第70話 「中にシャツを着ているから大丈夫だ」
イーリスは、釣りから戻ったところだったのか、庭に置いてあるベンチに座って竿を手入れしていた。
楽しそうにしている様子から、今日もいつも通り大漁だったことがわかる。
「こんにちは、イーリスさん」
カイが声をかけると、こちらに気づいたイーリスが麦わら帽子の陰から顔をあげてにこりと微笑んだ。
「カイ、こんにちは。アウレリアさんも一緒に、どうしたの?」
そう言いながら、イーリスは竿の糸をするりと落とし、そしてくるくると竿に巻き付けていった。
迷いのない手つきだ。
「今日は、イーリスさんにお願いがありまして」
そう言ったカイは、隣のアウレリアをちらりと見上げた。
「何か依頼かしら?」
軽く首をひねったイーリスに、アウレリアはうなずいた。
「ああ。皮鎧が切られてしまったんだが、縫って直せないだろうか?新しいものを買うにしても、サイズ調整があるからすぐには手に入らなくて」
言いながら、アウレリアが腹のあたりで切れた部分をぐいっとめくって見せた。
「あらあら。随分と綺麗に切られてるわね。怪我はないの?」
心配そうにアウレリアを見たイーリスは、竿を壁に立てかけて近寄ってきた。
「何ともない。ギリギリで避けられるはずだったんだが、ほんの少し伸びて鎧だけ切られてしまった」
「そう。傷がついていなくて良かったわ。それで、この皮鎧を繕ってほしいってことなのね。そうねぇ……。一度スキルで見てもいいかしら?」
イーリスは、いつものふんわりした笑顔からきりっとした表情に変わった。
「大丈夫だ」
「じゃあ、見るわね」
皮鎧の切れた部分をじっと見ながら、イーリスはそっと右手をあげた。
親指、人差し指、中指の指先が光って、少し動かすだけでもキラキラと光の粒が舞う。
「すごい」
「美しいな」
カイとアウレリアは、思わず感嘆のため息を吐いた。
「そんなに褒められたら照れちゃうわ」
ほんのりと頬を染めたイーリスは、指先のきらめきを消してうなずいた。
「はい、じゃあ確認はこれでおしまい。初めて見たけど、皮鎧って裁縫のスキルでも対応できるのねぇ。材料とコツがいりそうだから、今日預かったら三日以内に修繕できると思うわ」
「助かる。汚れか歪みくらいならなんとか自分でも直せるんだが、縫うとなると難しくてな。値段は、金貨一枚くらいか?」
アウレリアは少し首をかしげながら聞いた。
「あらあら。随分と評価が高いわねぇ。でも初めての作業だし、糸を用意しないといけないから……そうね、銀貨四枚ってところよ」
「わかった。準備する」
アウレリアは、その場で皮鎧を脱ごうとした。
「ちょっ!待って、ここで脱がずに、一度家に帰ってからにしてください」
慌てたカイが後ろを向くと、一拍置いてアウレリアが噴き出した。
「ははは。中にシャツを着ているから大丈夫だ。着替えはいつも持っている」
「大丈夫じゃありませんよ?!」
後ろを向いたままカイが視線をうろうろさせていると、イーリスが間に入ってくれた。
「土の上に落としたら後で払うのも面倒だし、あっちからキッチンに入って脱いできてちょうだい。土間のところに置いてくれればいいわ」
「それもそうか。わかった」
アウレリアは素直にうなずき、裏口から家に入った。
「はぁ。ありがとうございます、イーリスさん」
「いえいえ。アウレリアさんは気にしないんでしょうけど、やっぱり若い娘さんだものねぇ」
冒険者をしていれば、外で着替えるのも普通だというのはわかる。
そのあたりを問答せずにアウレリアを納得させたイーリスはさすがである。
気を取り直したカイは、ふとした疑問を口にした。
「そういえば、使うのは普通の糸じゃないんですね」
皮鎧が何で作られているのかはスキルで見えないので、カイにとっては初耳だ。
