腹ペコ付喪神(前編)
お題
・掃除機
・お好み焼き
・被害者
長くなるので前後半に分けます。
世の中には、想像を絶する阿呆がいる。
僕はついさっきまで、そういう人間は生まれながらに「そう」なのだと思っていた。先天的に頭のネジが二、三本飛んでいるのであって、自分のような普通の人間とは根っこから違う生き物なのだと。
みんなよく覚えておいてほしい。全くもってそんなことはなかった。
人間は、テンパると本当に何をしでかすかわからない生き物なのだ。僕はそれを身をもって学んだ。
最初から話すことにしよう。色々あって、僕は近所のお婆さんの家に泥棒に入ることにした。
理由はまぁ、そのうち話す。とにかく僕は入念に下調べをし、そして今日の昼過ぎにそれを決行した。今日はお婆さんが病院に行く日で、帰りは必ず日が落ちた後になるからだ。
人通りの少ない道路から塀を乗り越え、いつも鍵が開きっぱなしの勝手口から忍び込む。そして僕は、お婆さんの家を物色し始めた。
想定外だったのは、お婆さんがすぐに帰ってきたことだった。忘れ物をしたのか、ガスの元栓を閉めたか不安になったのか。理由はわからなかったが、とにかく帰ってきたのが問題だった。
僕は焦った。元々、こんなことができる性格ではないのだ。善性が強いという意味ではなく、小心者という意味で。
とにかく逃げないとという気持ちと、せっかくここまで来たのに手ぶらで帰るのは嫌だというチンケなプライドが悪魔合体した結果、僕は廊下に置いてあった掃除機を担いで勝手口から飛び出した。
その後のことはよく覚えていない。無事に家に着いたということは、塀を乗り越えて走って帰って来たということなのだろう。
オンボロの掃除機を担いで。
笑えてくる。他人の家に盗みに入って、得られたものが色のハゲた紙パック式の掃除機一つだなんて。
売ったら金になるどころか、処分するのに金がかかるような代物だ。
これではただの廃品回収のボランティアじゃないか。
僕は掃除機を前に一通り自分への罵倒の言葉を思い浮かべて、そして小一時間で開き直った。
持ってきてしまったものは仕方がない。足がつかないよう、どこか適当な河原にでも捨ててこよう。
そう思い再び掃除機を持って、外に行こうとしたその時だった。
「おいおい。突然連れ去られたと思ったら、今度はどこに連れてかれるってんだ?」
僕は最初、理解ができなかった。僕は一人暮らしだ。この家には今、僕以外に誰もいない。
「なんだお前、聞こえてんだろ。この泥棒め。おおかた売りにでも行くつもりだろうが、残念だったな。こんなオンボロ掃除機、買取先なんて絶対にねぇよ」
その声は、僕の気のせいでなければ、掃除機が発しているように聞こえた。
「けっ、ふざけんじゃねぇ。誰がお前の懐を潤してやるかってんだ。他の人間に会ったら、大声で叫んでやる。こいつは泥棒だ、先行き短いババアの家からチンケな掃除機一つ盗んで売り捌こうとしてる小悪党だってな」
僕はとりあえず掃除機をその場に下ろすと、数歩後ずさって何か手頃な武器を探した。
掃除機、掃除機に効く武器ってなんだ。ドライバーか?
