Ⅱ 出会い
「じゃあ、あたしはここで。また明日ね、蓮くん。」
「ああ、気をつけて帰れよ。」
ボーイフレンドに手を振り、明るい笑顔で駆けて行く早苗。少年も笑顔で手を振りながら、そんな彼女の後姿を見送っていた。
と、その手の動きが不意に止まる。一人の少女が早苗をじっと目で追うのを見たからだ。
彼女は艶やかに長い黒髪をなびかせ、塀の上に腰掛けている。年はおそらく彼らと同じくらいといったところか。だがその整った顔は無表情で瞳は冷たく、明らかに普通の女の子ではなさそうだと感じられた。そしてその白い手に握られている物は……
「あの鎌って……まさか、死神?」
彼女の身長ほどもありそうな、光を浴びて鈍色に輝く大鎌。それだけじゃない。黒いドレスを身にまとい、背には純白の翼。蓮は自分が見たものが信じられないように顔をしかめる。そんな彼の呟きが聞こえた筈もないのだが、少女が不意にこちらを振り向いた。二人の視線が合う。その時、
「おーっす、蓮。」
「何だ何だ、早苗ちゃんの後姿にでも見とれてんのか? いいよな、あの娘。」
そんな言葉が聞こえて振り向く間もなく背中をど突かれ、蓮は前のめりにコケてしまった。
「痛っ! ……なんだ、お前らか。爽太、光。」
振り向かなくたって声で分かる、二人の親友もとい悪友。というよりこーゆー餓鬼っぽい莫迦をするのはこいつらしかいない。まあ高校生男子なんてこんなものだ。蓮はど突かれたあたりを軽くさすりつつ、今一番の関心事に意識を戻した。あの子は、まだ同じところにいる。
「なあ、あの子……なんであんな所にいるんだろうな?」
そちらを指差し、そして初めて二人の方を振り返った。すると、二人とも怪訝な顔で視線を泳がせている。
「あの子って、何の事だ? 誰もいないぞ。」
爽太の言葉に蓮は驚いて、急いで再びそちらを見る。まさか幽霊のように消えてしまったのかとも思ったが、彼女は変わらず同じ位置に腰掛けている。蓮は混乱してきた。
「は? 何言ってるんだ。見えないのか? ほら、あそこの塀の上……っ!」
全て言い切る前に、蓮はふとして言葉を切った。まさか、彼女は自分にしか見えないのか? どうやらその通りらしい。光は呆れたように、爽太は本気で心配したように言った。
「おいおい蓮、どうしちまったんだよ。いきなりお前まで八重みたいなこと言わないでくれよ。」
「蓮、お前ひょっとして疲れてないか? お前がそんなこと言い出すと心配になってくるよ。」
八重とは、三人と同じクラスの霊感少女だ。蓮は二人の言葉に少し唖然とするが、からかわれるのも心配されるのも嫌だった。なので、ぎこちなく誤魔化すように後ろ頭を掻いて首をひねる。
「何……だろうな、見間違えかな。ところで何か用か?」
むりやり話題を変える。二人ともまだ何か釈然としないようだったが、その時小柄な少年が駆けて来て、明るく三人を呼ぶ声がした。
「先輩っ! 置いてきぼりなんてヒドイじゃないですか!」
「ははっ、悪い悪い。そんな拗ねてんじゃねえよ、康平。」
光は駆け寄ってきた後輩の頭をぽんぽんと撫でる。康平は仏頂面でその手を避けた。
「別に拗ねてませんよっ。ガキ扱いしないでください。」
ぎゃあぎゃあ騒ぐ康平はよけい子供っぽく見える。ただ、それをあしらう光も同じノリで、二人は苦笑するしかない。
「なに二人してじゃれてんだよ。行くぞ。」
爽太が笑いながら二人を軽くひっぱたき、四人は賑やかに喋りながら歩いていく。そんな中、蓮は一度だけあの子の方を振り向いた。大鎌、黒い服、白い肌。さっきと変わらぬ冷たい姿が、そこにあった。ほんの一瞬、視線が合う。
「おーい、蓮? 早く来いよー」
先を歩いていた光が大声で彼を呼んだ。
「あ、ああ。今行く。」
彼女を見ていたかったけれど……蓮はそれを振り切って、友人達のあとを追って駆け出した。
一人残された少女は、手に鎌を持ったままふわっと地面に飛び降りる。少年達が去って行った方を見つめ、ほんのわずかに眉をしかめた。
「彼、あたしが見えるんだ。珍しい。」
呟くと、そのまま大して気にも留めない様子でそちらに背を向ける。ゆっくりとした足取りで歩きだし、やがて黒い後姿は背景に溶け込むように消えた。それを見ていた者は、誰一人いなかった。
昨日と同じ路上。あの少女が一人ぽつんと立っていた。辺りにほかの人影はない。彼女は特に何か目的があるようでもなく、ゆったりとした足取りで歩いていく。整った顔は完全なる無表情で、その手にある大鎌とあいまって、近寄りがたいような不思議な雰囲気をかもし出している。
その足がふと止まった。彼女自身のものではない足音が耳に入り、振り向く。視線の先に、一人の少年が立っていた。
「やあ、また会ったね。」
笑顔で発せられた言葉に、彼女はほんのわずかに眉をひそめる。
「君、あたしが見えるの?」
その言葉に、少年――蓮は頷く。少女がそのまま何も言わないので、彼は言った。
「君は……人間じゃないんだろ? その鎌は死神みたいだけど、翼は天使みたいだ。どっちなんだい?」
「どっちも正しいわ。人間達はそのどちらかの名前であたし達を呼ぶ。」
彼女はまるで他人事みたいに言葉を紡いでいく。
「死神も天使も、人間が考えたイメージにすぎない。どちらでも同じこと。あたし達は、命が終わった人間の魂を回収する。これを使って。」
言いながら、その手に持つ大鎌の柄を軽く撫でた。蓮はハッとし、初めて警戒する様子を見せた。
「まさか、それで早苗を殺すのか?」
少女はしばし無言で彼の顔を見つめ、その所為で彼の不安が煽られてからポツリと呟く。
「自分の心配はしないの? 不思議な人ね。」
神々しいほど冷たい声が、蓮の頭の中に直接響くようにして聞こえる。
「そんなの、人間に言える訳ない。でも、これだけは言っておく。今回はあなたじゃない。安心して。」
彼女の思いがけない言葉に、蓮の目に動揺の色が浮かぶ。
「そ、そうか、でも俺は自分より早苗が心配で……」
「人より自分の心配をすることね。あたし達なんかに関わってると、ろくな事にならない。」
少女はそれだけ告げると、蓮に背を向けて歩き出した。蓮はそれを呼び止めようとして初めて、彼女の名を知らない事に気付いた。どうする事も出来ず、蓮はただ、遠ざかっていく後姿を眺めていた。




