T1-6
「……は?」
ウバイド遺跡の「英雄碑」にて復活した俺は、自分に起きたことが信じられず、呆然として立ち尽くした。
飛来した火の玉、あれは間違いなく炎属性初級魔法〈ファイアボール〉のものだ。だが、何だあれは。俺の知っている初級魔法の威力じゃない。しかも、あの時俺には属性魔法を無効化するバフがかかっていたはずなのである。
――なにが起きたんだ……。
「あのボスが解放必殺技を使ったとき、〈ディスペル〉も発動していたみたいです」
納得いかないままボスの扉の前に戻ってきて、エリに質問すると、彼女は撮影した映像を見ながらそう答えた。そして自分のウィンドウをこちらにも見えるようにして、その瞬間を俺に見せる。
確かに、剣精の両手剣が光った瞬間、俺の体が灰色の光に包まれ、HPバー横のアイコンが消えていた。言うまでもなく〈ディスペル〉の効果だ。だが、俺が釈然としないのはそこだけではなかった。
「いや、だがよ、何でファイアボールだけで即死したんだ? 〈ディスペル〉も使ってたんだから、撃てたとしても七発までだろ? あの時HPほぼ全快してたのによ」
俺の疑問に、エリはすぐに答えなかった。まあ、食らった当人がわからないんだ。すぐに分かるはずもない。
ところで、あの剣精が使ってきた必殺技は、俺たちにとってなじみ深いものである。通称、「瞬間魔法発動」。スフィアーツのレベルと同じ値のMP消費いっぱいまで魔法を瞬間的に発動できる技だ。〈ディスペル〉の消費MPが50で、〈ファイアボール〉が10、やつのレベルが120だから、あの瞬間には〈ディスペル〉一発とファイアボール七発が放たれていたことになる。だが、今の俺は魔法防御特化のパラメーターだ、元の魔力が高くとも、初級魔法では直撃しても100ダメージ程度しか食らわないはずだが……。
「これまでボスのHPが五割を切るまで、ほとんどバフで魔法を無効化していましたよね。ダメージ量が分からないからどうとも言えないんですけど、もしかしたら……」
エリも自分が考えていることに自信が持てないのだろう。歯切れが悪い。だが、その言葉に俺も一つの仮定が頭に浮かび始める。
「まさか……」
「……はい。たぶん、あのボスはHP減少量で、魔力が上昇するタイプです。それも、限界突破する部類の……」
アビリティやバフ、武器の特殊能力には、特定のパラメーターを上昇させるものがある。しかしそれには限界があり、ある値で打ち止めになるのだ。もちろん、その値でも十分に強いが、魔法防御をがっちがちに固めた相手に初級魔法で有効打を与えるような芸当はできない。
だが、一部の武器の特殊能力だけは、その限りではない。そしてその武器も、HPが減少すればするほど強くなっていくタイプなのだ。そしてその威力は、限界値まで強化した防御力をもってしてもHPを底上げしていなければぴったり即死するほど強力無比だ。
もし本当にそうなのだとしたら、恐らく瀕死状態のやつのHPを削るのは大変難しい作業となるだろう。初級魔法であれだけ食らったのだから、上級魔法ならば即死だ。
そして、エリはさらに悪い知らせを告げた。
「あと、ガルドさんが倒れた後に、ボスに新しいバフが追加されているんですよね……」
エリが、また剣精が必殺技を使ったシーンを流す。俺が倒された後、確かに先ほどまでなかったバフが追加されていた。
「〈スペルヘイスト〉と、〈アクセラレーション〉か……」
それぞれ、魔法の発動速度を上昇させる魔法と、武器重量を軽減させ、武器攻撃のスピードを上げる魔法だ。つまり、瀕死となった剣精はこれまでよりもすべての動作のスピードを加速させてくるというわけだ。
「なんだか本気を出してきた感じですね……ふわぁ」
不意に、エリが眠たげにあくびをした。時間を見ると、すでに深夜一時を回っている。
「もうこんな時間か……。俺も疲れたし、続きは明日にしよう。明日は土曜日だけど、エリは学校あったっけ?」
「はい、ありますけど、明日は午前中しかありません。だから昼から入れますよ」
「そっか、じゃあ、ログインしたら連絡してくれ。多分先にこっちに来てるから……といっても、先に「英雄碑」に戻らないとな」
そうして、俺たちは安全地帯である「英雄碑」に戻ってきた。さすがに眠いようで、エリは目をこすりながらメニューウィンドウを操作する。
