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天球のカラビナ  作者: イツロウ
01-狂槍の狩人-
12/107

011 拳一発


 011


 翌朝。

 クロトはリリサと共に朝のアイバールの中央通を歩いていた。

 まだ日が昇って早いというのに、殆どの店が開店しており、店員の気持ちのいい声が通りに響いていた。

 クロトは両手に大量の荷物を抱えており、リリサは羊皮紙に書かれたリストを見つつ、クロトの前を足早に歩いていた。

「食料も大丈夫だし、馬車も支部のを借りればいいし……全く問題無いわね」

「これなら僕が付いてくる必要もなかったかも……」

「だから言ったじゃない、部屋でゆっくりしてないさいって」

 リリサは両手を腰に当て、くるりと振り返る。

「時間が結構余っちゃったけれど、どうする? 支部に戻る?」

 リリサの視線は支部がある方向へ向けられていた。

 クロトは荷物を持ち直し、逆方向に視線を向ける。

「いいや、せっかくだし暫く街を散策しようよ」

「なに? 私と遊びたいわけ? クロのくせに生意気ね」

「違う違う……僕はいわゆる田舎者だろう? 今日のうちにちょっとでもこの世界に関する知識を溜めておきたいと思ってさ」

「なるほどね、なら書店にでも行く?」

「まずは食堂で何か食べよう。朝から歩き詰めで疲れたよ」

 クロトは正面に見える大衆食堂を指差す。

 街の飲食店の料理は、支部や村の料理とは比べ物にならないほど美味しい。

 これから先、長旅で味気ない保存食しか食べられそうにないのだし、今のうちに美味しいものを出来るだけたくさん食べておきたい。

 しかし、リリサはクロトの提案に難色を示した。

「ねえクロト、人が集まる場所は避けたほうが……」

 リリサは一瞬拒否する姿勢を見せたが、

「いや、何でもないわ。……クロも知っておいたほうがいいかもね」

 と、意味深な言葉をつぶやくとクロトの提案に乗って食堂へと足先を向けた。

「……?」

 クロトは不思議に思いつつも、リリサの後を追って食堂に入った。

 ……アイバール中心部にある大衆食堂。

 この食堂は酒も提供しているようで、1階にはバーカウンターと丸テーブルがあった。

 建物は吹き抜け構造となっており、2階部分にも少し小さめのテーブルが並び、入り口からでも2階の様子がよく見えた。

 客の入りは悪く無い。それぞれが談話しており、なかなか賑やかだった。

「いらっしゃいまいせー」

 ドアの開閉音に反応してか、女性店員の声が食堂内に響く。すると、客の視線が入口に向けられた。

 先程まで賑やかだった食堂は急に静かになり、ほぼ全員が物珍しげにこちらを見ていた。

 やはり狩人であるリリサは有名人なのだろう。

「……上に行くわよ」

 リリサはその視線を物ともせず、入り口横の階段を登り2階に移動する。

 クロトも後に続いて2階部分に上る。

 上からは1階がよく見渡せた。その間も客の視線はこちらに向けられており、クロトは少し異様な空気を感じていた。

