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天球のカラビナ  作者: イツロウ
07-覚醒者の選択-
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「まじかよ……」

 ありえない惨状を目の当たりにし、パイロは愕然としていた。

 上空からゲイルが襲い掛かってきたとき、真人に加勢するべく熱線を放ったのだが、全くダメージが通らなかったので戦闘の邪魔にならぬよう事の次第を見守っていた。

 当然真人が勝つと思っていた。すぐにゲイルを制圧して場を収めるものだと思っていた。

 しかしそうはならなかった。玲奈のほうが1枚も2枚も上手だった。

 真人に対する戦略・計画は完ぺきなものだった。

 あれほどの高密度のエネルギーを完ぺきに制御下に置くのは至難の業だ。

 むやみに突っ込んでいって重力制御ユニットに干渉しようものなら、すべての均衡が崩れて周囲一帯が焦土に……いや、まるごと消滅していただろう。

 玲奈を封じれば途中で止めることができたかもしれない。しかし残念ながら自分には対象を傷つけることなく無力化するだけの力量はない。

 何より玲奈から殺意が感じられなかったので油断していた。

 いや、今もクロトは意識混濁しつつも生きているのだが、まさか拘束されるとは夢にも思っていなかった。

 油断していたことは否めない。ただ、どんなに警戒していても対象を小型の核融合炉の中に閉じ込めるなどというぶっ飛んだ作戦に対処できるとは思えない。

 玲奈の作戦は完璧だ。

 クレアボヤンスやテレパシーで真人を視た感じ、あそこから救助できても即座に復帰するのは難しいだろう。

 既に意識は飛んでいるし、体も原型を留めていない。というより強い力で押しつぶされてゴルフボールサイズの球体に成り果てている。

 非常識にもほどがある。が、間違いなく生きている。

 なぜそこまで確信できるのか、それは真人の生体情報を常に監視モニタリングしているからだ。数年前の教訓を生かして強力なパスを通している。

 あの時、真人がゲイルからアンチDEED因子弾を受けた際。位置は問題なく把握できていたが、思考までは正確に把握できなかった。

 決して可愛い女の子を見た時の記憶を読み漁ったり、好みの女性を見つけたらその位置を特定してメモしたりだとか、決してそういう目的でモニタリングをしていたわけではない。決して。

 閑話休題

 とにかく、真人が生きていて、玲奈にも殺す意思がないと分かれば話は簡単だ。

 クロイデルプラントをぶち壊す。

 あれさえ壊せばDEEDの安全は保障され、さらに人類は労働力をDEEDに頼らざるを得なくなる。

 全くもって面倒極まりないが、真人に協力すると誓った手前後戻りできない。戦友を裏切るくらいなら死んだほうがマシだ。

 方針が決まったところで、差し当たっての目標は……

(逃げるしかねーよな)

 自慢ではないが、超能力をフル活用しても真人のような芸当はできない。少なくとも視認できる距離まで接近しないと無理だ。つまり、今すぐここを離脱してクロイデルプラントまで飛んでいくしかない。

 それに加えて律葉やティラミス、狩人の二人も連れて行かねばならない。

 律葉はともかく、他の3名は殺されかねない。いや、確実に殺される。

 4人を抱えての飛行。

 見逃してもらえるとは思えない。認識阻害術も機械のゲイルには効果がない。玲奈も厄介な兵器を作ってくれたものだ。

(どーすっか……)

 判断は早ければ早いほうがいい。玲奈は超がつくほどの天才には違いないが、戦場における判断速度や指揮のセンスはこちらに利がある。

 虚を突いて相手の態勢を崩し、その隙に離脱するのがいいだろう。単純ではあるが、だからこそ情報の共有も短くて済む。

(うし、やるか)

