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035 バジリスク


 落ちてから何日経っただろうか。ダンジョンの中では時間感覚も掴めず、どれくらいの時間が経っているのか見当もつかない。体感で二週間程度は経った気がするが、それも定かではない。

 ともあれ、八雲たちは着々と奥に進んできていた。


「……うるさいな」


 八雲は目の前の光景を見て仏頂面になった。うるさすぎるのだ。

 大質量の激流が滝壷に吸い込まれていく。天井の高さがどれだけあるか目測ではわからない。ただ小規模のビルくらいなら入れそうだ。

 そんな高さから大量の水が落ちてくるのだから、まるでダムの放流を見学しているような気分にもなる。鳴りやまない轟音がすさまじく、八雲は耳を塞ぎたくなった。


「あとどれくらいだ?」

「もう少しだったはずです」

「そうか……なら――」

「ダメです。ちゃんと休息の時間を取ってください。その水のおかげで動けていますが、自分で思っているよりも疲労は蓄積されているはずです」


 肩に担いだ聖剣から忠告をもらう。八雲は頷きもせず、無視した。


「……」

「……」


 轟音とともに水を飲み下す滝壷。水飛沫が顔にかかって冷たいのだが、アクアにとってはたまらないらしい。フードのなかで身体を揺らして水飛沫を浴びている。


「八雲さん……急ぎすぎちゃダメですからね。何があったのかはわからないですけど、今のままじゃどこかで綻びがでます。そうなったら……死ぬ可能性だってあるんですから」

「……わかったよ」

「本当に……気をつけてください」


 アリスの忠告ももっともだ。これまでにも何度も意識が朦朧としてふらついたことがある。死なないように進むのなら、ここらで身体を休めておいた方が賢明かもしれない。

 逸る気持ちを抑えて、八雲はこれ以上先に進むのを一旦断念することにした。


「少しだけ休憩だ」


 八雲はすぐそばにあったちょうどいい大きさの岩に腰掛けた。フードから飛び出したアクアはもちろん八雲の膝に乗る。


「少し魔力を回復させたいんですが……いいですか?」

「ああ、寝てていいぞ。ありがとな、アリス」

「ふぁい……おやすみなさい……」


 ここに辿り着くまで連戦だったからか、アリスはいつもより眠そうな声だ。それを聞いていると、八雲も眠たくなってくる。


 眠気を振り払うために、神聖水を適量飲む。脳の疲れも吹き飛ぶ効力だが、やはり睡眠不足からきているのか気づかれが絶えない。

 アリスはいつも「私が警戒しておきますから眠ってください」と言ってくれる。その厚意を無碍(むげ)にするのも嫌なので、毎回目を瞑っていた。


 だが眠れない。夢を見るのが怖いのだ。

 しかし眠らないとなると、それはそれで心苦しいものがある。八雲がわざとらしく寝息を立ててしばらくすると、すすり泣く声が聞こえてくるのだ。


「……ありがとな」


 八雲は静かになった聖剣に向けて微笑んだ。心の底からではなくとも、表面的には八雲も笑えるようになった。それはきっと彼女らのおかげに違いない。


「どうしたんだ、アクア?」


 膝に乗ったアクアが八雲の腹に身体を擦り付けている。しばらくして意図に気づいた八雲は、小瓶のコルクをつまんだ。きゅぽん、と小気味よい音とともにコルクが外れる。


「ほら、思う存分飲んでいいぞ」


 辛抱たまらなかったのか、八雲が小瓶の口をつけてやるとアクアは神聖水を飲みほしてしまった。美味しそうにぷるぷる震えて、若干体色が白金に近づく。


「お前も不思議な奴だよな」


 アクアはなぜか神聖水を好んで飲む。スライムは水分の摂取だけでも生きていけるとはしっていたが、聖属性のある水を飲んでも大丈夫な魔物などなかなかいないだろう。

 アクアちゃんが聖属性の魔力で作られた魔物なんじゃないですかね、とはアリスの見解だ。原初の魔物が魔力から生まれるという特性から考えれば、理論も通っているし辻褄が合う。

