【第5話】繁華街の襲撃(戦場A)
読んでくださり、ありがとうございます。
第5話「繁華街の襲撃(戦場A)」です。
今回は慎悟たちのメインチームとは別行動――熊坂健太と柿原翔一が、繁華街で突然の鬼と遭遇する話です。
健太というキャラクターを書く上でずっと意識してきたことがあります。
口数が少ない。感情を表に出さない。でも、誰よりも先に人の前に立つ。
そういう人間の「静かさ」が、最もよく出るのは、戦場ではなく日常との境目だと思っています。
何でもない午後に、突然終わりが来る瞬間。
そこで健太が何をするか。
今回の話は、そこだけを書きたかった話です。
翠羅についても、少しだけ。
彼女を「悪役」として描くつもりは、最初からありませんでした。
持っているものと持っていないものの間にある、どうにもならない断絶。
それが鬼を生むという物語なので。
読み終えた後、健太のことを少し好きになっていただけたら嬉しいです。
それでは、どうぞ。
五月最後の日曜日。
福江市の繁華街は、今日も何事もない顔をしていた。
アーケードの下を買い物帰りの家族連れが通り、ファストフード店の前には列ができている。
どこかの店先から、軽いポップスが流れていた。
紙袋が、かさりと鳴った。
誰もが、明日もこの続きを生きるつもりでいる午後だった。
――それが、終わるまでは。
熊坂健太は、その街角で菅野陵矢と三年ぶりに会った。
「健太、マジで清王行ったんだな。すげえ」
「面接で拾われただけだ」
「それで入れるのがすごいんだって」
陵矢は昔と変わらない、少し気弱で、人混みに紛れたら消えてしまいそうな笑い方をした。
「俺は福江西。まあ、そこそこ楽しい」
「へえ」
「薄っすいなあ、その返事」
「それが健太の味だから諦めろって」
横から割り込んできた声に、陵矢が振り向く。
柿原翔一が、コンビニ袋を提げたまま笑っていた。
「陵矢くんだっけ。健太の知り合いなら、もう俺の知り合いでもある。よろしく」
「勝手に広げるなよ」
「人脈は広い方が得だろ」
翔一が笑わせ、陵矢がつられて笑い、健太が短く返す。
それだけのことだった。
大した約束も、特別な奇跡もない。
こういう何でもなさが人の一日を形にしているのだと、健太はもう知っていた。
だからこそ、気づいた。
雑踏の向こう――人の流れの中に、ひとつだけ止まっている影があった。
少女だ。
その周囲だけ、温度が違う。
人が無意識に避けていく。誰も理由を知らないまま、そこだけ流れが歪んでいる。
見られている。
そう思った瞬間にはもう遅かった。
あの目は、相手を探している目ではない。
最初から、誰を斬るか決めている目だ。
「……翔一」
「ん?」
翔一が健太の視線を追い、その顔から笑みが消えた。
「……遥?」
健太はその名を知らない。
だが翔一の声だけで足りた。
昔の知人に会った声ではない。
蓋をしたはずの傷を、いきなり素手で抉られた人間の声だった。
少女が歩き出す。
ゆっくりと。迷いなく。
人混みを裂くように、真っすぐこちらへ来る。
その視線は、健太でも翔一でもなかった。
菅野陵矢を、ただ一点に捉えていた。
陵矢の顔から血の気が引く。
「……え、誰……?」
少女は答えない。
いったん翔一を見て、それから再び陵矢を見た。
「話したんだ」
低い声だった。
静かなのに、壊れる寸前の硝子みたいに危うい。
「会いに来たの。取りに来たの。奪われた分」
翔一が一歩前に出る。
「遥。お前、何してんだよ」
「決まってるでしょ」
少女は小さく首を傾げた。
その仕草だけ見れば、どこにでもいる高校生だった。
だからこそ、寒気が増した。
陵矢が息を呑んで下がる。
健太は、その前に立った。
「落ち着け」
自分でも驚くほど、低い声が出た。
少女の視線が、初めて健太に刺さる。
「あなたは関係ない」
「関係ある」
「どいて」
「どかない」
少女の目が細くなる。
「……邪魔しないでよ」
その一言で、街の空気が軋んだ。
「私の選択を、邪魔するな」
次の瞬間――少女の全身から、黄緑の光が噴き上がった。
悲鳴が上がる。
スマートフォンが床に落ち、子どもが泣き、数秒前までの午後が粉々に砕けた。
光が引いたあと、そこに立っていたのはもう人間の少女ではなかった。
黄緑の装甲鱗。背から伸びる骨格じみた突起。刃のためだけに研がれた細身の剣。
――翠羅。
その名が、喉の奥に冷たく浮かぶ。
「陵矢、下がれ!」
健太が叫ぶより早く、翠羅は踏み込んだ。
速い。
そう認識した時にはもう、切っ先が陵矢の喉元へ落ちている。
