034 ダンジョンの景色
どうやらアリスの話によれば、この空間は魔物が入れないようにしてあるらしい。なにやらスライムが入れたのが異常であるのだとか。
彼女の話も長くなりそうだから、八雲はしばらく休息を取ることにした。壁にもたれかかるとスライムが膝に乗ってきた。わざわざどかすのも面倒なので自由にさせておく。
「私はこの聖剣とともに魔王討伐に向かったんです。けれど……」
「やられて封印されたってところか」
「いえいえ魔王ちゃんとは仲良しですよ?」
「……は?」
聞き捨てならないことをのたまう初代勇者。八雲が戸惑うのも当たり前なのだが、アリスは話を切ることもせず、
「まあ魔王ちゃんとの仲良しライフはおいといてですね」
「いやちょっと待て」
魔王と初代勇者が仲良しとは一体全体どういうことだ。
「どうして魔王を殺さなかったんだ?」
「だって負けましたし。それに魔王ちゃんいい子ですし」
「……もう少し具体的に説明してくれ」
「はぁ……これだから八雲さんは」
溜息を吐くアリス。苛立たないわけではないが、グッと堪える。アリスはいいですか、と言って語り始めた。
「魔王ちゃん……というか、そもそもカルマ大陸のみなさんは戦争を起こす気なんてありません。魔人と言っても魔物の上位種とかじゃないですし、普通の人間です」
「俺が聞いた話とまったく違うんだが?」
「ですから、そこが問題だったんですよ。悪いのは王国の方なんです」
にわかには信じがたい話だ。もしアリスの話が本当ならば、八雲たちが単なる侵略戦争の道具としてしか見られていないことになる。
「まず一つ訊くが……魔人が魔物の上位種じゃないってのはどういうことだ」
「前提が間違ってるんですよ。魔人と呼ばれているのは、太古の昔にアルス大陸からの移民です」
「つまりただの人間だと?」
「少し違います。カルマ大陸は並の人間じゃ普通には暮らせないくらい魔素が濃い地域なんです」
長々と続くアリスの説明をかいつまんでみた。
カルマ大陸は魔素が濃く、並大抵の人間は長生きできない土地である。そこで暮らす人間は環境に適応する必要があり、その結果人間よりも内包する魔力が多くなった。
魔人と言っても適応する際にさまざまな進化を遂げ、多くの種族が生まれることとなる。たとえばエルフやドワーフ、それに獣人や吸血鬼だ。
魔素による変化はそれぞれの特徴に現れている。魔人はこれと言って特徴がないのが特徴らしい。しかし人口の大多数を占めるのは彼らだと言う。
エルフであれば長耳と回復魔法に優れ、ドワーフは背が小さいもののその分どんな環境下でも生きていけるようになった。
獣人は結構複雑で、獣人とは大きな括りでしかない。細かくカテゴライズしていくと、数えきれないくらいに多くの種族の総称が獣人という呼び名なのだとか。特徴として挙げられるのは耳や尻尾などの外見と、身体強化魔法の適合性。
最後に吸血鬼。現魔王も吸血鬼であり、人間からの派生種族のなかでは一番数が少ない。吸血鬼はその名のとおり血を啜るための牙がある。だが別に血は吸わなくても生きていける。
そのかわり血を吸えば、時間制限はあるものの爆発的に能力が向上する。エルフよりも魔力の扱いに長け、ドワーフに劣らない適応能力を持ち、獣人よりも高い身体能力を持つこととなる。
寿命もさまざまである。長さで言えば、一番に吸血鬼、次点でエルフ、獣人、ドワーフ、一般の魔人となるらしい。吸血鬼は軽く千年は生きるそうだ。
「魔人のことはよくわかった。……が、王国側は何を考えてる」
「それは……すみません、私にもよくわからないんです」
先ほどまでの快活な喋りから一転、アリスは声のトーンを落とした。
八雲も追及はせず、押し黙る。
「……」
「……」
ぴちゃん、と水音がした。鍾乳石から垂れた水が泉に落ちて波紋を立てている。
こうしていると、嫌でも思い出してしまう。
あの地下室での出来事が思い起こされてしまうのだ。身体中を凌辱され、臓腑をなでまわされる感覚。あらゆる人間から搾り尽した魔力を血管から入れられる怖気。
あの男は言っていた。成長させた勇者を改造して兵器にする、と。
残された期間はあと何年だろうか。何年だったとしても、早く行って助けてやらねばならない。
――行かないと。
こんなところで油を売っている暇はない、と八雲はスライムを膝から下ろす。
「あの……」
立ち上がろうとする八雲を止めたのは、アリスの声だった。
「八雲さんはどうしてこんなところに?」
「お前が知る必要はない」
