019 説得と罪悪感
翌朝、八雲は村に常駐している騎士団員の許を訪れることにした。昨夜騒いでいた老騎士に剣を教わるためである。鍛錬を積む理由は言わずもがなだ。
森林にほど近い騎士団常駐所。目の前の切り株に座る老騎士に、八雲は深々と頭を下げる。
「ギリアンさん、お願いします」
ギリアンは俯いたまま、八雲を見ようともしない。
以前ザイクに聞いたことがあるのだが、ギリアンは熟練の騎士であり、若い騎士の育成に関してはプロフェッショナルだと言う。ただ、その厳しさと偏屈さゆえに勇者の育成には起用されなかったとのことだ。
どういったふうに偏屈であるかは知らないが、この老騎士は確実に八雲を無視している。しかも、八雲が頭を下げてからかれこれ一時間は経っている。相当な偏屈爺さんであることに違いはなかった。
いつまでも反応を見せないギリアンに、八雲は苛立ちを覚えた。そうして、溜まった鬱憤を晴らすがごとく、八雲は深く息を吸い込んで、
「俺を鍛えてください、お願いします!」
「わっほい!?」
半ば怒声じみたものを浴びせると、老騎士は訳の分からない返答をして狼狽えた。そんなギリアンに八雲は驚愕しつつ、眉根を寄せる。
「お、お前さん八雲だな!?」
「……はぁ。そうですが……」
呆れた八雲は溜息を吐く。ギリアンは深い皺を湛えた笑顔の前に両手を合わせた。
「すまん! 寝てた!」
「……は?」
「いやぁ、わし寝不足でな! 昨夜は酒を飲み過ぎた!」
あっけらかんと自白するギリアンに、八雲は口をポカンと開けた。まさに開いた口が塞がらない状態である。
「で、なんだっけ?」
「本当に聞こえてなかったのか……」
「うん、だってわし寝てたもん」
「……二度も言わないでくださいよ」
八雲は蟀谷のあたりを抑えながらギリアンを見る。悪びれたふうもなく、八雲に笑顔を向けている。堂々としているというか、馬鹿というか……とにかく元気な爺さんだ。
この爺さんに剣を教わるのかと思うと頭痛がしてくる。だがザイクも教わったと言うのだから腕は確かなのだろう。
八雲は拳を握りしめて、
「俺に剣を教えてください」
「そりゃまたなんで?」
「……強くなるためです」
「それだけ?」
ギリアンは真価を見出すように八雲の目を見つめている。顔に貼り付けてあるのは、人を見透かした、ニヤニヤとした笑み。
言うのは少々躊躇われる。ともすれば、無謀だ、蛮勇だと笑い飛ばされるかもしれない。だがそれでも、彼らに追いつき、ともに戦うためならば、と八雲は割り切る。
恥ずかしながらも八雲は打ち明けることにした。
「幼馴染を、護りたいから。そのために強くなって、旅への同行を認めさせたいんです」
「どうして護りたい?」
「……護られてばかりだったから」
「そんなもんが理由になるわけないじゃろ、あほか」
ギリアンはそう切り捨てて、話にならんと両手をぷらぷらさせる。
腹立たしいが、その言い分ももっともだ。護られ続けてきたから今度は自分が、などとはなるほど取ってつけた理由としか思えない。
その自覚を持って、八雲はよりいっそう拳に力を籠める。
「……俺が、」
切りだすと、ギリアンは目を細めて八雲を見つめる。その顔からは、ニヤニヤとした薄ら笑いが溶け落ちている。
「俺があいつらを護りたいだけだ。それの何が悪い」
老騎士は若者に冷たい眼差しを注いでいる。だがすぐに表情が切り替わる。
「いいや、何も悪くない。護りたいなら護ればいい話だからの」
ギリアンは唇を不敵に歪ませて、
「いいぞ。教えてやろう」
「……本当ですか?」
「本当も本当。大マジじゃよ」
「いまいち信用ならないな……」
八雲はギリアンに聴きとられぬよう口中で呟く。ギリアンは白い歯を見せ、
「ま、もともと教えてやるつもりだったんだがの」
「なら何で言わせたんですか……」
「ふん。お前さんが変な嘘を吐くからじゃ」
とんだ狸爺だ、と八雲は心中で毒づく。と言っても、嫌悪感などの類は一切ない。
「ともあれ、お前さんに剣を教えると約束しよう」
「今からお願いできますか」
「うぅむ……面倒じゃなぁ……ま、いいかの」
「ありがとうございます!」
八雲はお辞儀して感謝の意を述べる。ギリアンは満足げに口許を緩めると、一番最初の指示を下した。
「それじゃ、お前さん。まずはリリカの手伝いじゃ。あの子の家に寝泊まりすることになったんじゃろ?」
「ええ、まぁ……」
「なんで苦い顔をしとる」
「まだ若い姉妹の家で暮らすというのはいかがなものかと思っただけですよ」
「硬いのぉ……」
やれやれと溜息を吐くギリアン。そんなことを言われても、八雲とて男なのだから、もう少し危険ではないかという意識を持ってほしいものである。
むろん理性を失うことなどは万が一にも起きないだろうが、それでも一応は警戒してほしい。
