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013 暗闇の中、光を求めて

「あ、れ……?」


 目を開けると、すでにそこにはオークの姿がない。


 どうにか頭だけを動かして八雲はきょろきょろと見まわす。


「生きてる……?」


 周囲に生きているゴブリンはおらず、先ほどのオークは八雲の後方の壁に磔になっていた。それも、一本の鋭い槍が心臓の辺りを貫いて壁にまで到達しているのだ。


「八雲くん──っ!」


 なぜだと考える前に、胸の辺りに衝撃。肋骨が悲鳴を上げる。八雲はうぐっと呻きつつ、まさか、と胸元を見る。

 ゴブリンでもオークでもない、幼馴染の女の子がそこにいた。次いで、幼馴染の男が八雲の傍に駆け寄る。

 愛華は八雲を起こして、


「よかった……よかったよぉ……」

「死んでないよな、死んでないよな!?」


 愛華は八雲の胸に顔を擦り付けて泣いている。拓哉に至っては大仰に騒いで八雲の上半身を揺らす始末だ。

 しかしそのうち騒ぐのをやめて、拓哉はよかったと男泣きする。


「ホントによかった……! お前が生きててくれてよかった! 助けに行けなくてごめん……!」

「……気にするなよ」

「うぅっ……ホントに、ホントは助けに行きたくて、でも俺が足止めしないとって思って……!」

「俺は生きてる」

「うっ……うぁ……よかった……っ!」


 拓哉は目許をごしごし拭いながらも涙が止まっていない。充血した両目は拓哉が本当に心配で仕方なかったことを示していた。


 なんだか照れくさくなった八雲は幼馴染から目を逸らした。するとその先には、


「間に合ってよかった」


 飾り気のない紐で結われた長い黒髪。切れ長の瞳は鋭く、しかし柔和な雰囲気を纏った男。


「大丈夫か、八雲くん」


 笑みを浮かべるセルグがいた。周囲にはセルグとともにいた騎士団のメンバーもいる。


 ──助けられたのか……。


 他にも、戦っていた生徒たちが安心しきった様子で座り込んでいる。

 問題を起こした張本人である白井は、自らを掻き抱いて震えていた。その顔色は真っ青で、相当なショックを受けたと見える。

 だが怒りは湧かなかった。


「助かりました」

「……君が礼を言う必要はない。これは俺たち騎士団のミスみたいなものだ」

「それでも、俺が生きてるのはあなたのおかげだ」


 セルグたちが圧倒的な戦力で状況をひっくり返したのだろう。そのおかげで八雲は生きていられたのだ。


「礼を受け取らないって言うなら、セルグ=ピアーズとその友人たちに礼を言うまでです」

「…………」

「騎士団には言ってませんよ?」

「……君の方が一枚上手(うわて)だったらしい」


 首を竦めると、セルグは八雲の足を見て痛ましそうに顔を歪めた。


「大丈夫かい、その足」

「……もう感覚はないですがね」


 八雲は力なく笑う。すると胸元の愛華はハッとして、


「ちょっと待ってね、いま、なおすから、ね……うぅ、ごめんね……」


 先日と同じ、淡い桃色の魔法陣。うららかな春を思わせる暖かな光が八雲の足を優しく包み込んでいく。

 心の底から安堵が湧き立って来る不思議な感覚に、八雲は頬が緩むのを抑えられない。


「ごめんね……ありがと……」


 愛華は泣きじゃくりながら八雲の左足に治癒魔法をかける。八雲はそんな愛華の頭にポンと手を置く。

 亜麻色の髪がくしゃりと柔らかにたわんで、微かな震えが温もりと共に伝わってきた。


「気にするなって」


 そのまま頭をなでてやると、愛華はまた泣き出す。涙をぽろぽろとこぼしながらも、愛華は治療を止めない。

 意識するとまた左足やその他もろもろの部分が痛みを帯びるが、八雲はそれを顔に出さないよう心掛けた。これ以上心配をかけたくない。


「それより、クルトたちのところへは」

「もう行かせてあるよ。それにしても、すまなかったね。俺がもっと早くに駆けつけていれば……」

「……いえ、気にしないでください。俺は生きてますから」


 八雲は朗らかに笑う。事実、今回の戦闘では本当に死ぬかと思ったが、今、こうして息をしているのだ。

 それに元はと言えば二人の生徒が勝手に行動したのが問題だった。助けてくれたセルグには、感謝こそすれ、絶対に恨みなどしない。 


 ──そういえば。


 ゴブリンに食われていた死体は、いったい誰のものだったのだろう。見たところ子供のようだったが……。


「あの死体は……」

「おそらく、迷子になっていた子供だろう。二日前から俺たちも探していたのさ」


 セルグの顔は険しく、激しい怒りが湧いていると一目でわかる。今のセルグは、平時の凛とした表情を隠すように鬼神の面をつけていた。


「子供の足でここまで来れるはずがない。誰かが意図的にやったことは間違いないだろう。それも、おそらくは君たちに死というものを見せつけるのが目的だ」

「俺たちに、ですか?」

「実を言うと勇者を否定的に捉える者たちがいてね。そいつらの犯行と見て間違いないだろう」


 八雲は耳を傾けつつ、一方でセルグの手腕に感銘を受けていた。

 今、セルグはいつもの槍を背負っていない。ということは、あのオークを屠ったのはセルグの槍だ。

 しかも投擲で正確にオークの心臓を貫いたのだろうから、まさにけた違いの膂力だ。


 ──お前の言うとおりだな、クルト。


 クルトが自慢げに話すのも道理だ。ここまで強いのであれば、現段階の聖也や麗華が奮闘してもセルグには敵わないだろう。


