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043 竜王の孫に挨拶



 椅子に腰かけて、八雲は包み隠すことなくすべてを話した。アリスと竜王は黙って耳を傾けてくれた。それだけでも、八雲にはありがたかった。


 まずは自分がこの世界の住人でなく、異界から召喚された者だということ。これはアリスも知っていたが、竜王もいることも考慮して改めて詳細を説明した。次に、自分には魔法が使えないことと、レスティアに行くよう命じられたこと。そして、レスティアで起こったこと。ガルムという男に拷問され、身体をいじられ、そして落とされたこと。


「――っていうのが、事の顛末かな……」


 話し終えた八雲は、瞼を少し腫らしていた。ときおり聞こえる洟を啜る音は愛嬌だ。などとくだらないことを考えるも、八雲の顔色は一向に晴れない。


「俺は助けに行きたいんだ……けど、」


 伏せた目をアリスたちに向けようとすると、すぐに滑っては落ちてしまう。

 ずっと俯いていたからか、顔を上げるのが怖かった。アリスと竜王がどんな顔をしているのか想像もつかない。もしも誘いを断られたら、と思うと舌が上手く回ってくれない。

 がたっと椅子を引く音がして、八雲は肩を震わせる。暗鬱な気分に追い打ちをかけるように、凄惨な記憶が蘇ろうとして――、


「私はここにいます」


 ふいに、後ろから抱きしめられた。柔らかな感触が後頭部を包み、そこにある体温が八雲の冷えた首筋に移ろいゆく。少し首をひねると、涙を流すアリスがいた。


「私は離れません。あなたが離れてくれと言わない限り、私はそばにいます」


 そう言ったアリスは、照れくさそうにはにかんだ。力が強められて、さらにアリスの体温が伝わってくる。心音も。呼吸も。


「まだ信じられないって顔してますよ? 信じてくれるって言ったのに、ひどいなぁ」

「い、いや違くてっ! その、信じてる。信じてる、けど……それで、いいのか……」


 掠れながらか細くなった声。ちゃんと、届いたろうか? 不安と安堵が同時に起こって、八雲は唇をわななかせる。

 その様子を見かねたように、アリスが溜息を吐く。八雲はまた不安が強くなって、唇を噛んだ。本当は、嫌なのではないか。そんな考えが過る。

 自然と下がる目を止めたのは、アリスの笑顔だった。


「なに暗い顔してるんですか、まったく。私がついて行くって言ったんですから八雲さんはついて来いと言えばいいんです」


 おもむろに手を伸ばし、アリスは八雲の髪をくしゃくしゃにする。心の底から楽しそうに笑うものだから、つられて八雲も笑ってしまった。


「くくっ……これじゃあ俺が馬鹿みたいじゃないか」

「実際馬鹿なんですよ! ここまで来て私が見捨てると思うなんて馬鹿ですっ」

「俺が悪かったから、くしゃくしゃするのやめてくれよ」


 頭を振ってアリスの手を引きはがす。しかしアリスは負けじと頭を抱え込んできて、とうとう逃げ場がなくなった。しかも抱く力をさらに強めるものだから、なんというか、アリスのふくよかな部分が感じられてしまう。