 作戦が決まると、パイロはその情報をある種の概念として圧縮し、各人にテレパシーを送る。携帯端末でいうところのインスタントメッセージというと分かりやすいだろうか。

 後は自分が先陣を切れば各々が作戦を実行してくれるはずだ。

 しかし、そんなパイロの思惑など関係なく真っ先に動いたメンバーがいた。

 クロトと同じDEED因子を持つ少女、ティラミスである。

 表情は険しく、歯ぎしりの音や唸り声は大型の猛獣のそれを彷彿とさせた。いつもの利発で愛らしい褐色の眼鏡少女の面影は全くない。怒りに任せて突進している。

 彼女は地面に密着するほどの前傾姿勢で駆けていく。武器は何もないが、彼女の桁外れの身体能力をもってすれば人間程度なら簡単に屠ることが可能だ。

 ティラミスの向かう先……そこにいたのはトキソだった。

 敵討ちしたいというティラミスの気持ちはわかる。だが、今はその時ではないし、彼女ではゲイルにもトキソにも一矢報いることさえできない。

 そんなパイロの予想は的中し、トキソまであと15mの距離でティラミスは勢いを失い、8m地点で糸の切れた人形のように体から力が抜け、5mの地点で完全に失速して前のめりに倒れた。

 ティラミスの体の自由を奪ったのは無色無臭の麻痺ガスだった。少しでも肺に入れば動けなくなる。力技でどうにかなる相手ではない。

 トキソは腰に提げたリボルバーを抜き、地面に伏しているティラミスに銃口を向けて撃鉄を起こす。

 そして間を置くことなく、眉一つ動かさずトリガーを引いた。

 火薬の炸裂音と共にティラミス目掛けて鉛弾が襲いかかる。狙いは正確で速度も申し分ない。しかしその弾はティラミスに届く前に蒸発して消滅した。

「何やってんだ!!」

 間に割って入ったのはパイロだった。

 これまでずっと鉛よりも頑丈なものを大量に焼いてきたのだ。ハンドガンの弾くらい簡単に燃やせる。とは言え、流石に文句を言わずにはいられなかった。

「おいおい、女の子に向かって躊躇なく発砲すんなよ」

「パイロ、お前にはコレが人間に見えるのか。驚きだな」

 トキソの稚拙な挑発に対し、パイロは正論を返す。

「この子が人間じゃないっていうなら、お前もおおよそ人間とはかけ離れた存在だぞトキソ……いや“毒ガス兵器”って呼んだほうがいいか?」

「……ッ」

 トキソは言い返さない。しかし、多大な不快感を受けているのが表情から読み取れた。

 出だしとしては悪くない。ティラミスが突っ込んでいったときは冷や冷やしたが、結果オーライである。

 あとはトキソの三半規管を軽く揺らして行動不能にし、ゲイルには玲奈の通信端末を経由して偽の信号を送って混乱させればいい。

 その隙に海中に逃げ込めば逃走成功である。

 それでもゲイルは単独で追跡してくる可能性がある。まずはその可能性をつぶそう。

(これ、苦手なんだよなあ)

 心の中でぼやきつつ、パイロはテレポーテーションを発動させる。

 行き先はもちろん玲奈の隣である。

 “いつでも主人に危害を加えることができるぞ”という意図を伝えるためだ。実際に手を出すつもりは無いが、ゲイルがそう思い込んでくれればそれでいい。

 パイロの瞬間移動は無事に成功し、半壊したコンテナ内でタブレット端末に目を落としている玲奈の隣に出現した。

 どんな反応をするのか期待していたパイロだったが、玲奈は異変に気付くことなくせわしなく指を動かしていた。

 真人を閉じ込めているあの炉と重力制御ユニットの調整作業を行っているのだろう。昔から集中すると周りが見えなくなるタイプではあるが、無警戒にもほどがある。

 このまま隣で横顔を眺めていても仕方がない。かと言って普通に声を掛けてもつまらない。

 尻でも触ってやろうか。

(流石におふざけが過ぎるか)