「でも気になりますし……」
「知らなくていい」
食い下がるアリスに八雲は語気を強める。
「……そうですか。でもいつか聞かせてくださいね!」
咎めるような物言いに、アリスは明るく振る舞った。
八雲は顔をくしゃりと歪めて、だがそれを悟られないように隠す。今にも掠れそうな声で、
「お前はついてくるのか?」
尋ねると、スライムは跳ねて応える。どうしてもついてくる気らしい。八雲はまた、顔をくしゃと歪めた。
「一緒に旅をするんですから名前をつけてあげましょうよ!」
「……スラりん」
スライムは嫌そうに身体を揺する。轟沈した八雲に次いで、
「エリザベータなんてどうですか! 可愛くないですか!?」
「……お前の感性がおかしいことだけはわかった」
八雲はアリスの案を否定すると、スライムを見つめる。
「アクア」
「あくあ?」
「ああ。今からコイツの名前はアクアだ」
目線で問う。スライムはぷるぷる揺れたのち、飛びかかってきた。
「うわっ」
「気に入ったみたいです!」
勢いよく八雲にぶつかって喜びを表現するアクア。思わず八雲が抱え込むと、アクアはもちもちの身体を存分に使ってじゃれてくる。
「よせって……」
「素敵な名前ですね、アクアちゃん!」
戸惑う八雲をよそにアリスはアクアを祝っている。
八雲はやっとの思いでアクアを引きはがし、
「ほら、行くぞ」
聖剣を担ぎ、歩き出した。小瓶に溜まった神聖水を飲み干すと、思考にかかった靄が消え去る。今はとにかく、進むことを優先するべきだ。
「アクアちゃん……」
「……チッ」
やはりと言うか、アクアの進むペースはあまりにも遅い。
八雲は舌打ちすると、アクアをフードに押し込んだ。ちょうどいいスペースなのか、アクアが嬉しそうに身体を揺らす。
「今度こそ出発だ」
× × × ×
聖剣の部屋を出て一週間、八雲はアリスの指示に従っていた。どうやら彼女は竜王の許へ連れて行くらしい。一度八雲は元の道を戻って地上に出ることを提案したが、
「だめです。そろそろ溶岩が流れ出す時期で、あの辺一帯は溶岩だまりになるんです。そのうちここらにも溶岩が押し寄せてきます」
と止められた。
歯がゆいが、鉄をも溶かす溶岩となれば太刀打ちできない。八雲は諦めるしかなかった。
ともあれ、竜王の許を訪れることにした八雲は、魔物を倒しつつ奥へと進んでいった。
道中で気づいたが、魔物は奥に行くごとに強さを増している。最初はゴブリンやオーク、狼型の魔物くらいだったのに、今では厄介な魔物が多い。
それでもなんとかなっているのは、ひとえにアリスの魔法のおかげだろう。
「うざったいですねえこの魔物!」
「……そろそろ終わりにしたいな」
今も、仲間を延々と呼び続ける魔物と戦っている。これがなかなか面倒な相手で、殺す間際になると甲高い声で助けを求めるのだ。
その度に仲間が現れるというループ仕様には八雲とアリスも苦戦を強いられている。
対峙するラプトルのような魔物――ラファルトの動きを観察。縦長の瞳孔がぎょろりと動いて八雲の姿を捉える。
「ギィ?」
八雲の周囲には焼け焦げたラファルト数匹の死体が転がっている。ラファルトは何度も首を傾げ、仲間の焼死体と八雲との間で視線を行き来させた。
「ギァアッ!」
そうして、ようやく八雲を獲物と認識すると、ラファルトは甲高い鳴き声で食い掛かってくる。だが、その顎が届くことはない。
「アリス」
「【すべてを封じよ“聖なる領域”】」
峻厳さに満ちた声音。
白金色の魔法陣が檻に変形して、飛びかかってきたラファルトを閉じ込める。“聖なる領域”は聖属性の、対象を白金色の檻に閉じ込める魔法だ。
「ギィッ!?」
「私に触れたら火傷しますよ? なんちゃって! どうですか八雲さん!?」
「少し静かにしとけ」
「……すみませんでした」
しかも普通の魔物は聖属性に弱いから、一度閉じ込めてしまえばもう自力では抜け出せない。魔属性を持つ魔物が触れれば、途端に火傷ものである。
だから“聖炎”などはよく効く。先ほどまでは襲撃してきたラファルトを“聖炎”で焼いていたのだが、それだとどうしても断末魔の叫びを上げさせる余裕ができてしまう。
「ギァアッ!?」
目を見開いたラファルト。縦に裂けた瞳孔が映すは淡い光に煌めく白刃。
絶叫するも、すでに遅い。
「ハァアアアッ!」
「グォウ――」
八雲は一息で肉薄し、檻ごとラファルトを断ち切った。白金の檻は瞬く間に霧散し、振り切った聖剣は鮮血で真っ赤に染まる。
