようになったんだよ! 俺はお前の成長っぷりに感動したぜ!」

「わかったから、放してくれ……」

「照れやがってこいつめ!」


 八雲が何度言っても、拓哉は放そうとしない。助けを求めて麗華に視線を遣ると、麗華は咳払いして、


「拓哉」


 と名前を呼んで睨む。途端に委縮して、拓哉は八雲を放した。

 これが躾というやつなのだ。この二人は、まるで飼い主と飼い犬である。それも、犬が従順なのではなく、主の恐怖統制だ。

 解放された八雲は喉元をさすりつつ、じろりと拓哉を見た。


「お前は俺の親父かよ……」


 八雲は息を整えながら悪態を吐く。すると拓哉は、申し訳なさそうに視線を落とした。八雲の両親を思い浮かべたのだろう。


「その、悪い八雲。俺──」

「──でもまあ、悪い気はしないな」


 ニヤリと笑って、八雲は拓哉の肩に拳を当てた。


「昔っから一緒だ。ほとんど家族同然だろ?」


 拓哉とは幼いころからよく遊んだものだった。それこそ家族ぐるみの付き合いで、寝食をともにしたことだって何度もある。それだけに、拓哉としても八雲の言葉に重みを感じてしまったのだろう。

 

 嫌な気分になるどころか、かえって八雲は、清々しい気分になっていた。拓哉が気を落としたのは、つまり、自分のことを気に掛けてくれていたからでもある。ならば、拓哉を叱責することなどあるわけがない。


 それにしても、拓哉からの返事がない。どうしたものか、と八雲は俯く拓哉を覗き込む。


「ば、ばか、見るんじゃねえよ」


 拓哉は唇を噛んで、涙ぐんでいた。今までに見たことがない親友の様子を見て、八雲は柄にもなく狼狽してしまう。


「だ、大丈夫か?」


 拓哉が泣くなんて、あり得ないことだ。拓哉と言えば、それこそ馬鹿の一つ覚えのように笑顔で過ごしているイメージしかない。そんな拓哉が涙を流すなど、八雲にとっては異常な事態なのだ。


 二人の状況を見かねたのか、麗華はゆっくりと近づき、


「拓哉はこれでも、あなたのことを心配していたのよ」

「う、うるせえよ麗華……」

「まったく、素直じゃないんだから」


 ふふん、と麗華はなぜか得意げだ。その態度に納得がいかないのか、拓哉も顔を上げて抗議する。


「お前には言われたくねえ」

「あら。なにかしらその口振りは。まるで私が素直じゃないみたいね」

「素直じゃねえだろ。だってお前、やく──「死にたいの?」──悪かった、このとおりだ」


 麗華が眼光を鋭くさせると、たちまち拓哉はお手上げだと首を竦める。しかし麗華はまだ不満らしく、拓哉への追撃を始める。拓哉はどんどん青ざめていって、心なしか身体が小さくなったように映った。

 八雲はそれを見て呆れた。慰めていたはずの麗華がいつの間にか拓哉を責める側に立っているのだ。だがそれも、日常の一コマと言えた。


「あいつら、仲いいな」

「ね。二人とも本当に仲がいいよね」


 蚊帳の外に放り出された八雲と愛華は、ただただ二人を見つめている。

 やがて前方の生徒たちが動き始めたので、八雲たちもその後に従った。目的の“謁見の間”に着いたのは、それから五分としないうちだった。


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