 触ったら触ったで別の意味で警戒されそうだ。それこそ地の果てまで追いかけられて痛めつけられるかもしれない。

 とはいえせっかく触れられる距離にいるのだし、頬をつつく程度にしておこう。これなら許される。

 次の行動を決めたパイロだったが、それが実行されることはなかった。

「――動くな」

 後方から聞こえたのは重圧感たっぷりの合成音声。同時に感じたのは明確な敵対心。

「遅かったじゃねーか、ゲイル」

 パイロの背後、コンテナ越しに巨大な日本刀の切っ先を後頭部に押し付けていたのはゲイルだった。

 金属の壁を貫通しているというのに音も振動すらも感じなかった。

 切れ味抜群の刀だけではこの状況は成立しない。精密度が高いアクチュエータと完ぺきな重力制御の賜物だ。

 刃紋は綺麗に波打っており、薄暗いコンテナ中でも強い存在感を放っていた。

「ん……? え?」

 流石の玲奈も異変に気付き、タブレット端末から視線をはがすと、くるりと半回転して周囲を見渡す。

 まず、知らぬ間に隣に出現していたパイロに驚き、続いてそのパイロに向かって伸びる大きな刀身に驚き、更にはコンテナ上部に空いた穴から覗き込んでいるゲイルに度肝を抜かれ、最終的に腰を抜かしてその場にへたり込んでしまった。

 想定よりも驚いてくれたようで満足だ。これで俺のテレポーテーションに警戒心を持ってくれたはずだ。

「玲奈、これ以上争えば死人が出る。俺は死人を出したくないし、お前も同じ考えのはずだ。だからほかの連中と一緒にここから離脱する。問題ないよな?」

 呆けていた玲奈だったが、ワンテンポ遅れながらもしっかりと応える。

「待って隼、もう対立する理由はないでしょ。人類のこと、真人のことを想うなら協力して」

「協力って、お前なあ……」

 ぶっちゃけ玲奈の論は正しい。

 ブレインメンバーを掌握し、クロイデルを人類復興のための労働力にするという代替案も用意し、唯一の対抗手段である真人も封じ込めた。労働力についてはDEED連中よりクロイデルのほうが何十倍も役に立つ。

 しかし、いくら正しくても、いくら効率的でも、他者の意見を封殺するのは暴君の手法だ。“一人も殺していない”と言っていたが、詭弁も甚だしい。

 あらかじめ決めたルールを破った時点でアウトなのだ。

 どれほど的外れで愚かなことをしているのか自覚させるべく、パイロは玲奈に問いかける。

「そのセリフ、律葉にも言えるのか?」

「それは……」

 玲奈の表情が曇る。真人にあんな仕打ちをしておいて、律葉が協力するとは思えない。

 この反応を見るに、一応良心は残っているようだ。それが確認できただけ良しとしよう。

 話し終えたところでパイロは玲奈の懐から携帯端末をテレキネシスで引き寄せキャッチし、画面を操作してゲイルに偽信号を送るようセットした。

 信号自体は複雑なものではない。しかし命令に従うようにプログラムされているゲイルはこの信号を無視できない。しばらく混乱してまともに動けなくなるはずだ。

「俺は協力できない。じゃあな」

 パイロは踵を返すと、コンテナ内から屋外へ……ティラミスがいた場所へテレポートする。

 まだ麻痺ガスの影響で動けないだろうし、問答無用で抱えて離脱しよう。

 大雑把に今後の行動を考えている間に目的地に到着したパイロだったが、運がいいのか悪いのか、トキソの真正面に出現してしまった。

 急に現れたパイロに驚き、トキソは思わず後ずさる。

(っと、まずはこいつを処理しねーとな)

 パイロは当初の予定通り、トキソの三半規管を麻痺させるべく彼女に手のひらを向ける。

 トキソも咄嗟にリボルバーを構えようとしたが、反応速度に天と地ほどの差があった。

 本人もそれを察してか、リボルバーから手を放して両手を挙げた。俗にいう降参のポーズだ。

 こちらの身の安全を考えるなら、彼女の意識を奪っておくべきだ。

 だがパイロは無抵抗の女性を気絶させる非道さを持ち合わせていなかった。

 恨みや怒りを感じているのは事実だが、どうしても彼らを“敵”として認識できない。 全く自分は呆れるほど優柔不断な男だ。1,000年以上戦い続けて勇猛果敢な男になれたと思っていたが、悲しいかな、これが現実である。

(……まあいいか)

