【第1話】覇竜十傑
はじめまして。あるいは、お久しぶりです。
この物語は、十人の高校生が「霊護獣」と契約し、人の怨念から生まれた「鬼」と戦う、福江市を舞台にしたヒーロー・アクションです。
ただ、第一話に主人公は出てきません。
最初に画面へ現れるのは、選ぶ側へ回ろうとする少女たちと、彼女たちを迎える敵組織のほうです。
なぜ敵から始めるのか。それは、この物語が「正義が悪を倒す話」ではなく、「誰もが何かを選び、選んだものに縛られていく話」だからです。
主人公・北潟慎悟は、第一話の最後に一瞬だけ顔を出します。彼はまだ、何も知りません。けれど読者のあなたは、もう知っている。その温度差こそが、この物語の入口です。
スマホでも読みやすいよう、改行を多めに整えてあります。三分ほどで読み終わる長さです。
それでは、雨が降る前の福江市へ、どうぞ。
一
人ひとりが、横向きに宙を飛んだ。
矢地遥の体が、和室の壁に叩きつけられる。
音は、遅れて来た。
舟津美和は、動かなかった。
動けなかったのではない。動かなかったのだ。
ここで手を伸ばすことが、どういう意味になるのか。
そのくらいは、もう分かっていた。
――三十分前。
美和は、この家へ自分の足で歩いて来た。
二
福江市の住宅街は、午後の光の中で、妙に白かった。
石畳の路地。低い生け垣。閉じた門扉。
どこにでもある郊外の景色だ。
なのに、音だけが抜け落ちている。
子どもの声がない。犬も鳴かない。
生活の擦れ合う気配だけが、綺麗に削り取られていた。
「……最悪」
舟津美和は、吐き捨てるみたいに言った。
十六歳。高校はとうに辞めた。
戻る家にも、待つ人間にも、もう用はない。
胸の底には、いつも火がある。
きれいな火じゃない。荒くて、赤くて、触れればただじゃ済まない火だ。
その火の行き場を、ずっと探していた。
隣を歩く伊井千尋は、黙ったままだ。
短く刈った髪も、動かない横顔も、石で出来ているみたいだった。
美和はそれを横目で見て、少しだけ口の端を上げる。
こういう時、千尋は下手に喋らない。
慰めが効く場所じゃないと、最初から分かっている。
視線の先に、金津邸があった。
門をくぐった瞬間、喉の奥が細くなる。
空気が違う。温度でも、湿度でもない。
もっと、生々しいものだ。
誰にも拾われず、どこにも流れず、床下に溜まり続けた感情。
それだけが、この家の空気に混じっている。
「帰る?」
千尋が言った。事実だけを置く声だった。
美和は鼻で笑う。
「帰った先に何があるの。学校? 就職? 更生?
そういう綺麗な言葉、もう飽きた」
戻る場所なんて、最初からなかった。
あるふりをされるのが、一番うんざりする。
三
案内された和室の中心に、金津美里が座っていた。
白い着物。膝の上に揃えられた手。微動だにしない姿勢。
療養中だと聞いていた。
けれど、美和の目には病人には見えなかった。
あれは、弱っている人間じゃない。
儀式の始まりを待つ側の顔だ。
斜め後ろには、稲越茉耶――霧香。
灰紫の瞳が、こちらを見ている。
見るというより、測っていた。人としてではなく、現象として。
そして、その奥。壁にもたれて立つ少年がひとり。
横垣光介。鬼名、烈王。
十四歳と聞いている。
けれど、年齢なんて説明は、あれの前では意味を失う。
細い。白い。整いすぎている。
ただ、目だけが駄目だった。
何もなかった。怒りも、退屈も、苛立ちもない。
感情を燃やし切ったあと、灰だけが残ったみたいな目だった。
本能が、背骨の内側でささやく。
――近づくな。
「来たわね」
金津美里が口を開く。
その一言だけで、部屋の上下が決まった。
美和たちは頭を下げた。
四
「今日ここへ呼んだ理由は一つ。二人を選ぶためよ」
隣で、千尋の呼吸がわずかに止まる。
反対側では、矢地遥のつま先が小さく動いた。
「覇竜十傑」
その名は、宣言というより落石だった。
「鬼の秩序を担う十の席。
そのうち二席を、今日ここで埋める」
美和は胸の奥で、その言葉を転がす。
覇竜十傑。強いだけでは足りない。
美里の思想ごと背負う者の名だ。
進学でもない。就職でもない。
切り捨てられるだけの側から、外へ出るための席。
胸の底で、火が鳴った。
「舟津美和」
「はい」
「伊井千尋」
「……はい」
「お前たち二人は、覇竜十傑よ」
美和は顔を上げた。
美里の目が、まっすぐこちらを貫いていた。
祝っているんじゃない。試しているんでもない。
値踏みだ。そして、宣告だ。
「ありがとうございます」
声は、思ったより澄んでいた。
