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天球のカラビナ  作者: イツロウ
08-叡智の群体-
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 軌道エレベーター内、中央区画。

 ブレインメンバー含む管理者のみが立ち入ることができる機密区画内。

 とある室内に律葉とティラミスの姿があった。

 内装は病院の個室に近く、がっしりとした大きめのベッドが部屋の中央に鎮座している。

 律葉はその大きなベッドの上に横たわり、ティラミスはそのベッドにもたれかかる形で床に座り込んでいた。

 両者とも水色の病衣に身を包んでいたが、律葉はそれに加えて点滴や酸素マスクを装着しており、彼女のトレードマークのカチューシャはぼろぼろの白衣と共に棚の上に置かれていた。

 ティラミスは律葉の寝顔をぼんやり眺めつつ、自分の不甲斐なさを嘆いていた。

 私のせいで、私が弱いせいで律葉様に怪我を負わせてしまった。

 彼女は急激なGの変化に耐えられず、内臓は無論のこと身体全体に重大なダメージを負った。

 ことの発端は人型戦闘兵器のゲイルの勝手な行動である。

 パイロのPK能力による空中移動の最中、ゲイルは逃げる律葉を捕えるべく人工重力場で強引に動きを封じた。

 その結果、彼女は二方向から力を受け、押しつぶされた。

 それほど強い力ではなかった。

 しかし、生身の人間には致命傷たり得る力だった。

 もしゲイルの出力が少しでも高かったら、もし能力の解除が1秒でも遅れていたら、もしパイロによる応急処置がなければ・・・・・・間違いなく彼女は死んでいた。

 事故だということは分かっている。でも、何をどう考えても不意打ちに近い形で武力行使を行った玲奈に責任があるのは明白だった。

 あの女は許せない。今すぐ復讐したい。

 クロト兄様もよくわからないトラップに嵌められ、身柄を拘束されてしまった。死ぬようなことはないと信じているが、それでも心配で心配で仕方がない。

 兄様には何度も命を救ってもらった。それどころか同じ遺伝子を持つ兄妹だということも分かった。今度は私が助ける番だ。兄妹なのだから助け合うのは当然なのだ。

 何度も自分に言い聞かせて鼓舞しているティラミスだったが、結局この部屋から出ることもかなわず、具体的な行動に移せないでいた。

 まず情報が足りない。

 捕獲された瞬間に特殊なガスで眠らされ、目が覚めたのは30分程前だ。

 分かることといえばここが病室で、律葉様と私はまだ生きているということくらいだ。

 次に道具(ツール)がない。

 武器もなければポケットに入れていた万能ツールも折りたたみナイフもない。もっと言うと眼鏡も服もない。

 眠っている間に奪われたのは確かだ。覚醒してから30分経つのに体も気怠いままだし、他にも何かされたかもしれない。

 あと床が冷たいせいで接触面の太ももや臀部から体温が奪われ続けている。

 ・・・・・・じっとしていても仕方がない。

 ティラミスは立ち上がり、自身の状態を確かめるべく今更ながら部屋を見渡す。

 室内に窓はなく、壁面は無機質なクリームイエロー一色で覆われていた。

 改めてベッドを見ると本格的なキャスターが付いていて重厚感があった。

 いわゆる医療用のベッドというものだ。コールドスリープから目覚めた人々も同じようなベッドで処置を受けていた記憶がある。

 出入口は幅広のスライドドアになっていて、ドアの左側には洗面台が、右側にはトイレが設置されていた。

 長時間床に座って下半身を冷やしていたこともあり、ティラミスは不意に尿意に襲われた。

 我慢する理由もないし、早々に済ませておこう。

 ティラミスはベッドサイドから離れてトイレに駆け寄る。

 その際、洗面台の鏡が視界に入り、ティラミスは何気なく自分の姿を確認した。

 センサーライトが点灯し、自分の姿形がはっきりと映し出される。

 そこには見知らぬ少女の姿があった。

「へ・・・・・・?」 