 考えたところで仕方がない。考えること自体面倒だ。気張らずに行こう。

 パイロは素直にトキソの降参を受け入れ、傍らに転がっているティラミスを抱え上げる。

 律葉、カレン、エヴァーハルトも逃げる準備は整っているようで、それぞれがパイロに視線を向けていた。

 ようやくこの島からおさらばできる。

 パイロはテレキネシスで3人を空へ持ち上げ、自身もティラミスと一緒に海へ向けて飛翔する。……つもりだったが、早速出鼻をくじかれてしまった。

「そこから動くなパイロ。指示に従え」

 警告と共に姿を現したのは機械の巨人ゲイルだった。

 10秒くらいは動けないかと思っていたが、なかなか上手くいかないものだ。

 ゲイルは地表を滑るように高速で移動し、パイロ達の行く手を阻むべく立ちふさがった。 しかしパイロが止まることはなかった。

 こちらに律葉がいる以上、ゲイルは何も手出しできない。人間に危害を加えないようプログラムされているからだ。

 ――そのはずだった。

「止まれと言っている」

 その言葉の後、すぐにゲイルは重力制御にてパイロ達を強引に停止させた。

 問答無用の急制動。それは高速で走る車を壁に激突させる行為に等しく、強い衝撃がパイロ達に襲い掛かった。

「馬鹿かテメェ!!」

「やめなさいゲイル!!」

 パイロと玲奈の怒声が同時に響く。

 ゲイルは玲奈の命令に従いすぐに出力をカットし、パイロ達は体の自由を取り戻した。 パイロは4名と共にゆっくりと着地する。

 何故両者とも力の発動を止めたのか、理由は至極簡単だった。

「けほっ……う……ぐ」

 パイロの腕の中、体をくの字に曲げて呻いているのは律葉だった。

 表情は苦痛に歪み、診断するまでもなく体に多大なダメージを受けていることが分かる。

 どうして律葉がダメージを負ったのか。……それは彼女が“人間”だからである。

 パイロが飛行するために前方へ力を加えたのに対し、ゲイルはそれを止めるべく後方へ押さえつけた。感覚としては前後から同時に見えない壁に挟まれたと説明するのが適当だろう。

 パイロにとっては蚊に刺された程度の取るに足らない感触。

 しかし、普通の人類であれば十分死に至る衝撃なのだ。事実、律葉の口からは胃の内容物どころかどす黒い色の血まで吐き出されている。

 律葉は正真正銘のナチュラルヒューマンだ。改造を受けているわけでもない。体を鍛えているわけでもない。武術の心得もない。ごくごく普通の女性なのだ。

 ……あまりにも脆すぎる。

 いや、これが本来の人間の姿なのだ。

 軽率だった。配慮が足りなかった。優先順位を間違えた。逃げるのではなく白旗を上げるべきだった。安全を確保したうえで隙をついて自分だけ逃げればよかった。

 本当に自分が嫌になる。DEEDを殲滅して人類を救済した英雄だと思っていた。しかしその実はDEEDを皆殺しにしたただの兵器だ。いや、兵器にも劣る、好きな時に周りを巻き込んで勝手に爆発する不良品だ。

