013 吊り橋の戦い
人を襲う魔物、ディードが蔓延る異世界
雪山で倒れていたクロトは金髪の少女ミソラに命を救われ、彼女の父親のイワンと共に緑豊かな村で暮らしていた。
ところがある日、ミソラが病に伏し、高価な薬を手に入れるべくクロトは自ら奴隷商に身売りする。そんなクロトを買ったのは狂槍と呼ばれる狩人、リリサだった。クロトが所持していた黒いブレスレットはリリサの父親の物であり、クロトはリリサの父親探しを手伝わされることになる。
手掛かりを得るべくリリサとクロトは雪山を散策し、そこでクロトは遠い空に浮かぶ軌道エレベーター『カラビナ』を見つける。そして、それが自分の記憶を取り戻す手掛かりになると判断し、カラビナを目指すことを決意する。
クロトはウィルソン家のミソラとイワンに別れを告げ、軌道エレベーターを目指してリリサと共に西の街『ケナン』へ向かう。
二人は無事にケナンを通過することができるのだろうか。
013
アイバールを出発してから10日経った。
ケナンまではそれなりに整備された街道があり、二人は馬車に揺られながら変わり映えのないその道をひたすら西に向けて進んでいた。
街道の左右は木が生い茂っており、見通しは悪い。が、道幅は十分にあり、旅をするのには困らなかった。
始めは肌寒かったが、西に向かうにつれてどんどん暖かくなり、クロトは二日目には毛皮の服を脱いでいた。
今は長袖の白いシャツに黒いスラックス、そしてタクティカルブーツを履いている。
これらは全て猟友会のアイバール支部から持ってきた狩人の戦闘服らしく、シャツやスラックスは通常よりも厚い素材でできており、肩やベルトの金具部分には猟友会の紋章が刻印されている。
本格的な革のグローブも手に付けており、クロトは狩人という自覚を少しだけ持つようになっていた。
リリサも昨日まではローブを身に纏っていたが、今朝からはローブは馬車の中に置いて肘丈のシャツを着ていた。サイズはピッタリで、彼女のスレンダーなボディラインがよく観察できた。
下半身は相変わらずショートパンツにロングブーツだ。足は長く、かと言って細いわけでもなく、カモシカの足を連想させた。
白く長い髪は神秘的で、琥珀の瞳は綺麗な輝きを放っている。
間違いなく彼女は美人だ。……が、彼女の放つ戦士の雰囲気が、少しキツめの性格が、美女よりも優秀な狩人というイメージを強調させていた。
「……これでおわり?」
リリサは現在長い髪を後頭部で纏めており、街道に立っていた。
手には長槍が握られ穂先は黒い血にまみれている。
「もっといたけれど、半分は逃げちゃったみたいだね」
クロトも馬車から降りており、両手で黒の刀を握っていた。
街道には狼のような外見をしたディードの死骸が6体ほど転がっていた。
「よいしょ……っと」
クロトはその内の1頭から刀を抜き、勢い余って後方によろめく。
そのまま尻もちをつきそうになるも、クロトは辛うじてバランスを取り、刀を鞘に収めた。
リリサは穂先をビュッと振り、黒い血を一振りで振り払う。
そしてディードの死骸を足蹴にし、馬車まで移動させていく。
本来なら街道沿いにでも捨てて行きたいが、ディードは皮、骨、血、全てが金になる。
死体のままだと重いし臭くなるので簡単に解体する必要があるが、ケナンの支部に持っていけば旅の資金となるだろう。
クロトも恐る恐るディードの死骸を移動させつつ、リリサに話しかける。
「それにしても結構出てくるね、ディード」
「そうね。ざっと40匹は狩れたわね……そろそろ慣れてきたんじゃない?」
「うん、と言うより、体が動き方を思い出してきたような感じかな……」
ケナンへの道の途中、二人は何度もディードと遭遇し、その度に戦闘し、ディードを狩っていた。
最初は少し怖かったが、それでもあの超大型ディードほどではなく、一匹目を刺し殺してからはそれほど恐怖を感じなくなった。
