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天球のカラビナ  作者: イツロウ
01-狂槍の狩人-
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012 別れと旅立ち


 012


 アイバールの街の中心部にある噴水広場

 人が大勢集まるこの場所では露天が軒を連ねており、とても賑やかだった。

 例の奴隷商もまだ商売を続けているようで、鉄格子の中には数名の男女の姿が見受けられた。

 二人はそんな広場の中央、噴水の周囲に設置された石のベンチに腰掛けていた。

 座って間もなく、口火を切ったのはミソラだった。

「やっぱり、あの噂って本当だったのね……」

 ミソラはこちらと目を合わそうとせず、地面をじっと見ていた。

 金髪の髪は先程の騒ぎで少し汚れていたが、碧の瞳は相変わらず綺麗な色彩を放っていた。

 彼女の横顔を見つつ、クロトは言葉を返す。

「噂って……例の?」

「うん、クロトが超大型のディードを素手で倒しちゃったっていう噂」

「……」

 噂とは怖いものだ。アイバールの街だけならまだしも、ミソラの住むあの村まで伝わっているとは思わなかった。

 知られたからといってどうということもないが、ミソラの態度が少し他人行儀な気がするのは確かだった。

 無言を肯定と捉えたのか、ミソラは更に話を前にすすめる。

「クロト、あの狩人の人と随分仲良さそうだったけれど……クロトも狩人になったの?」

「いや、リリサが……えーと、猟友会の人が言うには、記憶を失う前まで僕は狩人だった可能性が高いみたいなんだ」

「へえ……クロト、つくづく変なやつだなあって思っていたけれど、まさか狩人だったなんてね。どうりで何でも卒なくこなせたわけだ、あはは……」

 ミソラはようやく視線をこちらに向け、ぎこちない笑顔を見せる。

 そこからは寂しさのようなもの、そして後ろめたさも感じられた。

「そ、そういえばミソラ、どうしてアイバールに?」

「先生の診察を受けてたの」

「そうか、それで先生は何て?」

「薬のおかげでもう大丈夫だって。……これもクロトがお金を工面してくれたおかげね。ありがと」

「礼なんていいよ」

 僕が奴隷として売られたこと、親父さんから話を聞いているみたいだ。

 だから先程から後ろめたそうにしているのだろう。

「でも、クロトが買われた先が猟友会でよかった。これで毎日とまではいかないけれど、好きなときに会えるね」

 アイバールとミソラの村はそう離れていない。馬を使えば一時間も掛からずに会うことができる。

 ……だがそれはクロトがアイバールに留まれば、の話である。

「ミソラ……」

「何?」

「その件も含めて、ちょっと話さなきゃならないことがあるんだ」

 ……自分は旅に出る。アイバールには戻ってこない。

 そのことをきちんとミソラに話さなければならない。……が、外で軽々しく話せる話題ではなかった。それに親父さんにも話さなければならない。

 クロトは噴水から離れ、ミソラの手を引く。

「……とりあえず一緒に村に戻ろう。そこで話すよ」

「うん……?」

 ミソラはよく事態を理解していないようで、きょとんとした表情を浮かべていた。

 それからクロトは馬を借り、ミソラと共に村へ戻ることにした。



 村に戻ると懐かしい景色が目に飛び込んできた。

 青々とした草が広がるなだらかな斜面に、木造の家々、畑や畜舎。空に目を向ければ白化粧した峰々が遠くまで連なっており、更に上には淡い蒼の空が広がっている。

 まだあれから2週間と経っていないのに、随分懐かしく感じられる。

 澄んだ空気を体中で感じつつ、クロトは馬を進めてウィルソン家に到着した。

 ウィルソン家は相変わらずの佇まいだった。

 クロトとミソラは馬から降り、家の中に入る。

 中では禿頭に顎髭を蓄えたイワンがテーブルに座っていた。特に何もしていないようで、肘鉄を付いて窓の外の風景をぼんやり眺めていた。

「親父さん」

 クロトが声をかけると、イワンは視線を窓から家の入口に向けた。

「……クロト? お前、どうして……」

 テーブルへと進みつつ、クロトは応じる。

「報告することがあって、帰ってきたんです」

 クロトが椅子にかけると、イワンは若干前のめりになった。

「話は聞いてるぞ。……いやあ、まさかお前が狩人だったとは、全く気づかなかったぞ」

 イワンは興奮気味に続ける。

「で、家に来たってことは仕事が落ち着いたのか? それともまさか、奴隷から解放されたのか?」

「親父さん落ち着いてください……今日はもっと重要な話をしに来たんです」

