012 別れと旅立ち
012
アイバールの街の中心部にある噴水広場
人が大勢集まるこの場所では露天が軒を連ねており、とても賑やかだった。
例の奴隷商もまだ商売を続けているようで、鉄格子の中には数名の男女の姿が見受けられた。
二人はそんな広場の中央、噴水の周囲に設置された石のベンチに腰掛けていた。
座って間もなく、口火を切ったのはミソラだった。
「やっぱり、あの噂って本当だったのね……」
ミソラはこちらと目を合わそうとせず、地面をじっと見ていた。
金髪の髪は先程の騒ぎで少し汚れていたが、碧の瞳は相変わらず綺麗な色彩を放っていた。
彼女の横顔を見つつ、クロトは言葉を返す。
「噂って……例の?」
「うん、クロトが超大型のディードを素手で倒しちゃったっていう噂」
「……」
噂とは怖いものだ。アイバールの街だけならまだしも、ミソラの住むあの村まで伝わっているとは思わなかった。
知られたからといってどうということもないが、ミソラの態度が少し他人行儀な気がするのは確かだった。
無言を肯定と捉えたのか、ミソラは更に話を前にすすめる。
「クロト、あの狩人の人と随分仲良さそうだったけれど……クロトも狩人になったの?」
「いや、リリサが……えーと、猟友会の人が言うには、記憶を失う前まで僕は狩人だった可能性が高いみたいなんだ」
「へえ……クロト、つくづく変なやつだなあって思っていたけれど、まさか狩人だったなんてね。どうりで何でも卒なくこなせたわけだ、あはは……」
ミソラはようやく視線をこちらに向け、ぎこちない笑顔を見せる。
そこからは寂しさのようなもの、そして後ろめたさも感じられた。
「そ、そういえばミソラ、どうしてアイバールに?」
「先生の診察を受けてたの」
「そうか、それで先生は何て?」
「薬のおかげでもう大丈夫だって。……これもクロトがお金を工面してくれたおかげね。ありがと」
「礼なんていいよ」
僕が奴隷として売られたこと、親父さんから話を聞いているみたいだ。
だから先程から後ろめたそうにしているのだろう。
「でも、クロトが買われた先が猟友会でよかった。これで毎日とまではいかないけれど、好きなときに会えるね」
アイバールとミソラの村はそう離れていない。馬を使えば一時間も掛からずに会うことができる。
……だがそれはクロトがアイバールに留まれば、の話である。
「ミソラ……」
「何?」
「その件も含めて、ちょっと話さなきゃならないことがあるんだ」
……自分は旅に出る。アイバールには戻ってこない。
そのことをきちんとミソラに話さなければならない。……が、外で軽々しく話せる話題ではなかった。それに親父さんにも話さなければならない。
クロトは噴水から離れ、ミソラの手を引く。
「……とりあえず一緒に村に戻ろう。そこで話すよ」
「うん……?」
ミソラはよく事態を理解していないようで、きょとんとした表情を浮かべていた。
それからクロトは馬を借り、ミソラと共に村へ戻ることにした。
村に戻ると懐かしい景色が目に飛び込んできた。
青々とした草が広がるなだらかな斜面に、木造の家々、畑や畜舎。空に目を向ければ白化粧した峰々が遠くまで連なっており、更に上には淡い蒼の空が広がっている。
まだあれから2週間と経っていないのに、随分懐かしく感じられる。
澄んだ空気を体中で感じつつ、クロトは馬を進めてウィルソン家に到着した。
ウィルソン家は相変わらずの佇まいだった。
クロトとミソラは馬から降り、家の中に入る。
中では禿頭に顎髭を蓄えたイワンがテーブルに座っていた。特に何もしていないようで、肘鉄を付いて窓の外の風景をぼんやり眺めていた。
「親父さん」
クロトが声をかけると、イワンは視線を窓から家の入口に向けた。
「……クロト? お前、どうして……」
テーブルへと進みつつ、クロトは応じる。
「報告することがあって、帰ってきたんです」
クロトが椅子にかけると、イワンは若干前のめりになった。
「話は聞いてるぞ。……いやあ、まさかお前が狩人だったとは、全く気づかなかったぞ」
イワンは興奮気味に続ける。
「で、家に来たってことは仕事が落ち着いたのか? それともまさか、奴隷から解放されたのか?」
「親父さん落ち着いてください……今日はもっと重要な話をしに来たんです」
「重要……?」
イワンは首を傾げる。その間、ミソラはクロトの隣に座り体を寄せた。
