第10話
最初に、違和感を覚えたのはバイト先だった。
その日、開店前のバックヤードで、裕也はいつも通り補充用の段ボールを開けていた。商品は並べる前から定番のものが多く、作業はほとんど脳を使わない。ただ手を動かしながら、頭の片隅では通知を切ったスマホのことが、ずっとちらついていた。
画面を閉じたとはいえ、燃え続けていることはわかっていた。引用RTの勢いは昨日の夜から止まらず、明け方には過去の転売自慢投稿まとめなどというスレッドが立っていた。その中に、しっかりと自分のハンドルネームとアイコン、投稿文が収められていた。トーンは冷笑的で、怒りよりも見世物として拡散されていた。おもしろがってるのだ。叩ける対象として、面白半分で消費されている。
怖かったのは、その消費がいつ現実に届くのかという、確信のような不安だった。
その答えは、すぐにやってきた。
「なあお前さ、…なんかやった?」
不意に声をかけてきたのは、同じバイトの村井だった。
タメ口で軽く喋る、そこそこ気のいいやつ。普段なら、冗談まじりにからかってくることも多いが、その日は違った。声のトーンに、微かな引っ掛かりがあった。知ってるけど、知らないふりをして聞いてるような間。そして、目線が泳いでいる。
裕也は、一瞬だけ呼吸が止まった。
「…何が?」
表情を変えずにそう返すと、村井は「ああいや、なんかさ、Xで似た名前のアカウント燃えてて」と、目をそらしながら言った。
「転売系の投稿? 前に言ってたじゃん。ジョーダンとか売ってたって。まさかなーって思っただけだけどさ。」
笑っていたが、完全に探っていた。確信があるわけじゃない。でも疑っている。これ以上聞くつもりはないけど、白状すれば聞く気はあるという態度。
「いや、違うでしょ。俺じゃない。」
すぐに言えた。反射的に、口が動いた。それ以上深く話させないために、声も強めた。村井は「だよな」と笑ってみせたが、その笑顔はどこか遠かった。もう、そういう目で見られている。もう、自分の名前はネットの中だけのものではなくなっていた。
昼休憩、食堂のテーブルで一人スマホを見た。Xはログアウトしたままだ。怖くて開けなかった。でも“何か”が起きている感覚は、画面を閉じていても伝わってくる。
コンビニ前で見かけた学生二人組が、自分のことを指さして笑っていたように見えた。もちろん確証なんてない。ただ、被害妄想では済まされない。
もし村井が、ほんの好奇心から軽く話したら?
もし転売で儲けてるバイト仲間として話題に出されたら?
その話が、少しずつ枝分かれして、Xの中の転売ヤー=こいつの像に繋がったら?
自分が炎上している人物として、周囲から見られる可能性が、どんどん濃くなる。
逃げ道は、思ったより狭かった。
退勤後、帰り道のコンビニに寄った。レジで並んでいると、前の客がスマホをいじっていた。画面に映っていたのはXのタイムラインだった。すれ違いざま、ほんの一瞬だけ見えた画面の中に、かすかに自分のアイコンの色が映ったような気がした。
反射的に後ずさりそうになった。
足元がふらついた。
汗が首筋を伝った。
まさか
それだけのことで、心臓が跳ねた。
コンビニの自動ドアが開くたびに、外の光がやけに鋭く感じた。視線が集まっているような気がしてならなかった。すれ違う人すべてが、自分のことを見ている気がした。
部屋に戻ったのは、夜7時過ぎ。靴を脱ぐ手が震えていた。玄関の鍵を閉める音が、やけに大きく響いた。
俺はすぐにPCを立ち上げた。Xを開く。再ログイン。
通知欄は、真っ赤だった。
新しい引用RT、リプライ、メンション、タグづけ、画像付きのポスト。
(画像…?)
そこには、明らかに自分の後ろ姿を盗撮したような写真があった。場所は、昼休憩に立ち寄った公園だった。ベンチに座り、スマホを覗き込む姿が、望遠で撮られたように写っていた。
「見つけたかも」
「これ本人?www」
「これで儲けてるんでしょ?www」
背筋が凍った。
炎上は、確実に現実に染み出していた。