 2階を移動し、リリサとクロトは入り口から見て右側、中腹の二人がけのテーブルに腰を下ろす。

 クロトは大荷物を椅子の横に置くと背伸びし、リリサは長槍をテーブルに立てかけ、長い白髪を整えた。

 クロトは早速入り口でのことを話題に上げる。

「やっぱりリリサ、有名人だね」

 このクロトの言葉にリリサは呆れのこもった溜息をつき、流し目で1階を見る。

「違うわよ。よく聞いてみなさい」

「……?」

 クロトは不思議に思いつつも、耳を澄ます。

 すると、ヒソヒソとした話し声が耳に届いてきた。

「おい、アイツ……」

「ああ、例の……不気味だな」

「黒い髪に黒い瞳……『ヒトガタ』に間違いないな」

「ディードを狩りに使うなんて……そんな話聞いたこともないぞ」

「いいじゃないか、同じディード同士で殺し合えばいいんだ」

 話の内容はよく分からない。が、自分が話題の対象になっていることだけは理解できた。

 そして、その内容がネガティブな内容だということも理解できた。

 超大型ディードを倒して英雄扱いされるかもしれないと少し思っていただけに、食堂の客の反応は想定外だった。

 リリサも聞こえていたようで、テーブルに両肘をつき、小声でつぶやく。

「……クロ、やっぱりあなた『ヒトガタ』って思われてるみたいね」

「『ヒトガタ』?」

 クロトに問われ、リリサは端的に述べる。

「ヒトガタ……言葉どおり人の形をしたディードのことよ」

「そ、そんなものまでいるのか……」

「ほとんど見かけないけれどね」

 ディードは獣の形を模した化物だと思い込んでいただけに、この事実は少し衝撃的だった。

 ヒト型のディード……そんなものがいるなら昆虫型とか爬虫類型とか魚類型のディードもいるのではないだろうか。いや、いるに違いない。

 が、今のクロトにとってそれは些細な問題だった。

 クロトはリリサの回答を鑑み、先ほどの客達の会話の内容を思い出す。

 そして、衝撃の事実に気づいた。

「……ちょっと待って、僕がディードだって!?」

 先程彼らは僕のことをヒトガタだと言っていた。つまり、ディードだと思われているということだ。

 クロトはこの事実に絶句していたが、リリサは全くそんな素振りは見せず、相変わらず肘をついて階下を眺めていた。

「大方、生き残った3人の狩人の誰かから話が漏れたんでしょうね。……超大型ディードをただの奴隷が一人で、素手で、しかも圧倒的な実力差で殺したんだから、こういう噂が立つのも仕方ないわよ」

「でも、僕がディードだなんて……」

「クロは贔屓目に見ても超一流の狩人には見えない。ヒトガタだって思われても仕方ないかもしれないわ」

「そんなあ……」

 心外である。が、自分自身のことをよく知らないクロトにとっては、この話は真偽の判断が難しかった。

 本当は自分は化物ではないのだろうか……。

 クロトが思い悩む中、リリサは勝手にヒトガタについて説明し始めた。

「ヒトガタは他のディードと違ってとても賢くて統率力もあるの。だから、ヒトガタが混じってる群れは、他に比べて相当に手強いわ。ま、それでも手強いってだけで手練が揃えば簡単に狩れるけれど」

