≪第二十話≫ No.22-Ⅱ
≪第二十話≫ No.22-Ⅱ
「・・・・・下総の国の住人・桜井宗平衛辰成は、馬上の槍術に優れ、関東でも右に出る者なしと云われておるが、中々の変人じゃで、簡単にはいかぬが・・・」「桜井宗平衛?わしは知らぬがお主ら、知っておるか?」源芯が玄斉と燕の法師に訊ねた。
「詳しくは判らぬが、槍の流派では西の宝蔵院流、東の鹿島神流と云われ、この鹿島神流の使い手で『宗平衛の駒突き』と云われる程の名手と聞いている。」と玄斉が云った。
「俊高殿、どうか?この桜井殿に声を掛けて見られるか。」「願ってもござらんが、身共が行く訳にはいかぬので、どうしたものか・・・・」「その事は、先ずわしと粋謙が尋ねてみる故、宗平衛殿のお気持ちを聞いて参るので、安心されよ。」「源芯殿、真に忝い。」と俊高が頭を下げると、二人の重臣もならった。
その後は、千春と賄いの女達を呼んで、夕食の支度をさせて、夜遅くなるまで錬成隊の武芸の鍛錬や騎馬隊の編成の事、黒江軍団に対抗すべき、新たな武器の開発などで、話が尽きない程であった。しかし、俊高は粋謙が懸念する騎馬隊の育成に可成りの時が必要である事が、頭から離れなかった。
そんな事があった6日後、明日は自らの誕生の日で、当年取って22歳になる前日に、権坐からまた新たな情報が届いた。三条・斎藤氏と新津・秋葉家が手を結んだとの報せであった。
30年近く、この下越と中越の覇者を巡って戦い続けて来た両家が、稲島俊高という脅威に対抗して、密約を結んだのである。笹川常満と柿島信政が領土を献上する事を、まだ公にする前に、この大家は自ら先手を打って来た。
そこには、斎藤家の戦略が勿論あったが、秋葉家でも、あの亀城攻防戦にて、主力軍を失い、事実上の実力者であった、筆頭家老・大場実春も戦死して、辛うじて生き残った当主の秋葉時盛ではあったが、帰国後、負け戦に慄いて、殆んど政務を行わなかった。
この時盛に代って、実権を握ったのが、姉の鼓寄の方であった。彼女は、草日部家を出された後、打倒・稲島俊高に怨みと憎しみで、心が燃えたぎっていたが、亀城攻防戦に大敗して、多くの家来を失った後、引き籠った子供の様に、殆んど政務を行わない、実弟である当主・時盛に幻滅し、筆頭家老職に就いた大場実春の嫡子・実時に接近して行った。
妻子ある実時であったが、妖艶な鼓寄の誘惑に負けて、男女の契りを結び、正妻やその実子を毒殺し、当主・時盛に代って、全権を掌握した。
そして、白根を占領した斎藤家と手を結び、両国は30年振りに盟約を交わし合った。再び、中之口河を挟んで、2大勢力が対立した形となった。斎藤・秋葉両家を合わせれば、7000余の兵力となって、稲島方の3000を倍以上上回り、しかもあの強烈な黒き騎馬軍団・黒江鉄扇(勝重)が睨みを利かせていて、俊高は心底恐怖を感じていた。
今までの、戦いは無我夢中で己の真の実力など、測ってもいなかったし、また考える暇さえ無かったのが、事実であった。
確かに白根の佐藤氏との戦いも児玉監物という、策士に翻弄されたが、まだ俊高の意識の範疇で判断出来たが、この斎藤氏との戦いは、すでに越後の片田舎でしか育っていなかった俊高の領域を遥かに超えるレベルになっていたのだ。
これが、いずれこの一帯のみならず、下越・中越を治め、越後統一まで行く手始めであるのかと思うと、16歳の時の神託が末恐ろしいものに成る事を感じ、それも含め、俊高は本当に己の行くべき道が遠く、険しく、また孤独な道筋となる事を、芯から震え上ったのだ。
どうして、吾が選ばれたのか、わしでなければならぬのか、自問自答する俊高であった。瞑想しながら、実父・俊景源芯が読んだあの『地の巻』の冒頭の漢詩文を思い出していた。
『天下乱れ、悪しき者暴虐に満ちる時、我が血筋の選ばれし者来たらば、この巻物を解き三宝を集めて、天下の正道を正せよ。我が三宝、私利私欲にて用いる事あたわず』