うるさかった絶叫も斬り捨て、八雲は周囲に敵がいないかを確認。
「よし」
魔物の類はいない。八雲はふうと息を吐くと、その場に聖剣を突き刺した。次いでナイフを取り出し、ラファルトの身体を解体していく。
「うぅっ」
アリスが泣きべそをかいた。魔物を斬ると毎度こうなって、いい加減止めてほしいのだが、なかなか止めてくれない。文字どおり習慣になってしまったのだ。
「汚くなっちゃったよぉ……」
「……仕方ないだろうが」
「だって私乙女ですよ!?」
「今は剣だろ」
「……そうでした」
アリスは誰もがわかるくらいに落胆した。それから「【穢れを落とせ“水泡”】」と唱え、血肉のこびりついた聖剣を水で流していく。
二分もすれば聖剣は元の美しさに戻った。
「やっと綺麗になった……」
「アリス。結界を頼めるか?」
「むぅ……わかりました」
その間に解体を済ませた八雲が結界の生成を頼めば、不貞腐れながらもアリスは承諾してくれる。なんのかんの優しい少女だ。
「おっけーです」
「ありがとな」
部屋の出入り口にそれぞれ白金の膜が張られている。
こうすれば聖属性を苦手とする魔物たちは入ってこれず、安全地帯が形成されるというわけだ。これはアリスの居た泉の部屋にも施されていた結界である。
「八雲さんはもっと私のことを大事に扱うべきです」
「……って言われてもな」
「無理なのはわかってますけどぉ~……それでも大事に扱ってほしいんですよっ」
そのうちな、と返して、八雲は聖剣を改めて観察した。
銀の両刃に彫られた古代文字。これはアリスにも読めないそうで、相当古い時代の剣であることがわかっている。また、柄にはめ込まれた蒼い宝石は、特に魔力が籠められているわけでもなく、装飾品としての意味合いが強い。
さらにこの聖剣は、不思議な能力を有していた。聖属性、魔属性、闇属性であれば、それがどれだけ強い魔法であっても容易に断ち切れるのである。
加えて、重量感溢れる見た目をしているが、これが存外軽い。これもまた聖剣自体が持っている性質なのだろう。
八雲が聖剣を見つめていると、アリスが不満げな溜息を漏らした。
「まぁいいです。――それより八雲さん。私の魔法のおかげですよね?」
「……ああ。助かった」
省略しているものの、アリスの聖属性魔法はここまで効果覿面だ。
それに今の八雲は食糧調達もできるようになった。もちろんダンジョンには野菜もないし、豚肉や牛肉もない。あるのは魔物の肉だけだ。
不味くて食えたものではないと言われている魔物の肉だが、聖属性の魔法で炙ると美味しくいただけるようになる。何故かは知らないが、“聖炎”で焼けば食べられるのだ。
「……ごちそうさま」
「お粗末様です」
いつもどおりラファルトの肉を平らげると、八雲は壁にもたれかかる。フードの中からアクアが飛び出して、八雲の膝に乗っかった。
「ふふ~ん。アクアちゃんを膝にのっけてご満悦ですか?」
「別にそんなんじゃない」
一応アリスも横に立てかけてやる。あれで存外寂しがり屋なアリスは、八雲が離れようとすると泣きべそをかいたりもするのだ。
「ねえ八雲さん」
「……どうした?」
「ダンジョンって、こんなに綺麗なんですね……」
アリスが感嘆の息を漏らす。八雲はあたりの景色を見て目を瞠った。
壁には水晶があって、それが幻想的な淡い光を生み出している。たしか、煌水晶と言ったはずだ。
煌水晶の灯りは本来暗いはずの巌窟のなかをわずかに照らし、ときおり落ちてくる水滴を色づかせている。水滴の来た道を辿っていって、八雲は今度こそ感動した。
煌水晶は壁だけでなく、天井からも氷柱のごとく生えている。
その先端から滴るしずくの儚い美しさと言ったら、伊勢物語に詠われた朝露もかくや。
今までは単なる戦場程度にしか認識していなかったが、まさかこんなにも綺麗な光景が広がっているとは。
涙こそ流さないものの、八雲は感涙してもおかしくないと思った。おそらく前の自分であったのなら、一滴くらいは涙をこぼしたかもしれない。
「ほんとに……きれい」
気分が高揚したとみられるアリスの声に、八雲もつられて穏やかな気分になる。
アクアをなでながら、八雲は問いかけた。
「アリスはどうしてここにいたんだ?」
「……私ですか」
表情こそ読めないものの、アリスは感情がわかりやすい。
だが今のアリスは何を感じているのだろう。少しだけ沈んだ声音は、感動の残滓を残しているようでもあり、また、何か心に傷を負っているようでもあった。