40匹のうち30匹以上はリリサが殺しているが、それでも自分も10匹近くのディードを退治できている。
少しではあるが、狩人として成長できている実感はあった。
馬車に戻りつつ、クロトは何気ない疑問をリリサに投げかける。
「それにしても、こんなんじゃ普通の人達は大変なんじゃない?」
街道だというのにこんなにもディードが出てくるとなると、普通の人は襲われて殺されてしまう。移動の度に狩人や用心棒を雇っているのだろうか。
そんな予想はリリサの一言に一蹴された。
「何言ってるの? 普通の人は南側の街道を通ってるから安全よ」
「……ん?」
「私達が通ってるのは北側の街道、少し危険だけれど南よりも3日以上時間短縮ができるから、狩人達はみんなこっちを使ってるのよ」
「初めて聞いたよ……」
道理でディードがわんさか出てくるわけだ。
リリサも馬車に乗り込み、クロトの肩を叩く。
「いいじゃない。カラビナを目指すとなればもっと強いディードと戦うこともあるかもしれないし、今のうちから訓練しておいて損はないと思うわ」
「まあ、確かにそうだけど……」
狩りの経験を積み強くなることは悪いことではない。
クロトは自分を無理やり納得させ、先へ進むことにした。
馬車が動き出すと、リリサは長槍を脇に置いてクロトとの距離を詰める。
「……で、何か思い出した?」
「それ、戦いの後に毎回聞いてくるけれど……今回もなんにも思い出せなかったよ」
「……」
リリサはクロトを暫く睨んだ後、重い溜息をついた。
「はあ……あんた、戦いの技術は毎回のように向上しているのに、記憶が戻らないってどういうことよ」
「そんなこと言われたって、思い出せないものは思い出せないんだから仕方ないだろう……って、まさか記憶を呼び覚ますためにわざとディードが出やすい北の街道を選んだんじゃ……」
「……な、何言ってるの? さっき言った通り近道だからに決まってるでしょ?」
あからさまな嘘に辟易しつつ、クロトは改めて自分の記憶について考える。
超大型ディードと戦った後、自分は2日間気を失っていた。
その間に夢を見た。あれは間違いなく日本での過去の記憶だった。が、あれ以降は夢を見ることはあっても過去の記憶を思い出すことはなかった。
そもそも、軌道エレベーターに到着した所で記憶が戻る可能性は低いし、手掛かりも何も残っていないかもしれない。
やはり、一番現実的な方法はリリサの父親を探しだすことだ。彼なら僕のことを知っているはずだし、過去のことも教えてくれるかもしれない。
「ねえクロ」
リリサに呼ばれ、クロトは視線を右に向ける。
リリサは顎に手を当て、首を傾げてこちらを覗き込んでいた。白の長髪は重力に引かれ、まっすぐ下に流れ落ち、太ももに当たって広がっていた。
また、若干前屈みになっているせいか、シャツの隙間から鎖骨も見え隠れしていた。
八重歯をチラつかせながらリリサは言葉を続ける。
「あんたは、記憶を取り戻したいのよね?」
「その通りだよ。記憶が戻ればリリサの父親のこともわかるかもしれない。……だから一緒に旅に出ることにしたんだろう?」
今更な質問である。
クロトの目的は記憶を取り戻すこと。そしてリリサの目的は父親を探すこと。
クロトはリリサの父親から自分の過去を聞けるかもしれないと考えているし、リリサはクロトが向かう先に自分の父がいるかも知れないと思い、また、クロトの記憶が戻れば父親の居場所がすぐに分かるかもしれないと考え、同行している。
リリサは顎から手を離し、今度は鼻の頭をトントンと叩き出す。
「……記憶を取り戻したいなら、カラビナに行く前に『カミラ教団』に頼ってみるのもいいかもしれないわ」
新しい組織名を聞き、クロトは即座に応じる。
「『カミラ』……? 詳しく聞いても?」
リリサは「いいわよ」と前置きし、本格的に説明に入る。
