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灰被りの勇者と封印されし聖女~疫病神の英雄譚~  作者: 樋渡乃 すみか
一章:かくして疫病神は灰を被る
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020 老騎士との鍛錬


 騎士団常駐所の外。老騎士がニヤニヤと見守る中、一人の青年が腕立て伏せをしていた。青年の背には、少年のような風貌のまだ年端もいかない少女が乗っている。


「五十だぞっ!」


 黒髪の少女──ラルカは、五十回達成にはしゃいだ。身体が小さく軽いと言っても、それを腕や腹筋だけで支えると言うのはかなり厳しい。

 筋肉が痙攣しそうになるのを耐える青年――八雲に向かって老騎士ギリアンはニヤニヤとして冷やかす。


「ほれほれ、まだ五十回だぞ」

「や、やめ……っ、やめて、くださっ、……い」


 ギリアンは木の枝の先で、八雲の脇腹をつつく。その度に力が抜けそうになって、しかし身体を落とさぬよう寸前で堪える。


 八雲の口振りは丁寧だが、その目は憎々しげにギリアンを捉えている。乾いた笑みを浮かべるも、頬が引き攣って不気味な笑顔になっていることに八雲は気づいていない。


「負けるなやくもっ! がんばれっ」


 可愛らしい声援に押されて、八雲は己を奮い立たせて身体を持ち上げる。だが虚しくも八雲の腕は限界を叫んだ。


「も、う……無理」


 弱音を吐いて、八雲は身体を地に着けた。ラルカはつまらないと飛び降りる。

 足蹴にされた八雲は、うぐっと呻いたのち、肩を揺らして荒い呼吸をする。視線を上げると、ギリアンは興が冷めたように白い顎髭をさすっていた。


「どれ、剣を持て」

「……少しだけ休憩とかは?」

「やらん」

「冗談ですよ、休憩なんて要りません」


 八雲は立ち上がり、小屋に立てかけていた木剣を取る。まだ上手く力が入らないが、これを辛抱せねばならない。絶望的な状況でも魔物は待ってはくれないのだ。


 木剣を握ると、八雲はギリアンに相対する。こうして対峙することでわかる、老騎士の威圧。まるで、歳老いてなお猛威を振るう獅子のようだ。

 ギリアンは片手で木剣を構えると、顎でしゃくって、


「ほれ、いつでもかかってこい」


 と八雲を挑発してくる。いつでも人を馬鹿にする口調のギリアンだが、剣術の指導となると雰囲気を一転させる。


「――行きます!」


 八雲は胸を借りる思いでギリアンに詰め寄った。剣を力いっぱい握りしめ、直前まで行くと重心をわずかに後ろへ。その瞬間、ギリアンは目の色を変える。


「お主は本当に真正面しか能がないの」

「性根が歪んでるよりはマシだと思いますがね!」

「根性なしが言いおるわ!」


 袈裟切りに振るった八雲の剣はあっさりと弾かれた。

 が、それは元より予測している。八雲は後ろに置いた重心と弾かれた勢いとを利用し、ステップを踏んで身体を回転、全体重を乗せた脚撃を放とうとする。


「馬鹿にしとるのか」


 わずかな動きから予測していたのだろう。熟練の老騎士は冷静に八雲の軸足に打撃を加えて、蹴りの軌道をずらす。


 結果として足先はギリアンの顎髭を掠めるに終わった。


「チッ」


 舌打ちすると、八雲は即座に体勢を立て直し剣を突き入れる。頸動脈を狙ったそれは、ただ首を動かすだけで回避された。


 ──さすがだ。


 内心舌を巻きつつ、八雲は次のプロセスを思案。


 ギリアンはつまらなそうに自身の剣を八雲の脇腹目がけて振るう。

 八雲は避けられず。


「がッ……」


 木剣は脇腹に食い込み、八雲の身体に重い鈍痛を与える。

 ギリアンは強化魔法などの類は使用していない。老齢の身でこの強さを保っているのは、ひとえに経験と鍛錬の賜物なのだろう。