 自分でも驚くほど間抜けた声が出た。

 鏡に映っていたのは薄いベージュ色の肌、黒のショートカットヘアー、白い双眸に灰褐色の瞳をもつ普通の少女だった。

 その色合いは玲奈や律葉のような日本人女性と酷似していた。

 一瞬混乱したティラミスだったが、顔立ちや輪郭その他諸々は合致しており、鏡に映っているのが自分自身であると認識するまで時間はかからなかった。

 赤褐色に近い浅黒い肌や真っ黒な眼球の面影はない。太ももに巻き付けていた尻尾も消失している。

 目の前に映るのは何の変哲もない普通の少女だ。

 夢でも見ているのか。

 ティラミスは鏡の前で頬をつまんだり、腕をさすったり、病衣を捲り上げて腹部をぺたぺたと触ってみる。その感触は実にリアルであり、疑念の余地はなかった。

 訳が分からない。私はどうなったのだ。何をされたのだ。

 混乱したまま鏡と対峙していると、何の前触れもなくスライドドアが開いた。

「あれ、もう起きたのね」

 部屋に入ってきたのは長い前髪と猫背が特徴の女性、玲奈だった。

 彼女は黒いタートルネックシャツにグレーの膝丈のタイトスカートを履き、その上から白衣を纏っていた。

 白衣姿の彼女と鏡越しに目が合い、ティラミスはとっさに振り返る。

 何かされるのではないかと身構えるティラミスだったが、玲奈は5秒ほど観察しただけで視線を逸らし、律葉の眠るベッドへと足先を向けた。

 ・・・・・・律葉様が危ない。

 ティラミスは玲奈を引き留めるべく洗面台から離れて手を伸ばす。しかし、その手は二人目の訪問者によって阻まれてしまった。

「大人しくしていろ」

 冷たく抑揚のない声を発すると同時にティラミスの細腕を握り上げたのはトキソだった。

 彼女の姿は玲奈とは対称的で、チューブトップにショートスパッツという、女子陸上選手のユニフォームとも競泳選手とも取れるような、布面積の小さい出で立ちだった。

 肌は病的なまでに白く、それ故に淡紅色の唇と淡い青の瞳が栄えていた。

 トキソは冷徹な表情のままティラミスの腕を体ごと持ち上げる。

 体重の軽いティラミスはあっさり吊り上げられ、体の自由を奪われる。

「・・・・・・!!」

 振りほどこうと必死にもがくティラミスだったが、どうやってもトキソの手を引きはがすことができなかった。

 いくら力を入れてもびくともしない。

 おかしい。私はこんなに非力だっただろうか。

 そんな疑問を抱いていると、トキソが不意に手を放した。

 ティラミスはうまく着地することができず、思い切りお尻を床に打ち付けた。

「痛ッ……?」

 尾てい骨を起点に、鈍い痛みが体中に広がっていく。

 この感覚はティラミスにとって初体験であり、困惑と痛みで思考が停止していた。

 戸惑い顔のティラミスを見て、トキソはつぶやく。

「成程、これがDEED因子抑制剤の効果か。こうなると年相応の子供と相違ないな」

(DEED因子、抑制剤・・・・・・?)

 ティラミスはこの単語だけで、自分の現状を悟った。

 私は恐らく、いや、間違いなく力を失った。

 純粋な痛み。原始的な痛み。

 頭を殴られようが、腕をすり潰されようが、業火に焼かれようが、感じなかった鋭い痛み。

 多分、これが「本当の痛み」なのだろう。

 そんな痛みに悶えているティラミスを余所に、玲奈とトキソはベッドに寝ている律葉の様子を窺っていた。

「よかった。バイタルは安定してるし、外傷もほとんど完治してる。トキソの秘薬のおかげかな」

「秘薬と言うほど大層なものではない。外科的な処置はパイロがあの場で即座に終わらせていたからな。あいつに感謝した方がいい。それよりも・・・・・・」

 トキソは腕を組んでため息をつく。

「そもそもの原因である命令無視の鉄くずロボットの躾は済んだのか」

 玲奈は「ゲイルのことね・・・・・・」と前置きして現状を説明する。

「機能使用権限と行動判断アルゴリズムの優先度の条件を再定義したから大丈夫。重力制御ユニットも量子演算装置も真人の拘束に大半のリソースを割いてるから、無茶なこともできないはず」