 ただ、このダンジョンから聖属性持ちの魔物が生まれるとは考えにくい。事実これまでに聖属性魔法に抗える魔物はおらず、むしろ聖属性に弱い魔物ばかりだった。

 つまりはこのダンジョンを形成した魔力は聖属性ではない。


 ゴブリンなどの比較的弱い魔物は、魔属性を持つことが多く、聖属性に弱いのは一般的だ。だがダンジョンを形成した魔力源がたとえば火属性となれば、火の属性を持つ場合もある。

 弱い魔物がダンジョンの特性を表すと言ってもいいだろう。


 ――竜王か。


 おそらくは魔属性を持つ竜なのだろう。もしくは複数属性を持ち、そのなかでも魔属性が突出して強いのか。いずれにせよ何かしら主属性を持っているはずだ。


「できるだけ急ぎたいが……」


 アクアから聖剣(アリス)に視線を移す。


「急ぎ過ぎてもダメ、なんて言われるとは」


 たしかに八雲は急ぎ過ぎていた。そのために幾度となく死にかけ、アリスやアクアに救われた。けれど急がなければならない理由もある。

 もしも取り返しのつかない事態になったら、八雲は自ら命を絶つだろう。


 目下のところの目的は、幼馴染とラルカの救出。

 そのためにはまず竜王のところへ行って、地上に出してもらわねばならない。


 アリスの忠告も忘れずに、急ぎ過ぎず、できるだけ安全かつ早いペースで進もう。

 八雲はアクアを下ろし、滝壷のほとりでしゃがみこむ。軽く顔を洗うと、水面に映る自分の姿を見て自棄的に呟いた。


「ほんと、最悪だよ」


 水面に映る自分の姿を見ると、嫌でも笑ってしまう。

 灰を被ったような髪色の青年がそこにいるのだ。眉根を下げ、目許に涙を溜めて、それでも唇だけは笑ったように歪んでいる自分が水面に映っている。

 泣きそうなのを必死に隠して笑顔を作ろうとする姿は、まるで道化(ピエロ)のようだ。


「あいつらが気づけないだろ……」


 拷問と改造の副産物。魔力を大量に入れられたからか、身長がやや伸びた。髪色は黒から灰色に変わってしまっている。

 最後にあの男が吐き捨てた言葉は『飽きました』だった。

 身体を凌辱され、勝手に弄られ、最後に言った言葉が『飽きた』だなんて、本当に笑わせてくれる。


「なんで俺なんだよッ! 俺じゃなくてもよかっただろうが!」


 いつしか、怨嗟の言葉が零れていた。

 積み重ねられた理不尽に、いい加減怒りをぶつけずにはいられなかった。


「畜生っ! 畜生っ! ちくしょうっ……どうしてっ……!」


 水面に一つ、二つと波紋が生まれる。同心円状に広がる輪がぶつかり合って、また波紋が生まれていく。自らの、変貌してしまった姿がその狭間で揺れている。


「ははっ……ほんと、馬鹿みたいだ……」


 こんなことを喚いたってどうにもならないとわかっている。今更悔いたって仕方がないとも。だがもし、これが弱さだと言うのなら、どうして立ち向かえる?

 怒りと憎悪、寂寥に押しつぶされそうだ。一人で立ち向かえるなんて、そんなことできるはずがない。

 波紋が収まって、水面が八雲の姿を映す。八雲は石を拾い上げると、自分自身に投げつけた。また、波紋が生まれた。



    ×   ×   ×   ×



 アリスは聖剣に宿った、初代勇者の肩書を持つ少女だ。聖剣に宿ると言っても、本当に聖剣から世界を見ているわけではない。言うなれば幽霊のような状態で、聖剣はその形代みたいなものだ。聖剣が動かされればアリスも否応なく連れられる。


 聖剣(アリス)を引き抜いたのは、八雲という同年代の青年である。灰を被ったような色の髪に、漆黒の両目はこの世界では特徴的である。ボロ布に身を包み、一振りのナイフを武器としていた彼が、アリスを連れだした人物だ。