 計画通り……なんてわけもない。八雲は心中で、


 ――わざとじゃないんだぞ? ……って、誰に言い訳してるんだ俺は。


 もちろん、わざとではないのだ。わざとではないが、意識するともう忘れられなくなってしまう。ここで頭を振ろうものならいろいろと不味いことになる。


 八雲は茹蛸のように顔を真っ赤にしてうつむき加減になる。するとアリスは「観念したんですね! 往生際の悪い人なんですからっ」とか喚いて八雲の髪をかき乱す。

 二人のじゃれ合いを見守っていた竜王が一言、


「……お主らは本当に仲が良いのう」

「「よくない!」」

「おうおう、息もぴったりとくれば仲が良いと認めざるを得んわ」


 ニヤニヤしながら軽口を飛ばす竜王を、八雲とアリスが真正面から睨む。柳に風、と言うように竜王は受け流し、言葉を続ける。


「その旅、わしも行くとしよう」

「来てくれるのかっ!?」

「なんじゃ、耄碌しかけの爺では不満かの。それともアリスと二人っきりでハネムーン気分でも味わいたかったんか」

「違うって!」


 耳まで真っ赤になった八雲が抗議するも、これまら竜王は飄々と聞き流し、悪そうな笑みを口許に湛える。まさに計画通り……って感じだ。正直、ギリアンよりたちが悪い。


「必死じゃとかえって怪しまれるのがこの世の常と言うもんじゃ」

「なっ」


 八雲が絶句する。血液が沸騰してるんじゃないかというくらい顔が熱くなって、燃え上がる羞恥心に身もだえしてしまいそうだ。


相棒(パートナー)がどっちの意味なのかわからんわい。単純に相棒なのか、はたまた生涯を共にする夫婦なのかのう」


 目配せする竜王にハッとして、視線をスライドさせる。


「八雲さん……」


 案の定、アリスはこちらを凝視していた。純真さに満ちていた瞳が、このときばかりは懐疑心で満ち満ちている。


 ――結局お前が信じてくれないのかよ!?


 八雲は苦虫を噛み潰したような顔になる。アリスが若干引いた顔つきなのは愛嬌ということにしておきたい。でないと心がポッキーしそうだ。


「八雲さんってそういう方だったんですね……」

「違うっての! 信じてくれよ!」

「犯人はみんなそう言うんです。だから八雲さんのことは信じません」


 アリスは唇を尖らせてそっぽを向く。ほんのり赤い頬が可愛らしいが、口に出すと怒られそうだ。ますます疑われるかもしれない。


「俺はそんなこと思ってないっての……」

「ま、それくらいわかってますけどね。まず八雲さんにそんな甲斐性があるとも思えませんし」

「辛辣だな」

「犯罪者と呼ばれた方がマシなんですか?」

「それだけは絶対ない」


 悪戯っぽく笑うアリスに、八雲は毅然とした口ぶりで断言してみせる。視線をぶつけあわせる二人の合間に、竜王が横から言葉を投げた。


「ほれ、八雲はまだ言うことがあるんじゃろ?」


 今度は茶化しでも冷やかしでもなかった。

 竜王の言うとおり、まだ言えていない、しかし言うべきことがある。これからの旅路がどうなるのかもわからないし、その先に何が待っているのかもわからない。もしかすると二人の望まないものがあるかもしれないし、後悔することになるかもしれない。

 それでも、二人はついて行こうと言ってくれた。


 ――だからこそ、か。


 八雲は頬をポリポリ掻く。ひとつ咳払いすると、竜王とアリスに向き直って、


「――二人とも、一緒に来てくれ」


 笑いかけた。これからともに旅をする仲間への、信頼を籠めた笑顔。八雲は一抹の羞恥と未来への期待を持って、二人の返答を待つ。

 ややあって、答えが返る。


「ええ、もちろんです」

「ま、仕方ないの。あの子にとっても世界の広さを知るいい機会になるじゃろうし」


 アリスが楽しそうに言い、竜王がふんと鼻を鳴らす。それぞれの答えを聞き届けた八雲は、嬉しさを噛みしめて目を瞑った。


「ありがとう……」


 安堵が心を満たしていく。零れ落ちる雫を隠そうと、八雲は片手で目を覆った。熱い雫が手を濡らし、二人の笑い声が鼓膜に浸透する。


「旅をするなら用意をせねばならんのう」

「備えあれば憂いなしってやつですね!」

「ことわざを言えるなんて成長したもんじゃな」

「失礼じゃないですか!?」


 アリスが唾を飛ばす勢いで食い掛かる。が、竜王は意にも介さず口笛を吹いてアリスを煽る。老人じゃなかったら殴られているに違いない。

 八雲が薄目で二人を見ていると、視線に気がついたように竜王がポンと手を打つ。


「そうじゃ、お主らに紹介せねばならんの」

「紹介……ですか?」

「孫娘じゃよ。たぶん自分の部屋におるからの。ちいと呼んでくるわい」


 楽しみです、とアリスが小さくポーズを作る。八雲は苦笑を滲ませた。

 少し、気を遣わせてしまったかもしれない。老人の背を視線で追う。白髪の甚平姿は廊下に消え、八雲とアリスがリビングに残された。


 ――存外、人を良く見てるんだな。


 意外な感想を抱きながら、まだ残っていた紅茶を啜る。冷めきっていたが、美味しいことに変わりはない。腕に抱いていたアクアの感触に和み、八雲は表情を緩ませる。

 一方でアリスは、緊張した面持ちで、襟を正す勢いで姿勢を直していた。何回も自身の服装を見つめてはぼそぼそと何某か呟いている。そのうち深呼吸をしたり笑顔を作ったりするものだから、いっそ不気味なまでだ。