「カミラ教団……いわゆる国の天才たちが集まる研究機関みたいな組織ね。猟友会の育成校は戦闘訓練がほとんどなんだけれど、一応頭も鍛えるって意味でカミラ教団から数学や歴史も教えられていたの」
「へえ……」
よくよく考えてみると文字こそ見たことない形だが、数字は10進数だし、時間も60進数と24進数の組み合わせだし、距離や重さの単位も似ている。
今まではあまり意識していなかったが、自分がいた世界でも神話に共通点があったり、数字や言葉の概念にも多くの共通項があったと習った記憶がある。
4大文明でもある程度の共通点があったのだ。この異世界でも共通するものがあっても不思議ではない。
というか、そもそも人間の形や犬や牛や馬といった殆どの動物が自分がいた世界と寸分違わぬ姿で存在しているのだ。共通点が沢山あって当然である。
クロトが一人考察している間にも、リリサは得意げに説明し続ける。
「言葉や数字、この世界に住んでいる人間はみんなカミラ教の影響を受けているし、それが基本になってるわ。数百年前まではバラバラだった言葉が統一されたのも、彼らの功績なのよ?」
「そんなに昔から存在してるのか……」
「そう。セントレアが諸国をまとめ上げて首都として機能するようになったのも、カミラ教団が本拠地をそこに置いたからって説もあるくらい、教団の影響力は強いのよ」
なるほど、宗教色は薄そうだが、数百年も続いているとなると組織力は抜群のようだ。
色々と気になったクロトはリリサに質問する。
「で、その教団の成り立ちは?」
「……そこまでは習ってないわ」
「習ってないって……創始者の名前とか、一番最初に習いそうなものだと思うけど」
「知らないんだから仕方ないでしょ」
「……」
何だかんだで秘密の多そうな組織だ。
リリサは話を終わらせたかったのか、話題を変える。
「……おっ、見えてきたわよ」
リリサは前方を指差す。
その先、盆地となった場所に沢山の建物の影を確認できた。
背の低い山に囲まれたその場所は川が通っており、その先には海も確認できた。
「あそこで補給と休息をとって、さっさとセントレアに行きましょ。カミラ教団はもちろん、猟友会の本部にも行くわよ」
「本部に?」
「ええ、カラビナに向かうとなれば禁猟区に入ることになるでしょうし、そうなるとクロを正式に狩人に登録させておいたほうが色々と便利だもの」
「狩人か……」
何かテストでもあるのだろうか。まあ、中型のディードならタイマンで勝てるようにはなったし、下っ端の狩人にはなれそうだ。
暫く進むと北の街道と南の街道の合流地点が見えてきた。これでもうディードに襲われる危険もないだろう。
二人は馬車を進ませケナンへと向かう。
そのまま数十分ほど何事も無く進んでいると、前方に馬車が見えてきた。
馬車は止まっているようで、その数は5台にも及んでいた。
見た感じ商人だろうか。彼らは馬車から降りて前方を眺めていた。
なぜ立ち往生しているのだろうか……
ある程度まで近づくとリリサは馬車から華麗に飛び降り、彼らに声をかける。
「どうしたの?」
リリサの声に反応し、商人たちは振り返る。
彼らはほぼ全員が困り顔を浮かべていた。
「どうしたもこうしたも……昨日の大雨で橋が崩れちまって……」
「橋……?」
クロトは馬車の上に立ち、前方を観察する。すると、幅のある川が見えた。
陸部分には石橋の残骸が辛うじて残っている状態で、本体の姿は見当たらなかった。
(そういえば、一昨日はすごかったからなあ……)
一昨日は雨のせいで禄に進むことができなかった。飛んできた小枝のせいで幌も破れ、荷物の一部が濡れてしまったほどだ。
一日も陽の光を浴びるとすっかり乾いたのですっかり忘れていたが、まさか橋を壊しているとは思わなかった。
かなり増水しているようで、泳いで渡るわけにもいかなそうだ。
「迂回するしかなさそうね……」
そう言うリリサの視線は北側……山奥に向けられていた。
