第12話 他人のふりの十日間
「――如月選手、こちらのプロモーション用インタビューシートのご確認をお願いいたします」
「…………はい」
大会運営本部の打ち合わせスペース。私は背筋をピンと伸ばし、完全に『氷のマネージャー』の顔でクリップボードを差し出した。受け取る如月蒼真も、一切目を合わさず、名刺一枚分の距離感をきっちり保っている。
――あの日から、十日間。
私たちは仕事の現場で、完璧なまでに『赤の他人』を演じ切っていた。
「確認しました。修正点はありません」
「承知いたしました。では、当日のリハーサルは十四時からの枠で組みますね」
「お願いします」
淡々としたビジネストーク。周囲から見れば、ただの仕事のできるスポンサー担当者と、無口なプロゲーマーのやり取りにしか見えないはずだ。
なのに。彼がサインをするときにペンを握る指先も、書類をめくる仕草も、私の視界の端が勝手にそのすべてを捉えて離さない。
(……あんな綺麗な手で、あの精密なキーボード操作をしてるんだ……)
なんて余計なことまで頭をよぎって、心臓の脈拍が跳ね上がってしまう。
◇
打ち合わせが終わり、エレベーターホールへ向かう。到着したエレベーターに乗り込むと、なんとタイミング悪く、乗り合わせたのは私と如月蒼真の二人だけだった。
閉まる扉。密室に響く、機械の静かなモーター音。
気まずい。気まずすぎて窒息しそうだ。私は正面の扉の上の階数表示を見つめ、彼は斜め後ろでポケットに手を突っ込んだまま俯いている。
8、7、6……数字が一つ下がるたびに、永遠のような沈黙が引き延ばされる。
――3階を通過した、その時だった。
「…………あの」
背後から、低く掠れた声が降ってきた。ビクッと肩を震わせて振り返りそうになるのを、必死で堪える。
「……はい、何でしょうか、如月選手」
「…………」
数秒の躊躇いのあと、小声で、ぼそりと呟いた。
「……回避、上手くなりましたね」
――えっ?
「昨日の、ゴーレムの薙ぎ払い。……ちゃんと見てからステップ踏めてました」
現実の会話の引き出しが『ゲーム』しかない男の、不器用すぎる精一杯の言葉。
ドクン、と胸が跳ねる。ポーカーフェイスを崩さないよう、必死に唇を噛み締めるけれど、耳の奥がカッと熱くなっていくのが自分でも分かった。
「……っ、ありがとうございます。ソラ……じゃなくて、如月選手のご指導のおかげです」
チーン♪
1階に到着し、エレベーターの扉が開く。私は赤くなった顔を伏せたまま、逃げるように早足でエントランスへと駆け出した。
◇
一方、夜二十二時の『アストラル・オンライン』はといえば――。
ぽてと:ね〜ね〜、二人ともなんかケンカでもした〜?
ちくわ:いつもよりチャットの間隔がぎこちないような気がしますなぁ
ギルドハウスの暖炉前で、ぽてととちくわから鋭い突っ込みが入る。
アキ:ケンカなんてしてませんよ! 大変良好な関係でございます!
ソラ:普通です
レイナ:嘘つけ。会話が全部敬語になってるぞ。……まあ、詮索禁止だから深くは突っ込まないけどさ
そう、ギルドの掟があるからこそ、私たちは現実で起きた『大事件』をギルメンに打ち明けることもできないのだ。お互いに画面の向こうの相手を強烈に意識しながら、ただぎこちなくモンスターを狩るだけの日々。
◇
翌日。オフィスの自席に戻った私は、デスクの上に一本のボールペンが置かれているのに気づいた。
「あれ……? これ、会議室に忘れていったやつだ」
私が愛用している、少し値の張る細身の万年筆風ボールペン。付箋もメモも添えられていない。誰が置いてくれたのか、名前はどこにも書いていなかった。
けれど――分かってしまう。今日、午前中にあの会議室でインタビュー撮影をしていたのは、ゼニスのメンバーだけだったから。
(……わざわざ、届けてくれたんだ)
無愛想で、ぶっきらぼうで、誰とも群れたがらない二十歳の彼が。
「……ふふ」
仕事中だというのに、口元が緩んでしまうのを止められなかった。
◇
【如月 蒼真・視点】
ゲーミングハウスの自室で、俺はベッドの上に寝転がり、天井を仰いでいた。明後日に控えたリーグ運営との公式会食のスケジュール通知をスマホで眺める。
ここ十日間、ずっと頭の中がぐちゃぐちゃだった。
スーツを着て、隙のない敬語でビジネスを仕切る『篠宮マネージャー』。夜になると、操作がおぼつかなくて「できたー!」と無邪気に喜んでいる『アキさん』。
「……どっちも本物なのが、ずるい」
腕で目元を覆い、深いため息をつく。冷徹な氷の顔も、ゲームの中のポンコツで素直な顔も、知れば知るほど頭から離れなくなっていく。
ピロン、と届いた明後日の会食の参加者リスト。そこには――篠宮亜紀の名前と、元相棒のREN、そして幼馴染のミアの名前が並んでいた。
【本日の練習時間:6時間(集中できず、いつもより短め)】