「手練が徒党を組まないと倒せないほどの相手なんだね……」

「そうとも言えるわね」

 リリサの話から察するに、ディードの中でもヒトガタは特別な存在で、しかも戦闘能力に長けた、かなり厄介な相手らしい。

 ヒトガタならばあの虎型のディードも簡単に倒せても不思議ではない。

 その考えは、クロトにある言葉を吐かせた。

「まさか本当に僕ってヒトガタなんじゃ……」

「何言ってるのよ」

 リリサは小馬鹿にしたように半笑いで応じる。

 しかし、クロトは真剣そのものだった。

「だってそうだろう? でなけりゃ素手でディードを倒せるわけが……」

「えい」

 言葉の途中、リリサは素早い動きでテーブル立て掛けていた長槍を手に取り、頭上でくるりと回すと穂先を下に向け、クロトの手の甲を突き刺した。

「痛っ!?」

 穂先は手の甲に浅く刺さり、クロトは慌てて手を引っ込める。

 が、リリサは強引にその手を掴み、テーブルの中央に叩きつけた。

 クロトの手の甲からはじわりと赤い血が滲み出ていた。

「ディードの血は黒い。でもクロの血はしっかり赤いわ」

 リリサは視線を手の甲からクロトの瞳に移し、見つめる。

「クロ、あんたは間違いなく人間よ。安心しなさい」

「……」

 クロトはリリサの言葉を受け、自分の手の甲を見る。

 手の甲からは間違なく赤い血が出ており、それはクロトが人間であることを証明していた。

 クロトは自分が化物ではないことに安堵する、と同時にリリサに不平を言った。

「それを確かめるだけに突くなよ……普通に痛かった」

「ごめんごめん」

 リリサは槍を再び頭上で回転させると、流れるような動作でテーブルに立てかけ直した。

 と、いつの間にかテーブル脇に店員さんがしゃがんでいた。

 店員さんはメニューで頭を隠し、目を固く閉じていた。

 どうやらリリサの槍さばきに驚いて身を縮こませてしまったようだ。タイミングが悪かったとしか言いようが無い。

 クロトはテーブル脇で縮こまっている店員さんに声をかける。

「あの……」

 店員さんは恐る恐る目を開ける。そして危険が去ったことを悟るとおもむろに立ち上がった。

「……ご、ご注文はお決まりでしょうか?」

「ちょっと待って」

 リリサはテーブル脇に置かれていたメニューを開き、店員に見せながら料理名を指差す。

「これとこれ、2つずつお願い」

「かしこまりました」

 店員さんは注文を聞くやいなや一歩後退し、逃げるように階下へ行ってしまった。

 クロトは店員さんを怖がらせた原因となった物……リリサの槍について問いかける。

「そういえばその槍、いつも持ってるけど……」

「これは父が使っていた物よ。7歳の時に譲ってもらったの」

 リリサは螺旋の溝が入った穂先を指先でなぞりつつ、槍について語り出す。

「この螺旋の穂先、実はこれは海洋に棲む大型ディードの角なの。……その大型ディードも父が倒したのよ?」

「へえ、ディードの一部を武器にしてるのか……」

「ディードの爪や角、それに牙はかなり硬いから、武器するにはもってこいなのよ。ディードが強ければ強いほど、武器に加工した時に強力な武器になる。……この槍の強さを知ってるあんたなら、父がどれほどの狩人だったかわかるでしょ?」

 リリサは自慢気だった。様子から察するにその大型ディード、余程の難敵らしい。

 父親のことが好きなんだなあと思いつつ、クロトは話を続ける。

「じゃあ、そのブレスレットも?」

 クロトはブレスレットを指差す。リリサは左手首に巻かれているブレスレットに視線を落とし、「うーん」と唸る。

「これは分からないわ。金属だとは思うけれど……鉄はこんなに軽くないし、かと言って骨でもないし……まあ、貴重な素材で造られたってことなのは確かね」

 そう言いつつ、リリサはブレスレットを暫く弄っていた。

「でもまさか左遷された先でこのブレスレットと再開できるとは思ってもなかったわ」

「左遷?」

 リリサはブレスレットから視線を逸し、クロトに目を向ける。

「支部の人から聞いたでしょ? 私のせいで仲間が死んじゃったって……」

 リリサは父親を探すために危険な区域に足を踏み入れ、結果として狩人を死なせてしまった。解体場のシドルさんから聞いた話は本当だったようだ。

 リリサの表情は暗く、後悔の念を抱いている様子だった。

「……元々はどこにいたんだ?」

 クロトは暗い雰囲気を払拭すべく、声のトーンを上げて質問する。

 リリサはすぐに答えてくれた。

「首都のセントレアよ。あそこには猟友会の本部もあれば、狩人の育成機関もあるし、狩人の数も圧倒的に多い。……私、その中でも結構な実力者でランクもそれなりに高かったんだけれど……その件でぜーんぶ台無しになっちゃったわ」

「へえ……」

 猟友会での狩人は全員横並びかと思っていたが、ランクや役職もあるようだ。まあ、世界展開している組織ならば当然のことだろう。

 リリサは視線を階下に移し、物憂げに続ける。

「セントレアの場所はケナンの更に西ね。カラビナを目指すならあそこにも立ち寄ることになると思うけれど……とりあえず目指すはケナンの地区本部ね。お金を貯めながら確実にカラビナを目指すわよ」