クロトは馬車から降り、リリサの隣に立つ。
「迂回って、あっちに通れる道があるのか?」
「ええ、あっちの橋はかなり高い場所に設置されてる上に距離も短いから大丈夫なはずよ。2時間もあれば向こう岸に行けるでしょ」
楽観的なリリサの言葉に反応したのは一人の若い商人だった。
「おいおい嬢ちゃん達、迂回するのはやめといたほうがいい」
「どうしてです?」
クロトが聞くと、若い商人は事情を話し始めた。
「あっちはディードの縄張りがあるって話だ。これまでに何人も奴らに殺されてる。……死ぬ危険を冒してまで急ぐことはないと思うぞ。橋の復旧まで長くて5日……気長に待っていたほうがいい」
商人の親切な言葉に、リリサはぶっきらぼうに応じる。
「ご心配どうも。でも私達狩人なの。この辺りのディードの駆除なんて楽チンよ」
リリサは自慢気に長槍を回し、地面をコンコンと突く。
すると、その姿を見た中年の商人が話に割って入ってきた。
「……そりゃあいい。我々もあんたらに同行しても構わんか?」
「用心棒として雇うってことかしら? ……別に私は構わないけれど、100%無事だって保証はないわよ?」
「問題無いだろ。なにせあんたは“狂槍のアッドネス”みたいだからな」
「なんだ、知ってたのね」
中年の商人はリリサの髪と槍を交互に指差す。
「槍使いの白髮の狩人。……結構あんた有名だよ?」
「それはどうも」
話は纏まったみたいだ。
リリサはクロトの腕を掴みながら中年の商人に指示を出す。
「私とこの黒髪が歩きながら周囲を警戒するわ。だから誰か私達の馬車をお願いね」
「任せといてくれ。……おい、誰か、アッドネス嬢の馬車を動かして差し上げろ」
若い商人は指示に従い、クロトとリリサの馬車の御者台に乗り、鞭をにぎる。
他の商人もそれぞれの馬車に乗り込み、数分と経たずに移動の準備が整った。
この時になってようやくリリサはクロトに指示を出す。
「クロ、あんたが先頭よ」
「え? 先導はリリサのほうが……」
クロトの反論を、リリサはすぐに押さえつける。
「こういう場合、一番強い狩人が一番後ろを守るのよ。大丈夫、あのディードを倒したあんたなら小型や中型のディードくらい問題なく狩れるわよ」
「大丈夫かなあ」
登山でもリーダーが一番後ろを、サブリーダーが一番前を歩くらしいし、理屈としては正しいのだろう。それに、リリサは手練の狩人だ。ここはリリサの指示に従っておこう。
クロトは不安を覚えつつも北に、傾斜のある山道に向かって歩いて行く。
ある程度進むとクロトは振り返る。
後ろには計6台の馬車が縦に並んでおり、御者台の商人はみんな少し不安げな表情を浮かべ、きょろきょろと周囲を見ていた。
その更に背後には長槍を持ったリリサの姿が見えた。
リリサは長槍を上下に動かしてなにかジェスチャーをしていた。
……さっさと進めということなのだろう。
クロトは腰に携えた刀の柄を軽く触りつつ、前に進むことにした。
……進むこと60分。
一行は上流の橋に到着した。
橋は崖と崖同士を結ぶ吊り橋で、長さは30mほどだった。
そして、その橋の目下50mには大雨で増水した川の濁流が確認できた。
流れも激しい。落ちてしまうと命はないだろう。
「ようやく折り返しか。何も出てこなければいいんだが……」
御者台に乗った中年の商人は出発してからずっと周囲を警戒しており、今も右側にある森林地帯に目を向けていた。
「……」
クロトも同じく森に目を向ける。
……先程から気配は感じている。
ここがディードの縄張りだという話は本当なのだろう。が、何故か彼らは襲ってこない。
機を窺っているのか、単に見張っているのか。
不安を覚えつつも、クロトは橋の上を歩き出す。
馬車もクロトの後に続き橋の上を進んでいく。
6台の馬車は何事も無く橋の上を進む。少し揺れるが、強度に問題はなさそうだった。