「それならいい」

 トキソは髪をかきあげ、病室の扉へ踵を返す。

「DEED因子抑制剤の効果も確認できた。私はククロギの監視に戻る」

「わかった。くれぐれも気をつけて」

 玲奈の言葉に特に返答することなくトキソは部屋をあとにした。

 黙って話を聞いていたティラミスは、じんじん痛むおしりを擦りながら立ち上がる。

 しかし、立ち上がったはいいものの、何もできずにいた。今の自分がいかに無力かを痛いほど自覚していたからだ。

 律葉様のことを考えるのなら、大人しく相手の命令に従う以外選択肢はない。

 ここで私が暴れようものなら・・・・・・いや、非力な少女が暴れたところで玲奈博士にすら敵わない。

 無力感に苛まれていると、玲奈から声をかけられた。

「ねえティラミス」

「はい」

 名前を呼ばれ、ティラミスは反射的に返事をしてしまう。

「もう少しで律葉も起きるから、身の回りのお世話をお願い。あと、何かあれば遠慮なく個人端末に連絡をちょうだい」

 玲奈の視線の先には、壁に嵌め込まれているタッチ式のインターフェイスがあった。

「わかった?」

 ティラミスに反論の余地は無く、こくりとうなずいた。

「いい子ね」

 玲奈はティラミスの頭を軽く撫でると、特に警告や忠告をすることなく部屋を後にした。

 全く脅威に思われていないようだ。

(律葉様・・・・・・)

 ティラミスは再び律葉の眠るベッドへ近寄り、彼女が目を覚ますのをじっと待っていた。


 一方その頃

 セントレアの猟友会本部、その3階に位置する猟友会会長執務室。

 その室内でクロトの関係者達による会議が行われていた。

 会議と言っても格式張ったものではなく、各々が部屋に散らばって椅子に座り、ある者はソファに寝転び、またある娘は床であぐらをかいていたりと、どちらかというと集会に近かった。

 室内には大きなテーブルがあり、卓上には資料らしき紙の束が置かれていたが、それを真面目に読んでいるのはカミラ教団研究員のモニカだけだった。

 他のメンバーはというと、

 上級狩人のリリサは丸椅子に片足を乗せて座り、長槍の手入れをしており

 同じく上級狩人のジュナは床にあぐらをかいて、寝ぼけ眼をこすっており

 猟友会会長のカレンにいたってはソファに体を預けて焼き菓子を頬張っていた。

 そんな女性陣とは違い、双剣使いのフェリクスや鍛冶師のヘクスターなどの男性陣は比較的真面目で、両名とも椅子に腰掛け静かにしていた。

 そんなまとまりのない室内で、唯一エヴァーハルトだけが真面目に話を続けていた。

「・・・・・・とにかく、そういった経緯でクロト君は強力な罠で捕獲されてしまい、律葉君も戦闘に巻き込まれて負傷し軌道エレベーターに、彼女の身を案じたティラミス君も捕らえられ、パイロ君と私とカレン君はその場を離脱してセントレアに戻ったというわけだ」

 約10分で簡単に現状報告をしたエヴァーハルトは手元の資料を折りたたみ、「ふう」と息をつく。

 ここでようやくリリサが槍の手入れを中断し、会話に参加する。

「で、その肝心のパイロの姿が見えないのだけれど」

「彼は数刻前にクロイデルプラントに・・・・・・人類が我々DEEDを皆殺しにするための兵器製造工場を制圧するために北へ向かった」

「それ信じていいの? クロトの戦友とは言え敵側の人間でしょう」

「彼は見た目や肩書や凶悪な戦闘能力に似合わず平和主義者で優しい人だよ。協力関係にあると考えてほしい」

「ふうん・・・・・・」

 リリサは一応は納得したのか、それ以上追求することはなかった。

 続いて声を上げたのはモニカだった。

「クロイデル・・・・・・あの黒い怪物たちが2,000年以上も前に人の手によって作られたロボットだったなんて未だに信じられません。それを知っていて秘密にしていた主任にも驚いています」