 ショックと自己嫌悪に苛まれながらも、パイロの体は合理的に動いていた。

 パイロは律葉を仰向けに寝かせると痛覚を共有し、透視と併用して体内の破損箇所を特定、止血していく。

 20秒と経たずに大体の処置を終えたが、未だ律葉は痛みと苦しさに悶えている。流石にこれ以上は医師に任せないと治せない。

「あとは私がやろう」

 そう言ってパイロの隣、律葉の頭上側に膝をついたのはトキソだった。

 パイロは一瞬身構えるも、彼女の所作や律葉に向けられる真剣な眼差しから敵意が全くないことを悟り、大人しくその場をトキソに譲った。

「フン……馬鹿な女だ」

 棘のある言葉とは裏腹に、トキソは律葉の頭を優しく抱え込む。

 一体何をするつもりなのか。パイロが考える間もなくトキソは律葉の唇を奪った。

 トキソの唇はすぐに血の朱に染まり、頬にも飛び散る。

「!?」

 流石の律葉も痛みよりも驚きが勝ったのか、目を開く。しかし反応したのはその一瞬だけで、あとは目を瞑ってされるがままになっていた。

 明らかに人工呼吸ではない。何を行っているのか理解不能だ。ただ、トキソの治療効果は劇的だった。

 トキソは口を覆ったまま、白い霧のような気体を律葉の体内へ流し込んでいく。どんどん律葉の胸部が膨らんでいき、とうとう傷口から白い霧が吹きだす。

 明らかに異様な光景だったが、律葉の表情は実に穏やかであり、痛みも和らいでいるのが理解できた。脳波も問題ない。

 先程の治療方法は心のアルバムにしっかりと焼き付けておこう。いろんな意味で役立ちそうだ。

 それはそれとして、後は軌道エレベーター内の医務室で精密検査、治療が必要だ。

 同行したいのも山々だが、あちらのテリトリーに入れば間違いなく逃げられなくなる。自由に行動できなくなる。それだけは避けたい。

 ……潮時だ。

 下手に戦闘すれば今度こそ玲奈か律葉、どちらかが死にかねない。今回は運がよかった。あの時トキソを気絶させていたら間違いなく律葉は死んでいた。

 もし律葉が死にでもしたら、真人がどうなるか分かったものではない。最悪の場合、惑星自体が破壊されていた可能性もある。

「ありがとうな。マジで」

 パイロは礼の意味も込めてトキソに頭を下げる。

「礼は不要だ。人を救うのは当然だろう」

 トキソは律葉に視線を向けたまま、ぶっきらぼうに応じた。

 お互い主張が異なっているだけで、本質的な部分“人類の存続”という点は同じだということだ。

 命は取り返せない。そんな当たり前の事を忘れていた自分が情けない。

 律葉はあちらに任せて今は退こう。頭の悪い俺には考える時間が必要だ。

 ひと段落ついたところでパイロは改めて他メンバーの安否を確認する。

 カレンは体に異常はないが、自身の理解を超える現象を目の当たりにして思考がぐちゃぐちゃになっていた。

 そんなカレンの肩に手を置き、落ち着かせようとしているのはエヴァーハルトだ。

 表情は険しいが、思考に乱れはない。この状況下で生き残るためには傍観に徹するのが最善策だと本能で理解しているようだ。流石はベテラン、賢明だ。

 ティラミスはその場にぺたんと座り込んでクロトが閉じ込められている球体をぼんやりと眺めていた。

「クロト様……律葉様……」

 放心状態とでもいえばいいのか。あまりのショックに目の前の現実を受け入れられないようで、頭の中は真っ白だった。

 間違いなくメンタルケアが必要だが、一応は無事だ。

 全員の状態を把握できたところで、次は玲奈と交渉だ。安全に離脱するためにも確約が欲しい。

 パイロはおもむろに立ち上がり、律葉とトキソから離れていく。そのままティラミスが座り込んでいる場所まで退くと、玲奈に告げた。

「俺たちはここから離れる。いいな?」

「……」

 返事はない。玲奈の視線は怪我を負った律葉に向けられていた。彼女も旧友の悲惨なさまを見て動揺しているのだろう。

「聞いてんのか、玲奈!!」

「あ……えぇ、聞こえてる」

「今度こそ邪魔するなよ」

「わかってる」

 了承を得たところで、パイロはティラミスを脇に抱えて脱出を試みる。が、ティラミス自身がそれを拒否した。

「私は大丈夫です。お二人を置いて逃げるなんてできません!」

 真人に律葉、この二人がティラミスにとってどれほど重要な存在なのか理解しているつもりだ。

 だからと言って、彼女をこの場に置いていく理由にはならない。

「バカかお前。毒殺されるか、両断されるか、どっちにしろ死ぬぞ」

「大丈夫ですから!!」

 よく見るとティラミスは自力で解毒したようで、眼鏡の奥、アメジストブルーの瞳には力が感じられた。

 ティラミスも真人と同じDEED因子を持っている。

 自分の戦闘力では真人の救出はもちろん、律葉を奪還するのも不可能だ。

 ならば、一縷の望みにかけてここに彼女を置いておくのは悪くない。

「わかったわかった。くれぐれも死ぬなよ」

「はい!!」

 見た目によらず、強い子だ。

 それ以降、パイロは何を言うでもなくカレン、エヴァーハルトを連れて島から離れていった。



 空を行くパイロを見上げつつ、玲奈はゲイルに問いかける。

「どうゲイル、追跡できそう?」

「玲奈様、その命令は実行不可能です」

「どうして? どこか不具合でも?」

「私の第一優先任務はあなたをお守りすることです……テレポートで急襲されても対応できるよう、お傍で待機させていただきます」

「そうよね……」

 律葉の怪我には肝を冷やしたが、不幸中の幸いというか保護することができた。

 隼も確実に抑えておきたかったが、唯一彼に対抗できるゲイルが頑なに動かないのでどうしようもない。

 そうこうしているうちに隼は高度を下げ、海の中へと潜ってしまった。ゲイルは海中でも活動可能だが、監視衛星によるサポートがなければ追跡は難しい。何より、返り討ちにされては元も子もない。