「それじゃあ、わたしはお先に。おやすみなさい」
「ああ、おやすみ」
そして、エリはゲームからログアウトした。残された俺は、偉そうに立つ「英雄碑」を眺めながら、ふとため息を吐く。
最初は報酬の額に釣られて依頼を受けたが、今ではあのボスを倒したいと考えている。まったく、ゲーム中毒も甚だしい。そういった考えが頭をすぎると、「幻想界」で活動するプレイヤーは、どんな気持ちであの死地へと向かうのだろうという疑問が浮かんだ。
だが、すぐに頭をふって疑問を追い払う。俺の知り合いには、実際に「幻想界」で何年も活動しいているプレイヤーがいるのだ。
俺はエリに続いて、メニューウィンドウからログアウトを選択し、現実世界へと戻った。
翌朝、珍しく早起きして朝食を食べ、ついでに洗濯をしていた俺は、しかし頭のなかではずっとあのボスのことを考えていた。
相手に〈ディスペル〉を使う隙を与えないようにダメージ覚悟で突進していったほうがいいかもしれないとか、だったら最大HPを上げるアビリティを装備しなければとか、ぶっちゃけ非生産的な思考を、来客を告げるインターホンが遮った。
インターホンのモニターを覗くと、来客は黒髪黒目、つまり日本人の少年だということがわかり、俺はすぐに玄関に向かう。
「よう、健吾。久しぶりだな」
「おはよう、海斗兄さん」
玄関の前に立った少年は、同じ年のアメリカ人と比べてずっと背が低く、顔も幼い。サイズの合う服がなかったのか、よく見るとジーンズはレディースのものだ。
この少年は、俺のことをこう呼ぶが、俺と健吾は血の繋がった兄弟ではないし、家族でもない。だがこの中学生男子は、俺のことを兄と慕ってやまない。
「まあ、あがってけ、お茶ぐらいしか出せねえけどな」
俺は健吾を家の中に通し――健吾は思わず靴を脱ごうとしてこの国では家の中で靴を脱ぐのは一般的ではないことを思いだし、照れくさそうな笑みを浮かべていた――、一人暮らしにしては大きすぎる机につくように促す。紅茶を入れると、俺も席についた。
「どうだ、寮生活にはもう慣れたか?」
「うん、同じ部屋のみんなもいい人だし、やっぱり同じ日本人だから……」
「それならよかった」
健吾がここに来て間もないころ、俺はこの身よりのない少年を家に泊めていた経験があった。サンフランシスコの日本人学校に寮ができたのは最近で、親のいない日本人はもっと遠くの寮のある日本人学校にいかなければならなかった。普通、日本から「救出」されてきた日本人は、子供であるなら家族全員がまとめて救出されることが多いので、孤児が出ることはまれなのだ。
そんな行き場のない健吾を泊めたことで、俺は健吾から本当の兄弟のように懐かれている。悪い気はしないが、この少年の負っている心の傷を思うと、微妙な気持ちになる。
それから俺たちは他愛のない世間話をしたわけだが、それまで饒舌だった健吾が、急におし黙った。
「どうした?」
俺が聞くと、健吾は迷うように口を数度ぱくぱくしてから、決意するように啖呵を切った。
「ねえ、兄さんが『ギルガメッシュ・オンライン』をやっているって、本当なの?」
「……なぜそれを?」
一般論として、『ギルガメッシュ・オンライン』というゲームに対して日本人はいい印象を持っていない。だから俺も極力他人には話さないようにしていたのだが、この言葉がすでに疑問への肯定を意味してしまうことを悟り、俺は苦い顔で口を結んだ。
「噂っていうか、先輩がそういう話をしているのを聞いて……。でもなんで? あのゲームは……」
「ああ、そうだな。あれは俺たちの祖国、日本をぶっつぶした上に成り立っているゲームだ。健吾がそういうふうに思うのもわかる」
「だったら!」
不意に健吾が声を上げたが、そこ先に言葉は繋がらず、小さな声で謝る。
「ごめん……」
「謝ることはない。なんで、ってさっき言ったな。俺があのゲームをやっている理由があるかっていえば、まああるともないとも言える。言っても、深い理由はねえよ。始めたのも、俺が健吾ぐらいの時だったしな。」
そう言いながら、俺は『ギルガメッシュ・オンライン』を始めた頃のことを思い出していた。世界初の完全なるヴァーチャル・リアリティを完成させたゲーム。それを初めて体験したあのとき、俺は驚いたものだ。