考えるより先に、健太の右腕から黒い霊光が噴き上がった。
全身を包む重装。ヒグマを模した黒き装甲。掌に現れる玄牙棒。
振り下ろされた剣を、真正面から受け止める。
轟音。
火花が散り、足元のコンクリートが沈んだ。
衝撃が腕を砕くように這い上がる。
それでも、刃は止まった。
陵矢に届くはずだった一撃は、今、健太の前で止まっている。
「下がれ!」
押し返す。
翠羅は身を翻し、羽のような軽さで後方へ着地した。
「……へえ」
平坦な声だった。
けれど奥に、焼け残った熱がある。
「守る側に立つんだ」
「立つ」
健太は玄牙棒を構え直した。
「俺が決めた」
翠羅の目が、そこで初めて獣じみて歪んだ。
「その顔が嫌いなんだよ……!」
再加速。
斜め。低く。消えたと思った刃が、次の瞬間には別角度から閃く。
玄牙棒で受ける。受けるたび、重心を削られる。
二撃。三撃。四撃。
速い。軽い。だが浅くない。
こちらに流れを作らせないための剣だ。
「いけるって!」
横から橙の光が弾けた。
翔一。
鷲を思わせる橙色の装甲。背に翼状の霊光。手には烈翔棍。
翠羅の側面へ、迷いなく突っ込む。
翠羅が剣で受ける。一瞬だけ体勢が泳いだ。
健太は叫ぶ。
「翔一、陵矢を!」
「了解!」
翔一は陵矢の腕を掴んだ。
「走れるな!?」
「え、あ、うん!」
「なら走れ!」
半ば引きずるように、翔一は路地の奥へ陵矢を逃がす。
残された健太は、ひとりで翠羅と向き合った。
守る。通さない。
今はそれだけで足りた。
「なんで邪魔するの」
翠羅が剣先を向ける。
「守るためだ」
「綺麗に言うなよ」
その声には、怒鳴り声より深いものが混じっていた。
「そんなの、持ってる側の理屈だろ」
翠羅は、速いだけではなかった。
読めない。
一直線に来ると見せて角度を折る。懐へ入ると見せて、間合いの外で削る。届きそうで届かない場所に居続け、こちらの綻びだけを狙ってくる。
健太の型とは、最悪に噛み合う敵だった。
自分は止めて、受けて、押し返して、初めて流れを作る。
だがこの相手は、その最初の一歩を許さない。
「普通に生きてる顔が、ほんとに嫌い」
火花が頬を掠めた。
「進学だ、就職だ、次があるみたいに喋ってさ」
玄牙棒で斬撃を払う。遅い。左脇の装甲が裂ける。
「お前のことは知らない」
健太は構えを崩さず言った。
「でも、今やろうとしてることは止める」
「知らないくせに分かった顔すんな!」
「分かった顔なんかしてない」
踏み込みながら返す。
「分からないままでも、止める時はある」
翠羅の剣が、怒りに合わせて軌道を荒らす。
「あるやつと、ないやつがいるんだよ!」
黄緑の残光が、アーケードの光を切り裂いた。
「先のあるやつと、そこで終わるやつが!」
健太は息を呑む。
やはりだ、と思った。
この怒りは、陵矢ひとりに向いているわけではない。
笑っている奴。進んでいける奴。何かを選べる奴。そして、選べないまま終わった自分自身。
全部に向いている。
「こっちは選ぶ前に終わってんだよ!」
その一瞬だけ、異形の向こうにただ傷ついた少女の声が見えた。
健太は一歩、前へ出た。
攻めるためではない。言葉を逃がさないために。
「……それでも」
玄牙棒を強く握る。
「ここにいる誰かの明日を、お前に切らせる理由にはならない」
翠羅の目が揺れる。
「黙れ!」
「黙らない」
激突。火花。衝撃。両腕が痺れる。
それでも、健太は視線を逸らさなかった。
「お前の痛みは、俺には背負えない」
息を荒げながら、一語ずつ置く。
「でも、その痛みで他人の明日を潰すなら、俺が止める」
翠羅の怒りが、そこでぶれなくなった。
陵矢でも街でもない。今、彼女の敵意は、真正面に立つ健太ひとりへ収束する。
危険だった。
だが、守るべきものから引き剥がせたということでもある。
「だったら――先に、お前を折る!」
地面が砕ける勢いで、翠羅が突っ込んできた。
「翠羅・疾風斬!」
速度が跳ね上がる。
見失った。
そう思った瞬間には、衝撃が来ていた。
健太は反射で玄牙棒を立てる。受けた、はずだった。
なのに重い。
速さそのものが質量になったみたいな一撃が、装甲ごと身体を吹き飛ばした。
背中から壁へ叩きつけられる。肺の空気が一気に抜け、視界が揺れた。
立て直す前に、二撃目。棒が間に合わない。
三撃目。四撃目。
防いでも、次が来る。
このまま押し切られる。
「健太ッ!」
橙の影が、上から戦場へ割り込んだ。
翔一だ。
陵矢を隠し、最短で戻ってきたのだ。
