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オムニバス  作者: ジグマ
本編
8/8

チョコレートのような恋

ちょっと早めのバレンタインデー話

学生時代、嫁に想いを寄せていた男子視点です



あれはそう、18歳になってまもなくのころのこと。高校卒業がそろそろ見えてくる時期だった。

暦の上では2月14日と分類された日であり、俗に聖バレンタインと呼ばれる日でもある。今日みたいに雪がちらほらと空から舞い落ちる、寒い冬の日だった。


その日はきっと、人が誰かに愛を求めることが他に日よりも多かったことだろう。想う相手に、チョコレートとともに気持ちを告げた人は、この学校内でもずいぶんいたと思う。校内の浮かれたつ雰囲気からも、それがよくわかった。

普段の自分であれば、そんな風習なようなものなど気にもしなかっただろうし、興味もなかったはずだった。けれどどういうわけかそのときは、心に巣食った異性がいた。そしてこの日独特の雰囲気に飲まれてしまった勢いで、ありきたりながらその日の放課後、意中の相手を屋上に呼び出した。


「あなたが好きです」


降り積もる雪を背景に、この日校内のあちこちで囁かれたであろう言葉を口にした。相手は———、彼女は、驚いたかのように何度か瞬きをした。

ゆっくりと俯いていく彼女を眺めながら、その反応は当然だろうなとどこか冷静な部分が思った。それはそうだろう、自分は彼女と数えるくらいしか話をしたことがないクラスメイトだったから。特化した何かなどない、普通の男子生徒。それが自分。


「…………あの、ごめんなさい……」


返ってきた言葉はやはりというか、見事に想定していたものだった。

そのとき焼き付いた彼女の表情は、今でも覚えている。完全には消化しきれなかった恋心とともに。




◇ ◇ ◇     ◆ ◆ ◆     ◇ ◇ ◇




はじめて彼女のことを———、桜崎(サクラザキ) 蓮華(レンゲ)という女性を意識したのはいつだったか。


同じクラスメイトであったということから、彼女の名前だけならばとうに知っていた。名を聞いたとき、派手な名前だなと思ったことは今でも覚えている。

その容姿を知ったのは、それからまもなくのこと。クラスの男子たちがやけに騒いでいたから。美人だの可愛いだの、多くの人間がいうだけあって彼女はとても綺麗な顔をしていた。なんでもフランス人の血を引くクォーターらしく、日系人とは思えない儚い色合いもよく似合っていた。


だけど、当時はそれだけだった。彼女の名前や顔を知ったところで、他人の容姿の善し悪しなど興味がなかった自分は、彼女に対して特別な感情を抱くこともなかった。何度か挨拶を交わし、何気ない言葉も交わしたけれど、それでも変わることはなかった気持ち。

それが変わったのは、表面上だけの彼女を知ってから数ヶ月後のこと。とても些細な、どうでもいい噂を耳にしたのがきっかけだった。


桜崎(かのじょ)が学年一番のイケメンを振ったらしい』


そんなありきたりなものだった。



その頃にはすでに桜崎の容姿は学年だけではなく、他の学年層まで知れ渡るほどの知名度だった。そんなだから彼女にアタックする男たちは多くいた。けれど残念ながら誰もその御眼鏡に適うものはいなかったようで、彼女と付き合うことになった男は一人もいなかった。

どうやらすでに意中の男がいるらしい、ということだったが、元来桜崎は口数の多いタイプではない。その相手が誰なのか、知る人間は一人としていなかった。


学年一のイケメンからの告白は、そんな中でのことだった。整った容姿という点では桜崎と一緒だったが、彼の性格は彼女のそれとは真逆といっていいほど違った。

大人しく他人を立てることばかりする桜崎。対して、おしゃべりといっていいほど明るく、自らの容姿を常に意識し、それ故少し歪んだところがある彼。


きっと彼はその絶対の自信から振られるなどと思うことはなかっただろう。たとえ桜崎に好きな野郎がいたとしても、だ。彼の容姿もまた、学年一と呼ばれるほど整っていたものだったから、当然とも思えることだったのかもしれない。