やがて一台目が橋を渡り切る……と、同時に後方から声が上がった。
「……ディードだ!!」
「!!」
若い商人の声に反応し、クロトは列の後ろに目を向ける。すると、森の中から黒いディードの群れが雪崩のように出現していた。
群れは塊となって橋の上の後方の馬車に襲いかかる。
しかし、リリサが素早く反応し、長槍の一振りで群れを追い払った。
が、ディードの群れは森に戻ることなく、リリサと相対していた。
「リリサ!!」
クロトはリリサを援護すべく列の先頭から後方へ向かおうとする。
しかし、前方から出現した黒い影がそれを許してくれなかった。
「ッ!!」
先頭の馬車を狙って飛び出てきたのは全身真っ黒の大型のディードだった。
クロトは咄嗟に刀を抜き、大型のディードの突進を防ぐ。
ディードは危険を感じたのか、背後に跳んで距離を取った。
この時、クロトは改めてディードの姿を確認した。
(大きい……)
第一印象は“熊”だった。
真黒な体は筋肉で盛り上がっており、手には鋭い爪が見え、腕も丸太と見紛うほど太い。体型は熊と似ているが、それに加えて強靭な筋肉と分厚い毛皮を身に纏っている、戦うためだけに生まれてきたような、そんなディードだった。
大型ディードは次々と森の木陰から姿を現し、クロトの前に立ちふさがる。
……数にして8頭
どれも大きさにばらつきはあるが、基本的な体型は一緒だった。
……これは一人では無理だ。
しかし、後方で戦っているリリサに頼るわけにはいかなかった。
(挟み撃ちか……)
ディードの群れは馬車が橋を渡るこのタイミングを狙っていたのだろう。
これでは後退もできないし前進して振り切ることも難しい。
やはりディードは頭がいい化物だ。
(って、感心している場合じゃないな……)
後方を見ると、既にリリサとディードとの戦闘が始まっていた。
「クロト!! そっち任せたわよ!!」
リリサは叫びながら長槍でディードを殺していく。
後方からの数のほうが多く、黒い群れが津波のように押し寄せており、余裕が無いのはすぐに解った。
あちらに比べれば、こちらの8頭はまだマシかもしれない。
「……おい兄ちゃん、大丈夫なんだろうな?」
中年の商人の言葉に対し、クロトは冷静に応じる。
「とりあえず馬車の中に。絶対に外に出ないでくださいね」
商人たちが馬車の中に隠れたのを確認すると、クロトは橋を背に、刀を構える。
ディード8頭はそれぞれがアイコンタクトを取り、扇状に広がっていく。
完全に連携を意識した位置取りだった。
……これがディードがディードたる所以だ。
ただの獣であれば獲物を見つければすぐに襲い掛かってくるだろうが、彼らは賢い。連携を取り合い、被害を最小限に、効率的に人間を狩ろうとしている。
……まず1頭が飛びかかってきた。
重量感たっぷりの突進。
ディードは接触する寸前で右腕を振り上げ、するどいツメでのひっかき攻撃を行う。
「わわっ……」
体重が乗ったそれを、クロトは刀で受け止めた。
きぃんと鋭い音が響き、続いて腕に衝撃を感じた。
このままだと押し切られる。
そう判断したクロトは刃を斜めにしてディードの攻撃を受け流し、返す刃で手首あたりを斬りつけた。
少しでもダメージを与えられればいいな……程度の気持ちで振った刀だったが、その切れ味は抜群だった。
ディードの手首から先は綺麗にスパっと切断され、暫く宙を舞った後地面に落ちた。
ディードは唸り声を上げ、後退する。
ピクピクと動く手を見て、クロトの中にある感情が芽生えた。
(あれ、もしかして僕って……)
――結構強いのではなかろうか。
ここ数日間、狼型のディードと戦っただけで戦闘経験はほぼないに等しいが、どういうことか体が戦い方を知っている。覚えている。
多分自分はリリサの言うとおり一流の狩人だったのだろう。
そう思うと、今まで感じていた不安が消え去り、心の底から自信が湧いてきた。
(……やれる!!)