「重要……?」

 イワンは首を傾げる。その間、ミソラはクロトの隣に座り体を寄せた。

「そうそう、早く話してよ。私、気になって仕方がなかったんだから」

 イワンとミソラの視線がクロトに向けられる。

 クロトは軽い感じで旅のことを告げるつもりでいた。

 ――猟友会の仕事で、暫くアイバールから離れる。長い間戻れないけれど、心配しないで。

 そんな風に伝えるつもりだった。

 しかし、彼らの目を見てクロトは考えを改めた。

 彼らは家族だ。他人ならまだしも、家族に嘘をついてはならない。

 そう判断したクロトは、正直に、そして単刀直入に告げることにした。

「旅に……出ることにしたんだ」

「……え!?」

 隣のミソラが素っ頓狂な声とともに立ち上がる。

 だが、イワンは姿勢を崩さず、視線も逸らさなかった。

「クロト、つまりそれはアイバールから離れる、ということなんだな?」

「はい。リリサという狩人と一緒に、とりあえずは西に……ケナンに向かう予定です」

「そうか」

 落ち着いたイワンとは反対に、ミソラは焦った様子でクロトの肩を揺する。

「ケナンって……ケナンに何があるの? 用事が終わったら帰ってくるんでしょ?」

「……いや、そのままセントレアを通過して、もっと西を目指す予定なんだ。だから……」

「帰ってこないんだな」

「……はい」

「そんな……」

 ミソラはショックのせいか、肩を落として力なく椅子に座り直した。

 イワンは顎髭を撫で、真剣に続ける。

「しかし、どうして旅に? 理由を聞かせてくれねーか」

 クロトは先程の決意通り、正直に告げる。

「実は、ベックルンの山で自分の記憶に繋がる手掛かりを見つけたんです。僕は、このまま自分が何者か分からないまま死んでいくのは嫌なんです。……だから、心惜しいですけど、行かせてもらいます」

「そうか、ようやく手掛かりを見つけたんだな」

「はい」

 クロトは姿勢を正し、イワンを見つめる。

 イワンも真剣な表情をしていたが、不意にため息を付いた。

「引き止める権利なんて俺達にはねーよ。奴隷としてお前を売ってしまった俺達にはな……」

 そして、視線を大きく逸らして再び窓の外に顔を向ける。

 クロトはイワンの心情を察し、咄嗟にフォローの言葉を入れる。

「あれは緊急事態で、仕方がなかったことです。親父さんが気にすることはないですよ」

 クロトの言葉を無視して、イワンは外を見たまま唐突に告げる。

「本当にお前はいい男だ、クロト。……ミソラを嫁にもらって欲しかったんだが……旅に出るんじゃ無理そうだな」

「お父さん!!」

 顔を真赤にしているミソラに構うことなく、イワンはクロトに告げる。

「本当にもう、帰ってこれないのか?」

「わかりません。だからこそきちんと別れを告げに来たんです」

「……」

 イワンは俯き、小さく息を吐く。

 数秒後、イワンは顔を上げてクロトを見る。

「俺はこれが最後だとは思わねえ。また会える。そう信じてるぞ」

 クロトもまた彼らと会いたいと思っていた。だが、そんなことを言ってしまうと彼らに希望を持たせてしまう。淡い希望は彼らにとって毒にしかなり得ない。

 ここにはもう帰ってこれない。

 その覚悟を示すように、クロトはイワンの言葉に応じることはなかった。

「……では、失礼します」

 もう別れは済ませた。

 クロトは席を立ち、彼らに背を向ける。

 しかし、ミソラは小走りでクロトの前に回り込み、通せんぼをした。

「これでお別れだなんて嫌だからね!! 絶対、絶対帰ってきてね!!」

「……」

 クロトは何も応えない。

 涙をためて、両手を広げている彼女の脇を通りぬけ、出口へ向かう。

「クロト!!」

 震える声で名を呼ばれた後、クロトは背中に衝撃を感じた。

 同時に、ぬくもりも感じた。

 ミソラに背後から抱きしめられ、クロトは思わず声を掛けそうになる。

 ――また戻ってくるよ。

 そんな言葉が口から出てしまう前に、クロトは改めて別れの言葉を告げる。

「ありがとう、ミソラ。……さようなら」

 口早にそう言うと、ミソラから力が抜けていくのが分かった。

 抱く力も弱くなり、クロトはミソラから離れ、出口へ向かう。

 それから家を出るまで、イワンとミソラが声を発することはなかった。

 クロトも、決して背後を振り返ることはしなかった。



(1年か……)

 村の出口付近

 クロトは足を止め、馬上から村を眺めていた。

 この1年は密度の濃い1年だった。

 遭難していたところを助けられ、コミュニケーションを取るべく言葉を覚え、文字を覚え、親父さんやミソラ、他にも村の人々と交流もあったし、農作業も家事も頑張り、充実した1年だった。