姉妹の家に滞在することになった理由は、ラルカの我儘だ。八雲に泊まってほしいと駄々をこねて、頭を悩ました八雲が村長に相談すると、あっさりと快諾されてしまった。
それでいいのかと思ったが、いつまでもラルカを泣かせてリリカを困らせておくのも申し訳なく、八雲は姉妹の家に滞在することを決めたのだった。
「それで、何をすれば?」
「リリカの手伝い、つまりは農作業なんかをやれということじゃ。か弱い乙女に鍬なんぞを握らせておくのは男としていかがなものかと思っての」
八雲の台詞を改変しながら、老騎士は悪戯っぽくに笑う。どこまでも人を苛立たせるのが好きな爺さんである。
「……わかりました」
引き攣りそうな頬を抑えつつ、八雲は了承した。
早くその場を離れたかった八雲は、最後にギリアンを一瞥して踵を返した。そのときのギリアンの顔はやけに険しいものだった。
その不思議は気にしないことにして、八雲はリリカの家を目指して歩く。今はまだ朝日が昇ってそう経ってない時間帯であるから、リリカはおそらく家に居るはずだ。
リリカとラルカには両親がいない。そのため、姉であるリリカは基本的に家事も仕事も自分一人でこなしている。周囲の村民からも手伝おうと声がかかるらしいが、リリカはそれを固辞している。いわく、両親の遺したものは自分たちで、とのこと。
ずいぶんと親孝行な少女であるが、それは言い換えれば誰も頼らないということである。きっと他の村民からすれば寂しいものだろう。
余所から来た八雲が村民の代役を担うと言うのもおかしな話だが、現状八雲はリリカたちの家に住む居候である。
それを理由にすれば、リリカも手伝いの申し出を断ることはできないと八雲は踏んでいた。リリカに話す言い訳というか、条件を思案していると、ふいに肩をつつかれる。
「おはよう、八雲くん」
火照った声に振り向くと、そこには妙齢の美女がいた。つやのある紫紺の髪を腰ほどまで伸ばし、それを編み込んで一本に纏めている。
肌は滑らかな乳白色で、肌理が細かい。
「おはようございます、セリカさん」
村長の娘である、セリカだ。
日焼けしていないのは、セリカが病弱な体質であり、基本的には村内に設立されている孤児院で子供たちの面倒を見るため外には出ないようにしているからである。
「昨夜は激しかったわね……それに、美味しかった」
八雲は怪訝な顔をしつつ返答する。
「……まあ、たしかにみんな楽しそうに踊ってましたね。お料理も美味かった」
「ええ、私も参加したかったわぁ」
自身が病弱であるからか、セリカは他人の行動のほとんどを「激しい」と形容する。しかも天然気質なのか、主語やら動詞やらが会話から抜け落ちることもしばしばだ。
そのため、セリカの言動はときとして男性陣を驚かせることもある。
美麗な容姿もさることながら、言葉遣いが淫靡に聞こえることがままあるので、男性陣からはまた違った恐怖を抱かれているのだ。
しかしセリカが魅力的な女性であることに変わりはないだろう。才色兼備で子ども想いの美女となれば大抵の男は惹かれる。
とは言っても、セリカにはすでに婚約者がいる。一昨年、もともと冒険者であったテグスと言う名の男が森で怪我をして村に運び込まれた。
そのテグスを治療したのがセリカだったのだが、セリカに一目ぼれしたテグスは怪我が治りきったのちも村に滞在してセリカにアプローチ。
昨年、ようやく勝利をもぎ取ったとのことだ。
ちなみにこの話は昨夜の歓迎会でテグス本人が鼻高々に語ってきたものである。テグスは八雲とあまり歳が変わらない。本人も歳を数えていないからわからないと言っていた。いろいろ話しているうちに八雲とテグスは結構仲がよくなった。
「夜に激しく舞い踊るなんてなかなかないものね。私も激しくしてみたいわ」
セリカは恥ずかしげに頬を紅潮させる。手をやってうふふと笑う様は貴婦人のようでもある。
その仕草と言葉とが相俟ってなんだか妖艶だが、それは昨夜ですっかり耐性がついたらしい。今はただ心配に眉を顰めた八雲は、
「無理しちゃダメですよ。テグスが心配します」
「あらあら、夫とも激しくてくれたのね」
「……仲良くなっただけなんですが」
と溜息を吐いたところで、八雲はリリカの家に行かねばならないことを思い出した。このままでは森の中にある農園に行ってしまうかもしれない。
後ろ髪を引かれつつも、八雲は用があると伝えてセリカと別れる。それからしばらく歩くと、ちょうど家を出ようとするリリカを目にした。リリカの隣には農具の入った籠が置いてある。
「リリカ」
そう声を掛けると、リリカは八雲に気づいて振り向いた。
小首を傾げるリリカに八雲は一言、
「手伝うよ」
と告げる。
その意味を判じかねたのか、リリカは小首をかしげていて、八雲は好機とばかりに籠を背負った。鍬やらが入った籠はなかなかに重く、しかし八雲はそれを顔に出さないよう平静を装った。