クロトは後退する熊型ディード目掛けてダッシュし、急接近する。
向こうはこの突進を予想していなかったのか、おまけに片手を失ったこともあり動揺して転んでしまう。
そんなチャンスを逃すわけもなく、クロトはディードの頭部めがけて刀を突き刺した。
強固な骨でできた刀はいとも容易く熊型ディードの頭蓋を貫通し、一瞬で敵を死に至らしめた。
クロトはディードの胸部の上で立ち上がり、刀を抜く。
すると黒い血が頭部から吹き出し、クロトの服の一部を黒に染めた。
残り7頭。
彼らはクロトの力量を早々に悟ってか、一斉に襲いかかってきた。
この時、クロトは冷静に7頭の動きを目で追っていた。先行しているのは比較的細身の2頭、その後に続いて普通の体型のモノが4頭、更に背後には一際巨大な1頭が控えていた。
クロトはディードの体から降り、刀を脇に構えて彼らに接近していく。
雨を吸って地面は粘度が高かったが、クロトにとってその程度の条件は問題なかった。
(来る……!!)
まずは先行していた2頭が泥水を豪快に散らせながら飛びかかってきた。
攻撃はほぼ同時、鋭い爪を用いた左右からの連携攻撃だった。
「遅い!!」
クロトは叫び、爪を掻い潜るように右側のディードの懐に飛び込む。
そして、むやみに刃を突き出さず、十分に時間を掛けて胸部に狙いを定め、刃を寝かせて力いっぱい突き出した。
寝かせた刃は肋骨の間をすり抜け、容易に内蔵に達する。
そのまま分厚い体を突き抜け、切っ先は背中から頭を覗かせた。
クロトは突き刺す速度よりも速く刃を抜き去り、前転してその場から逃れる。
右側のディードは空中で絶命し、黒い血を口から吐いて地面に崩れ落ちた。
初撃を回避されたもう一体の熊型ディードは急制動を掛け、凶悪な顎を開き、追い打ちをかけるように鋭い牙をクロトに向けた。
クロトは無理に立ち向かわず、その場で刀を腰に構えて相手の攻撃を待つ。
ディードは口をぐわっと広げ、残像が残るほどの速度でクロトに噛み付いてきた。
普通の人間なら一瞬で絶命するであろう、凶悪な噛み砕き……
しかしクロトはこの攻撃も見事に対処してみせた。
クロトは相手よりも更に速く刃を振り、腔内に刃を差し入れる。そして、そのまま刃を真横に振りぬき、噛むために必要な顎の筋肉を強引に切断した。
ディードはクロトの体を腔内に収め、口を閉じる。しかし、筋肉を切断されたせいで噛む力はほぼゼロに近く、クロトに全くダメージを与えられなかった。
クロトはディードに甘噛されつつも、再度刀を振るう。
この斬撃でクロトは内部から敵の首を切り落とし、2頭のディードを完全に殺した。
この光景を見てか、後に続く5頭のディードの足並みが崩れる。
及び腰になっている個体も見られた。
このまま逃げてくれたらこちらとしては楽なのだが、そうもいかないようだった。
後方に控えていた巨大なディードの咆哮により4頭は走る速度を上げ、クロトに飛びかかってきた。
相変わらず芸の無い、爪によるひっかき攻撃。
始め受けた時はリーチの長さに加えて衝撃の重さにたじろいだが、こう何度も受けると慣れてくるものだ。
クロトは1頭目の攻撃を刀で受けることなく紙一重で回避し、側面に回り込む。
そして、腕の付け根、脇腹の中腹あたりを狙って刃を突き出した。
狙いは心臓だ。
ディードの臓器の位置は嫌というほど知っている。これも10日もの間、アイバール支部の地下で解体作業をやったおかげだ。
心臓を貫かれたディードは瞬時に体を弛緩させ、頭から地面にぶつかり、慣性のまま滑っていく。
そんな1頭目を見届けることなく、クロトは2頭目の攻撃に対処する。