 八雲は顔を歪めつつ、木剣を構え直す。ギリアンは片眉を持ち上げて、


「ふむ……まだやるか」

「……当たり前、でしょう?」

「青臭いガキがよくもまあ言うもんじゃ」


 言葉では貶しているも、ギリアンは明朗に笑う。それからギリアンは眼光を細め、


「今度はわしから行くとしよう」


 その宣告を耳にした瞬間、八雲は総毛だった。ギリアンの威圧は、ぞくりと身震いするほどに強い殺気があらゆる方向から八雲を狙っているかのようである。

 嫌な冷や汗が噴き出して、体温がぐっと下がる。ギリアンが向ける冷酷な目を八雲はただ畏怖に駆られて見つめていた。


 刹那、八雲の視界からギリアンが消えた。


「なッ」


 焦躁しつつ、八雲は瞬時にギリアンが接近していると悟る。

 案の定ギリアンは八雲の寸前までに迫っていた。間もなく、気づくのが遅いと言わんばかりに木剣が斬り上げられる。


「くそっ!」


 なんとか反応して、事なきを得る。はじき返した反動で八雲の手は痺れたが、ギリアンがその手を休めることはない。初撃に始まり、二、三と剣技が繰り出される。


 老騎士の巧みな剣に、八雲は防戦一方になる。返す一刀が流麗に迫るのをすんでのところで避け、次いで現れる拳を木剣で受け止める。

 必要最小限の動きで、できるだけの回避を心がけ、八雲はギリアンの動作を見きろうとした。

 だが老練された動作の数々は、戦闘経験がほぼ皆無である八雲に見きれるほど甘くない。そのうち八雲の防御も瓦解し始めて、ついには木剣の突きが頬を掠める。


「ほれほれ、どうした八雲」

「どうもっ、してませんよ!」


 煽ってくるギリアン。それでも緩まない連撃に、八雲は必死に対応していく。


 ここまでは上々。ここからどれだけ粘れるかが本当の勝負だ。

 周囲の風景は目まぐるしく変わっていくようにも感じられる。しかしその中心にいるのはギリアン、彼はニヤニヤと薄ら笑いを浮かべた。


 ──くそっ!


 すると、剣先が速度を増して肉薄する。ほとんど顔間近にまで来たそれを、八雲は半身を反らしてなんとか躱す。それから、剣を振りぬいてギリアンのそれを真上に弾く。

 今の体勢はあまりにも無防備だ。不味いと察した八雲は身を転がして、ギリアンと距離を置いた。

 間合いを見極めるのはまだ難しいが、それでもいつかは自分の得意な間合いを作らねばならない。


 彼我の距離は約三メートル。一歩踏み出して突きを繰り出せば相手に攻撃できる距離だ。

 ギリアンの得意とする間合いは約二メートル。攻勢に転じるにはどうすればいいか、八雲は注意を払いながら思案する。

 そうしていると、待ちきれなくなったのかギリアンは一歩踏み込んで、剣先を八雲に向かわせた。単調な動きを見きった八雲は、それを己の木剣で受け流す。


 一つの型を想起した。ものは試しと八雲は決心する。


「よしっ!」


 声を張り、八雲は目の色を変える。攻勢に転じるタイミングを待つのではなく、自ら攻勢を作り出す型。

 八雲は剣を握りしめると、ギリアンの懐へ飛び込んだ。そのまま、素早く剣戟へと移行。斬り上げ、斬り下ろし、二連脚、と連続して攻撃を放つ。まさしく鬼神のごとく、攻撃の手を緩めない。防御への意識を一切捨ててあるのだ。

 三つあると言われる剣の型のうちの一つで、速度重視の剣で相手を翻弄するのである。


 反撃を許さぬ剣戟。すると、わずかな隙ができた。それは、瞬きをする間ほどの短い隙。八雲はそれを見逃すことなく、全身全霊で木剣を薙いだ。

 だがそれは、虚空を滑るに終わる。


 ──当たらないか。


 渾身の一撃を外したにもかかわらず、八雲の思考は澄んだ清流のごとく明瞭だった。序盤は焦るばかりだったが、途中ギリアンが煽ってきたことで、逆に考えるだけの余裕ができた。