けれど結果はまあ、先に述べた通り。彼は振られた。


その日以来、桜崎の噂は一段と高まった。

趣味が悪いだの、理想が高過ぎるだの、見る目がないだの。はたまた意中の男以外には目もくれない一途さがいいだの、なんせよくも悪くも目立つ男女の話だ。

前者は彼に想いを寄せる女子たちで、後者は相手にされないことを知っていてもなお彼女に想いを寄せる男子たちの、妬み僻み羨望が交じったものであるのは明らかだった。無駄に二人に想いを寄せるものたちの数の多さを知らされた気がした。


静かだった日常が少しばかり騒がしくなったであろう桜崎は、それでも依然変わることはなかった。だからか桜崎に想いを告白する男子たちも変わらずいるようで、けれどやっぱり彼女は首を縦に振ることはなかった。


いったいなぜ、そこまで頑なのか。

はじめて桜崎に興味らしい興味をもったのはこの時だったと思う。

改めて桜崎蓮華という女子を見た。


容姿は下手な芸能人よりもよっぽど整っている。黄色人種の色合いとはいえない髪と瞳と肌を持ち、けれど顔つきはさほど彫りが深くない日系のそれ。

性格は大人しい。いつもはにかんだような笑顔で日々過ごし、口数は決して多くない。友人もさほど多いわけでもなく、彼女と似た落ち着いた静かなタイプがほとんどだ。


頭はいい。中間や期末テストのたびに張り出される、上位50位までの順位表に名前がなかったことがない。しかも必ず5位以内ときたもんだ。英語に至っては毎回100点をとっているという。

それに対し、運動はまるきりダメ。運動音痴という言葉はまさに彼女のためにあるようなものだと思うほど。前にあった体力検査で何種目か一緒に測定したことがあったが、そのどれもがクラス最下位だった。聞くところによれば、腹筋も懸垂も逆上がりすらできないという。


すべてにおいて優秀だったのならば、あっさり超人だと斬り捨てたのかもしれない。超人の思考など、凡人である自分には分かるはずもない、と。だけど実際はそうでもなくて、同じ苦手なものを持つ人間なんだなと、余計に興味をそそられた。

いつしか興味もなかった彼女の容姿も『可愛い』と、明らかに異性に対する感情で見るようになった。いつもはにかんだような表情も、好ましいと思うようになった。

自分の気持ちを自覚してしまえば、気づいてしまえば、学校にいる数時間のうちで幾度も桜崎を眺めるようになった。


朝、必ず同じ時間に登校してくる桜崎。授業が始まる前に、いつも気合いを入れるようにひっそり深呼吸をしている桜崎。昼休み時間の桜崎は、いつもより穏やかな雰囲気を醸し出す。

清掃の時間をサボることなく、だからといってサボっている人間に文句をいうこともなく、己に与えられた仕事を確実にこなしていく桜崎。帰りのホームルーム前に携帯を覗き、普段絶対見せることをしない笑顔を見せたときは、心臓を掴まれたと思ったほどの衝撃だった。

彼女に想い人がいるという噂は嘘ではなかったのだと、その笑顔を見たとき確信した。


このときに、もう桜崎が絶対に手に入らないと悟ったこのときに、実らぬ恋など捨ててしまえばよかったのだと以後何度思ったことだろう。だけど残念なことに、少しずつ桜崎を好きになっていった分、はいそうですかと諦められるほどの簡単な気持ちでもなかった。本気だった。

日を追うごとにそんな不毛な想いは捨ててしまえと理性は叱咤したが、まだ心をくすぶっていた思春期が邪魔をする。結局苦いものを抱きながら過ごすしかなかった。


そうしてやってきた、2月のあの日。振られると分かっていながらも桜崎を呼び出し、案の定振られた。思っていた以上に心は痛まなかった。そんな自分に思わず苦笑したら、桜崎がびっくりしたかのじょうに何度も瞬きしていたっけ。


「いやごめん、失恋した割にはものすごく納得している自分がおかしくて」


たしか、そんな風な言葉を笑い声に馴染ませた覚えがある。桜崎は相変わらず反応に困っているようだった。


「桜崎に振られること、分かっていたんだ。望みなんか欠片もないって、知ってた」

「…………なら、どうして…」

「うん、どうしてだろうね。自分でもよくわかんないけど……」


そこで言葉が勝手に詰まって途切れた。静かにこちらに視線を寄越す桜崎を、正面切って見返す。彼女の瞳には戸惑いばかりが浮かんでいた。こんな特記した何かを持ち合わせていない男からの告白など今までももらったであろうに、少しも茶化す様子もなく真摯な視線。