選ばれるのを待つだけの人生は、もう終わりでいい。
千尋も、短く頭を下げる。
「ありがとうございます」
「舟津美和。今日からお前は――牙蓮」
その名が落ちた瞬間、胸の奥で硬い音がした。
「伊井千尋。お前は――魔盾牙」
千尋は黙って受け取った。
美和は思う。
名前をもらったんじゃない。
戻るための扉を、外側から塞がれたのだ。
五
問題は、その直後に起きた。
矢地遥が、一歩前へ出た。
「あたしは……あたしは、どうなるんですか」
声が揺れていた。
焦りと、苛立ちと、置いていかれる怖さが、喉の奥でぶつかり合っている。
昔から、あの子はずっと叫んでいた。
見てほしい。認めてほしい。ここにいると証明したい。
でも、それを言葉にするのが下手だった。
だから、体でぶつかる。勢いだけで前へ出る。出て、傷つく。
「翠羅」
美里は、遥の鬼名を呼ぶ。
「お前は、まだよ」
沈黙が落ちた。遥の肩が、小さく震える。
「……まだ、って」
「今は、ということ」
慰めでも切り捨てでもない。ただ、事実だけを置く声だった。
それが、いちばん残酷だ。
遥の視線が動く。美里。美和。千尋。
そして最後に、部屋の奥へ向く。
烈王。
その瞬間、美和の背中に冷たいものが走った。
やめろ。
口にはならない。でも、胸の中でははっきり叫んでいた。
それに触るな。試そうとするな。
あれは、こっちの物差しに乗る相手じゃない。
けれど遥は、止まらなかった。
「ねえ。あんた、本当に十傑なの」
和室の空気が、音もなく硬くなる。
誰も動かない。美和も。千尋も。霧香も。美里も。
烈王だけが、遥を見た。ただ、それだけだった。
なのに、その視線だけで、遥の足が一瞬止まる。
それでも引き返せない。
認められたい気持ちは、ときどき恐怖より強い。
「大したことなさそうだけど。霧香と同格ってほんと?
見た目じゃ全然――」
そこまでだった。
遥の指先が、烈王の肩に触れかける。
次の瞬間、美和に見えたのは結果だけだった。
遥の体が、横に飛んでいた。
床が軋む。壁に肉が叩きつけられる。息が潰れる。
全部がほとんど同時に、和室へ刺さった。
遥は壁際で、くの字に折れて崩れ落ちる。
烈王は、元の場所に立っていた。
腕が動いた気配もない。踏み込んだ影もない。
ただ、遥だけが飛んだ。
制裁じゃない。喧嘩でもない。
選別だった。
六
遥が呻く。
口の端から血が細く流れ、畳に赤い点を打つ。
立とうとして、立てない。どこかが折れている。
それでも目だけは、まだ烈王を追っていた。
悔しいのだろう。潰れてもなお、消えないくらいに。
白衣の男が歩み出た。
谷畠一郎――巨響。
眼鏡の奥の目は静かだ。だが、人の体温がない。
患者を見る目じゃない。壊れた器具を点検する技師の目だった。
谷畠は遥の前にしゃがみ込み、骨の位置を探る。
「骨折が二か所。内出血は軽度。三日で動ける」
独り言みたいに言ってから、遥を見る。
「翠羅。覇竜十傑に逆らうな。
組織には序列がある。序列は力で決まる」
感情のない声だった。
「今回は生きて学べる。次はないと思いなさい」
それで終わりだった。
認められたかった少女は、壁際に倒れたまま、天井を見るしかない。
七
「見たでしょう」
美里が言う。部屋の空気が、もう一段冷える。
「これが、第三の進路の内側よ」
美和は答えない。千尋も黙っている。
「学校は、選ぶ場所のような顔をしている。
けれど本当は、ふるい落とす場所よ。
就職も同じ。役に立つかどうか、それだけで値札をつける」
美里は微笑まなかった。怒りもしなかった。
それが、かえって怖い。
「なら、こちらは何が違うんですか」
千尋が訊く。短い。けれど、逃げていない声だった。
「向きだけよ」
一拍。
「捨てられる側が、捨てる側に回る。
それだけで世界の見え方は変わる」
美和は美里を見返す。
「……それ、救いなんですか」
問いを置いたのは、自分でも意外だった。
美里は初めて、少しだけ目を細めた。
「まさか」
即答だった。
「救済なんて、いちばん人を鈍らせる言葉よ。
私は救わない。使える者を残すだけ」
美里は遥へ目をやる。
「盤上に残す駒は、こちらが決める。
泣いている者ではない。立ち上がる者よ」
優しい声だった。だからこそ、その言葉は刃になった。
八
「じゃあ、訊かせてください」
美和は自分の声で言った。
「その道に行けば、もう普通には戻れないんですね」
「戻りたい?」
美里が返す。
美和は、少しだけ笑った。
学校。就職探し。復学。
そんな札を首から下げられて、順番待ちの顔で生きるくらいなら。
「……戻らない」