「そうそう、早く話してよ。私、気になって仕方がなかったんだから」
イワンとミソラの視線がクロトに向けられる。
クロトは軽い感じで旅のことを告げるつもりでいた。
――猟友会の仕事で、暫くアイバールから離れる。長い間戻れないけれど、心配しないで。
そんな風に伝えるつもりだった。
しかし、彼らの目を見てクロトは考えを改めた。
彼らは家族だ。他人ならまだしも、家族に嘘をついてはならない。
そう判断したクロトは、正直に、そして単刀直入に告げることにした。
「旅に……出ることにしたんだ」
「……え!?」
隣のミソラが素っ頓狂な声とともに立ち上がる。
だが、イワンは姿勢を崩さず、視線も逸らさなかった。
「クロト、つまりそれはアイバールから離れる、ということなんだな?」
「はい。リリサという狩人と一緒に、とりあえずは西に……ケナンに向かう予定です」
「そうか」
落ち着いたイワンとは反対に、ミソラは焦った様子でクロトの肩を揺する。
「ケナンって……ケナンに何があるの? 用事が終わったら帰ってくるんでしょ?」
「……いや、そのままセントレアを通過して、もっと西を目指す予定なんだ。だから……」
「帰ってこないんだな」
「……はい」
「そんな……」
ミソラはショックのせいか、肩を落として力なく椅子に座り直した。
イワンは顎髭を撫で、真剣に続ける。
「しかし、どうして旅に? 理由を聞かせてくれねーか」
クロトは先程の決意通り、正直に告げる。
「実は、ベックルンの山で自分の記憶に繋がる手掛かりを見つけたんです。僕は、このまま自分が何者か分からないまま死んでいくのは嫌なんです。……だから、心惜しいですけど、行かせてもらいます」
「そうか、ようやく手掛かりを見つけたんだな」
「はい」
クロトは姿勢を正し、イワンを見つめる。
イワンも真剣な表情をしていたが、不意にため息を付いた。
「引き止める権利なんて俺達にはねーよ。奴隷としてお前を売ってしまった俺達にはな……」
そして、視線を大きく逸らして再び窓の外に顔を向ける。
クロトはイワンの心情を察し、咄嗟にフォローの言葉を入れる。
「あれは緊急事態で、仕方がなかったことです。親父さんが気にすることはないですよ」
クロトの言葉を無視して、イワンは外を見たまま唐突に告げる。
「本当にお前はいい男だ、クロト。……ミソラを嫁にもらって欲しかったんだが……旅に出るんじゃ無理そうだな」
「お父さん!!」
顔を真赤にしているミソラに構うことなく、イワンはクロトに告げる。
「本当にもう、帰ってこれないのか?」
「わかりません。だからこそきちんと別れを告げに来たんです」
「……」
イワンは俯き、小さく息を吐く。
数秒後、イワンは顔を上げてクロトを見る。
「俺はこれが最後だとは思わねえ。また会える。そう信じてるぞ」
クロトもまた彼らと会いたいと思っていた。だが、そんなことを言ってしまうと彼らに希望を持たせてしまう。淡い希望は彼らにとって毒にしかなり得ない。
ここにはもう帰ってこれない。
その覚悟を示すように、クロトはイワンの言葉に応じることはなかった。
「……では、失礼します」
もう別れは済ませた。
クロトは席を立ち、彼らに背を向ける。
しかし、ミソラは小走りでクロトの前に回り込み、通せんぼをした。
「これでお別れだなんて嫌だからね!! 絶対、絶対帰ってきてね!!」
「……」
クロトは何も応えない。
涙をためて、両手を広げている彼女の脇を通りぬけ、出口へ向かう。
「クロト!!」
震える声で名を呼ばれた後、クロトは背中に衝撃を感じた。
同時に、ぬくもりも感じた。
ミソラに背後から抱きしめられ、クロトは思わず声を掛けそうになる。
――また戻ってくるよ。
そんな言葉が口から出てしまう前に、クロトは改めて別れの言葉を告げる。
「ありがとう、ミソラ。……さようなら」
口早にそう言うと、ミソラから力が抜けていくのが分かった。
抱く力も弱くなり、クロトはミソラから離れ、出口へ向かう。
それから家を出るまで、イワンとミソラが声を発することはなかった。
クロトも、決して背後を振り返ることはしなかった。
(1年か……)
村の出口付近
クロトは足を止め、馬上から村を眺めていた。
この1年は密度の濃い1年だった。
遭難していたところを助けられ、コミュニケーションを取るべく言葉を覚え、文字を覚え、親父さんやミソラ、他にも村の人々と交流もあったし、農作業も家事も頑張り、充実した1年だった。