「ああ、頑張ろう」

 長い旅になる。無事にたどり着けるかも分からない。しかし、クロトは危険を承知でカラビナを目指すつもりだった。

 天を貫く軌道エレベーター……今のところ自分の記憶を取り戻す手掛かりはあそこ以外にないのだ。

 そんなこんなで料理を待っていると、店内に新しい客が入ってきた。 

「クソ、アイバールに転属なんてマジで最悪だな」

「そうっすね、こんな寒い場所マジであり得ないっすよね」

「地区本部の命令とはいえ、承服しかねますな」

 大声で愚痴をこぼしながら入ってきた3名は、外見や言葉の内容から考えても狩人に違いなかった。

 一人はオールバックの髪、両腰に直剣を携えた若い男。

 その男の背後にいたのは少し太った体型の、大槌を背負っている男。

 更に後ろには坊主頭に槍を携えた細身の男がいた。

 彼らの声に反応し、店内の視線が入口に向けられる。

 その有象無象の視線が不快だったのか、オールバックの男は更に大きな声を上げた。

「なんだテメェら!? ジロジロ見てんじゃねーよ!!」

 そう言って床を強く蹴る。その音は店内に響きわたった。

 攻撃的なセリフとその音に慄いてか、店内の客はすぐに彼らから視線を逸し、それぞれの食事に戻った。

 しかし、そんな中一人だけ視線をそらさない人間がいた。

 それはリリサだった。

「……」

 オールバックの男はリリサの視線に気づいてか、1階ではなく2階に登ってきた。

 彼らとはあまり関り合いになりたくない。……そんなクロトの思いは儚くも砕け散った。

「よう“狂槍”。久しぶりだな」

 オールバックの男はクロトとリリサのテーブルの横で足を止める。

 リリサは視線を背けたまま応じる。

「気安く話しかけないでくれる?」

「こっちは死んだ連中の補充要員として来たんだぜ? 挨拶くらいさせろよ」

 オールバックの男は隣のテーブルから椅子を取り、背もたれに腕を乗せて話を再開する。

「5人の仲間を巻き添えにしたせいでこんな僻地に飛ばされたってのに、またここでも死人を出すなんてなあ……」

 ――リリサが殺したわけではない。

 クロトはそう言いたかったが、とてもじゃないがそんなことを言える雰囲気ではなかった。

 オールバックの男は顔を近づけ、リリサに告げる。

「しかも12人も死んだみたいじゃないか。……お前、呪われてるんじゃねーか?」

「そうね。だったら呪い殺される前に帰ったらどう?」

 リリサはここで初めてオールバックの男の顔を睨みつけた。

 流石のリリサもここまで言われてご機嫌斜めのようだ。

 リリサの答えに、オールバックの男は肩をすくめる。

「……俺達は適正な人員が補填されるまで臨時で派遣されてきただけだ。こんな場所に長居するつもりはねーよ」

 男に続くように、小太りの男と丸坊主の男も不平を述べる。

「俺らエリートがアイバールに常駐するなんてあり得ないっすよ」

「短期間だが“狂槍”と同じ支部で働くことになるとは……全くもってついてない」

 彼ら3名は8名分の狩人の穴埋めとして派遣されてきた狩人らしい。つまり、それなりの実力者ということになる。

 確かに、見た目も玄人っぽいし、年齢も30代近いベテランのように見えた。

 そんな年上のベテラン勢に対し、リリサは嫌味ったらしく宣言する。

「一緒に働く? それはあり得ないわ。私、アイバールから離れることにしたから」

「……ハァ?」

 オールバックの男は眉をひそめた。

 丸坊主の男は視線を斜め上に向け、側頭部を指先で叩く。

「アイバールから離れる? ……そんな命令は出ていないと思いますが」

「私は父を探すために狩人になったの。本部の命令なんてくそくらえよ。……アイバールのことは任せたわよ」

 あっけらかんというリリサに対し、オールバックの男はテーブルを叩いた。

「舐めたこと言ってんじゃねーよ!!」

 またしても客の視線を集めることとなったが、そんなことは関係なく男は捲し立てる。

「ただでさえ人員不足なのに勝手に抜けてんじゃねーよ。俺らの仕事が増えるだろうが」

「あら? 私と一緒に働くの、嫌なんじゃなかったの?」

「クソ……」

 リリサに一本取られ、オールバックの男は基本的に怒りの表情を浮かべつつも、複雑な表情を浮かべていた。

