第11話
「誰ですか?」
しばらくすると中から扉越しに女性の声が聞こえてきた。明るく高くどこか若々しくて、カリスに「今のが母さんだ」とこっそり教えてもらわなければ、まさか自分の母親の声だとは思わなかっただろう。というより教えてもらってもなお実感が湧かない。記憶をなくしているということを差し引いても、だ。
「オレだ。帰ってきたぜ」
しかしカリスは特別驚くような表情も見せず、それが当たり前であるかのように扉の向こうへと言葉を返す。
しばしの沈黙。中々扉を開けてはもらえず、本当にこの家であっているのかと心配になってしまう。勿論カリスも女性の声をお母さんだと言っていたし、この辺りで赤い屋根のお家はここくらいしかないのだから間違えようにも間違えられないとは思う。
どうしたのかと扉の前でオドオドしていると、中からカチャカチャと金属音のような音が聞こえてきた。やっと鍵を開けてくれた、そう思った時だった。
「オレオレ詐欺はさっさと帰って!」
そんな言葉の意味を理解する間もなく、扉が物凄い音をたてて勢いよく倒れてきた。すぐさま反応して避けるも、未だに状況が掴めない。
扉があった場所を見ると、暗い玄関には人影があった。長い髪の先を綺麗にカールさせた、背が高めのスラリとした女性。声の印象通り日の光でちらりと覗く顔はとても若々しく、きっと笑顔が素敵な人だろう。
しかしその手には何か光るものが握られていた。
「伏せて!」
咄嗟に飛び出た言葉だった。頭を抱えてその場に伏せつつ周りを見ると、皆も僕の言葉に続いて伏せ始めた。
その直後、ヒュンッと空を切る音を立てて何か光るものが僕の顔スレスレを飛んで行った。そのままの勢いで地面に突き刺さったソレをよく見ると、それは食事時に使われるはずのスプーンであった。…って、スプーン!?
そうしている間にも同じように物凄い勢いで光る何かが飛んできていた。それは先程と同じスプーンであったり、他にはフォークやナイフもあった。
まずい、これはまずい。スプーンならまだしもフォークやナイフはダメだ。下手したら死んでしまう、というより普通にこの女性は僕達の事を殺しにかかってきている。
「痛っ!」
「どうした、ヤク!」
僕の場所からは見えないが、ヤクの声と慌てたカリスの声が聞こえてぞっとした。もしかして…ナイフが…?
「大丈夫です!ヤクはスプーンに当たっただけのようです!気絶してますが!」
全然大丈夫じゃない。でもナイフじゃなくて良かった……とか安心している場合ではない。今度こそ誰かにナイフやフォークが当たってもおかしくない状況にいるのだ。しかもスプーンで気絶させられるほどの威力を備えているとかもうピンチでしかない。
防犯対策用か何かに用意していたのかは分からないが、何個あるのかまだ攻撃は止まない。このまま耐えて攻撃が止むといいが、その後何をしてくるのか予想がつかない。
「カリス!」
「分かってる!」
ラルの呼ぶ声に答えるカリスの声はまさにいっぱいいっぱいであったが、意を決したように立ち上がると、剣を鞘ごと構えつつ飛んでくる物を防いで一歩ずつ女性に近付いた。
「レナ母さん!オレだよ、カリス・センナス!本当の名前はカリス・ルナンス!」
しばらく攻撃が続いていたが、ふとピタリとその動きが止まった。恐る恐る顔を上げると、玄関の影から満面の笑みを浮かべた女性が両手を広げて歩いてきた。
「カリス、おかえりなさい!スリクも!スリクのお友達さんも!」
