銀ノ翼(エールダルジャン)
「はぁぁぁっ!」
ケンは腕に纏った氷の刃で、目の前の白閃光こと、ミキオ=マツカタを激しく袈裟状に切り付けた。
「うわー!」
あっさりとミキオは刃で切り裂かれる。
しかし手ごたえは全くなく、ミキオの姿はまるで煙のように霧散した。
「ほらほらどうした? 俺はここだよっと!」
突然背後にミキオが現われた。
彼は法衣のポケットに手を突っ込んだまま、ケンの頭上へ大きく足を掲げている。
ミキオの踵が落ち、水道橋の石畳へ深い窪みが刻みつけられる。
しかしそこにケンの姿は無かった。
「あれ、どこに?」
周囲をひょうきんな風に見渡すミキオの背後へ回ったケンは、【絶対不可視】の力を解除した。
再び、腕に纏った鋭いスキルウェポン冷鉄手刀を振り落とす。
だがまたしても手応えは一切なく、ミキオの姿はまるで幻のように消失した。
――奴もブラッククラスってことはDRアイテムの所持者だ。
となると、この力は……
『これは七十一位魔神:ダンタリオンの【幻影投射】だぜ、兄弟!』
突然、嬉々としたアスモデウスの声が頭に響く。
――幻影投射?
『そうだ。魔神ダンタリオンはあらゆるところへ、物の像を映し出すことができるんだ。だけど像は所詮、像! たいした力は無い筈だ!』
ミキオの力の正体を知り、ケンの心に余裕が生まれる。
正体不明の力へ闇雲に向うよりも、分かった上で対処をする方が遥かに分かりやすい。
「おらっ!」
再び手刀でミキオを切り伏せた。
ミキオの姿は霞のように霧散し、今度は拳を振り上げてケンへ迫る。
ケンはバックステップを踏み、【絶対不可視】を発動させた。
ミキオの拳がむなしく空気を引き裂くだけ。
その隙に脇へ回り込み姿を現したケンは、再び手刀をミキオの肩へ見舞った。
しかしそれもまた幻影。
「へぇ、アスモデウスの【絶対不可視】の力はホントに凄いなぁ。これじゃ、どっから攻撃されるかマジわかんな……!」
言葉半ばでケンがミキオの幻影を散らせる。
しかしすぐに脇に新たな幻影が浮かび上がり、足払いを仕掛けて来た。
そんなミキオの行動を二手前に予測していたケンは、飛び退くのと同時に【絶対不可視】の能力を発動させた。
ミキオの蹴りが空振り、ケンの手刀が幻影を切り裂く。
そしてまた新たなミキオの幻影が現われた。
「じゃあこんなのはどうかな!」
ケンが冷鉄手刀で幻影を切り裂こうとしたその時。
目前のミキオが分裂を始めた。
一人だったミキオは二人に、四人にと素早く分裂を繰り返し、
あっという間にケンを取り囲んだ。
幻影は一斉に脇に拳を構え、飛びかかってくる。
「たかが幻影ごときがどうしたぁっ!」
ケンは近くの幻影を切り捨て包囲網へ穴をあけた。
素早く踵を返して、様々な方向から繰り出される拳を流し、その上で切り裂く。
目にも止まらぬケンの手刀は一発もミキオの拳を浴びることなく、全てをかき消した。
しかしミキオの殺気はまだ残っていた。
慌てて視線を頭上へ上げると、そこには大きく踵を振り上げるミキオの姿が。
「はい、ざんねーん!」
「がはっ!」
重いミキオの踵がケンの後頭部に叩きつけられた。
予想外の攻撃と、強い衝撃に姿勢が揺らぐ。
そんなケンの目前へ、新しいミキオが姿を現した。
「もいっちょ!」
「ぐわ!?」
まるで子供がおふざけでやるような立ち上がり様のアッパーカットは、ケンの顎へクリーンヒットし、彼を空中へ突き飛ばす。
「まだまだぁ!」
宙を舞うケンの脇へミキオが現われ、ボールのように蹴り飛ばす。
そして反対側にもミキオが姿を見せ、受け答えるようにケンを蹴り飛ばした。
先ほどまでは霞のようにまるで重みの無かったがミキオの幻影。
しかし今は質量を持ち、常人以上の筋力と速度で、ケンへ攻撃を加えていた。
何度かケンも体勢を整えようとした。
その度にミキオが現われ、ケンを殴り飛ばす。
それらは全て”幻影”とはいえず、全て”ミキオ自身”であると言えた。
「「「これでおしまい!」」」
三人のミキオが同時に蹴りを繰り出す。
既に避けることすらままならないほど傷ついたケンは、ミキオの蹴りをまともに受けてしまう。
地面へ思い切り叩きつけられ、石畳みに深い皹が刻まれ、大きな砂柱が巻き起こった。
「ち、畜生……!」
『早く立て、兄弟! こいつはマジやべぇぞ! 本気で殺されるぞ!?』
アスモデウスの声が響き、
「いつもいつもギャンギャンうるせぇな……分かってるって……」
ケンは口の中に溢れた血を吐き捨て、膝に力を籠める。
あばらが何本か折れて、わき腹に激痛が走る。
しかしケンはそれを堪え、震える足で立ち上がった。
「ふぅー……」
目前の”一人のミキオ”は額の汗を拭い、一呼吸ついていた。
だがすぐにその瞳は鋭さを帯び、口元はにやりと笑みを浮かべる。
「さぁて、止めかな!」
ミキオがつま先へ力込めた。
ケンは応じようと思ったが、ややタイミングが遅れる。
――やられる!?