 リリサは余裕な態度で言葉を続ける。

「それに仕事も楽になると思うわ。何せ、あの山の主を狩ったんだから」

「……話は聞いてる。だがな、超大型ディードを一人で殺ったからって、いい気になってんじゃねーぞ? あの程度のディードなら俺一人でも……」

「私じゃないわよ」

「ハァ?」

「虎型の超大型ディード、アレを殺したのはこいつよ」

 そう言ってリリサはクロトを指差した。

 その瞬間、3名の狩人の視線がクロトに向けられる。

「こいつが……!?」

 驚いたような、呆れたような視線……

 そんな視線を受け、クロトは辛うじて反応した。

「ど、どうも……」

「誰だテメエ?」

 オールバックの男は椅子から立ち上がり、クロトに詰め寄る。

 クロトは距離を取ろうとするも、座ったままではそうもいかなかった。

「僕はクロトです。支部では解体係を……」

「解体係? こんな奴がこんな奴があのディードを殺したってのか?」

 顔が近い。その上怖い。

 クロトが愛想笑いを浮かべていると、リリサが男の言葉を肯定した。

「そうよ。間違いなくクロが殺したわ」

 リリサが嘘をつくとは思えなかったようで、オールバックの男含め3名の狩人は値踏みするようにクロトの体を頭の先から爪先まで具に観察する。

 数秒ほど物珍しげに眺めた後、オールバックの男はクロトに質問を投げかける。

「テメエ、武器は何を使ってるんだ? 超大型ディードを一人で殺したとなると、大剣か大斧を……」

「いえ、何も使ってないですけれど……」

「おいおいおい、素手で殺したってのか!?」

 オールバックの男はリリサに答えを求める。リリサはまたしても首を縦に振り、肯定した。

「そうよ」

「ふざけてんのか……」

 からかわれていると感じたのか、オールバックの男は標的を再びリリサに戻す。

「おい狂槍、馬鹿にするのも程々にしろよ」

「馬鹿になんてしてないわ。事実だもの」

 淡々とした言葉に、とうとう堪忍袋の緒が切れたのか、オールバックの男は急に静かな声で告げた。

「……表に出ろ」

 それはクロトに向けられた言葉だった。が、当の本人はよく聞き取れず、とぼけた顔で聞き返す。

「はい……?」

 今度は大声が帰ってきた。

「いいから表に出ろっつってんだ!! 本当かどうか確かめてやる」

 オールバックの男はクロトの腕を半ば強引に掴み、椅子から立ち上がらせる。

 そして階段を降り、クロトを店の外に放り投げた。

 いきなり外に出されたクロトは、いまいち状況が掴めず、路上でオロオロしてしまう。

 後を追うようにオールバックの男が、そして連れの二人とリリサが路上に出てきた。

 並々ならぬ雰囲気を感じ取ったのか、道行く人はクロト達を見て口々に呟く。

「朝っぱらかな何だ?」

「喧嘩か……?」

「みたいだな。でもあいつら……狩人じゃないか?」

「狩人同士で喧嘩するらしいぜ」

 歩いていた人達は歩みを止め、店の周囲に集まってきた。いわゆる野次馬である。

「見世物じゃねーんだ!! 散れ!!」

 オールバックの男は彼らに怒鳴りつけるも、店内とは比べ物にならないほど数が集まっており、野次馬が消える気配はなかった。

 野次馬の壁で囲まれ、逃げ場を失ったクロトはリリサに助けを求める。

「リリサ、どうすれば……」

「あの超大型ディードを倒したあんたなら楽勝でしょ」

 リリサはかなり楽観的な様子だった。むしろこの状況を楽しんでいるようにも見える。

「いや、あれは自分でもよく分からなくて……」

「身につけた体術は嫌でも体が覚えてるものよ。あっちも大怪我をさせるつもりはないみたいだし、気楽にやりなさい」

「気楽って……痛いのは御免なんだけど」

 度重なるクロトの弱気な発言に、リリサはため息混じりに告げる。

「情けないわね……カラビナを目指すとなればディードとの戦闘は必至だし、大なり小なり争いごとに巻き込まれることになるわ。いい経験になるんじゃない?」

「……」

 確かにそうだ。

 クロトは心のなかでリリサの意見を肯定していた。

 この先の旅路で何が待ち構えているか分からない。先日のディードよりも強力な敵に襲われる可能性もあれば、ディードだけでなく人にも襲われる可能せもあるし、思わぬトラブルに巻き込まれる可能性だってある。