先程の声色とは打って変わって、最初に聞いた明るい、そして更に優しさのある温かい声に変わっていた。改めてちゃんと顔を見て思ったのだが、綺麗なカールの髪色はカリスと同じく赤色で、丸っぽい眼鏡を掛けてはいるもののその下から覗く顔はカリスにどこか似ていた。親子といえど女性と男性の違いなどもあるから全く似ているというわけではないが、もしカリスが女の人ならとても良く似ていたに違いない。姉妹に間違えられていてもおかしくはないかもしれないのではないか。
それにしてもちゃんとまじまじと見てもなお、とっても若くて本当に自分の…というよりカリスのお母さんなのかと疑ってしまう。
「この方が…本当に僕のお母さん…?」
「ん?」
自然と出てしまった言葉にレナ母さんと呼ばれた女性が両手を広げたまま首を傾げる。初めて会った時のカリス達やアシス先生達の反応と似ているため僕ももう何となくこの目の前の女性が言わんとしている事が読み取れたのだが、説明しようにもどうにも言葉が出てこない。
僕が困ってあたふたしていると、カリスが代わりに説明をしてくれた。レナお母さんは特別驚いたり動揺したりせずに、レナ・ルナンスという名前と、自分とカリスの母であることを優しく教えてくれた。アシス先生もそうだったが、大人の人は落ち着いていられるものなのだろうか。別に自分に関心を持ってもらいたいだとかそういうことではなく、単純に自分が例えばレナお母さんの立場だったらどうなるだろうと思ってしまったのだ。
ただ、落ち着いてお話をしてもらえると少し罪悪感が和らぐ。相手は僕の事を知っているのに、僕は何も覚えていないという申し訳なさが少し緩和されるようだ。
そうこうしているうちに気絶していたヤクも目を覚まし、こちらから話すこともあったことから少し家に居させてもらうことになった。
家の中に入ると、リビングは吹き抜けと大きな窓のある解放感溢れるお部屋になっていて、観葉植物や本、小さな可愛らしい小物などが飾られているおしゃれなお部屋だった。
「今、ケーキを焼いていたところなの。良かったら食べない?」
「ケーキ!?」
ケーキと聞いて思わず身を乗り出してしまう。すぐに我に返り顔がじわじわと熱くなるのを感じながら、乗り出していた体を引っ込めた。ルナお母さんに勧められた席につきながら落ち着きを取り戻そうとするも少し不自然な行動をとってしまう。更に、落ち着きを取り戻してくればくるほど恥ずかしさが増してくる。
「本能には逆らえんなぁ」
リスクがニヤニヤと笑みを浮かべて僕を見ていた。君の言わんとしていることは何となく分かるし、恥ずかしいからちょっと黙ってて。
一方レナお母さんは優しく微笑みながら「まぁまぁ、良いのよ」とケーキを持ってきてくれた。
ガトーショコラのような周りにクリームの塗られていないチョコレートケーキで、チョコチップが入っているのか細かい茶色の粒状のものがあちこちに見えている。焼きたてのケーキから漂ってくる香りはチョコレートにしては苦味の強いような、どことなく深みがある。ビターチョコレートのケーキなのだろうか。なるほど確かに、その隣にはお好みのトッピングとして苺のジャムが置かれた。
レナお母さんによって綺麗に切り分けられたケーキは、これまた可愛い小皿へと移し替えられそれぞれに配られる。カリスとナウは苺ジャムをかけていたが、僕は取り敢えずそのまま食べてみることにした。
「いただきます!」
一口大にとってぱくりと口の中に入れる。するとビターチョコレートの香りが口一杯に……口一杯に……?