「だ、だいじょうぶですよね……」


 辛うじてアリスの声が届く。

 八雲は返事をせずに頬を引きつらせて応えた。それだけでアリスはがーんと効果音が見えるくらいの落ち込みっぷりを見せる。


「だ、だいじょうぶじゃないんですかね……」

「いや、まあ……なんというか、変人にしか見えなかった」

「八雲さんが言うんですか!?」

「え、俺って変人に見えるのか?」

「変人以外の何物でもないです。現にスライムを抱いて鼻の下伸ばしてますもん」

「嘘だろ……」

「嘘です」

「嘘なのかよ!? はぁ……ったく」


 八雲は吃驚して、すぐに溜息を吐いた。どうやら良いようにからかわれたらしい。騙してくれたアリスは手を口に当てて笑いを殺している。だが、まあいいだろう。


 ――緊張もほぐれたみたいだし。


 ガチガチに固まっていたアリスはもういない。人を小馬鹿にしたような目に若干苛立つが、なんとか気にしないことにする。


「なにひとりで頷いてるんですか。そういうところ変人に見えますけど……」


 アリスが怪訝な眼差しを注ぐ。八雲は紅茶のカップを置いた。


「変人でも構わないさ」

「……変な八雲さん」

「変わり者の初代勇者様には言われたくないけどな」


 八雲がからかうと、アリスは悔しそうに睨みながらも反論はしなかった。

 少しだけ、静かになる。耳を澄ませば、微かに聞こえる、湖面の波立つ音。風が吹いているのかもしれない。あのほとりでくつろぐのもいいな、と微笑を過らせる。


「絶対に、助けに行きましょうね」

「……ああ。力を貸してくれると、その、助かる」


 黄金(こがね)の髪が揺らめく。ふと目を奪われたのち、恥ずかしさを掻き消すように八雲は早口に尋ねる。


「アリスはどうしてあんなところで眠ってたんだ。別に、ここでもよかったんじゃないのか?」


 わざわざ危険な場所に封印を施さずともよいはずだ。竜王の策があったのか、それともアリスの要望、もしくは魔王の思惑か。疑いたくはないが、少し疑いたくなる。

 アリスは困ったように苦笑して、


「ええと……、」小首を傾げる。悩んでいるというよりかは、寂しそうに見えた。「よく憶えていないんです。私、魔王ちゃんに何か言われたはずなんですけどね。あともうちょっとで思い出せそうなのに」