そこでようやく意図を理解したのだろう、リリカはあわあわと両手を右往左往させて、八雲の申し出を断ろうとする。
「だ、大丈夫ですよ! そんなことさせられませんしっ」
「この家に住まわせてもらうんだ、これくらいさせてくれ」
「で、でもっ!」
慌ただしく説得しようとするリリカ。八雲は唇に苦笑を過らせる。
「両親の遺したものだから、自分一人で」
リリカがびくと反応する。唇を薄く噛んで俯いている。しかしそんなリリカを尻目に、八雲は言葉を続けた。
「親孝行だよな。正直言って、すごいと思う」
誰の手も借りないと言うのは、すごいことだ。一人でもできるというのは素晴らしい能力があるから、もしくは曲げたくない信念に従っているからなのだろう。
「でも、それを見ている側は結構辛いもんだ。助けてあげたくても助けを必要としていないんだからな」
そんなことは分かっているのだろう。リリカは複雑な顔で八雲を見つめる。しかし八雲とてリリカが重々承知であろうことは予測済みである。
「それはお節介なのかもしれないし、一人でこなせることなら一人で充分だ」
意見を反転させると、リリカはますます怪訝な面差しを向けた。しかし八雲はリリカの異論を挟ませないほどに言葉を途切れさせない。
「けどな、それじゃいつか倒れるかもしれない。倒れたとき一番辛い想いをするのは誰だ? ……言わずもがな、ラルカだぞ」
そんな未来を想像したのだろう、八雲の視線に射竦められたリリカは唇の端を不安に歪めた。
まだ一日しかともに過ごしていないが、この短期間でもリリカの責任感の強さは把握できた。責任感が強いということは、自責に追い込まれて強迫観念を形成する可能性も高い。
もし病に臥せたとしても、ともすれば、リリカは自らに鞭打って無理やりにでも家事と仕事をこなそうとするかもしれないのだ。自分の失敗だ、自分で拭わなければ……という強迫観念に急かされて。
それをただ傍観することしか許されない周囲の人間は悲嘆に暮れるだろう。むろん助けようとはするのだろうが、結局リリカに押し負けるだろう。今までだってそうだったのだ。
「ラルカを想ってやるのなら誰かに頼ることもしてくれ、リリカ」
そう締めくくると、リリカは目尻に涙を溜めていた。だがすぐにリリカは涙を拭い、八雲を見つめ返す。
黒に輝く大きな瞳には、一抹の不安とわずかな寂寥、それに加えて大きな信念があった。
八雲は微笑すると、籠を背負ったまま歩き出した。リリカは何も言わず八雲に追従する。
──姑息な手段だよな。
村外に出るとき、ギリアンがサムズアップしていたが、八雲はとても明るい気分にはなれなかった。むしろ、リリカを騙した気がして罪悪感に苦しんでいる。
八雲の説得は、正しく説得と呼べるものではない。ラルカを理由に納得させたようなものだ。もしラルカがいなかったのなら、リリカを説得することなどできなかっただろう。
本来ならばリリカが自身を思いやって、周囲に頼ることを覚えなければならない。
もちろん一人でやることは何もおかしくはないのだが、それではいつか生活そのものが瓦解するおそれがある。だが今のリリカは、他人に迷惑をかけるのが忍びないのだろう。きっと他人を頼らない。
そこで八雲は、妹という“家族”を使った。幼い妹を思いやることで、リリカに他人を頼るよう説得した。これはリリカの本心を説得したのではない。リリカの家族を想う心を利用したと言った方がしっくりくる。それゆえの罪悪感は、八雲の心に気持ち悪い靄を残した。
農場まではさして遠くない。昨日ラルカと走り回るうちに覚えた道を行けば、正規の道のりよりは大分時間短縮できるのだ。ただその近道は、ラルカいわく秘密の抜け道らしいから、今回は使わないことにした。
八雲は後ろのリリカに意識を向けつつ、レスティアについての文献を思い起こした。
レスティアの位置するこの森林地帯は、“誓いの森”と呼ばれている。名付けの由来は御伽噺で、作中に出てくる森がこのレスティア付近と酷似しているからである。
魔物に襲われない村、レスティア。だが皮肉にも、魔物ではなく、悪意を持った人間により襲撃されてしまった。同じ人間の手で、いくつもの命が奪われた。そこには姉妹の両親も入っているのだろう。
しばらく道なりに進むと、黒い石で造られた慰霊碑があった。盗賊による襲撃で亡くなった人々を弔う意で建てられたものだ。
墓前でしゃがむと、八雲は静かに合掌した。名前まではわからないが、その数は数十を超えている。無念のままに散ったであろう命に黙祷した。
ふと気がつくと、リリカは隣で同じ姿勢を取っている。ただし両手は、合掌ではなく、神に祈りを捧げるように。
つーっと少女の頬を涙が伝った。