 それに追跡しなくても彼の行き先のおおよその見当はついている。

 クロイデルプラント。

 もし彼が真人の考えに賛同しているならクロイデルプラントのコントロールを掌握しに行くはずだ。

 プラントごと破壊する可能性も無いことはないが、流石の隼でも人類のデメリットになるような愚行はしないだろう。真人も2つあるクロイデルプラントのうち片方しか壊さなかった。クロイデルは抑止力としても労働力としてもこの上なく便利なツールなのだ。

 それに、あそこにはしっかりとした防衛機構が残っている。真人の前には紙切れ同然の防衛線だが、隼が突破するのは不可能ではないにしろ、かなりの時間と労力を要するはずだ。

「うーん……」

 隼自体の戦力はそこまで脅威ではない。単純な戦闘であればゲイルに軍配が上がる。恐ろしいのは不意打ちや読心術などの盤外戦術だ。

 実際、先ほどいきなり隣に現れたときは度肝を抜かれた。明らかに物理法則を無視しているようにみえるが、私がそう思えるほど高度な技術が行使されているのだろう。ゲイルが警戒するのも無理はない。

 真人は勿論のこと、隼の能力については謎が多い。

 体液と同化した「ネクタル」なる赤色の物質を触媒として超能力を発動している、と本人は言っているが、あまりにも曖昧すぎる。

 そもそも「ネクタル」自体について何も知らされておらず、素材も組成も製作方法も全くわからないらしい。

 採血された血液も調べてみたが、ごくごく普通の血液だった。全くもって理解不能だ。

 今は分からないことを考えるより、目の前の問題から片付けていこう。

 まずは律葉。

 彼女には悪いことをした。だが、怪我をする事態も想定していたので最小限のショックで済んだ。

 トキソが経口で律葉に流し込んだ物質は破損した細胞を修復する万能薬のようなもので、解凍作業中に瀕死状態になった病人に何度も使用している、実績のある薬だ。

 流石に今回のように口移しするケースはなかったが、今のところ回復率100%の万能薬である。すぐにでも目を覚ますだろう。トキソには本当に感謝だ。

 打って変わって怪我を負わせた張本人、ゲイルには2度と同じ事故を起こさないよう、注意……もとい、オートパイロットモードでの判断基準要素を再定義しておこう。

 義信号を遮断して自閉モードで動かしたが、好戦的なきらいがあるように思える。

 それでも直らない場合は基幹部分に手を加えることになる。この場合一度シャットダウンしなければならないので、できるだけ避けたいというのが本音だ。

 続いては、そんな律葉の傍らから離れようとしないティラミスだ。

 隼と一緒に逃げることもできたはずなのに、律葉を案じて残ることを選んだ。あわよくば真人を助けるつもりなのかもしれない。

(いや、それはないか……)

 記録を見る限りはとても利口な少女だ。律葉と真人の生殺与奪権がこちらにある限り大人しくしているだろう。軟禁は免れないが、納得してくれるはずだ。

 “DEEDの掃討が終われば真人を開放する”と約束すれば協力を得られるだろうし、律葉のメンタルケアにも役立つはずだ。

 最後に、この場において一番優先すべきは真人の移送である。

 拘束できたとは言え一時的なものだ。能力が未知数である以上、今の状態を“維持”することに努めねばならない。

 宙に浮かぶ球体の檻を見上げつつ、玲奈はゲイルとトキソに指示を出す。

「この簡易核融合炉も数時間しないうちに突破される可能性もあるわ。できるだけ早く軌道エレベーターまで運んで重力制御装置を固定、量子演算装置の設定を最適化しておきましょう」

