第17話 善意の鎖/誇りの刃
夜明け前から、城門の前には護衛が2人増えていた。
「今朝から護衛の配置を変えます」
レオンハルト様が廊下の端でロイドに告げる声が、石造りの壁に跳ね返って聞こえた。短く、説明がない。いつも通りの口調のくせに、その言葉の輪郭だけが妙に鋭い。
わたくしは書庫への角を曲がりかけて、足を止めた。
証拠の紙が剥がされた翌朝だった。
貼り紙は綺麗に、一枚も残らず、夜のうちになくなっていた。城門の留め具の封まで割られていた。偶然ではない。それはロイドが「丁寧な手です」と静かに言っただけで、誰も声を荒らげなかったことが、かえって重かった。
敵が内側に近い、という意味だった。
「先に書庫へ参ります」
わたくしはそう言い残して先を急いだ。背中で「少し待て」と呼ぶ声がしたけれど、聞こえなかったことにした。
廊下でつかまったのは、書庫の入口のちょうど手前だった。
「行き先を、必ず伝えるように」
振り返ると、レオンハルト様が廊下の中心に立っていた。灰色の光の中で、その表情がひどく平坦だった。平坦なのに、どこか硬い。
「……承知いたしました」
「移動の際は護衛を一人つける。これは今日から」
胸の奥で、何かが鳴った。鐘ではなく、もっと細い、糸が張り詰めるような音だった。
「それは、命令ですか」
少し間があった。
「必要な措置だ」
必要。その言葉の正しさが、逆に刺さった。
「命令なら従えます」
わたくしは言葉を選びながら、でも選んだ末にそれしか残らなかったから、続けた。
「……気遣いを、命令にしないでください」
「気遣いじゃない」
「では何ですか」
また、間があった。今度は長かった。レオンハルト様は一度だけ視線を床へ落として、それから正面を向いた。答えは来なかった。
わたくしは一礼して、書庫の扉を押した。
給仕室から物音がしたのは昼前のことだった。
「セレスさん」
ロイドが、珍しく困った顔をしていた。手には蜂蜜の壺を抱えていた。理由がわからない。
「閣下が……その、朝から執務室に戻っておられないようで」
「書庫をご覧になっているのでは」
「それが……廊下の突き当たりに立っていらして、2時間ほど、あの」
ロイドが壺を持ったまま言い淀んだ。わたくしは一瞬だけ「今じゃない」と目だけで返した。ロイドが口を閉じた。
廊下の突き当たりで壁を見ている人の話は、直接聞きに行くしかない。でも、今日は行かないことにした。鍵束を握って、索引の続きに戻った。
夕方、書庫の入口でもう一度、向き合った。
レオンハルト様が先に立っていた。待っていたわけではないのかもしれない。ただ扉の前に来たら、向こうも来たというだけだった。
鍵を差し込む前に、彼が扉の鍵穴に目を落とした。ほんの一瞬、指先が静止するのが見えた。何かを確認するような、でも確認してそのまま黙り込むような、不思議な間だった。
わたくしは何も言わなかった。彼も何も言わなかった。
鍵が回って、扉が開いた。
書庫の机には、昨日から続く仕分けの紙束が残っていた。わたくしが坐って羽根ペンを取ると、レオンハルト様が向かいの椅子を引いた。
しばらく、音がなかった。羽根の先が紙を滑る音と、外の風の音だけがあった。
「今朝の話だが」
彼が口を開いた。
「命令のつもりじゃなかった」
「……わかっています」
「だとしたら」
また止まった。今度は短い。
「君が傷つくなら、俺が悪者でいい。だから――」
そこで声が途切れた。
わたくしは羽根ペンを置いた。置いてから、ゆっくり顔を上げた。
レオンハルト様は視線を机の一点に落としたまま、カップの位置を直していた。1回、2回、3回。場所が変わっていないのに、指だけが動いていた。
胸の奥でまた何かが鳴った。今度は、さっきより少し、温かい音だった。
「鎖なら切ります」
わたくしは言った。
「でも……刃は、わたくしです。それだけは、忘れないでください」
彼が顔を上げた。
返答はなかった。でも彼の視線がわたくしの上に止まって、離れなかった。
それが、ひとつの答えだった。
拒むことが、わがままではなくて、誇りだと思えた夜は、初めてだった。
灯りが揺れた。鍵束がかすかに鳴った。
書庫の扉の鍵穴の縁に、わたくしがまだ気づいていないものが、薄く刻まれたまま残っていた。
鍵穴の縁――王都仕様の封印痕が、薄く残っている。
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