 今現在も息を切らすことない老騎士を、八雲は感嘆に満ちた瞳で見据える。

 ギリアンは双眸を厳しくさせ、しかし冷静に対応していく。突然のスタイル変更に驚いただけだったらしい。


 悔しいが、今の実力はギリアンに匹敵するレベルではない。だが、そう言い聞かせて納得するわけもない。黙考したのち、八雲は腹を決めた。


 八雲が上段から振り下ろしたところで、ちょうどギリアンはその場を飛びのく。八雲は目を光らせた。またとない好機である。すぐさま追撃体勢に移り、八雲は地を駆った。

 ギリアンも予測済みであったに違いない。なにせ今の八雲のスタイルは攻撃特化。攻撃に攻撃を重ね、防御策の一切を講じないスタイルなのだから、追撃しない方がおかしい。

 しかし八雲の初速は遅かった。このスタイルでは、本来であればギリアンが地に足をつける前に攻撃を加えるべきなのだが──、


「ほっ」


 ギリアンは嘲笑とも呼べそうな笑みをたたえる。それから、ギリアンの許に到達した八雲へと斜めより木剣を斬り下ろす。肩口へと。

 しかし八雲は、あえてそれを避けないでいた。ギリアンは怪訝な顔になったのち、八雲の意図に気がついたのか、初めて(・・・・)慌てた様子を見せる。


「お主っ!?」


 ギリアンの放った打撃は、当然八雲の肩にめり込んだ。そして八雲は、苦痛を耐えて笑みをこぼす。すなわち、策が成功すると確信した笑みを。


 ギリアンの動きに遅れて、八雲は動き出す。その右手に握られた木剣は、ただ真っ直ぐに老騎士の腕を対象としていた。

 三つのうちの一つ、カウンターを主としたスタイルであり、逆に言えば捨て身のスタイルである。

 むろん、このスタイルを極めれば敵を紙一重で躱しつつ、強烈な一撃を与えられるのだろうが、生憎と現在の八雲では到底成し得ない所業だ。


「強い相手にはこういう戦い方しかないんですよっ!」


 果たして、八雲の木剣はギリアンの腕を打ち付けた。


「くぅっ!」


 振動が伝わって、八雲自身にも痺れが来るが、ギリアンにはそれ以上の痺れが来ているのだろう、顔を顰めていた。


「よしっ!」


 苦肉の策が通用したことに、八雲は嬉しかった。

 ただそれは、今抱くべきものではなかった。もう一度攻勢に転じればよかったものを、八雲はそのチャンスをみすみす逃してしまったのである。

 八雲が喜ぶ間に、ギリアンはすっかり気を取り直していた。いよいよ佳境と言ったふうに老騎士は若者に厳しい眼差しを注いでいる。その剣先が向けられるは八雲の顔面。


 ──迂闊だったっ!


 八雲はハッとして、己の愚行を悔やんだ。しかし後悔している間もあるまい。

 目で剣先を追いながら、自らの動きもよりスムーズにしようと八雲は務める。鼻先まで来た剣先を、八雲はほとんど反射で弾く。だが反射というのがいけなかった。

 大振りになってしまったがゆえ、護る武器をなくした八雲の胴体はがら空きだ。そこへ、間髪入れずにギリアンの拳が突き刺さる。


「──ッ」


 ギリアンの拳は人体の急所の一つ――鳩尾を正確に捉えていた。自然、息ができなくなって、ちかちかと視界が明滅する。揺らぐ視界に映るは老騎士の全力が籠められた回し蹴り。