2頭目は背後から突進してきていた。大きく口を開けており、完全にこちらの体に噛みつくつもりのようだった。
クロトは考える暇もなく跳び上がり、宙で反転した。
……天地が逆さまになる。
2頭目はクロトの真下をくぐり抜けていく。その2頭目の頭部めがけてクロトは刀を突き下ろした。
結果、刃は脳天を貫き、上顎と下顎を貫通して地面に深く突き刺さる。
この攻撃で内圧が急激に上昇したのか、ディードの眼窩から黒い血と共に眼球が飛び出し、グロテスクな顔面を周囲に晒した。
クロトは着地と同時に刀を引き抜き、残りのディードの位置を確認する。
残り2頭は既に退散しており、巨体のディードの隣で身を震わせていた。
アレではもう攻撃してこないだろう。こちらとしても無理に敵を殺すつもりはない。
このまま森のなかに消えてくれないだろうか……
そんな願いはやはり届かなかった。
「――ッ!!」
巨体の熊型ディードは威嚇のためか、それとも奮起のためか、一際大きな雄叫びを上げる。
退く気はないようだ。……ならば戦うまでだ。
巨体の熊型ディードは4本の脚で地面を蹴り、こちら目掛けて一直線に突進してくる。
大型トラックが迫ってきてもこれほどの迫力はないだろう。加えて言うなら、ディードの方がトラックよりもぶつかった時の衝撃は強そうだった。
これと真正面からやり合うのは得策ではない。
クロトは早い段階から弧を描くように走りだし、ディードの背後に回りこむべく駆ける。
しかし、相手はタイヤの付いたトラックではなく、小回りの効く獣だ。
その巨体にもかかわらず、相手はクロト目掛けて進路を修正してきた。
このままだと押し潰される。
そう判断したクロトは回りこむ作戦を一時諦め、距離を取ることにした。
クロトはその場で進行方向を変更、道を外れて木の生い茂る森へと向かう。
ディードも当然ながら森へ進路を変え、クロトを押しつぶすべく更に速度を上げる。
いよいよ二人の距離がゼロになろうとした瞬間、クロトは木の幹を蹴って真上に跳び上がり、頂点に達した所で刃を幹に突き刺した。
ディードも同じように木を駆け上るも、あと一歩の所でクロトに届かず、空中で体を捻って地面に着地した。
その振動は凄まじく、大量の木の葉が地面にはらはらと舞い落ちた。
「ふう……」
クロトは改めて枝に脚を引っ掛けて木の上に登る。そして刃を幹から抜いた。
木に登ったはいいものの、ここからどうしたものか……
巨体の熊型ディードもどうしていいか悩んでいるのか、木の真下あたりをうろうろしたいた。
が、その時間も数秒足らずだった。
熊型ディードは一旦木から距離を取ると、助走を付けて再度木を目掛けて走ってくる。
(まさか……)
クロトは嫌な予感を感じ、その予感は的中した。
ディードは木の手前で踏み切ると、先程とは比べ物にならないほどの大ジャンプを見せたのだ。
その頂点は余裕でクロトの位置に達しており、鋭い爪の攻撃圏内でもあった。
クロトは慌てて刀を前に構え爪を防ごうとする。
が、その爪が振られることはなかった。
「クロ!!」
リリサの声が聞こえた。かと思うと、ディードの手のひらから槍が生えてきた。……いや、正確にはリリサが投擲した槍が手のひらを貫通したのだ。
流石のディードもこれには耐えられなかったのか、そのまま地面に落下する。
クロトはこの千載一遇の好機を逃さなかった。
「ッ!!」
クロトはディードに少し遅れて木から飛び降り、地面に着地する。
同時に相手の股の下をくぐり、刃を上に突き出しながら尻から頭にかけて勢い良くスライディングした。
結果、腹部の厚い皮を斬られたディードは臓物を地面に撒き散らし、同時に大量の黒い血が雨で濡れた地面を黒く染めていく。