 最初は尖った人だな、としか思わなかった。いつも仏頂面で、恐怖をおくびにも出さない、周囲とかかわりを持たない人なのだろうとも。


 どうやら魔法が使えない体質らしく、戦闘は自らの身体を頼るのみ。それでよくこのダンジョンを生き抜いてこれたものだと思った。

 たとえ身体を瞬時に癒す秘薬があっても、力がないのだから何度も食われたはずである。心が折れてしまってもおかしくないのに耐え抜いているのだから並の精神力ではない。


 アリスは戦闘の度にひやひやしていた。


 自らの身体能力だけで戦うのは相当厳しいだろう。八雲の戦闘を見ていると、こちらが怖くなってくる。我が身を犠牲にしてでも、と考えなのか、躱せないと判断したら躊躇なく身体を差し出し、その隙に相手を殺す。


 これではいつか死んでしまう。それほど大型の魔物に出くわしていないからよかったものの、もし大型の、それこそ一発で八雲を殺せる相手と出くわしたらどうするつもりなのか。


 さらに悪いことに、八雲はほとんど睡眠を摂っていないようだ。目の下には深い隈ができ、戦闘中もたまに意識が飛んでいる。アリスが結界を作って寝ろと言っても眠らない。何か理由があるのだろうが、それも話したくないらしい。


 ――訊けるはずもないしなぁ……。


 と言ってもアリスも話せなかったからお互い様だ。いつか互いの過去を話すことができればいいなと思うが、もし怖がられたらと思うとどうにも唇が動かなくなる。


 とにかく、アリスから見た八雲は、周囲を寄せ付けない、鋭角的な男だった。


 しかしその印象が今、変わった。

 アリスは、眠ったふりをしていたのだが、突然八雲がこちらを向いて微笑んだ。一瞬ばれているのかと焦ったが、そうではないようだった。八雲の微笑には影が付きまとっていた。


 八雲はアクアに水を飲ませ、顔を洗いに立つ。

 なんてことはない普通の光景だったのだが、八雲は唐突に叫び始めた。びっくりしたアリスは、声を出さないように八雲に近づいた。


 ――泣いてる……?


 八雲は涙を流していた。だが口許だけは無理に取り繕った笑みを浮かばせており、泣き笑いの表情になっている。アリスはその表情に昔の自分を見た。


 アリスはどうもできなかった。事情も知らないくせに勝手に立ち入っても、迷惑なだけで何もできないだろう。

 けれど、放っておけなかった。たとえ同情でも憐憫でも、悲しむ彼を放っておくのは我慢ならない。

 アリスは魔王に救われた。救ってくれる人がいた。今彼のそばにいるのは? 


 ――私しかいないんだから。


 八雲の涙が数滴、水面に落ちて波紋を起こす。アリスは声を掛けようと口を開きかけて、水中の異変に気がついた。


「八雲さんッ!」


 いざというときに待機させていた術式を展開。同時に白金の魔法陣に盾となって八雲を護る役目を与える。だがまだ足りない。

 水中でうねる大きな魔力反応――来る!


「【二重奏(デュオ)、“聖壁(アイギス)”】」


 即座に新たな魔法式を構築させ、アリスは盾を二重に展開した。

 刹那、撃鉄のような音を伴って水中から弾丸が放たれる。八雲を狙った弾丸(それ)は、一歩手前でアリスの張った防壁に無効化された。


「なんだッ!?」

「気をつけてください! 【祈れ。さすれば汝に力を授けん、“聖女の祝福(セイント=ギフト)”】」


 アクアをフードに押し込め、八雲が聖剣を握る。すかさずアリスは、自身が有する固有魔法“付与魔法エンチャント・マジック”を発動させた。

 幾何学模様の真白な魔法陣が現れ、八雲の身体を透過。アリスが魔力を注ぎ、八雲を白金の光が包み込んだ。八雲の周囲を燐光が取り巻き、聖剣が呼応して煌めく。


「これは?」

「身体能力を向上させましたが、そう何度もは使えません! ――来ます!」


 静かに目を瞠る八雲に軽く説明し、アリスは再び水中の魔力反応に集中した。


 クァァアアア――ン


 滝の轟音が比較にならないほどの高音。およそ超音波にも似たその咆哮が、アリスと八雲の意識をそちらへ向かわせた。


「バジリスクッ!?」


 大蛇。

 水と一体化したような空色の体表は、ひとつひとつが人の顔ほどの大きさの鱗でびっしりと敷き詰められている。縦に裂けた瞳孔がアリスらを捉え、二又に別れた舌先がちらついた。



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