烈翔棍が唸る。翠羅が振り向きざまに受ける。だが翔一はまともにぶつからない。
高く跳び、角度を変え、拍をずらす。
荒いようでいて、狙いだけは外さない。
「一人で抱えるなよ、盾役!」
「……遅い」
「戻ってきただけ褒めろ!」
翠羅が二人まとめて斬り捨てるように踏み込む。
健太は踏みとどまり、翔一は横から乱す。
止める者と、空気を壊す者。
噛み合った瞬間だけ、戦場の呼吸が変わる。
「翔一、合わせろ!」
「任せろ!」
翔一が先に動く。
「烈翔――橙烈風撃!」
烈翔棍が、わずかに拍を外して振り抜かれる。
受けられる軌道ではあった。
だが、翠羅の読みだけをずらすには十分だった。
剣が弾かれる。
その一瞬へ、健太が全体重を叩き込む。
「玄牙――黒砕轟撃!」
黒い霊光が玄牙棒に収束し、重さそのものみたいな一撃となって落ちた。
直撃。
翠羅の身体が大きく吹き飛び、路面を削って止まる。
息が荒い。腕が痺れる。
それでも健太は、前へ出ようとする足を止めなかった。
その横で、翔一がそっと右手を下ろす。
スマートフォンだった。
健太が短く問う。
「……呼んだのか」
「陵矢隠した時に」
「来るか」
「来る。来させる」
軽口みたいに言って、翔一は口の端を吊り上げた。
「俺ら、二人で終わるチームじゃないだろ」
翠羅が、立ち上がる。
黄緑の装甲のあちこちが砕け、それでも瞳だけはまだ死んでいない。
むしろ、前より鋭かった。
「仲間を呼んだんだ」
「呼んだ」
健太は答える。
「守りきるためだ」
翠羅の肩がわずかに震えた。
怒りか。嗤いか。もう境目は見えない。
「そうやって、いつも繋がってる顔をする」
低い声が、刃みたいに細くなる。
「持ってる側は、いいよね」
次の瞬間、黄緑の残光が爆ぜた。
「翠羅・旋風連撃!」
一撃。二撃。三撃。剣が見えない。
健太は玄牙棒で受け、受け切れない分は装甲で受け、それでも一歩も退かない。
四撃目で膝が沈む。五撃目で肩が裂ける。
六撃目、翔一が横から割り込み、右腕を浅く斬られた。
「翔一!」
「まだだ!」
翔一は歯を食いしばって笑う。
「ここで寝たら、あとで慎悟に説教される!」
翠羅が跳ぶ。
上から落ちる刃を、健太が棒で受け止めた。
骨まで軋む。
それでも、落とさない。
「なんで退かない!」
翠羅の叫びが降る。
健太は歯を食いしばったまま答えた。
「退いたら、後ろが斬られる」
「そんなの、あんた一人で守り切れるわけない!」
「だから待つんだよ」
翠羅が止まる。ほんの一瞬だけ。
「……何を」
健太は前を見る。
砕けた路面の向こう。悲鳴が消えた繁華街の奥。守るべき日常の続きがある方を。
「仲間を」
短い答えだった。
だが、その一言だけで十分だった。
翔一が笑う。
「聞いただろ」
翠羅の顔が、怒りとも悲しみともつかない形に歪む。
彼女にはそれが、きっといちばん許せない。
折れかけても、独りにならない人間の顔が。
「……っ、嫌いだ」
吐き捨てるように、翠羅が再び踏み込む。
健太は前へ出た。
仲間の後ろではない。仲間の前へ。
玄牙棒を地面へ叩きつける。
鈍い轟音が走り、砕けた路面が跳ねる。
進行が、ほんのわずか止まる。
そのわずかな時間を、健太は全身で繋ぎとめた。
逃げない。倒れない。ここを通さない。
夕暮れの光が、傷だらけの装甲を赤く染める。
そのときだった。
砕けたアーケードの奥で、風向きが変わる。
空気がひとつ、戦場の側へ寄った。
翔一が口元を上げる。
健太は前を見たまま、小さく息を吐く。
来る。
そう思えた瞬間、身体の奥に残っていた力がもう一度だけ戻った。
だから熊坂健太は、戦場の真ん中で、最後まで一歩も退かなかった。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
第5話、いかがでしたでしょうか。
健太と翔一の二人で、数で不利な状況をひたすら「持ちこたえる」だけの話です。
勝ちに行く話ではありません。
ただ、来るまで折れない話。
書いていて一番好きだったのは、翠羅の「持ってる側は、いいよね」という台詞です。
彼女の言葉が間違っているとは思えなかった。
それでも健太たちを折らせたくなかった。
その両方を抱えながら書きました。
次話は綾実チームの喫茶店戦闘「戦場B」です。
視点が変わり、雰囲気も少し変わります。
それぞれの戦場で、それぞれの形の「覚悟」が出てきます。
良ければ次話も、お付き合いください。
ご感想・ご評価、とても励みになっています。
いつもありがとうございます。