 この程度の事を切り抜けられないなら、カラビナに到達することなどできない。

 クロトは考えを改め、オールバックの狩人の誘いに乗ることにした。

「さあ、かかってこい。リリサが嘘を付いているかどうか、確かめてやる!!」

 オールバックの男は両手に剣を構え、片方の切っ先をクロトに向けて構える。

 その構えは玄人のそれであり、彼らが口だけの狩人ではないことが窺い知れた。

 クロトも覚悟を決め、彼と戦うことを決めた。

(くそ、こうなりゃヤケだ)

 クロトは拳を振り上げると相手に向けて突進していく。

 相手は構えたまま動かない。まずは先攻をこちらに譲るつもりらしい。

 クロトはその好意に甘える事にした。

「ええい!!」

 クロトは振りかぶっていた拳を前に突き出す。狙いは相手の顔面だ。

 しかし、その拳はあまりにも遅く、容易く避けられてしまった。

 空振りである。

「ハァ? 舐めてんのか!?」

 オールバックの男は余裕たっぷりにそう告げると、すれ違いざまにクロトの背中を蹴った。

 クロトは前のめりに倒れ、地面に転がる。

 体を土埃で汚しながらもクロトは素早く立ち上がり、相手に体の正面を向けた。

「あれ……?」

 戦いとなれば“あの時”のように体が勝手に動いてくれると思っていたが、人生はそんなに甘くないようだ。

 明らかに今の自分は素人であり、プロの狩人に格闘戦で勝てる見込みはゼロに等しかった。

 オールバックの男もクロトの動きで実力を悟ったようだ。抜いていた剣を鞘に収め、拳を握りしめて骨を鳴らす。

「今度はこっちから行くぞ」

 そう言ったかと思うと、既にオールバックの男はクロトの懐に潜り込んでおり、ついでに言うと腹部に拳をめり込ませていた。

「ッ!?」

 腹部を中心に、体中に衝撃が走る。

 唐突に訪れた腹部の痛みに、クロトは呻き声を出すことすら出来なかった。

 クロトは何とか倒れることだけは防ぎ、その場で踏ん張る。

 が、今後は背中に衝撃をうけ、今度こそ地面に膝をついてしまった。

 オールバックの男は踵落としをしたようだ。

「か……は……」

 腹部と背中に鋭い痛みを感じ、クロトは呼吸すらままならない状態に陥ってしまった。

 開始から数秒と経たずして、既に展開は一方的になっていた。

「何だこいつ、クソよえーじゃねーか……」

 倒れているクロトに対し、オールバックの男は容赦をしない。

 側腹部を爪先で思い切り蹴り上げ、クロトを仰向けに転がした。

 仰向けになったクロトの視界にリリサが映り込む。

 リリサは心配している様子はなく、かと言って安心している様子でもなく、琥珀の瞳でただこちらを見ていた。

 この視線を受け、クロトはリリサの思いに気づいてしまった。

 ……リリサも彼らと同じように、僕の実力を試しているのだ。

 リリサは僕が超大型ディードを倒したことを事実として受け入れている。だが、それを見ても尚、戦闘力が高いレベルにあるという確かな証拠がほしいのだろう。

(……)