 モニカは眉間にシワを寄せてエヴァーハルトを睨む。

「というか憤慨を禁じえません。情報を共有していれば調査員や狩人の犠牲者の数を抑えることができたはずです」

 相変わらずの高い襟のせいで口元は隠れて見えないが、唇をかみしめているのが容易に想像できた。

 怒りの感情でもって糾弾するモニカをおさめたのはジュナだった。

「まあまあ、そんなキレるなよ」

 ジュナはあぐら状態から体のバネを使って立ち上がり、モニカの背後まで移動する。

 そして、モニカに了承を得ることなくおもむろに肩をもみ始めた。

「世の中知らなくていいこともあるって言うし、あえて秘密にすることで被害を抑えてたんじゃないか? 詳しくは知らねーけど」

「そんな適当な・・・・・・」

 モニカの言葉を遮るようにジュナは肩を揉む手に力を込める。

「もういいから黙ってろ。今はこれからどうするかを決める事のほうが大事なんだよ。昔のことで文句があるなら別の場所でやってろよ」

「わかりましたから、放してください痛いです」

 モニカはジュナの言葉を素直に受け入れる。

 ジュナは手を放すとモニカと入れ替わるようにしてエヴァーハルトに質問を投げかける。

「あれを使ってオレ達を皆殺しにするってことは、海棲ディードクラスのデカブツが襲ってくるのか? それとも単純に数が増えるのか?」

 エヴァーハルトは「勿論両方とも考えられるが・・・・・・」と顎に手をあて、少し思慮した後に考えを告げる。

「クロイデルプラントの管理者が“リミッターを解除した”と言っていたし、より我々を殺傷するのに適した兵器となって襲い掛かってくるだろう。現状の戦力では手も足も出ないと考えていい」

「手も足も出ないって・・・・・・つまり、オレ達ができることはパイロがその工場を壊してくれることを祈ることくらいか」

「そんなことないよー」

 割って入ってきたのはカレンだった。

 カレンはソファの座面に背中を預けたまま言葉を続ける。

「今まで山で大人しくしていたクロイデルも積極的にヒトを襲い始める。そもそもクロイデル自体が大陸に広く生息してるわけだし、パイロが工場を壊したとしても間違いなく大勢の住民が死ぬでしょうねー」

「大勢死ぬって……止められないのか」

「止められはしないけれど、支部の狩人には住民をセントレアに避難させるように指示を出すつもり。セントレアで防衛に徹すれば2ヶ月間は耐えられるでしょ」

 セントレアでの防衛戦。

 今考えられる中でも最良の方策ではあるが、完全とは言い難かった。

 リリサはその点を指摘する。

「確かに城壁もあるし十分な食糧もあるけれど、大型のクロイデル相手には城壁なんて紙同然だし、空を飛ぶクロイデルにはどう対処するの?」

「大丈夫大丈夫、そのあたりはエヴァーハルトがちゃんと考えてくれてるから」

 そう答え、カレンは「任せた」と言わんばかりにエヴァーハルトに視線を向ける。

 エヴァーハルトは咳払いをし、誰もが納得する回答を出した。

「すでにカミラ教団はクロイデルに対抗しうる強力な兵器の開発に成功している」

 この頼もしい言葉に、室内にいる一同の瞳に希望の光が宿る。

「マジか。つーか先にそれを言えよ」

「兵器というと、ゲイルみたいな巨大メカとか?」

「銃火器じゃないでしょうか。あれなら非戦闘員でもクロイデルを破壊できますよ」

 様々な憶測が飛び交う中、エヴァーハルトは手を叩いて告げる。

「では、お披露目と説明を兼ねて、カミラ教団の地下研究室に場所を移そうか」

 エヴァーハルトは先導するべく執務室の出口へ向かう。

 その場にいたメンバーも立ち上がり、一同はカミラ教団へ向かうこととなった。

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