「そうらしいわ。糸を蝋引きするんですって。蜜蝋でいいみたいだから、後で商店に行って買ってくるつもりよ」
イーリスは、先ほど立てかけた釣り竿を手に取った。
「僕も時間的に買い物に行こうと思ってたんでした。そろそろ、八百屋で食用のブドウを扱うって聞いていたので」
「もうそんな時期なのねぇ。ブドウを食べて少ししたら、気温も落ち着いてくるわ」
この国の夏は、比較的カラッとしている。
特に辺境伯領は北の方なので、気温もそこまで上がらない。
それでも動けば汗だくになるので、早く秋になってほしいところだ。
「釣れる魚も、季節によって変わりますか?」
釣り針を確認していたイーリスは、針を見たままうなずいた。
「ええ。夏は魚も元気で、結構暴れるの。糸の替えを持って行かないといけないわ。味はあっさりしてるかしら。秋になれば、脂がのって美味しくなるのよ」
楽しそうに口角を上げて、イーリスは針を少し押した。
「へえ、そうなんですね。そういえば、前に聞いた動物って、また見かけたりしましたか?」
「ええ。あたしが来る時間がわかってるんじゃないかしら。暑いから水浴びしてることも多いんだけど、そういうときは川下の方で遊んでるのよ。本当に賢いわ」
思い出したのか、イーリスが目尻を下げた。
「イーリスさんが釣りをする場所って、結構深い場所もありますよね。溺れちゃいそうですけど」
小動物が溺れるのはちょっとかわいそうだ。
カイは眉を下げたのだが、イーリスは首をかしげてこちらを見た。
「あら、あの子たちがあそこで溺れるなんてことないわよ。賢いのもあるけど、羽を持ってるし、何より大きいもの」
イーリスの言葉を聞いたカイは、ぴたりと思考を止めた。
―― ちょっと待ってほしい。
「えっと……。その動物って、もしかして鳥っぽいですか?」
「そうね、嘴のある鳥の顔だし、鳥の羽が背中にあるわ」
カイは、目をつぶった。
―― まさか。
「全体的に茶色っぽくて、大きさは馬よりは小さい感じですか?」
イーリスは、両手をまっすぐに広げた。
「頭からお尻まででこれくらいかしら。親っぽいのはそれより二回りくらい大きかったわ」
黙って地面に落ちていた小枝を拾ったカイは、地面にサラサラと絵を描いた。
「こういう感じの奴ですか?」
「独創的ねぇ。ごめんなさいね、ちょっとわからないけど、足が四本あって翼があるのは同じよ」
カイは、思わず額に手をあてた。
「あの、ケガとかはしていませんか?寄ってきて危険を感じたり、イーリスさんが釣った魚が狙われたり」
カイが聞くと、イーリスは顔を横に振った。
「全然。体は大きいけど、甘えん坊のいい子たちよ。たまにお魚をおすそわけしているわ」
「おすそわけ」
どうやら、イーリスは餌付けまでしているらしい。
「一度あたしの籠の魚を狙ったことがあるけど、『川にいるんだから自分でとりなさい!』って叱ったらやめたわ。それに、最近は親に教わりながら魚を獲る練習もしてるわね。もちろん尻尾で釣るんじゃなくて、川の上から魚影を見て飛んでくる感じよ」
イーリスは、手で上から飛んでくる様子を見せてくれた。
そのあたりは鳥っぽいらしい。
「何の話だ?」
そこへ、アウレリアがやってきた。
皮鎧を脱いで、頭から被るタイプのシャツに着替えている。
「釣りの話よ。あたしが釣りをしてる場所に、可愛いコたちが遊びに来てくれるの。体は大きいけど、賢くて可愛いのよ」
「そうか」
アウレリアはごく普通の話と捉えてうなずいた。
にこにこと笑顔のイーリスを前にして、カイは言い淀んだ。
「カイ、どうした?」
「えっと……。その、多分これです」
カイは、足元に描いた絵を指した。
「なんだこれは。虫……か?」
アウレリアは困惑した表情で言った。