「よくわからないんだけど」
僕はほぼ無意識に口を開いた。
きっと人類で最初に宇宙人と遭遇した人も同じような反応をするのだろう。
「お前、もしかして最新のロボットだったりする?」
「本気でおれっちがそう見えてんなら、お前は相当に疲れているか、何かの病気だと思うぜ」
「喋る掃除機に言われてなければ、素直に受け入れられたんだけどな」
時代遅れのデザインの掃除機は少し黙ると、心底得心したというような声でこう言った。
「なるほど、そりゃ一理あるな」
僕は文句を言う掃除機を大きいゴミ袋で何重にも包んで、押し入れの中に突っ込んだ。
そして風呂に入り、寝た。
掃除機はしばらくの間喋り続けていたが、途中で観念したらしく、夜中にはおとなしくなった。
そして翌朝、僕はお婆さんの家の近所まで歩いてみた。
お婆さんの家には警察の車が来ていて、ドラマとかでよく見る黄色いテープで勝手口のあたりが封鎖されていた。
やっぱり夢じゃない。
つまるところ、問題はそれだった。
夢じゃないということは、おそらくあの掃除機はまだ家にある。
喋るかどうかはまだわからないが、こうなると望み薄だろう。
僕は重い体を引きずって家に戻り、観念して掃除機の封印を解いた。
「お、爽やかないい朝じゃねぇか。おはよう! クソガキ!」
僕は嫌味を無視して、掃除機を部屋の床に放り出した。
「おい、丁寧に扱いやがれ。こう見えても俺は現役四十年の老体なんだ」
僕は黙って押し入れの中から工具箱を取り出した。
「おいクソガキ、何しようとしてやがる」
「サスペンスでよくあるだろ」
僕は工具箱の中を漁ってドライバーを探しながら答えた。
「死体をバラバラにして処理するやつ」
こいつは昨日、僕を脅してきた。このまま捨てたら何を吹聴されるかわかったもんじゃない。
「ふざけんじゃねぇ! おれっちはこう見えて、電気屋のオヤジ以外に体を許したことなんかねぇんだ!」
「掃除機の貞操観念なんて捨ててしまえ」
僕は吐き捨てるようにそう言って、掃除機をひっくり返した。底面にいくつものネジが見える。
「おい待てよ。まさか本気じゃねぇよな」
僕はドライバーをネジ穴に突っ込んだ。
「おいおいおいおい! 待て、話をしよう!」
「喋る掃除機なんてファンタジーな存在が、そんなチープな命乞いをするわけがない。やっぱり幻聴だな」
我ながら意味不明なことを言うなと思いながら、僕はそのままドライバーを回そうとした。
「クソが! 祟ってやるぞクソガキ!」
掃除機がひときわ大きな声で叫んだ瞬間、信じられないことが起こった。
突然、部屋で何かが割れるような大きな音が鳴ったのだ。
僕は驚いて手を止め、首をすくめて部屋を見渡した。
部屋の天井のシーリングライトが、木っ端微塵に四散していた。
何かをぶつけて割ったのとは明確に違う。まるで内側から爆破されたような……。
「お、おぉ。意外と気合でなんとかなるもんだな」
なぜかちょっと驚いた様子の掃除機の声が聞こえてようやく、僕の頭は再起動した。
「おい」
僕は掃除機を両手で持ち上げた。
「今のはなんだ」
「あー、祟り的な?」
「祟り?」
「そうそう。不届きものに罰をーって感じで念じると、まぁなんか色々できるんだよ。まぁだから、おれっちを分解するのはやめておけ。今のは警告だが、本気でやったらもっとすんごいのがいくぜ」
とても信じられない内容だが、電灯が不可解な割れ方をしたのは事実だ。
僕はもう一度、床に散った粉々のプラスチックやガラスの破片を見て、深くため息を吐いた。
その日から、僕の生活は一変した。
掃除機は口うるさい奴だった。朝は六時に起きてテレビをつけろ、午前の間に掃除をさせろと、お婆さんの家にいた頃と同じ生活スタイルを要求してくる。
掃除はともかくテレビはなんなんだと聞いたら、「アレが聞こえてこないとテンションが上がらない」と抜かしやがった。
無視するとひたすらにうるさいので、仕方なく僕は掃除機に従って生活スタイルを大幅に変えている。
朝六時に起きると、八時くらいに腹が減る。八時に飯を食うと昼もしっかり入る。夜は早く寝るので、深夜に酒やツマミを手にすることはなくなった。
全くもって嬉しくない。迷惑極まりない。
それ以外にも、奴は後出しで細々とした注文をつけてきた。掃除機をかけた後はちゃんと床を水拭きしろだの、カーペットは定期的にクリーニングに出せだの。
そんなお上品な生活を送る金があったのなら、泥棒なんかやっていない。
そんな生活が数週間続いて、とうとう我慢の限界が来た僕は、掃除機の奴にこう聞いた。
「なぁ、お前成仏とかしないのか」
「あ? なんだ薮から棒に。お前そんなにおれっちにいなくなって欲しいのか」
「あぁ」
僕は即答したが、掃除機の奴はどうにも不服そうだった。