 顔を顰めると、八雲はそっとアリスを気遣った。


「竜王には訊かなくても?」

「ええ、いいんです。私は今を後悔していませんしね。……これは、逃げなんでしょうか?」


 と、アリスは不安に瞳を揺らす。

 回答に困る質問だ。八雲はカップの縁を指でなぞりながら口を開く。


「別に、逃げじゃないだろ。今を悔やんでないなら、それはいいことなんじゃないか」

「知ろうとしなくても?」

「知りたくなったら知ればいい。知りたくなかったら知らなくてもいい。……なんて、俺が思うだけだ。もしかしたら『逃げ』だって罵られるかもしれないな」


 笑みの残滓を引きながら、八雲はカップのなかに視線を落とす。揺れる紅茶と、そこに映る自分の姿。お前は逃げるな。向き合え。そう呟いて、八雲は椅子を後ろへ傾ける。


 倒れそうで、倒れない。

 いつかの、あの憎い男が言った言葉が脳に響く。奇しくも乗せられ、まんまと嵌められた。だが確かに、あの言葉だけは本当だと思えた。憎悪などの感情を置いて、の話だが。


「怖いんですよ、知ることが」

「なら、今は知らなくてもいいんじゃないか」


 アリスの瞳が揺れ惑う。八雲はこんこんと沸く衝動を抑えつつ、椅子をさらに傾けた。


「転ばなきゃいいって言われたことがある」

「……へ?」

「転ばないうちはいいんだってな。最悪なことに、そいつに転ばされたんだが」


 アリスは目をぱちくりさせていた。

 しかし八雲の表情を見て悟ったのか、申し訳なさそうに眉尻を下げる。


「でも、本当にそうなんだと思う。転ばないうちはいくら走ったっていい」

「転ばないうちは……ですか」

「ああ。……だから、なんだ。知らなくてもいいと思う。ただ、転んで後悔することにはならないようにな」

「……変な励まし方ですね」


 ふふ、と笑うアリス。八雲はそっぽを向いて――、その瞬間、バランスを崩した。

 世界が回る。あっ、というアリスの素っ頓狂な声を聞いたときには、すでに八雲は頭を打っていた。


「~~~~っ!?」


 ジンジンとした痛みに頭を抱えて転がる八雲。当然というべきか、アリスは腹を抱えて笑っていた。内心歯噛みしながら、恥ずかしさも覚える。


「締まらないですねぇ」

「う、うるさいな」


 アリスはひとしきり笑うと、浮いた涙を拭って手を差し伸べた。


「ひとつだけ訂正です。――いくら八雲さんが転んだって、何回でも私がこうやって起こしてあげます」


 ようやく痛みが引いた八雲は、アリスとは違う涙を浮かべつつ、その手を取る。


「慣れないことはするもんじゃないな」

「ええ、まったくです」


 立ち上がった八雲は、間を置かずに老人の存在に気づく。その後ろには、まだ幼い女の子が隠れている。顔だけ出しているのが可愛らしい。


「お主らは何をしとるんじゃ……まあよい、紹介しよう。わしの孫じゃ」

「い、いーな、です……」

「これこれ、ちゃんと顔を見せねばならんぞ? 大丈夫、怖くないからの。ただのアホじゃ」

「その言いぐさはあんまりじゃないですかね!?」


 すかさずアリスがツッコミを入れる。しかしそれでは自分がアホだと認めているようなものなのだが、気づいているのだろうか。


 ――たぶん、気づいてないよな……。


 たらたらと文句を垂れるアリス。竜王はそれに対応していて、すっかり孫の紹介を忘れている。八雲は呆れて肩を落とすと、竜王の後ろに隠れていた少女に目を向けた。


「っ」


 少女はびくっと身体を震わせて、警戒心剥き出しにこちらを見つめ返す。しかし八雲がちょいちょいと手招きすると、祖父の許を離れて歩いてくる。

 たどたどしい足取りでとてとて歩いた少女は、八雲の前までくると、アクアを指さした。


「気になるか?」


 こくり、と頷く。八雲はかがんで少女に目線を合わせた。まだ少し怯えの色が見えるが、好奇心の方が勝ったらしい。


「イーナ、で合ってるか?」そう問うと、少女は頷いて応える。「俺は八雲だ。こっちはアクア。よろしくな」


 ニッと笑顔を作り、アクアを持ち上げる。イーナは恐る恐ると言った手つきでアクアを触ると、「わぁ……」と目を輝かせた。アクアも満更ではないようで、イーナに飛びついた。


「綺麗な髪だな」

「……ありがとう」


 照れくさそうにはにかむ少女。

 声が小さいのは人と話すのが恥ずかしいからなのかもしれない。


 イーナの髪は、深紅だった。ワインレッドにも近いようだが、明かりに照らされると燃え上がるような紅を放つ。肩くらいまでで整えられたセミロングの髪色が目映(まばゆ)い。黒のワンピースと着こんだジャケットが深紅の髪色を映えさせている。

 外見からして十歳そこらだろうか。まだ幼さの残る笑顔が印象的な少女だ。


「なんじゃ、もう挨拶を終えたんか」

「ずるくないですか!? 私まだなのに……」

「いつまでも言いあってるからだろうが」


 八雲がアリスの追及を逃れる。こうなるとアリスはぐちぐちと小言でうるさくなるのだ。面倒ごとになるのも厄介なので、その場を離れるが吉である。

 椅子に腰かけて脱力する。すっかりリラックス出来たが、今度は眠くなってきた。これまでほとんど眠っていなかったツケが回ってきたのかもしれない。


「なんじゃ、締まりのない顔じゃの」


 ぼーっとしている八雲を見て、竜王が破顔する。特に言い返す気力もなく、八雲はひらひら手を振って返した。それから、深呼吸をする。


 気づけば、暖炉に火が起こされている。パチパチ爆ぜる火の粉が暖かく、同時に嫌な思い出を呼ぶ。しかし、不思議と暗い気分にはならない。

 吹っ切れたわけではない。ただ、わずかながら割り切れたのだろう。リラックスできているのは、きっと彼女らの不在を受け止めることができた証に違いなかった。


「ラルカ……」


 それでも、早く早くと逸る気を誤魔化すことはできない。

 奴の言葉が蘇る。『研究対象が多くて困ります。君の護ろうとしていた子はまだ幼い。だからこそ、長いスパンでの研究に使わせてもらいますよ』


 拳を、固く、強く握りしめる。


 お願いだから、手を出さないでくれ。

 他の人間がどうなろうが構わない。護りたいひとたちを護れるのなら、他に犠牲者が出ようとどうだっていい。だから、どうか。


 どうか、彼女が無事でありますように。


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