 ぶっちゃけ、あの時の自分が超大型ディードを倒せたことが未だに信じられない。

 理解の範疇を超えている。言うなれば偶然の産物だ。

 あれが本来の実力でなければ、僕はただの素人だ。つまり、これから先の旅は困難なものになる。

 仰向けでぼんやりと考え事をしていると、またしても腹部を蹴られた。

「……痛ッ!!」

 オールバックの男はそのまま片足をクロトの腹部に押し付け、呆れたように告げる。

「お前、まともに戦闘もしたこともねえだろ。嘘つきやがって……指の2,3本は覚悟しろよ?」

 オールバックの男は腹部から足を退けると、続いてこちらの右手を踏みつけた。

 冗談抜きで指を踏み潰すつもりらしい。

「!!」

 クロトは足から逃れるべく右手を引き抜こうとする。しかし、男の踏力はとんでもなく強く、微動だにしなかった。

 ……これから僕は指を踏み潰される。

 リリサも僕に失望し、今まで通り気さくに接してくれることはなくなるだろう。

 だがそれ以上に、何もできない自分自身の弱さが腹立たしかった。

 しかし、何を思った所でどうすることもできない。

 諦めかけたその時、野次馬の中から悲痛の叫び声が上がった。

「もうやめて!!」

 許しを乞うようなセリフと共に野次馬の中から急に飛び出してきたのは金髪の少女。

 青い瞳は涙に濡れており、その視線はこちらに向けられていた。

 その少女の名をクロトは呟く。

「……ミソラ?」

 間違いなくミソラ・ウィルソンその人だった。

 ミソラは群衆の中から飛び出してきたかと思うと、背後からオールバックの男に飛びつき、腰のあたりにしがみついた。

「やめてよ!! それ以上クロトを虐めないで!!」

「ハァ?」

 ミソラの渾身のタックルもオールバックの男にとっては子猫のじゃれつきに等しいようで、体は微動だにしていなかった。

「邪魔すんじゃねーよ」

 オールバックの男は軽くミソラを引き剥がし、遠くへ押し飛ばす。

 ミソラは勢い余って地面に転がる。しかし、再度立ち上がり飛びかかってきた。

「やめてよ!!」

 再度突進してくるミソラに苛ついたのか、オールバックの男はあからさまに不機嫌な表情を浮かべた。

「チッ……このガキ!!」

 ミソラが飛びつこうとした瞬間、オールバックの男はミソラを蹴り飛ばすべく体を半回転させて足を突き出した。

 回し蹴り。しかもその速度はか弱い少女なら致命傷になりかねない程の威力を有していた。

「ミソラ!!」

 クロトは叫ぶ……と同時に体が勝手に動いていた。

 クロトは仰向けの状態から地面を強く蹴って一瞬で跳ね起き、そのままオールバックの男の真正面に瞬間移動する。

 そして、男とミソラとの間に立った。

 ここでやっと回し蹴りがクロトに到達し、クロトはそれを右肘で受け止めた。

 鈍い打撃音の後、一瞬だけ静寂が訪れる。

 誰もがこの展開を予想しておらず、野次馬も、狩人たちも、リリサも、そして当事者であるオールバックの男とクロトも驚いていた。

「……テメエ!!」

 オールバックの男は足を引くと同時に剣を抜き、それぞれを逆手に持つ。

 その光景をクロトはしっかりと目で捉えており、もっと言うとスローモーションに見えていた。

 ……間もなく攻撃が来る

 その予感は見事に的中し、間を開けずして高速の連撃がクロトに浴びせられた。

 先程までの蹴りや拳とは違う。武器を用いて行われる“本物”の攻撃だった。

 上下左右から襲いかかってくる刃に対し、クロトは自分でも驚くほど冷静に対処していた。

(うわ、速い……)

 そう思いつつも、クロトの目はその全てを完全に見切っており、絶妙のタイミングで回避していた。

 どうやら戦闘の“スイッチ”が入ったようだ。

 先程まで感じていた腹部の痛みは消え去り、心も驚くほど落ち着いている。

 今の自分は目の前で起きている事象を冷静に分析しており、それに対して適切な対処法を実行していた。

(見事な連撃だなあ……)