 回避を試みるも、強烈な眩暈に襲われて八雲の身体は言うことを聞かない。まるで臓腑をなでられたかのように吐き気がしてきて、八雲はその場に立ち尽くした。


「く、そッ!」


 辛うじて両腕を交差させたが、必死のガードむなしく八雲は、

 ダンッ、

 と衝撃をもろに食らい、身体が宙に浮く。そのまま地に投げ出されたとき、八雲の意識は彼方へと吹き飛ばされた。


「ほんと、アホじゃな……」



    ×   ×   ×   ×



 心地よい微風がさわさわと木の葉を揺らし、軽やかなリズムの音楽を奏でている。太陽はいよいよ南中に昇り、その日差しをぐっと強めた。

 ぎらぎらとした熱気は、しかし八雲の身体を温めるだけで、決して嫌な暑さではない。


 額にはひんやりとした感触がある。覚醒した八雲が目を開けると、そこには慈しむように八雲の髪をなでるリリカがいた。

 リリカも八雲の覚醒に気づいて、優しげに微笑んだ。

 先ほどまで微睡みに浸っていた八雲は、その微笑を見た途端に心臓が跳ねた。軽やかと言うよりかは、ほんの一瞬だけ飛んだような、よくわからない感覚だった。


 困惑気味に眉根を寄せた八雲に、リリカは変わらぬ微笑を湛えている。これではまるで、八雲が子供のようだ。

 恥ずかしくなった八雲は、リリカの膝から頭を下ろして胡坐をかく。


「おはようございます、八雲さん」

「……おはよう」

「ふふ、お身体の調子はいかがですか?」


 言われて、八雲はやっと身体に一切の不調がないことを知る。あれだけ強かった眩暈も感じなければ、ただ少しの吐き気もない。これは一体……と八雲が考え出す前に、リリカが答えた。


「セリカさんの魔法ですよ。八雲さんたちの鍛錬を見ていたテグスさんがセリカさんを呼んだそうです」

「そうだったのか……。今度、テグスとセリカさんには感謝しないとな」


 八雲は友の働きに感謝し、同時に自らの現状に渋面を浮かべる。一線を退いた老騎士とさえも満足に渡り合えない者のどこが勇者か。このままでは護りたい者たちを護ることなど一生できないではないか。

 八雲は面差しを曇らせる。その心情を察してか、リリカは補足した。


「ギリアンさんが言ってましたよ、驚いたって。でもこれ、実は内緒の話なんです。ですから、八雲さんも絶対に言わないでくださいね?」


 リリカは人差し指を唇に当ててウインクする。まだあどけなさの残る女の子だと言うのに、その仕草と表情とは、活発な印象とは対照的に大人の女性に見えた。


 そんなリリカに、八雲は少しの間見惚れた。何を考えるでもなく見つめていると、


「ど、どうしたんですか……?」


 と、リリカは顔を真っ赤にして問うてくる。八雲はそこで自分が視線を寄せすぎたことに

気がつき、すっと立ち上がる。


「いいや、なんでもない。……じゃあ、俺は行くところがあるから」


 八雲が森の方へ歩き出すと、リリカは八雲の袖をくいと引き留めた。申し訳なさそうに袖の端を掴み、しかし引き留める力はいくぶん強い。


「その……お身体は大丈夫ですか?」


 おずおずと尋ねるリリカに、八雲は苦笑した。どうやら自分はこの少女に多大な心配をかけていたらしい。ついこの間に偉そうなことを言っておいてこの体たらくは少々笑えない。

 頼りすぎるというのも考えものだ。八雲は身体の節々を丹念にチェックして、痛む箇所がないことを確認する。


「大丈夫みたいだ」


 八雲がレスティアでの生活を始めて、早半年が経とうとしていた。

 毎日の筋トレは帰ってからも欠かさずこなしている。だがまだまだ筋力は足りていないし、体力も充分なレベルには達していない。

 ギリアンとの鍛錬を終えると、八雲はいつもある場所へ行く。ラルカが見つけた秘密の基地、もしくは安息地と言い換えてもいいかもしれない。

 とにかく、秘密ということもあって、リリカを連れていくわけにもいかない。


「ありがとな、リリカ。それじゃ、また後で」

「はい! お待ちしてますね!」


 軽く手を振って、八雲は駆けだす。自分の仕草が気障っぽくはないかと不安になったが、八雲はかぶりを振ってそれを否定した。もし気障っぽく見えていたなら、そのあたりに穴を掘って籠りたいくらい恥ずかしい。

 ほんのりと熱を帯びた頬を冷ますように、八雲は風の中を突っ切って森に立ち入った。


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