現実にはあり得ない、美しい世界。逆さまの大樹。まるで自分がファンタジーの世界に入り込んだかのようだった。そして、日本のライトノベルの主人公みたいに、何もないところから剣を呼び出して戦うゲームとしての側面。
「ねえ、『ギルガメッシュ・オンライン』って、どんな感じなの」
健吾がそう思うのも無理はない。ネットではそのVRとしてのすばらしさが多く発信されているのだ。
「まあ、きれいなところだよ。ゲームとかファンタジー小説みたいな世界だし、人間の想像力の豊かさには驚かされるね」
俺がおどけて言うと、健吾は微妙な表情でうなずいた。
「それも……全部僕たちの『夢』なんだよね……」
「なんだ、そんな噂も聞いているのか。まあ、あれに関しては話題も絶えないからな。マスメディアでの報道はある程度規制されているみたいだが」
しばらく、気まずい沈黙が流れる。
「ねえ、兄さん。やめたほうが、いいんじゃないかな」
しばらくして口を開いたのは、健吾のほうだった。
「別に幻想界に行っているわけじゃない。そっちのほうに行かなければ、あれはただのゲームだよ」
「でも……」
「健吾が心配してくれるのはうれしいよ。でも、まあ心配すんな。危険があるかもしれないコトってのは、本人の意志でやるものさ。飽きれば引退するものだし」
そう自分で言ってみるが、たぶん俺は当分あのゲームを辞めることはないだろうなと思っていた。子供の夢に出てくるような、美しい世界。アニメの主人公のように、剣を自在に振り回す自分。あれを体験してしまったら、もう辞めることなどできないのではないか。
「まあ、なんだ。とにかく気にすんな」
強引に話を打ち切り、紅茶をすする。しかし、健吾はさらに俺が聞きたくない話題を放ってきた。
「海斗兄さんの……お父さんとはどうなの?」
それを言った瞬間、俺の顔が露骨に歪んだのを見て、健吾は自分の疑問の答えを悟ったようだったが、俺は嫌悪を隠しもせずに答えた。
「誰があんなやつと会うか……。日本に妻を置いておいて、海外で女とできるようなやつだぞ」
俺の父親は――まだ日本という枠組みがはっきりと残っていた頃の話だが、ジャーナリストとして世界中を回っていた。それで俺は母親と二つ下の弟と共に日本で暮らしていたのだ。そして、あの事件に巻き込まれた。
「今はカナダにいるんだよね……」
「ああそうだ。それで、あいつとその女間でできた娘は、もう十四になるそうだ。最悪だよ。俺たちはずっとあいつに騙されてきたんだから」
俺は吐き捨てるように言い、さらに言葉を続ける。
「確かに、まだ自立できない子供がいるんだったら親がいるべきだろう。それがベターだ。だが、そんな中で俺が一緒に生活できると思うか?」
俺の憎しみに満ちた口調に、健吾はおびえたように肩を狭めている。
「……と、すまねえな。当たっちまうようなまねして」
「ううん。嫌なこと思い出させた僕が悪いから……」
再び気まずい沈黙が流れる。健吾は少し空気が読めないところがあって、俺なりにも集団生活に馴染めるかどうか心配していたのだが、まあ、それもある意味美点だろう。
「ええと、そろそろお邪魔するね」
「どうした急に、別に遠慮することはないぞ」
一度ここで暮らしたことがあるからか、健吾はよくここに遊びに来る。日本人で集まっているから安心だろうが、集団生活というのはなかなか気詰まりするものだ。
「別に遠慮いているわけじゃないけど……実はこっちの役所のほうに用事があって、ここに来たのは、ついでなんだ」
「なるほど、なら引き留めて悪かったな」
そうして、健吾は俺の家を後にした。少し前まで英語などからっきしだったのに、一人で役所に行けるようになるとはなかなかの成長具合だ。俺は感慨深げにため息をつくと、洗濯機の中でくすぶっている洗濯物をベランダで干し、軽く昼飯を食べてから寝室に入った。
もちろん、目的は昼寝をするためではなく、ギルガメッシュ・オンラインにログインするためである。現在時刻は午後一時、もう二時間もあれば、エリがログインしてくるだろう。それまで俺は雑魚モンスター相手に準備運動でもしていよう。
チラシ裏的解説
・ファイアボールが四方八方から飛来
元ネタというほどでもないが、イメージはフロムソフトウェアのアクションゲーム「ダークソウル」に登場する「深淵の主マヌス」が使用する闇魔法が元。四方八方から闇魔法とか所見殺しにも程があります。
ちなみに「強靭」ステータスもダークソウルが元。