「心配性だな。これだけの中性子線を浴びて動けるわけがない。先にこの怪我人とあの子供を軌道エレベーターに連れて行ったほうが……」

 トキソが言い終える前に、球体の核融合炉から音がした。

 それは何かを擦るような、紙の表面を爪先でなぞる程度の弱々しい音だった。が、音の強弱は問題ではない。何かしら音を発せられる事自体が問題であり異常なのだ。

「“動けるわけがない”?」

 玲奈の問いにトキソはため息で応じた。

「いや、なんでもない。具体的に何をすればいい」

 トキソは膝枕していた律葉を地面に寝かせ、立ち上がる。入れ替わるようにティラミスが律葉を抱え上げた。

 健気な少女を横目に玲奈はゲイルとトキソに命じる。

「ゲイル、重力制御装置を同期させて一括制御。炉を軌道エレベーターまで運ぶ準備をお願い。あとコンテナも」

 真人に天板に大穴をあけられ、ゲイルの刀で貫かれたコンテナだが、4人を運ぶには問題ない。

「了解」

 ゲイルは最低限の返答をし、球体の運搬準備に入る。

 ティラミスも察してくれたようで、律葉を抱えてコンテナの中に入ってくれた。本当に賢い子だ。

「トキソはトリチウムペレットを順次補充。ペースはこちらで指示するから」

「量的には十分投入したつもりだが……炉の耐久度は大丈夫か?」

「心配しなくても大丈夫。重力場は完璧にコントロールできてる」

 トキソは不安なのか、ペレットを手にしたまま質問を重ねる。

「爆発による衝撃波を押し込めるだけでも相当なエネルギーを消費していると思うが、どこからエネルギーを供給しているんだ?」

 トキソの素朴な疑問に対し、玲奈は人差し指を天に向ける。

「ソーラーパネルで発電した電力エネルギー2,000年分。それが軌道エレベーターのシャフト中腹のバッテリに貯められてるのよ」

「バッテリー? かなり劣化しているんじゃないか?」

「そのあたりは大丈夫。軌道エレベーターを建造した際に半永久的な運用を見越して九輪無限非接触式内転型フライホイールバッテリを使ってるわ。電気エネルギーを回転運動に変換して保存してるってわけ。無重力で空気による摩擦もないからうってつけだったんでしょうね」

 膨大な電気エネルギー。それが私たちの武器だ。

 先人たち技術者には感謝してもしきれない。

「で、一体どのくらい溜め込んでるんだ?」

 玲奈は即答する。

「現時点でだいたい2.2かける10の22乗ジュール」

「桁数が多すぎて理解が追いつかない。わかりやすく言ってくれないか」

 確かに今の答えは不親切だった。理解しやすいように他の何かに例えるべきだろう。

 玲奈は「そうね……」と頭の中でいろいろと計算し、爆弾で例える。

「米軍がビキニ環礁の核実験で使用した水素爆弾、あれを1年間、1分間隔で爆発させられるくらいのエネルギー……って言ったらわかるかしら」

「……それは、すごいな」

 途方もない数値にトキソは仰天していた。

「予想以上で驚いた。被爆がどうとか、そんなレベルの話じゃない。捕獲だの拘束だの言っていたが、このままだと死ぬんじゃないか」

 トキソの言う通り、真人は現在進行形で熱エネルギーに加えて相当量の中性子線も浴びている。DNAも甚大なダメージを受けているはずだ。

 数分経った今でも生きているのが不思議なくらいだ。

 トキソはクロトの生存能力の高さに怖気を感じていたが、玲奈は特に驚くでもなく淡々と話し続ける。

「まあ、核弾頭ミサイルを湯水の如く撃ち込んでも傷一つ付けられなかったあのDEEDを素手で破壊できるのだから、この程度じゃ死なないでしょ」

「適当な……」

「信頼してるのよ」

 現に彼は存在している。重力制御ユニットが彼を捕捉しているのがその証拠だ。あの過酷な炉の中で“個体”の状態を保っている。

 玲奈は改めてタブレット端末の画面に表示されているステータスを確認する。

「今現在の出力は1秒あたり2,830テラジュールくらいだから……変換効率も加味すると90日とちょっとくらいは保ちそうね」

「90日……短いな」

「同感。今はDEEDを一掃することに専念しましょう」

 この90日という数字も確かなものではない。できるだけ早く行動したほうがいい。

「さ、おしゃべりは終わり。早く軌道エレベーターに移動しましょ」

「そうだな」

 ちょっと長話が過ぎたかもしれない。しかし、隼のテレパシー能力を警戒して事前に情報を共有できていなかったので、このタイミングで概要を教えられてよかったのかもしれない。