「……さて、世間話もここまでにしておこう。これ以上魔物に湧かれても厄介だ」


 セルグはそう言うと、騎士団員に指示を出して退路を確保し始める。


「ありがとな、愛華」

「あ……で、でもまだ動くのはっ!」

「大丈夫だよ」


 優しく言って立ち上がる。まだ痛むが、早めにここを出ることを優先させたい。


「あぐっ……」


 少し歩いただけで、がくりと倒れそうになり、慌てて愛華と拓哉が八雲を支える。


「やくもくん……」

「八雲、肩貸すぜ」


 愛華は涙目で心配そうに、拓哉は充血した目でへへっと笑った。いよいよ幸せな気持ちになって、


「……ああ、ありがとな」


 八雲は最高の笑顔を向けたのだった。


 ダンジョンはすんなりと離脱することができた。拓哉がおぶってやろうかと提案してきたが、八雲はあえてそれを断った。

 なんとなく、なんとなくだけれど、怪我は男の勲章だと言っていた祖父の気持ちがわかった気がしたから。

 この痛みは、愛華を護った証なのだから。


 ダンジョンを抜け出る途中、八雲は他の生徒たちに謝罪された。いわく、助けにいけなくてすまなかった、とのこと。

 みな一様に申し訳ないと頭を下げてくるものだから八雲は大いに困った。別に八雲はうらんでなどいない。

 あの状況では仕方がなかった。他の生徒たちは八雲よりも多数の魔物を相手取っていた。それに、生きていられたのだ。恨むにしても発端となった二人くらいのものだ。


 謝罪してくる幾人ものクラスメイトに、八雲は笑って「いいさ」と答えた。気分は清々しく、むろんときおり来る苦痛は(こた)えたが、それでも心は晴れやかだった。


「いいんだよ、これで」


 愛華と拓哉は納得のいかない顔をしていたが、八雲自身不思議と怒る気が起きなかった。なにより、死人が出なかったのは幸運だ。

 そう考えると、苛立つこともなかった。




 帰りは愛華と拓哉、それに八雲だけが馬車に乗り込んだ。他の生徒は聖也たちを待つとのことである。

 八雲もそうしようとしたのだが、セルグにきっぱり休めと言われてしまったから仕方がない。などと言ってはみたが、もう限界寸前どころか限界を超えすぎた。


「なんだろうな、星がすごく綺麗に見える……」


 開けた車窓から見る夜空は美しく、誘うような夜気の涼しさが肌に染み渡って心地いい。


 馬車に揺られていると、八雲は眠気と疲労に負けてしまいそうになる。愛華は疲れ切って八雲の膝枕で寝入ってしまい、拓哉は向かい側のシートで豪快にいびきをかいている。


「こうしてると、昔みたいだ」


 八雲は愛華の髪を手で梳きつつ、すっかり暗くなった外を眺めた。


 昔はこうして愛華をなだめたり、拓哉と馬鹿なことをしたものだ。あのときはもっと口調も砕けていたのだが、成長するにつれていろいろと変わってしまった。

 年月が人を変えると言うが、八雲は別段時間によって変わったなどとは思っていない。

 自身が勝手に思い込んで距離を置こうとしただけだ。けれど彼らは放してくれなくて、そのもどかしさのなかにある暖かさに触れてしまった。

 だから、“今”がある。


 懐古的な気分に浸りつつ、八雲は今日を振り返ってみる。


 今日はひどい目に遭った。生徒たちの幾人かは心が折れかけたのではないだろうか。

 なにせ、子供が死んでいて、さらには魔物がそれを食べている光景を目の当たりにしてしまったのだ。戦意を喪失してもおかしくはない。


 八雲だってあの惨状には吐き気がした。おぞましくて気味が悪かった。だが、それ以上にこう思えたのだ。


 こいつらを逃がさなくては、と。


 あの光景を目にして、なおも武器を手に取った聖也や麗華はどんな思いだったのだろう。

 聖也の表情は一切窺えなかったが、自分と同じ思いを抱いたのだろうか。青ざめてしまった麗華は、あのあとどんな思いで飛び出していったのか。


 憎しみか、悲しみか、それとも護りたいという願いか。

 できれば後者であってほしい。憎しみや悲しみを抱くのは当然だが、それで胸をいっぱいにしたら人が変わってしまう気がして怖い。


 愛華はあの死体を見ただろうか。見ていないといいのだが。

 あのとき叫んだ拓哉はなにを思っていたのだろうか。皆を奮起させるためであったらいいのだが。


 ふと考えるのをやめて、八雲は愛華と拓哉を見る。生きている。すうと寝息を立てて、胸を一定のリズムで上下させている。

 ぽろ、と涙が落ちた。



「よかった……ほんとうに、よかった……っ」



 洟をすすり、嗚咽を漏らし、八雲はみっともなく泣いた。

 生き残ることができて、本当によかった。またこの幼馴染たちとともに過ごせると思うと、途轍もなく嬉しい。

 護れてよかった。けれど、自分も生き残ることができて、本当によかった。


「死にたくないっ……離れたくない……」


 自分は、ひどく弱い。だから弱さを受け入れて、それでもなお努力をし続ける。そうしたとしても、これから先、護りきれるだろうか。

 わからない。まるで、真っ暗闇のなかで光を求めてもがくみたいだ。もがいてもがいて、その先にある光を求め続ける。


 力が欲しい。大切な者たちを護りきれるだけの力が、欲しい。

 (こいねが)ったものは、自分では手に入れられない。努力だけでは補えないほどに、大きなものなのだから。


 涙をあふれさせる八雲の耳に、あのときの声が届いた気がした。


 ──『……ごめんなさい』



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