喉の奥で、言葉が熱を持つ。
「選ばれるのを待つの、もう嫌なんで」
美里は黙って続きを促した。
美和は、倒れた遥を見た。烈王を見た。千尋を見た。
それから、前を向く。
「地獄でもいい。私が決めた道なら、そっちのほうがましです」
畳の上に、沈黙が落ちる。
その沈黙を先に破ったのは、千尋だった。
「私も同じです」
短い声。だが、揺れない。
「中途半端な場所に戻されるくらいなら、いらない」
美里は二人を見た。
「いいわ」
その一言に、合格の響きはなかった。
確認だ。素材が割れないかどうかを、爪で弾くような確認。
「牙蓮。魔盾牙。その名に遅れないことね」
九
その時、霧香が一枚、カードをめくった。
白い指先が、畳の上で止まる。
「……面白い」
灰紫の目が、カードではなく、美和たちを見る。
「三人とも、崩れ方が違う」
遥の肩が、びくりと震えた。
「どういう意味ですか」
美和が訊くと、霧香は薄く笑う。
「そのままの意味。折れる者。削れる者。変わりすぎる者」
「縁起でもないな」
美和が言うと、霧香は首をかしげた。
「縁起は、良い悪いじゃないわ。来るものを先に見るだけ」
烈王が、わずかに視線を上げる。
それだけで、また空気が張る。
美和は、ふと理解する。
あれは強いから怖いんじゃない。
強さの先で、もう何も残していないから怖いのだ。
――ああはなりたくない。
その思いだけが、かろうじて胸の奥に人間の形で残った。
十
話は終わった。美和と千尋は、屋敷を出る。
外は夕暮れだった。
白すぎた住宅街が、今度は赤く染まっている。
長い影が、アスファルトの上を並んで伸びる。
しばらく歩いてから、千尋が言った。
「怖かった?」
美和は少し考えて、答える。
「すごく」
「だよね」
「でも」
足を止めずに、美和は続けた。
「怖いくらいでちょうどいい。
ぬるい場所だったら、また誰かに値段つけられて終わる」
千尋は前を向いたまま、小さく息を吐く。
「牙蓮」
「ん?」
「似合ってるかも」
「最悪な感想」
「褒めてる」
それで、少しだけ笑った。本当に少しだけだ。
けれど、その笑いはさっきまでの自分たちにはなかったものだった。
背中が軽くなったわけじゃない。むしろ、重くなっている。
それでも、足だけは止まらない。
十一
屋敷の縁側から、美里は二人の背中を見ていた。
夕陽が障子を赤く染める。
その色だけが、部屋に残った血の気みたいだった。
壁際では、遥がようやく身を起こしかけている。
羨望。屈辱。悔しさ。どれもまだ、消えていない。
美里はそんな遥を見下ろし、静かに言う。
「覚悟が決まったら、また来なさい。
被害者のままで終わるのは、楽よ。
でも、それでは誰もお前の名前を残さない」
遥の唇が、血の気を失ったまま震えた。
美里は目を細める。
牙蓮。魔盾牙。そして、まだ名に届かない者。
盤は、静かに埋まり始めている。
「あとは――邪魔をする手が、何本あるか」
美里の視線が、窓の外、福江市の街並みへ向いた。
*
同じ夕暮れ。福江市の反対側。
北潟慎悟は、河川敷の土手で足を止めた。
理由は、自分でも分からない。
ただ、胸の奥が――まるで誰かに名前を呼ばれたみたいに、ざわついた。
「兄ちゃん?」
隣で、双子の妹の友紀が振り返る。
「いや」
慎悟は首を振った。
赤い空を、もう一度だけ見上げる。
何かが、こちらへ近づいている。
形も、名前も、まだ分からない。
それでも、確かに近づいている。
その予感だけが、夕陽より濃く、胸に残った。
――この街のどこかで、十の席が、埋まろうとしていた。
最後まで読んでくださって、ありがとうございます。
第一話、いかがでしたか。
この回でいちばん書きたかったのは、舟津美和の「地獄でもいい。私が決めた道なら、そっちのほうがましです」という一行です。
彼女は救われたくて鬼になるのではありません。「選ばれるのを待つ」立場から降りるために、自分の足で扉をくぐる。その選択を、正しいとも間違っているとも書かないようにしました。判断は、読んでくださるあなたに委ねます。
金津美里の「私は救わない。使える者を残すだけ」も、ぜひ覚えておいてください。この一言が、物語全体を貫く敵の思想の核になります。
そして矢地遥。認められたくて前へ出て、潰された少女。彼女のことも、どうか忘れないでください。
次回、第二話「あの夏の敗者」。
面白いと思っていただけたら、ブックマークと評価(★)で支えていただけると、続きを書く力になります。感想もひとつ残らず読んでいます。
それでは、また次の話で。