—————ああ、どうして

彼女が好きだ。この真摯さもなにもかも


今更ながら、たまらなく胸が詰まった。

泣きそうになる気持ちを溜め息で誤摩化して、必死に言葉を続けた。この恋は実らない。絶対に。


「たぶん、これが初恋だったから、かな。よくも悪くも、せっかくだから記憶に残しておきたかったんだと思う」

「…………」

「時間、割かせて悪かった。ありがとう」

「……あの…っ」

「はい」

「こちらこそ好きになってくれてありがとう。それから、受け入れられなくてごめんなさい」

「———はい」


桜崎の言葉がやけに身に染みて、ただ頷いた。

はじめて好きになった相手が彼女でよかったと、心底思った。



それから月日が流れる速度が一気に早まった気がする。

あっという間に卒業式になり、高校を巣立ったクラスメイトたちはその各々の将来への道へ進んだ。己はもとから決めていた大学へ、桜崎は専門学校に進学したと、いつだったか誰かに聞いたが詳しくは知らない。


大学生活は忙しく、それでいてなかなか充実していた。学校の合間にアルバイトもこなすようになり、気がつけば来年には大学すら卒業するというところまできていた。

早いもので、あれからもう数年近く経っていた。今日はバレンタインデーと呼ばれる、その日だった。


大学2年のころ、なんとなくはじめた洋菓子店のアルバイト。さすがに1年以上勤めているせいかすっかり慣れ、レジに立つ姿も我ながら様になっていると思う。

忙しい午後の時間をどうにかやり過ごし、ふいに目に入ったものはレジカウンターに鎮座する小さな卓上カレンダー。今日の日付に花丸がついているのはきっと、他の女性アルバイトの仕業だろう。

おかげで今日がバレンタインデーだということを、改めて実感せざるを得なかった。ちらほらと降る雪は、いっそうあの日を思い出させる。



————今あの子は……、桜崎はどうしているのだろうか


とっくに彼女への思慕はない。……はずなのに、こうも毎年この日に彼女を思い出すのはどうしてか。

自覚こそないが、いまだなんかしらの執着があるからなのか。はたまたまだ完全な思い出として処理されていないのか。どちらにせよ心に巣食った何かがあるのは間違いなく。

早くいい思い出になればいいのにと願うものの、どうすればそうなってくれるのかも分からない。本当にタチが悪い。


だって目を閉じれば、こんなにも簡単に思い出せるのだ。

数年も前の、彼女をことを。


いつでも桜崎はゆったりと静かに笑っていた。だけどその笑顔は、いつもどこか少し寂しそうだった。

本当の笑顔というものを見たのは数えるくらいしかない。しかもその特別な笑顔が見れるのは、たまに送られてきているらしいメールを見た時だけ。

彼女に告白した時は、困ったような戸惑ったような顔をしていた。


そうだ、それで思ったのだ。

いつか本当の笑顔のまま過ごせる日々が彼女にくればいいな、と願ったのだ。



————なあ桜崎、君は今幸せかい?



カラン……、と来客と告げる音が鳴った。俯いていた顔を反射的に上げ、長年アルバイトで培った笑顔と声で、来客を迎え入れる。


「いらっしゃいま——…」


けれど客のその顔を見て、言葉が詰まった。つい今しがた思い描いていた顔が、そこにあった。ふわふわと揺れるアッシュブロンド。灰色と灰青色の、左右色の違ったオッドアイ。モデルといわれてもなんら遜色のない、整った顔立ち。

もう何年も忘れられなかった彼女が、桜崎蓮華が、滅多に見せなかったあの笑顔を顔に乗せてそこにいた。

久しぶりに見た彼女はあのときより少しばかりふっくらとしていたが、むしろさらにその美貌には拍車がかかっていた。ゆったりとケーキをメインとした洋菓子が詰まったショーケースを眺める彼女のその隣には、背の高い男。