「な、何これ!?苦いし、しょっぱいよ!?」
チョコレートの味などしないどころか、想像以上の苦味と喉がカラカラに乾いてしまうほどのしょっぱさに僕は思わず咳き込んだ。
「ん…?ナウ、ちょっと待て!」
一口食べるなりカリスも焦った様子で呼びかける。ナウは今まさに一口目を口に運ぼうとしていた手を止めた。
皆それぞれ何とも言えぬ顔で、一体何が起こったのかとお互いを見合う。どうしたらいいかと探り合っている中、カリスが静かに口を開いた。
「このケーキに使った材料を持ってきてはくれないか。出来れば苺ジャムの原型の方も」
レナお母さんはすぐにキッチンから、茶色の粉と白い粉と瓶に赤い液体と一緒に入った苺を持ってきてくれた。
まずは茶色い粉をお皿ごと順番に回して見ていく。取り敢えずはどこからどう見てもチョコレートではない事はすぐに分かった。粉末状のココアではないかという意見も出たが、それにしては粉が粗いのだという。しかし食べられるものだろうとは思っていても、舐めてみるのも香りを嗅いでみるのも少し躊躇われるためどんどん次の人に回っていく。と、ウィンクとヤクの前に来た途端、2人して顔を見合わせて笑い始めた。
「これ、コーヒー豆だよ!モンカ産だね!」
「コーヒーの中でも強い苦みが特徴ですね」
僕達はびっくりしてもう一度茶色い粉を見た。順番に香りを嗅いでいく。先程まではどこかでチョコレートに関係のある何かではないかと思い込んでしまっていたのか気付かなかったが、言われてみれば香りはコーヒーのように感じる。
コーヒー豆…更にそのコーヒーの中でも苦い物とくれば、そりゃああんなに苦いわけだ。
それにしてもウィンクもヤクもあんな粉々になったものを見て、もしコーヒーだと分かったとしても、よく何処で収穫された豆だとかそういう詳しい事まで分かったものだ。
そんなことを思ったままに伝えると、ウィンクもヤクも少し寂しそうな表情を見せた。
「あぁ、それは僕達がカフェのお手伝いをしていたからですよ」
「お手伝いというか、ほとんど任されてたんだけどね。まぁ僕達ナイト学園に入学したから、当分はお手伝いしないだろうけどさ」
それにしても僕の見る目は天才的でしょ?とぱっと明るく持ち直すヤク。それを見てウィンクも微笑んで頷いた。
2人に促され、続いて白い粉を見てみることになった。が、こちらはもうなんとなく予想は付いている。
「きっと…」
「あぁ…」
カリス達も予想がついているようで、皆で一斉に舐めてみた。
「塩、だね」
「やっぱそうだよな」
砂糖の要領で塩なんか入れたら、あれだけしょっぱくなるのも頷けると笑いが起こる。
チョコレートとコーヒー豆を間違えたのなら、塩と砂糖を間違えてしまっても仕方が無いというか、納得出来るというか。
そして最後、一見何でもなさそうな普通の苺のジャムに見えたのだが、カリスは一体どうしたというのだろう。こちらも確かめようと、瓶を開けようとしたのだが、カリスに静かに止められてしまった。元の中身を見てもいたって普通の苺なのだが…。何か違うというのだろうか。
「レナ母さん。これって味見した?」
「いえ、してないけれど…」
レナお母さんの答えに、カリスはゆっくりと瓶を開けた。
ぶわっと一気に香りが周囲に広がった。苺だけではない独特な香りもあり、なんだか頭がフワフワするようなそんな感覚に陥る。
カリスはそれをレナお母さんが持ってきてくれたフォークで1粒取り出して食べるなり、やっぱりなと呟いた。かと思うと、スッとレナお母さんを見た。
「これ、苺のワイン漬け!しかも母さん、苺を潰しただけで熱とか通してないだろ!食べたのがオレだけだったから良かったけど、ナウまで食べてて、何かあったらどうすんの!」
特別責める、というわけではなく、しかし焦った様子で勢い良く言葉が並べられる。
2年以上もすみませんでした……!
今まで書いていたものの書き直しなので、本来ならそこまで書くのに時間がかからないはずなのですが……
これからは、更新は今までのように遅くなってしまうとは思いますが、ちまちまと書いてちょこちょこ投稿していけたらいいなと思っています。
またしばらく投稿しない……というようなことがあるかもしれませんが、温かい目で見て頂けると嬉しいです!
改めて、これからよろしくお願いします!




