第31話 へっぽこなりし治癒魔術12
次の日。
簡易ベッドの寝心地の悪さ故に、快眠できなかったミズキではあったが、寝不足や徒労感とは無縁であった。
寝起きの悪さは生来のもの。
叩き起こされれば起きるのも必然だ。
本人はともかく他者にとっては。
ちなみにミズキはサラダと共に、グラス砦からの出兵に巻き込まれていた。
国家による国境の定義は、各々の国家が勝手に決めた線引きである。
将軍は、
「麦の国が海の国の国境を犯して戦の準備をしている」
と言っているが、麦の国の軍隊にしてみれば、
「ここまでは麦の国の領土である」
ということに相成る。
つまり海の国の認識する国境と、麦の国の認識する国境は、まったく別の解釈の上に成り立っているのである。
海の国はそれを、
「侵略」
と主張するが、麦の国は、
「領土維持」
だと主張しているわけである。
「ま、その辺の摺合せは実力によるでしょうね」
馬を操りながら、サラダは安穏と言った。
サラダと付随物は、彼女の操る軍馬に乗っていた。
魔力は体力を消費して生み出すモノであるから、魔術師は出兵にあたり余計な体力を消費しないように、馬をあてがわれるのである。
仮にだが、戦場まで歩き続けて、疲労困憊のまま戦闘に突入して、
「体力が無いから魔力が練れない」
では、魔術師のレゾンデートルは消え失せる。
そのためサラダには馬が与えられ、ミズキが、それに便乗しているということだった。
「騎馬の経験があるのか?」
見事な騎乗技を褒める彼に、
「貴族の嗜みですわ」
彼女は鷹揚と答える。
「貴族……ね」
彼の苦笑は、サラダには届かなかった。
位置的に背後にいるためだ。
「…………」
そしてミズキの方も、彼女の背後にいるため、その苦渋の表情を見ることはなかった。
沈黙した彼女の表情も見ずに、どういう心を表しているかを察せるほど、鋭敏なミズキではない。
そしてソレが致命的なことも。
中略。
一日二日で、麦の国の侵略してきた拠り所を目前とする……海の国の軍隊であった。
無論ミズキたちも含まれる。
そして麦の国の軍隊を刺激しない程度の距離を保って、キャンプを張る。
作戦はいたって単純。
「早朝に麦の国の軍隊と接触かつ壊滅」
そして、
「先駆けはサラダ殿」
勅命だった。
要するに、軍隊を攻め寄せて、ワーワーギャーギャー戦争をするより、個人をひっそりと忍ばせて、強力な魔術で一掃した方がリスクは少ない……とそういうわけだ。
百万の兵に勝る一人の魔術師。
それを求め量産するのが、王立国民学院のレゾンデートルであり、看板でもあるのだから。
そしてサラダは、それを体現する魔術師である。
作戦の中核を握るのは当然だ。
さらにミズキも、お供としてついて行くことになった。
万一サラダに何かあれば、治癒魔術で助けることを前提とした作戦の一環である。
つまり、
「へっぽこでありながら戦場に出ろ」
と言われたも同然だ。
同学年を放っておくのも気が引けて、ミズキは将軍の命令に頷いた。
元よりそのためにこそ、彼はサラダに付き添ったのだから。
朝日が昇る。
海の国の兵士たちは、武器を研いで入念に、戦闘準備に入る。
件の二人は、気配を消しながら、麦の国の軍隊の即席砦に近づいていった。
サラダの魔術で壊滅的ダメージを与えた後に、軍隊が進軍してくる……という塩梅だ。
ミズキもサラダも異論はなかった。
そうでなくともサラダのワンオフ魔術は戦略兵器だ。
「おそらく軍隊の出番はない」
ミズキは信じ疑っていなかった。
実際に、麦の国の即席砦を視界に収めた時には、十字を切ったものだ。
「あれですわね」
「あれだな」
砦と呼ぶにはちと足りない……高度なキャンプを想起させる映像である。
グラス砦を攻め落とすための軍隊であることは疑う余地がなく、立場として遠慮する必要を二人とも持ち合わせていなかった。
ちなみに海の国と麦の国の国境は、それぞれ解釈に違いはあれども、基本的に半島国家である海の国側にとっての国境は、山を基準とする。
海の国の北に出来た山岳を、国境として定義し、そこからの侵略を防衛する……というわけだ。
である以上、木々の生え揃った森の中にて作戦行動をしているのは、海の国の軍隊も麦の国の軍隊も同じで……結論を述べるなら、ミズキたちは、木々に隠れて麦の国の兵士たちに気付かれず、当軍隊に近づくことを可ならしめたのだった。
視界の先に、麦の国の軍隊が屯していることを見つけ、それからサラダは、自らの体力の一部を魔力に変換する。
魔術の行使の基礎だ。
そして解放。
「…………」
沈黙するミズキの横で、遠くに見える麦の国の軍隊目掛けて、腕を突き出すサラダ。
表現するなら、『砲口を向けている』も同然だ。
呪文。
「――炎竜吐息――」
サラダのワンオフ魔術。
――ボッ!
サラダの腕に魔術による炎が取り巻き、それは炎で象られた竜の頭部を再現する。
炎の竜はグパァとアギトを開き、
「…………っ!」
酷烈な殺害能力を開放した。
炎の竜のアギトから放たれるは、「ファイヤーブレス」というより「プラズマブレス」とでも呼ぶべき超高温の戦略概念。
人の死に際して、骨すら残さぬ決定的な超威力。
一人を以て、軍隊を凌駕する超戦力。
サラダは、炎の竜を纏った腕を、右から左に振る。
それだけで、扇状に、破壊の爪痕が刻まれる。
地平線の彼方まで、有象無象が消え去ったのだ。
山岳の樹林が、消し炭となって、拓けてしまう。
「ふ」
サラダは吐息をついた。
「後は海の国の軍隊に任せましょう」
「その必要は無いと思うが……」
炎竜吐息のあまりの威力に、呆然とするミズキ。
不条理であることを否定しようもなかった。
ある意味で驚異的。
そして凌駕的。
どれほどの戦力であろうと、サラダを起点として地平線に存在する存在が焼き払われる。
それが炎竜吐息の威力なのだと悟ったのだ。
「お前がいれば海の国は安泰だな」
それは皮肉だったが、
「そうですわね」
サラダに通じなかった。
サラダ自身にしてみれば、
「至極当然」
などと認めるところだろう。
消し炭と化した麦の国の軍隊を前にしては、否定も出来ないのだが……。
「さて、ではミズキ?」
「何でっしゃろ?」
――戻りましょう――
というサラダの言葉は、発せられなかった。
何故か?
サラダの頭部に、矢が突き刺さったからだ。
「?」
思考の根幹である脳に、矢じりが潜り込んで凌辱する。
脳の決定的損傷。
血と脳漿が飛び散る。
それを悟るのは、ミズキにとっては容易だった。
サラダが滅したのは、あくまで麦の国の旅団本体であって、軍隊の全てではないのである。
警戒や偵察に出ている麦の国の兵士が、一矢報いるのは当たり前と言えば当たり前。
少なくとも、こちらが大量虐殺を行なった以上、殺し返されても文句を言える立場ではない。
ある意味で強烈な「しっぺ返し」ではある。
彼にしてみれば「自業自得」が感想だ。
とまれ、
「――鎌鼬――」
風の下級ゼネラライズ魔術……鎌鼬を顕現するミズキ。
それは風の斬撃。
すっぱりと木々を切り裂きながら、矢を放った麦の国の兵士の生き残りを、斬殺するのであった。




