第六十三話
――勇者とは、目の当たりにする者である――
「あ、そうそう。お互いに命に関わる怪我をさせちゃ駄目よ?もしさせたら、どうなるか……わかってるわよね」
思い出したようにそう付け加えた後、ネミコは咳払いを一つした。
「それじゃあ始めましょうか。『第一回、血で血を争え!超絶最強鬼ごっこ!!』……どうよ!」
自信満々にそう言い放ったネミコから、ボクは視線を逸らした。ネミコの命名の感性は、相変わらず壊滅的だった。なんというか、昔から聞いてて居た堪れなくなる物ばかりだった。
「感動して言葉も出ないようね、ラマ!私のネーミングセンスが相変わらず素晴らしくて驚いたでしょう?本当はもっと色々聞かせてあげたいんだけど、魔物たちが待ちきれなさそうだから始めるわ。それじゃあ、開始。皆、自由に逃げなさい!」
「あ、ちょっ!」
ネミコの発言に気をとられて、魔物たちが一斉に方々へ散っていくことに反応できなかった。けれど、ネミコと狼もどきなどの大型の魔物はその場を動かなかった。
「……そもそも、ボクは逃げるのを待たなくてもいいの?それに、ネミコたちはボクから逃げないの?」
「馬鹿ねぇ、ラマ。駄目だって言われてないことは、何だってやっていいのよ。昔からそうだったでしょう?それと私たちがここに残ってるのは、反則が起きないか見守るためね。そもそも私たちはラマなんかじゃ一生かけても追いつけない位足が速いから、追いかけるだけ時間の無駄だと言っておくわ」
「……それは、ネミコ含めて?」
「当り前じゃない。というか、急がないとあなたにとって大変なことになるわよ?」
当然、という風に言いきったネミコを見て、改めて魔王というか、ネミコの人外っ振りに呆れてしまった。幼い頃から大人でも叶わない程の強さを見せていたが、今ではもうボクなんかじゃ比較対象にすらならない位に強くなってしまったようだった。
そんな相手と戦わなければならない、というか戦っているらしい現状に、ボクは思わず涙が出そうになった。少しでも勝つ確立を上げるために、なんとしても魔物たちを捕まえなければならなかった。
のんきに剣を持った手を振り回すネミコを背に、ボクは逃げた魔物たちを追い始めた。大変なこと、という言葉の意味を考えることもないまま。
どうやらボクは、誤解をしていたようだった。これはただの鬼ごっこだと思い込んでいたが、それは大きな間違いだった。その理由は今、嫌という程理解させられていた。
魔物たちが集まっているのに殺し合っていないのは、そこに魔物の王たるネミコが居たからだった。統率されて大人しそうに見えても、魔物が魔物であるということに変わりはなかった。そう、見つけた敵を殺し、成長していく生き物だということをボクは忘れていた。
魔物同士が殺し合うことは、おそらくネミコに禁止されていたのだろう。そうでなければ、魔物たちは身近にいる魔物を狙っただろうから。では、魔物を殺せない魔物が次に狙うのは何か。その答えが今、ボクの眼前に広がっていた。
貧民街に生きている人が見当たらなかったのは何故だったのだろうか。夜に出歩いている人が居なかったのは何故だったのだろうか。彼らは見てしまったのだろう。魔物たちが無差別に人々を殺していったのを。
聞こえきたのは、悲鳴だった。魔法が街の至る所で行使され、何十何百という人間が次々に殺されていった。家の中に籠っていようが、魔物たちから逃げられるはずがなかった。
阿鼻叫喚。地獄の現出。この街の現状は、正にそういった表現がよく合っていた。暴虐が、ボクの目の前で繰り広げられていた。
ボクの頭の中には、既に鬼ごっこのことなどなくなりかけていた。魔物たちはネミコの自由に逃げろという言葉に従って、彼らなりに自由に逃げ回ってるだけだったのだろう。それだけで、街一つが壊滅する事態が引き起こされた。いや、寧ろ被害が街一つで止まっているのは僥倖だった。
互いに殺し合うことなく、団結して襲ってくる魔物の集団。魔王は世界を滅ぼすと聞いていたが、確かにこんな戦力があるなら世界を滅ぼすこと位簡単にできそうな気がした。世界中に居る魔物の数は、この街に居る魔物の百倍や二百倍じゃきかないだろうから。ことによると、千倍、万倍をも超えているかもしれなかった。
やるしかなかった。勇者として、魔王を倒さなければならなかった。ボクは剣を抜こうと手を伸ばし、考え直してその手を引っこめた。
剣では魔物を殺してしまう恐れがあった。ネミコの決めた規則に従うことは、魔王と戦うための絶対的な前提条件だった。なぜなら、ボクはネミコが一言命じればいつでも死にかねない危うい状況の上で生きていたからだった。
袋の中から石弓と、買ったばかりの矢束を取り出した。これなら殺すことなく足止めに使えるだろう。矢束を見て、不意にあの万屋の無事が気になったが、すぐに頭を振って思考を切り替えた。この惨状の中で、一般人が生きていられるわけがなかった。
ボクは矢束から一本引き抜き、石弓に番えた。戦いの始まりを、ようやく自覚し始めながら。
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