 多分、ここは世界で一番穏やかな場所だ。

 この世界に来てからこの村でしか生活したことがないが、間違いなくここは世界で一番しあわせな時間を過ごせる場所だ。

 できるならまた戻ってきたい。

 親父さんやミソラと一緒に、ずっとずっと穏やかな日々を過ごし、幸福な時間を共有したい。

 だが、それ以上に僕は自分の記憶を取り戻したい。自分の存在理由を手に入れたい。

 自分が何者か分からないまま生活を送るのは苦痛ではない。が、軌道エレベーターという手掛かりを手に入れた以上は求めずにはいられないのだ。

 それに、リリサの父親の件もある。

 彼女の父のブレスレットを何故か僕は身につけていた。彼女の父は僕の記憶を取り戻す鍵であることは間違いない。 

 僕は彼女に付いて行くつもりだし、彼女も僕についてくるつもりだ。

 つまり僕とリリサは利害関係の合致した、パートナーと言っても過言ではない。

(パートナーか……)

 彼女は腕の立つ、心強い同行者だ。足を引っ張らぬよう、自分も精進せねばならないだろう。

 そんなことを考えていると、凛とした声が耳に届いた。

「迎えに来てあげたわよ、クロ」

「リリサ……」

 村の出口、馬車に乗ったリリサがいた。

 リリサは馬車をクロトの隣に止めると馬車から華麗に飛び降り、クロトの馬に載せられていた荷物を馬車に移し替え始める。

 クロトも馬から降り、作業を手伝う。

「その馬車……もう出発するつもり?」

「ええ、必要な物は支部で調達できたし、クロトのその荷物で最後よ。それに、別れも済ませたんでしょう?

「うん……」

 別れ。

 別れと言うにはあまりにも素っ気ない気もするが、あれでいい。

 1年は長いようで短い。数ヶ月もすれば親父さんもミソラも僕のことなんて忘れて、これまでどおりの生活を送っていくことだろう。

 二人のことを考えていると、リリサはミソラについて話しかけてきた。

「随分つらそうね。もしかしてあの娘……あんたの彼女だった?」

「そんなことは……」

 咄嗟に否定仕掛けたクロトだったが、一呼吸置き言い直す。

「いや、うん、僕の好きな人だよ」

 ミソラは僕の命の恩人。それに生活していく中で随分と助けられた。それに、僕のことを好きだと言ってくれた。おまけに美人だ。

 そんな女性を好きにならないわけがない。

 クロトの堂々とした物言いに、リリサはまるで興味がないように返す。

「ふーん……悪いけど、父が見つかるまでは会えないと思ってちょうだいね」

「わかってる」

 そんなことを言ってる間に二人は荷物を馬車に移し替え終えた。

 後は借りた馬をアイバールで返し、そのままケナンに向けて出発するだけだ。

 クロトは身軽になった貸し馬に乗るべく馬車から離れる。と、リリサがそれを引き止めた。

「待って」

 リリサはそう言うと馬車の中に入り、布に包まれたあるものを差し出した。

「これ、解体場のシドルさんからあんたに」

 布に包まれたそれは細長く、長さは1mほどだった。

「シドルさんから……?」

 疑問に思いつつも、クロトはリリサからそれを受け取る。見た目以上に重さはあり、それが武器であるということがすぐに分かった。

 クロトはすぐに布を剥ぎ取り、中身を確認する。

 すると、木製の簡素な鞘が姿を現した。

「これは……刀?」

 鞘は緩やかなカーブを描いていた。鍔はなく、柄も木製でかなりシンプルだった。

 クロトはその場で試しに刀を抜いてみる。

 鞘と柄の間に現れたのは真黒な刀身だった。

 刀身は細く、それでいて鋭かった。だが、刃物にしては峰に少し丸みがあり、金属ではなさそうだった。

 じっくりと眺めていると、リリサが説明し始める。

「あんたが倒した超大型ディード、あれの尾の先の尖った部分を加工して造った物らしいわ。ディードの骨は頑丈だけど、特にその部分は頑丈で鍛冶も加工に苦労したって聞いてる。……せっかくの餞別、うまく使いこなしなさいよ」

「うん……」

 武器。これからの旅には必要になるものだ。

 クロトは黒い刀身を鞘に収め、腰布の間に差し込む。

 これから自分はこの武器をどれくらい使うことになるのだろうか……

 不安と期待感を胸に抱きつつ、クロトは馬にまたがる。

 リリサも遅れて馬車に乗り込み、鞭を打つ。

 二人は並んで馬を操り、村を出る。

 離れるに連れ、村は小さくなっていく。しかし、クロトは決して振り返ることはなかった。


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