多分、ここは世界で一番穏やかな場所だ。
この世界に来てからこの村でしか生活したことがないが、間違いなくここは世界で一番しあわせな時間を過ごせる場所だ。
できるならまた戻ってきたい。
親父さんやミソラと一緒に、ずっとずっと穏やかな日々を過ごし、幸福な時間を共有したい。
だが、それ以上に僕は自分の記憶を取り戻したい。自分の存在理由を手に入れたい。
自分が何者か分からないまま生活を送るのは苦痛ではない。が、軌道エレベーターという手掛かりを手に入れた以上は求めずにはいられないのだ。
それに、リリサの父親の件もある。
彼女の父のブレスレットを何故か僕は身につけていた。彼女の父は僕の記憶を取り戻す鍵であることは間違いない。
僕は彼女に付いて行くつもりだし、彼女も僕についてくるつもりだ。
つまり僕とリリサは利害関係の合致した、パートナーと言っても過言ではない。
(パートナーか……)
彼女は腕の立つ、心強い同行者だ。足を引っ張らぬよう、自分も精進せねばならないだろう。
そんなことを考えていると、凛とした声が耳に届いた。
「迎えに来てあげたわよ、クロ」
「リリサ……」
村の出口、馬車に乗ったリリサがいた。
リリサは馬車をクロトの隣に止めると馬車から華麗に飛び降り、クロトの馬に載せられていた荷物を馬車に移し替え始める。
クロトも馬から降り、作業を手伝う。
「その馬車……もう出発するつもり?」
「ええ、必要な物は支部で調達できたし、クロトのその荷物で最後よ。それに、別れも済ませたんでしょう?
「うん……」
別れ。
別れと言うにはあまりにも素っ気ない気もするが、あれでいい。
1年は長いようで短い。数ヶ月もすれば親父さんもミソラも僕のことなんて忘れて、これまでどおりの生活を送っていくことだろう。
二人のことを考えていると、リリサはミソラについて話しかけてきた。
「随分つらそうね。もしかしてあの娘……あんたの彼女だった?」
「そんなことは……」
咄嗟に否定仕掛けたクロトだったが、一呼吸置き言い直す。
「いや、うん、僕の好きな人だよ」
ミソラは僕の命の恩人。それに生活していく中で随分と助けられた。それに、僕のことを好きだと言ってくれた。おまけに美人だ。
そんな女性を好きにならないわけがない。
クロトの堂々とした物言いに、リリサはまるで興味がないように返す。
「ふーん……悪いけど、父が見つかるまでは会えないと思ってちょうだいね」
「わかってる」
そんなことを言ってる間に二人は荷物を馬車に移し替え終えた。
後は借りた馬をアイバールで返し、そのままケナンに向けて出発するだけだ。
クロトは身軽になった貸し馬に乗るべく馬車から離れる。と、リリサがそれを引き止めた。
「待って」
リリサはそう言うと馬車の中に入り、布に包まれたあるものを差し出した。
「これ、解体場のシドルさんからあんたに」
布に包まれたそれは細長く、長さは1mほどだった。
「シドルさんから……?」
疑問に思いつつも、クロトはリリサからそれを受け取る。見た目以上に重さはあり、それが武器であるということがすぐに分かった。
クロトはすぐに布を剥ぎ取り、中身を確認する。
すると、木製の簡素な鞘が姿を現した。
「これは……刀?」
鞘は緩やかなカーブを描いていた。鍔はなく、柄も木製でかなりシンプルだった。
クロトはその場で試しに刀を抜いてみる。
鞘と柄の間に現れたのは真黒な刀身だった。
刀身は細く、それでいて鋭かった。だが、刃物にしては峰に少し丸みがあり、金属ではなさそうだった。
じっくりと眺めていると、リリサが説明し始める。
「あんたが倒した超大型ディード、あれの尾の先の尖った部分を加工して造った物らしいわ。ディードの骨は頑丈だけど、特にその部分は頑丈で鍛冶も加工に苦労したって聞いてる。……せっかくの餞別、うまく使いこなしなさいよ」
「うん……」
武器。これからの旅には必要になるものだ。
クロトは黒い刀身を鞘に収め、腰布の間に差し込む。
これから自分はこの武器をどれくらい使うことになるのだろうか……
不安と期待感を胸に抱きつつ、クロトは馬にまたがる。
リリサも遅れて馬車に乗り込み、鞭を打つ。
二人は並んで馬を操り、村を出る。
離れるに連れ、村は小さくなっていく。しかし、クロトは決して振り返ることはなかった。