「なんだよつまんねぇ奴だな。こちとら掃除機生を謳歌してんだ、あと十年はこのままがいいね」
「もし本気で言ってるんなら、僕も腹を括らないといけなくなる」
僕は一段低いトーンでそう返した。
祟りとやらを覚悟の上で、風呂に水没させるとかバットでぶん殴って壊すとか、そういう手段を取らざるを得ないだろう。
「けっ。わかった、わかりましたよ。俺をこの体から追い出す方法が知りてぇんだよな?」
掃除機のやつはうーんと唸り始めたが、少ししてお、と何かを思いついたようだった。
「お好み焼き」
「は?」
「おれっち、お好み焼きが食いてぇ。お好み焼きが食えれば未練もさっぱりなくなって、この体には用がなくなると思うぜ」
僕は目眩がした。
「お好み焼き? お好み焼きだって? 掃除機が?」
「おう」
「それは床に落ちた残飯を掃除したいってことか?」
「はぁ? 何をどう狂ったらそういう解釈になるんだよ。食わせろよ、熱々のやつをよ。青のりがたんまりかかってるやつな」
掃除機。お好み焼き。食べる。
いや、ギリ想像はできる。それを食べると表現するべきかどうかは甚だ疑問ではあるものの、かろうじて理解はできる。
「……わかった」
ものは試しだ。僕はすぐに家を出て近所のスーパーに向かい、冷凍のお好み焼きを買った。税込み四百三十円。高い出費だが、あの掃除機との縁切り料だと思えば躊躇わず払えた。
そして家にとんぼ返りしてすぐ、電子レンジでお好み焼きを解凍した。
「おい、なんだそれは」
掃除機の奴は、これまで聞いた中で一番不機嫌な声でそう言った。
僕は座卓の上に置いたお好み焼きがしっかり湯気を立てていることを確認してこう言った。
「安心しろ。さすがに最後の晩餐が温まりきってないというのは可哀想だからな。表示より長めに温めてやった」
「そうじゃねぇ。クソガキ、まさかそれをお好み焼きだと言い張るつもりじゃねぇだろうな」
「チヂミにでも見えてんのか?」
途端、掃除機の奴はこれまで聞いたこともないような大声で叫んだ。
「馬鹿野郎! そんなのお好み焼きじゃねぇ! お前の買ってきたそれはな、大阪焼きって言うんだよ!」
信じらんねぇ。こいつ広島焼きと大阪焼きを区別するタイプの掃除機か。
僕は半分キレながら言い返した。
「あのな、これは大手スーパーの冷凍食品コーナーで、お好み焼きってパッケージで売られてんだよ。お前がどう思おうと勝手だが、世間一般的にはこれはお好み焼きなんだ」
僕はお好み焼きのパッケージを、掃除機の奴に見せつけるように突き出した。
「お好み焼きってのはな、もっと多様性を内包してんだよ! 卵のふわふわ、豚肉のカリカリ、キャベツのシャキシャキ、焼きそばのモチモチ、それがお互いに妥協せず同居してるところがいいんだよ! テメェのそれはな、全部まとめてミキサーにかけて、中途半端に遠慮し合って個性が全部なくなった虚無だ! ぬるま湯の食い物だ! そんなのはお好み焼きじゃねぇ!」
「あぁもううるせぇ! 掃除機が食感語ってんじゃねぇよ黙って食え、そして成仏しろこのオンボロが!」
僕は完全に頭に来て、問答無用で掃除機の奴を持ち上げた。そのまま電源を入れて、掃除機のヘッドをお好み焼きに突っ込む。
掃除機の音が小さくかん高くなって、モーターが必死にお好み焼きを吸い込もうとしているのがわかった。
だが、僕は一つ、非常に大きな誤算をしていた。
「……吸引力が終わってる」
オンボロすぎるこいつには吸引力が全く足りておらず、お好み焼きの本体をほぼ吸い込めなかったのだ。
どれだけ待てど食が進まない掃除機を、僕は何度かお好み焼きにガシガシと押し付けた。が、結果は何も変わらなかった。
今日まで何日か使ったからわかる。こいつの吸引力はハンディ扇風機にも劣るレベルだ。そりゃ、固形物なんて吸い込めるはずがない。
僕は無言で掃除機の電源を切り、掃除機を床に投げ出した。
「おい、クソガキ」
掃除機の奴の冷え切った声が響いた。
「何か言い残すことはねぇか」
「思ったんだが」
僕は諦めなかった。
四百三十円、僕にしては相当奮発した方なのだ。ここまで来て収穫なしなんて許容できない。
「食うの定義ってなんだろうな」
「は?」
「腹に入るんなら、口を経由しなくてもいいとは思わないか」
僕は机の上の文具入れに入れっぱなしにしていたドライバーを数日ぶりに手に取ると、掃除機の奴の裏側を天井に向けた。
「おいちょっと待て、貴様何をするつもりだ」
「人間でも胃ろうってあるだろう」
「ふざけんな! やめろ、おいこらクソガキ、やめろっつってんだろうが!」
その後、掃除機の「祟ってやる!」という声と共に、派手な音を立てて洗濯機が煙を吐いた。
僕は泣く泣くお好み焼きを処分したが、掃除機の奴の機嫌は数日治らなかった。




