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「連載版」「記録しか取り柄がない」と婚約破棄されたので、引き継ぎ書類だけ置いて静かに去りました  作者: 夢見叶
第3章 噂の刃、鍵穴の痕

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第17話  善意の鎖/誇りの刃

 夜明け前から、城門の前には護衛が2人増えていた。


「今朝から護衛の配置を変えます」


レオンハルト様が廊下の端でロイドに告げる声が、石造りの壁に跳ね返って聞こえた。短く、説明がない。いつも通りの口調のくせに、その言葉の輪郭だけが妙に鋭い。


 わたくしは書庫への角を曲がりかけて、足を止めた。


 証拠の紙が剥がされた翌朝だった。


 貼り紙は綺麗に、一枚も残らず、夜のうちになくなっていた。城門の留め具の封まで割られていた。偶然ではない。それはロイドが「丁寧な手です」と静かに言っただけで、誰も声を荒らげなかったことが、かえって重かった。


 敵が内側に近い、という意味だった。


「先に書庫へ参ります」


 わたくしはそう言い残して先を急いだ。背中で「少し待て」と呼ぶ声がしたけれど、聞こえなかったことにした。




 廊下でつかまったのは、書庫の入口のちょうど手前だった。


「行き先を、必ず伝えるように」


 振り返ると、レオンハルト様が廊下の中心に立っていた。灰色の光の中で、その表情がひどく平坦だった。平坦なのに、どこか硬い。


「……承知いたしました」


「移動の際は護衛を一人つける。これは今日から」


 胸の奥で、何かが鳴った。鐘ではなく、もっと細い、糸が張り詰めるような音だった。


「それは、命令ですか」


 少し間があった。


「必要な措置だ」


 必要。その言葉の正しさが、逆に刺さった。


「命令なら従えます」


 わたくしは言葉を選びながら、でも選んだ末にそれしか残らなかったから、続けた。


「……気遣いを、命令にしないでください」


「気遣いじゃない」


「では何ですか」


 また、間があった。今度は長かった。レオンハルト様は一度だけ視線を床へ落として、それから正面を向いた。答えは来なかった。


 わたくしは一礼して、書庫の扉を押した。




 給仕室から物音がしたのは昼前のことだった。


「セレスさん」


 ロイドが、珍しく困った顔をしていた。手には蜂蜜の壺を抱えていた。理由がわからない。


「閣下が……その、朝から執務室に戻っておられないようで」


「書庫をご覧になっているのでは」


「それが……廊下の突き当たりに立っていらして、2時間ほど、あの」


 ロイドが壺を持ったまま言い淀んだ。わたくしは一瞬だけ「今じゃない」と目だけで返した。ロイドが口を閉じた。


 廊下の突き当たりで壁を見ている人の話は、直接聞きに行くしかない。でも、今日は行かないことにした。鍵束を握って、索引の続きに戻った。




 夕方、書庫の入口でもう一度、向き合った。


 レオンハルト様が先に立っていた。待っていたわけではないのかもしれない。ただ扉の前に来たら、向こうも来たというだけだった。


 鍵を差し込む前に、彼が扉の鍵穴に目を落とした。ほんの一瞬、指先が静止するのが見えた。何かを確認するような、でも確認してそのまま黙り込むような、不思議な間だった。


 わたくしは何も言わなかった。彼も何も言わなかった。


 鍵が回って、扉が開いた。




 書庫の机には、昨日から続く仕分けの紙束が残っていた。わたくしが坐って羽根ペンを取ると、レオンハルト様が向かいの椅子を引いた。


 しばらく、音がなかった。羽根の先が紙を滑る音と、外の風の音だけがあった。


「今朝の話だが」


 彼が口を開いた。


「命令のつもりじゃなかった」


「……わかっています」


「だとしたら」


 また止まった。今度は短い。


「君が傷つくなら、俺が悪者でいい。だから――」


 そこで声が途切れた。


 わたくしは羽根ペンを置いた。置いてから、ゆっくり顔を上げた。


 レオンハルト様は視線を机の一点に落としたまま、カップの位置を直していた。1回、2回、3回。場所が変わっていないのに、指だけが動いていた。


 胸の奥でまた何かが鳴った。今度は、さっきより少し、温かい音だった。


「鎖なら切ります」


 わたくしは言った。


「でも……刃は、わたくしです。それだけは、忘れないでください」


 彼が顔を上げた。


 返答はなかった。でも彼の視線がわたくしの上に止まって、離れなかった。


 それが、ひとつの答えだった。


 拒むことが、わがままではなくて、誇りだと思えた夜は、初めてだった。


 灯りが揺れた。鍵束がかすかに鳴った。


 書庫の扉の鍵穴の縁に、わたくしがまだ気づいていないものが、薄く刻まれたまま残っていた。




鍵穴の縁――王都仕様の封印痕が、薄く残っている。


読んでいただき、ありがとうございます。


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