第14話 金で解決、体温で解決
「――篠宮さん、何をそんなに難しく考えてるんですか?」
都内の会員制イタリアン。
キャンドルの灯りが揺れるテーブルの向かいで、RENが上品にワイングラスを傾けていた。
数日前、仕事の打ち合わせの終わりに「相談に乗ってほしい案件がある」と誘われ、断りきれずに受けてしまった食事の席。店内は静かで、料理は一皿一皿が美しい。会話のテンポも、RENの気遣いも、何一つ文句のつけようがなかった。
なのに、私の頭の中では、社内用の意思決定ブレーキがフル稼働していた。
(六歳年下……担当案件のメイン選手……コンプライアンス……それに……)
考えれば考えるほど、如月蒼真との関係を進める理由なんて一つも見当たらない。
「……篠宮さん」
「え? あ、すみません、ぼーっとしてしまって」
「俺ね、仕事抜きで篠宮さんのこと気に入ってるんですよ」
RENは悪戯っぽく笑いながら、真っ直ぐに私の目を見つめてきた。
「っ……REN選手、からかわないでください。私はスポンサーの担当者ですし、貴方は大事なプロ選手です。そういうプライベートの混同は……」
思わずフォークを握る手が固まり、早口でオフィシャルな壁を築こうとする。けれど、RENは「ほら、またそうやって仕事の顔で逃げる」と余裕の笑みを崩さない。
堂々とした、一切の迷いのない宣言。条件だけで見れば、RENは完璧な大人の男だ。ルックスも良く、気配りができ、言葉を濁さずに好意を伝えてくれる。
それなのに――。店を出て、駅へと向かう夜道で胸に残っていたのは、奇妙なまでの空虚さだった。
(……これ、課金と同じ感触だ)
買った瞬間だけ、ほんの少し満足して、次の日にはまた寂しさが戻ってくる。条件が揃っていることと、心が満たされることは、まったくの別物なのだ。
◇
翌週の木曜日、夕方。
大会プロモーション用の特設ブースで機材トラブルが発生し、私は雨の中、現場対応に追われていた。
びしょ濡れのままビルのエントランスに戻ってきた時には、すでに足元から冷え切って、指先がかじかんでいた。
「お疲れ様です、篠宮さん。大変でしたね」
エントランスのロビーにいたRENが、すぐに駆け寄ってきて手元のスマホを操作した。
「雨ひどいですね。今、配車アプリでハイヤー手配しました。会社の経費でも俺の奢りでもいいんで、あれで帰ってください」
淀みのない、スマートな大人の解決策。「ありがとうございます」とお礼を言いかけた、その時だった。
――トン。
私の凍えた手のひらに、カチリと何かが押し付けられた。
「……っ?」
見下ろすと、そこにあったのは自販機で買ったばかりの、熱々のホットココアのアルミ缶だった。じんわりと、かじかんだ指先から手のひら全体へ、温もりが伝わってくる。
顔を上げると、黒いパーカーのフードを目深に被った如月蒼真が、視線を明後日の方向へ逸らしたまま横に立っていた。
「如月……選手?」
「…………」
彼は何も言わない。気の利いたセリフも、スマートなエスコートもない。ただ、自販機のボタンを押して、走って買ってきたばかりの温かい缶を、無言で私の手に握らせただけ。
「篠宮さん、車来ましたよ」
エントランス前に滑り込んできた黒塗りのハイヤーを指差すREN。私は促されるがまま後部座席に乗り込んだ。
走り出す車内。エアコンの効いた暖かいシートの上で、私は両手でしっかりと、そのココアの缶を握りしめたまま動けずにいた。
◇
深夜、自室のデスク。
すっかり冷めてしまったそのココアの缶を、私は机の上に置いて、じっと見つめていた。
(『ください』って、言ってないのに……くれた)
私の寒そうな姿を見て、彼がわざわざ走って買ってきてくれた、ただの百四十円の温もり。
胸の奥が、ぎゅっと締め付けられる。
手元のスマホに届いた大会運営からのメール――。
『明日の公式リハーサル、全チームおよびアンバサダー全員招集の件』
明日、あの会場で、全員が顔を合わせることになる。
【本日の課金額:¥0(受け取ったのは、缶ココアだけ)】