「うー…、どれにしようか迷っちゃいますねえ」

「別に欲しいの全部買えばいいだろ」

「でも、食べきれないかもしれません」

「何言ってんだよ。食べきれなかったなんてこと、ここ数ヶ月なかっただろ」

「そっ、それはっ……」

「好きなの、欲しいだけ買えよ。きっと全部、この腹に収まる」


そういって男が撫でた彼女の腹は緩やかに膨らんでいて、新しい命がそこに宿っているのだと察すには容易かった。

若干意地悪な男の言葉に、彼女は何か言おうと試みているようだったが、元来の大人しい性質が邪魔をしているようだ。上手く言葉にできないもどかしさに彼女は表情を歪めている。でもどこかそんなやりとりも嬉しいのだと思わせるような表情で。

男はそんな彼女の様子に悪怯れることはなく、穏やかに優しく笑っていた。



————なあ桜崎、君は今幸せかい?



ふいにその答えが出たような気がした。


真剣にショーケースを覗いていた彼女が、買うものを決めたのか、つと顔を上げる。当然カウンターに立つ自分と目が合ったが、そこには知人であるという色合いはなかった。彼女は自分(おれ)のことを覚えてはいなかった。

まあ自分も18歳過ぎてから遅い成長期に見舞われ、彼女と最後に別れたときに比べ変化が著しいししょうがないことなのだろう。

ほんの少し痛んだ胸などは気のせいだと、彼女に営業スマイルを向けた。


「お決まりですか? お客さま」

「はい。注文、いいですか?」

「お承ります」


彼女が望むケーキをトングで取っていく。イチゴのショートケーキにミルクレープ。ガトーショコラ、ティラミス、モンブラン、紅茶のシフォンケーキ、季節のフルーツタルト……持つトレーにケーキが増えていくたびに、相当甘いものが好きなんだろうなとくすりと笑えば、それに気づいた彼女が顔を赤くして俯いた。

注文に動いていた彼女が口が止まってしまえば、隣に立っていた男が彼女の肘あたりを小突く。

「こんな量じゃ腹の足しにもならないんじゃねえの?」と、にやりとからかうような表情はやっぱり、穏やかで優しくて幸せそうで。


結局彼女が買ったケーキは10個だった。その一つ一つを丁寧にケーキボックスに詰めていく。帰るまでの時間を聞いて、その長さにあった保冷剤を入れる。そうして会計を済ませた彼女に、ずっしりとしたボックスを手渡した。


「どうぞお幸せに」


自然と溢れた言葉。彼女は少しびっくりしたように目を丸めたけれどすぐに、温かい笑顔に変わった。それは学生時代の時には、クラスメイトの誰一人として見せたことがない笑顔。絶対ないことだと分かってはいても、一度は向けてほしいと思った笑顔だった。


「はい、ありがとうございます」


そういってさらに笑みを柔らかくした彼女を目の当たりにした瞬間、唐突にかかっていた魔法のようなものが解けた気がした。

それはずっと心の奥底で焦げ付いていた気持ち。甘くどこか苦い、チョコレートのような初恋。あの日、あのバレンタインディーにかかった魔法。それがぼろりと欠けて、静かに砕けていくのを感じた。


————ああ、よかった。本当によかった

彼女は今、とても幸せに暮らしているのだろう。だからもう、もうあんな風に少し寂しく笑うこともないのだろう。気にしてやることもない、心配することなどとうになかったのだ。

長らく続いた恋がようやく消化されたのだと、凪いだ心で静かに想った。


ケーキボックスを下げて店を後にする二人と見送る。

きっともうこうして彼女を思い出すことはないだろう。少なくても毎年想うことはなくなるだろう。そんなことを漠然と感じながら、少しばかりの寂しさと清々しさの入り交じった息をついた。



予想以上にビターな話になってしまいました……

話の筋は当初決めていた通りなんですが、思った以上に苦い感じに……


書きながら高校時代の恋ってどんなもんだったかなあと、当時を思い出してみたのですが

そういえば共学じゃなかった!! というオチで

友人らと遊んだり食事をしたことはありましたが、そっち方面は興味を抱かなかった学生時代でした

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