 回避しつつ、クロトはオールバックの男の攻撃に感心していた。

 相当な鍛錬を積んだのだろう。彼の2本の直剣は彼の体の一部であるかのように自在に動いており、剣先はブレず、狙いも正確だった。

 技術も確かで、フェイントを織り交ぜながらの不規則な連撃は見事としか言いようがなかった。

 ……が、クロトはそれを紙一重で完璧に避けていた。

(終わりにしよう……)

 これ以上の戦闘は無意味だし危ない。

 クロトは相手との距離を詰めると同時にチョップで手首を叩き、剣を落とす。

 そして、ガラ空きになった腹部に掌底をお見舞いした。

「……ぐ!?」

 掌底は腹部に見事にめり込み、オールバックの男を後方に吹き飛ばした。

 しかし、男は地面から足を離すことなく耐えてみせた。足裏と地面との摩擦は相当なものだったようで、クロトと男の間には5m近い2本の線が描かれていた。

 本来なら追撃すべき所だが、クロトはオールバックの男を無視し、ミソラのもとに駆け寄っていた。

「ミソラ!! 大丈夫か?」

「クロト……」

 ミソラは腰に力が入らないのか、不安げな顔をこちらに向けたまま地面にへたり込んでいた。

 勇気を振り絞って狩人に立ち向かったのだろう。手も足もかすかに震えていた。

 しかし、どうしてミソラがこんな場所にいたのだろうか……

「やるわねクロ、やっぱあんた狩人だったに違いないわ」

「リリサ……」

 振り返るとリリサが立っていた。この結果には満足なようで、笑顔で何度も頷いていた。

 オールバックの狩人はこちらの攻撃が堪えたらしい、その場に膝をついてお仲間の狩人の介抱を受けていた。

(……勝ったんだよね?)

 超大型ディードと相対した時のような感じにはならなかった。が、自称エリートの狩人を伸してしまったのだから、自分に武術の心得があったのは事実のようだ。

 先程はミソラを守るために咄嗟に体が動いた。

 この力を常時出せるように練習しておけば、旅も順調に進むことだろう。

「この人は?」

 ミソラはクロトの袖を引っ張り、視線をリリサに向けていた。

「リリサ・アッドネス、アイバール支部の狩人だ」

 クロトの簡単な紹介の後、リリサは余計なことを口走る。

「そして、クロの飼い主でもあるわ」

「飼い主……?」

「変なこと言うなよ……」

 クロトの忠告を軽く受け流し、リリサはミソラを興味深げに見る。

「で、そちらの無謀なお嬢さんは?」

 リリサの鋭い視線から守るように、クロトはミソラとリリサの間に割って入る。

「ミソラ・ウィルソンだ。彼女が例の、僕をベックルンで救ってくれた恩人だよ」

「なるほどね」

 リリサはクロトとミソラを交互に何度か見、何かを悟ったようで、不意にその場から離れた。

 その足先はオールバックの狩人達のいる場所に向けられていた。

「私、あいつらと一緒に支部に戻ってるから、二人でゆっくり話しなさい」 

「あ、うん……」

 リリサはこちらの返答もろくに聞かず、そのまま彼らと一緒に支部のある方向に向けて去って行ってしまった。

 気を利かせてくれたのだろうか。

「なんだもう終わりか」

「しかしすごかったな、やっぱ狩人は狩人だな」

「あの剣捌き、全然目で追えなかったぞ……あれならディードを狩れるのも頷ける」

「それを避けて素手で倒しちまったあの兄ちゃん、狩人の中でもエリートなんだろうな」

 野次馬は口々に感想を述べつつ、食堂の前から散っていく。

 しかし、それでも数名は相変わらず好奇心に満ちた目でクロトやミソラを見ていた。

 この場から離れたほうがいいだろう。かと言って店の中に戻るのも店の人に申し訳がない。

「色々話したいことがあるだろうけど……とりあえず噴水広場に行こう?」

「うん、そうね」

 クロトはミソラの了解を得ると噴水広場に向けて歩き出す。

 ……が、数歩歩いた所で荷物を食堂に置いたままだったことを思い出し、結局は食堂に戻ることになってしまった。


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