「ゲイル、準備できた?」

「問題ありません。いつでも移動可能です」

 コンテナ内には律葉とティラミスを確認できた。ティラミスは未だ意識が戻らない律葉をしっかりホールドし、隅っこに陣取っていた。

 玲奈とトキソもコンテナ内へ乗り込む。そして出発を促すようにコンテナの内壁をコンコンとノックした。

 合図を受けたゲイルは重力制御ユニットの出力を上げ、コンテナと球体炉を空へ持ち上げていく。炉に異常は見られないが、道中は常に異常がないかチェックしていたほうがいいだろう。

 浮遊感を感じつつ、玲奈は今後について考える。

 ネックになるのは狩人と呼ばれる戦闘能力の高いDEEDの個体だ。

 速やかに優先的に排除していきたいのだが、これがなかなか難しい。

 トキソは真人の監視とトリチウムの生成、そして冷凍睡眠から目覚める人々のケアのため軌道エレベーターから離れられない。

 ゲイルも先程の様子だと軌道エレベーターの護衛を優先し、積極的に打って出ることはない。そもそも隼がいなくなった今、この場所を守ることができるのはゲイル以外にいない。

 その隼がどう動くかも問題だ。

 ああ見えて索敵能力、危険察知能力に長けた超能力者である。妨害されるととても困る。

(どうしたものか……)

 思案を巡らせていると、予想外の人物から想定外の質問が飛んできた。

「――玲奈さんはDEEDが憎いですか?」

 コンテナ内部に幼い少女の柔らかな声が響く。

 声の発生源はコンテナの隅、律葉を抱えているティラミスだった。律葉が起きるまでだんまりを決め込むかと思っていたが、向こうから話しかけてくるのは意外だった。

 それにしても可愛らしい少女だ。

 身長は140cmより少し高いくらいだろうか。張りのある浅黒い肌に紺色のショートカット。外見からは幼い印象を受けるが、ひびが入った眼鏡の向こうには知的さを感じさせるアメジストの瞳が確認できる。

 オーバーサイズの白いパーカーの裾からは細いながらも健康的で引き締まった脚が2本伸び出ており、それに加えて恐竜や大型爬虫類を連想させるような黒くて硬質な尾が顔をのぞかせていた。

 律葉が溺愛するのも頷ける愛らしさだ。一通り観察したのち、玲奈は質問に応じる。

「ええ、憎いわ。皆殺しにしたいほどにね」

「私にもそのDEEDの血が流れています。私も殺しますか……?」

「それは大人の都合で組み込まれたものでしょう。殺さないから安心していいわ」

 自身の安否が心配なのか。そう思っていた玲奈だったが、実際は全く違っていた。

「今地上で生きている彼らも望んでDEED因子を持っているわけではないです。考え方は人間と同じですし、外見だって人間そのものです。今からでも遅くありません。今一度考え直してはもらえませんか」

 こんな状況にも関わらず説得してくるとは、怖いもの知らずにも程がある。

 今更何を言われても自分の考えを曲げるつもりは無いし、彼女の主張を頭ごなしに否定するつもりもなかった。

 玲奈は改めて決意表明する。

「外見も考え方も似ているのは認めるわ。でも、人類はDEEDと比べてあまりにも脆弱。それこそ、あの狩人とかいう連中の手にかかれば一瞬で鏖殺されてしまうわ」

 人類と彼らの身体的能力差は今目の前にいる律葉を見れば一目瞭然だ。

「そうならないよう、危険物は徹底的に排除する。……それが人類5万人の命を預かっている者としての責任よ」

 大見得を切ったはいいものの、大陸からDEEDを一匹残らず消し去るまでどのくらい時間がかかるだろうか。

 タイムリミットは90日しかない。これを過ぎると真人を拘束できなくなる。

 別方向からのアプローチが必要なのかもしれない。

 軌道エレベーターに向かうコンテナに揺られつつ、頭を抱える玲奈だった。

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