数秒間、巨体の熊型ディードは耐えていたが、やがて四肢を折り、地面に崩れ落ちた。
「危なかったわね」
「リリサこそ大丈夫だった?」
「大丈夫に決まってるでしょ。あんな雑魚一瞬で狩り尽くしてやったわよ」
クロトは息を整えながら車列の後方に目を向ける。
そこには真黒な塊の山が出来上がっていた。
ついでに言うと先程戦意を失ったであろう2頭のディードも綺麗に頭部を貫かれており、絶命していた。
時間にして1分くらいだっただろうか。
二人で30頭近いディードを狩ることに成功した。
やはりリリサの狩りの技術は一級品だ。と思うと同時に、クロトは自分自身の力量も把握できてある種の充実感を得ていた。
「終わったわ。もう出てきて大丈夫よ」
リリサは声を張り上げる。すると、馬車の中から恐る恐る商人達が出てきた。
商人達は始めは左右を忙しなく見ながら警戒心を顕にしていたが、何の動きもないことを確認すると胸をなでおろしたように溜息を付いていた。
「ありがとう、助かったよ……」
声をかけてきたのは若い商人だった。
中年の商人も「さすがは狩人、見事なものだ」と褒めつつも、ディードの死骸に目を向けながら続ける。
「それで、あのディードはどうするつもりだ?」
「猟友会のケナン支部に運びたいところだけれど、全部運ぶのは無理そうね……」
その言葉を分かっていたかのように、中年の商人は提案する。
「なら、俺たちが運んでやろう。その代わり、手数料として相場の3割ほどの金を頂きたいんだが……」
中年の商人の唐突な交渉に対し、リリサは余裕を持って応じる。
「6割とか7割でふっかけてくると思っていたけれど、案外良心的ね」
「じゃあ……」
「任せるわ。ケナンに着いたら話をつけてあげる」
リリサから了承を得、中年の商人は先程までの不安げな顔が嘘だったかのように笑顔を浮かべる。
「いやあ、こりゃ有り難い。早くケナンに到着できる上に臨時収入も得られるとは……天の恵みに感謝だな」
「ほんと、幸運よね。感謝しなさいよ?」
「最高だよ、あんたら」
商人は命が助かったことよりも臨時収入が嬉しかったのか、本当にいやらしい笑みを浮かべていた。
この顔を見て、クロトは思わず苦笑いしてしまう。
商人という人種はかくも逞しいものだ。
「クロ」
リリサはクロトの隣に立ち、優しく腕をつかむ。
「それ、もう仕舞いなさい」
「……あ」
クロトはリリサに言われて、自分がまだ右手に刀を握っていることに気がついた。
クロトは言われるがまま刀を鞘に納める。……が、柄から手を離そうとしても手が離れない。もっと言うと右手は小刻みに震えていた。
リリサは腕を掴んでいた手を右手に重ねる。
「途中からしか見ていなかったけれど、上出来だったわよ。ようやく初心者狩人ってところかしら」
「あれだけやって初心者?」
「あのディード、体こそ大きいけれど強さで言えば下級クラスよ。認めて貰いたかったらもっと精進することね」
リリサは軽く笑い、こちらの右手から手を放す。
……震えは止まっていた。
クロトは柄からゆっくり手を放し、そのまま手のひらを見る。握った跡が赤い直線となって浮かび上がっていた。
「……」
今日は超大型ディードを素手で倒した時のような、超人的な力を出すことができなかった。
未だにあの力の正体は解明できていないが、あれが自分の力であることは間違いない。
もっと経験を積んでいけば、あのレベルに到達することも夢ではない。
(何だかなあ……)
リリサに認められて嬉しい半面、何だか複雑な心境のクロトだった。
……その後、一行はディードの死骸を荷台に詰めるだけ詰め込み、改めてケナンに向けて出発することとなった。