「私、これでもまだ十八歳なんです。勇者として旅に出たのは十五のとき」
「……それは」
「ええ、勇者でしたから。仕方ないんです」
アリスは初代勇者だ。それは前々から聞き及んでいたが、まさか十五歳で勇者として旅に出されるのか。
八雲は眉根を寄せ、アリスの語りに耳を傾ける。
「まあいろいろあって、魔王ちゃんのところに着いたのは二年後でした。そこで魔王ちゃんに負けて……でも、殺されなかった。魔王ちゃんは『お茶を出すわね』って言って、私に手を差し伸べてくれたんです」
アリスは心底嬉しそうに呟く。八雲は顔には出さず驚いていた。
もしかすると、八雲はアリスを勘違いしていたのかもしれない。初代勇者だからと言っても、実際には八雲たちと変わらない年なのだ。
しかも、八雲だって勇者の肩書が持つ重みを知っている。それをアリスがどう感じ、どう対処したのか。八雲は天井を見上げながら答えを待った。
しずくが落ちる音だけが続いていた。五分ほどの静寂があった。
アリスは、言った。吐息も声も、震えていた。
「ごめんなさい。やっぱり私、まだ言いたくないみたいです」
「……謝らなくていい。俺だって言ってないことがある」
自分でも驚くくらい優しい声が出た。
それは、ともすれば同情や憐憫があったからなのかもしれない。
「すみません……」
無意識のうちに、同情もしくは憐憫を向けていたのだろうか。
だとすれば、ますます自分のことが嫌いになる。
勇者の肩書、それゆえの悲しみを彼女が秘めているのだとすれば、過程は違えど同じく勇者の肩書に苦しめられた自分自身に憐憫を向けているのと同じだ。
「勇者なんて大それた人間じゃないんですよ、私」
自分が勇者として召喚されたから、死んでいった者たちがいる。
勇者であるのに、何も出来ず、死なせてしまった人たちがいる。
すべての元凶が女神の呪いなのだとしても、それにすべてを押し付けるのは、間違いなく弱さだろう。
だって、八雲が行動を起こせば救えた人たちがたくさんいるのだから。
もし八雲がレスティアに行かなければ、村の人々は死なずに済んだ。
そんなifを考えると自分自身が誰よりも憎くなる。今更考えても、すでにすべて終わってしまったことなのだと分かってはいる。
しかし考えずにはいられないのだ。そうして、いつも思いだしてしまう。
リリカが最期に向けた微笑み。
なぜあのときリリカは微笑んでいたのだろう。
それだけは、何度考えても、答えが出ない。
あるいは、すでに気づいているにもかかわらず、答えを出したくないのかもしれなかった。
× × × ×
人を信じるとはどういうことなのだろう。
安易に心を開いたら、また裏切られるのではないだろうか。手の平を反して、襲い掛かってくるのではなかろうか。
好きだった彼女は殺されて、優しかった彼らも殺された。
すべては自分という存在があったからだと男は言っていた。ただ実験をするためだけに殺したのだ、と。
託された者も護れなかった。
身体を弄られ、凌辱の限りを尽くされた。すべてを語られ、絶望の味を知った。
壮絶な痛みが止まず、幾度となく気を狂わせた。いっそ気違いになってしまった方が楽だったのかもしれない。
だが、なりきれなかった。
友を助けたい。一声かけられればそれでよかったのに、それすらも叶わない。
結局友への言葉は贈れず、挙句友の手によって落とされた。女神だとかよりも、自分自身が憎くなった。
心が荒んでいくのを感じていた。異形の怪物たちを斬り殺すたびに、心のどこかが挙げる悲鳴を聞いていた。暖かさを求めているのも知っていた。
けれど、許容できないのだ。彼女らを失ったことで胸に大きな穴が空いている。その空洞を埋めるのは、彼女らを忘れることにつながるのではないかと思うと、ひどく恐ろしい。
そんなとき、人に出会ってしまった。人の形をしていないからよかったものの、恐ろしくて仕方がない。信じるのは、怖くて、事情を話すこともできない。
だから、今までどおりではなく自然と離れてくれればいいなと思った。けれど、一向に離れてくれる気配がない。
自分から離れる勇気はなかった。離れてほしいのに、離れてくれない。しかしいつしか心が柔らかく暖かになっていることにも気づいている。
だが受け入れてはいけないと思った。受け入れたら、彼女らの死を肯定してしまうような、そんな気がして、怖いのだ。
ふと、読みかけていた小説を思い出す。
あのとき栞を挟んだページの先で、人間を信じられない彼はどうなってしまったのか。
今はもう、わからない。