(五)巫女の神託 ≪第二一話≫ No.23-Ⅱ
(五)巫女の神託
≪第二一話≫ No.23-Ⅱ
世俗の人の通常の感性から観れば、霊媒者のような特殊な感性の持ち主の人間を理解する事は殆んど皆無に等しい事となる。目に見える物に頼りがちな一般人には、彼らが視ている景色や人の心の動き・綾は全く違うものである事が判らないであろう。
越後・一宮弥彦神社の巫女は、その目に見えない世界にひたすらに仕え奉る女達であった。この時代は、神社・仏閣に従事する人々は、特別な聖域に属する地位や階級が保護されていたが、その中で神仏からの神託を受ける人物は、その聖域の中でも、特別な意味を持つ天啓の媒体者として、尊敬されていた。
明治という近代日本が誕生してから、更に太平洋戦争後の現代日本になってからは、それらの人々の存在が軽視され、忘れさられていったが、今でも地方に行けば行くほど、俗に云う「拝み屋」という、人々が点在していて、人智では判断出来ぬ事柄や摩訶不思議な出来事などに遭遇した折などに、民衆が頼っている。
越後・弥彦神社は、独自の所領と私兵を持っていた。創建以来、1300年の歴史が有り、時々の政権からの援護があって、この時代では足利幕府の保護地として、5500石の所領を受け、神官200人、凡そ500人の宮兵を抱えていたが、その中に40人程の巫女たちが、神事に従事していた。
その巫女の中で、18年前に紗枝という14歳の少女に降霊があり、神託(天の啓示)が次から次へと降りて行った。時に干ばつや地震の予言をし、また井戸水の有りかを教え、時には流行り病の警告を発し、その為の看病の技までも伝えて来た。
紗枝の守護神は、この弥彦神社に祭られている「天香山の命」伊夜比古神その人であった。宗宮司の高橋左近光照でさえも、紗枝の神託を無視出来ずにいたのである。巫女の中には、神託を受ける者は時折いたが、この越後一宮・弥彦神社の御本体であり、大神であられる「天香山の命」伊夜比古神の宣旨 (天皇のお言葉)は初めての事であった。
今32歳の福与かな身体をして、聖女でなければ、多くの男達からどれ程の求愛が注がれたであろう美貌の持ち主であったが、神託を受けて以来、紗枝の為に特別な分殿が造られ、『香山様』と呼ばれ、敬われていた。
その紗枝が、7年前から、今までとは違う啓託を受けて、分殿に籠る事が多くなった。時には7日、10日と籠って、食を断つ事もしばしばで、真冬の雪の中で、水凍りを繰り返す様に成っていた。
更にこの1、2年は殆んど人とも会わず、ひたすら祝詞(神への祈祷)をあげ、何かに取りつかれた様に祈願していた。その為、美しかった容貌も痩せこけ、目だけがランランと輝く異様さがあった。
そんな紗枝が傍で侍る女官達に、今年の神幸神事の例祭(2月2日)に特別な神託が下りるので、弥彦神社に結界(神社全域に縄を張って、塩で清める)を造り、何人も入社しない様に、指示をした。これを破れば、多くの死人が出るとまで言い切っていたので、高橋宗宮司も従わざるを得なかった。
そして、その日、前日から降り続いた雪で、弥彦山は全山深い雪に覆われて、自然の神々が雪の結界を造った様であった。朝には降積った雪は三尺(1m)近くなっていた。卯の刻(午前5時)、祭壇に直径2尺(約70cm)の金箔の銅鏡を祀り、榊の枝葉を左右に置いて香を焚き、大小40本の蝋燭を掲げ、祭壇に祝詞をあげていた紗枝が、突然立ち上がり、大きく身体を前後左右に振った後、振向いて話し出した。
『われは、「天香山の命」伊夜比古神成り。太祖・神武天皇より、詔を賜ってこれを伝うるなり。我が聖域を汚すべからず。大和の国、乱れて国の仕置き、定まらず。我、ここに一人の者遣わす。その者、光の戦士なり。先ずは越後の国を統べり、諸国の国民に号す。
時至りて、国民、備えをすべし。世の乱れ長引けば、再び外国の侵略をうけん!!』