第64話 「んぎゅっ!」
「ゲラルトは遠くに行っちまったがな。自立を見守るのも親ってもんだ」
ゲラルト、というのはファイトの兄らしい。
「料理人になられたんですよね」
カイが相槌を打つと、ベルントはうなずいた。
「ああ、そうだ。一応工房を継ぐつもりでいたみたいだが、ファイトのスキルを知ってすぐに『助かった』って言いに来てな。そういやぁ、あいつも料理人になりたいってずっと言えずにいたんだったな」
「兄さんが?でも、キッチンになんて立ってなかったのに」
ファイトが首をひねると、ベルントは耳をピコピコと動かしてニヤリと笑った。
「それがな。くくく。家を出たころにはもう吹っ切れてたらしいが、初恋の女の子が『お母さんみたいに、ごはんを全部作ってあげるお嫁さんになりたい』と言ってたんだと」
ベルントは、笑いながら楽しそうに言った。
「え?」
目を丸くしたファイトは、口をパクパクとさせた。
「まあ、兄だから家を継がないと、とかなんとか考えてたのもあるらしいがな。男が料理をしたらモテないと思い込んでたらしいぞ」
「えぇ……」
にやにやと笑うベルントに対して、ファイトは聞きたくなかったというように眉を下げた。
少し年の離れた兄なので、憧れのようなものがあったのかもしれない。
憧れの人が初恋から拗らせていたなんて、確かに知りたいものではないだろう。
「実際には、料理できる方がモテる気はしますけどね」
多感な時期に、好きな子が言ったことを重く受け止めてしまったのかもしれない。
「そうよぉ。勘違いしてるみたいだったから教えてあげたの。そしたら、後を継ぐつもりだったのにってえらく悩んでいたわぁ」
階段から、可愛らしい声がそう言った。
「母さん」
ファイトが呼びかけると、ファイトの母はすたすたとベルントの隣まで歩いてきた。
声と同じく、可愛らしい雰囲気のご夫人だ。
「ローレから聞いてるわよぉ。カイくんよね。あたしのことはジモーネでいいわよ。今回はよろしくねぇ。それで、修理のお話はもう終わってるのかしら?」
のんびりした話し方のジモーネは、ニコニコとしながらゆぅっくりとベルントを見上げた。
ヒト族のジモーネは、比較的小柄なので縦にも横にも大きいベルントと比べるとさらに小さく見える。
見られたベルントは、尻尾と耳をビクッと動かした。
「あ、ああ。終わったところだ。そろそろ戻るところだったんだ、本当だぞ」
笑顔で答えるベルントだったが、ぎこちなく動く尻尾は、夫婦の力関係を隠しきれていない。
「そう?じゃあ、上に戻りましょうねぇ。予算組みを終わらせないといけないでしょう?ファイちゃんも、最終の確認が終わったらいらっしゃいね?きちんと教えてあげるからねぇ」
そう言いながら、ジモーネがベルントの尻尾をぎゅっと掴んだ。
「んぎゅっ!」
なにかに踏みつぶされたような声がしたが、カイとファイトは聞こえないふりをした。
「あとはよろしくねぇ。そうそうカイくん。一時間ほどしたら休憩に上がってらっしゃい。おやつを用意してありますからね」
「はい!ありがとうございます!」
ぴしっと背を伸ばしてそう答えると、ジモーネは笑顔でうなずき、そしてベルントの背を押して階段を上がっていった。
二人がいなくなってから、カイとファイトはどちらからともなく息を吐いた。
「随分と、お若いお母様ですね」
うまい話題を見つけられなかったカイは、印象に残ったことを口に出した。
すると、ファイトは苦笑した。
「それ、本人に言ってやってよ。すごく喜ぶから。本当は、父さんよりも五歳くらい年上なんだ」
「えっ?!」
思わず大きな声が出て、カイは両手で口を押さえた。
ベルントよりも十歳くらい下に見えていたので、十五歳は若く見えているということだ。下手をすると、ファイトと年の離れた姉弟に見えなくもない。
「本人の素質もあるけど、努力のたまものだから」
遠い目をしたファイトは、母だからこそ、その努力を垣間見ているのだろう。
しばらく沈黙が支配したものの、二人は切り替えることに成功した。
「じゃあ、鉄とかを商店から受け取って戻ってきたら、倉庫に声をかけに行きますね」
「わかった。その間に、父さんに倉庫のどこにある木材が工房のなのか聞いとくよ」
木材がそれなりに必要ということで、ファイトが運ぶのを手伝ってくれることになった。
カイ一人なら何度も往復しないといけないところだったので、とても助かる。
「こんにちはー」
まずは、商店にやってきた。
カイが声をかけると、すぐ出てきたのはヒルダの母、ブリギッテだった。
「あらカイくんじゃない。いらっしゃい。ヒルダなら、旦那と一緒に買い出しに行ってるわよ」
ブリギッテの頭上で、茶色いウサギ耳がひょこりと動いた。
「今日は、倉庫に置いてある鉄くずを貰いに来たのと、炭があれば少し欲しくて」
「炭?真冬に使うあれね。倉庫の奥に置いてあるわ。鉄くずの箱の横の棚よ。わかるかしら」
確か、修理した棚の下の方に、炭を詰め込んだ箱があったと記憶している。
ブリギッテは店番があるというので、カイは一人で倉庫にお邪魔して鉄くずと炭を取り出した。
鉄くずは摩耗した分を補強する程度の量でいいし、炭はほんの少しだけ混ぜるだけだ。
片手でも持てる程度の材料を持って店舗へ戻ると、ブリギッテは秤を用意して待ってくれていた。
すぐに量って金額を言いながら、カイが持って来た箱に鉄くずと炭を入れてくれた。
無駄のない、流れるような動きはさすがだ。
「ありがとうございます」
「はい、じゃあちょうど預かるわね。今はワイン工房の修理なんだっけ?」
お金を受け取って目で数えながら、ブリギッテは耳をこちらに向けて聞いた。
「そうなんです。絞り機の金属部分が古くなってしまっているので」
「鉄くずで直せるなんて面白いスキルね。仕事はしにくくない?ベルントさんとファイトくん、ちょっと仲たがいしてるでしょう」
カイは、一瞬『どう誤魔化そうか』と考えた。
しかし二人の様子を見ればすぐにわかるし、なんならジモーネが井戸端会議に持ち込みそうだと思ったので、うやむやにするのはやめて、代わりに結論だけ伝えることにした。
「大丈夫ですよ。修理がきっかけで話をして、すれ違っていただけだってわかったみたいで」
カイがそう言うと、ブリギッテは目をぱちくりと瞬いた。
「あら、仲直りできたのね。詳しく聞きたいけど、引き留めちゃ悪いわよねぇ」
ブリギッテが頬に手を当てて言ったので、カイはぺこりと頭を下げた。
「仕事なので、すみません」
「いいのいいの。今度、ジモーネでも捕まえて詳しく聞いてみるわ」
ブリギッテは、顔の前で軽く手を振ってにこりと微笑んだ。
気を悪くしたようではなくてよかった。
「皆さんご存じだったんですね」
「そりゃあ、こんな小さな村だもの。なんていうか、喧嘩してるってわけじゃないけど、昔みたいな仲の良さが全然なくなっちゃって。ちょっと心配してたのよ」
こんな風に心配してくれる人たちがいたと知ったら、きっとファイトは恥ずかしがるだろう。
けれども、温かい気持ちになるはずだ。
今のカイと、同じように。