その時のことだった。
ミキオの背後で荘厳な”銀の輝き”がほとばしる。
「グオッ!?」
すると輝きの中からグリモワールの暗殺者:シャドウが全店宙返りで飛び出て、ミキオへ背中合わせに立つ。
「シャドウ、これは一体?」
「リーダー、危険! 即退散!」
「えっ?」
荘厳な銀の輝きの中。
そこに浮かび上がるは二振りの宝剣をゆらりと構えたムートンの姿が。
聖剣「エール」と「ダルジャン」の立派な刀身が銀の輝きを放っていた。
ムートンは一歩踏み出し、そして聖剣を十字に重ね、大きく振りかぶる。
「師匠、避けてください!」
ケンはムートンの叫びを受け、迷わず渾身の力を込めて飛ぶ。
レベル100の脚力は彼を矢のように上空へ飛ばす。
「喰らえ! これぞ、秘技・銀ノ翼!!」
振り落とされた聖剣から膨らんだ銀の輝きが放たれた。
それは二枚の銀翼をのように変化して、水道橋を真っ二つに引き裂きながら、ミキオとシャドウへ迫る。
「リーダー!」
シャドウはミキオを投げ飛ばし、その上で自身も飛ぶ。
「グオッ!?」
「シャドウ!」
辛うじて銀ノ翼を回避したシャドウだったが、片足が飲み込まれ、光の中で屑と消える。
たったそれだけの接触点。
しかしシャドウの体は銀ノ翼に飲み込まれ、そのまま流されてゆく。
更にその圧力は飛び上がったミキオの姿勢さえも揺らがしていた。
その隙を見逃さず、ケンは靴底へ僅かに魔力を発生させ、それをステップに飛んだ。
ミキオを肉薄。
彼はケンの接近に気付くが、やや遅い。
ケンは脇に拳を構え、
「さっきは良くもやってくれたな。礼、させてもらうぜ!」
「なッ――!?」
「おらっ!」
ケンの渾身の右ストレートがミキオの顔面を直撃した。
拳に伝わる確かな手応え。
間髪入れず、ケンはもう一撃をミキオへ見舞う。
「おらぁーっ!」
「ぐはっ!」
「そらっ!」
「ぐっ!」
「もう一発!」
「かはっ!」
「伸びるのはまだ早いぜ!」
「げほっ!」
「まだまだぁ!」
「うがっ!?」
体勢を整えるどころか、拳の圧力で吹っ飛ぶことさえ許さず、
ケンは何度も、何回も、繰り返し、飽きることなく、ミキオを殴り飛ばす。
対するミキオはケンに成すが成されるがまま、ただ拳の応酬を受け続ける。
「おらぁぁぁぁーっ!」
「ぐわぁぁぁぁー!」
渾身の一撃がクリーンヒット。
既にボロボロのミキオは四肢をぶらつかせながら、水道橋へ落ちてゆく。
そんなミキオを片足を失いながらも器用に立つ、シャドウが受け止めた。
「かはっ、ごほ……サ、サンキュウシャドウ……」
「ミキオ、遊戯ここまで!」
ミキオは血を吐き捨て、怒りに満ちた視線を空中に佇むケンへ向ける。
「黒皇、覚えてろよ! お前は絶対に叩き潰す! 必ずな!」
ミキオがそう吐き捨て、シャドウから黒い影があふれ出る。
それはグリモワールの二人を忽然とその場から消し去った。
水道橋に静寂が戻り、ムートンは膝を突く。
彼女の二振りの聖剣「エール」と「ダルジャン」は刀身を失い、柄だけになっていたのだった。




