第弍章 六辺の華が舞い散る頃に。
金木犀で出てきた遥の再登場回ですね。どうなるかは自分で是非確かめてくださいな。まあ楽しんでってください。
家に帰ろう。
そう思ったのは、12月の半ば。
少し早いが、六辺の華がひらり、
またひらりと舞い、儚げな街を彩っていた時だった。
「東京帝大 大量変死事件」から5ヶ月と半分。
そしてこの町で起きた
「原因不明の失踪並びに死亡事件」から3ヶ月。
あの凄惨な事件の余波は静かにこの街を蝕んでいた。
この町は呪われている。先程の事件もそうだ。
事故の多発、火事、その他諸々。
不吉なことしか起こらない。それもこれも全て
金木犀が群生しているからだ。
錆びた鉄のような鈍色の花弁を散らしても尚、花は常に咲き乱れ、枯れることなく枝を残して葉を茂らせる。そこに生えていると言うだけでこの地に呪いを齎すのだ。いつからだったろうか、いい香りが不快な香りへと反転していったのは…。
金木犀。モクセイ科、モクセイ属の常緑小木。
学名: Osmanthus fragrans var. aurantiacus
訳は香りと華。
そこまで香りを強調する華は、今ではただの害草だ。
人が木を断ち切り、その枝を燃やしても、生えていた場所と、その燃やした灰から再生する。今の金木犀は、ただの植物ではなくなってしまったんだ。
当時、初恋という花言葉だったのが現在では
呪い、破滅というなんとも不吉なものに変更されていた。ところで私自身、金木犀のことを酷評しているが、実は金木犀は嫌いどころか好きな植物なのだ。
世間一般では忌む香りを私は心地よく思う。
艶やかで芳醇な香りは、私の心を落ち着かせてくれる。
自己紹介が遅れてしまったね、私は相生世嗣。そんな町を後にし、各地を放浪している異質点だ。
これまでの事件が起こっている最中、私は遠く離れた仇州を旅していた。ここでは岳峰山でカルデラ噴火が起き、各地を巻き込む大災害が発生した。柚子湯町でも少なからず被害はあったのだろう。私は運良く仇州から少し離れた海上の島:湯湾諸島を訪れていた為、被害を免れることができた。
話が逸れてしまったね、話を戻そうか。私が柚子湯町に帰ろうと決意し、帰りついたのは8日後、年の瀬だった。荷物を整理し、ある程度基盤が整う頃にはもう松の内が終わっていた。改めて町を歩いていると以前よりも寂れ具合が増し、町の象徴の銭湯は、凄惨な事件現場の残骸として町の指定遺産となっていた。銭湯の周りをフラフラとしていると、ポツリと佇む影があった。全身が腐肉のように爛れ、右目から芳しい金木犀を芽吹かせている子供…?いや、もう人ではないのだろう。あえて呼称するなら、それはゾンビだった。彼は何をするでもなく、銭湯の煙突を眺めていた。どこか、私に似た異質さを感じさせる存在だったのだ。微かに彼の視線が私を捉えた気がした。しかし、すぐに煙突に視線を戻していた。不思議に思いつつも、私は彼をそっとしておくことにした。
数日後、日も暮れて暗くなり始めた頃に私はまた外を歩いていた。別に目的があるわけではない。強いていうならば、寒風が運ぶ金木犀の香りに身を委ねたかったからだろうか。そうして歩いていると金木犀の少年が銭湯の前で座っていた。銭湯が好きなのだろうか。
見かける度にここにいるみたいだ。そして特に何もするわけではなくじっと、寒風に身を委ねている。その姿は、どこかやはり私と似ているように感じたのだ。
それからも定期的に外を歩いていたのだが、その度に少年を見かける。しかも決まって銭湯の前で。
1ヶ月ほど彼を観察すると、幾つかの行動パターンがわかった。煙突を眺める日、暖簾の前に座り込んでいる日、銭湯の前をフラフラと低徊する日。そして、私の事を微かに目で捉える日だ。
彼の右目を犯す、時期はずれの金木犀の香りが冬の寒風に乗って私の鼻腔をくすぐるのだ。「心地よい」心からそう思った。
その時頬に冷たいモノが張り付いた。六辺の華だ。
いつか、帰郷を決めた時の如く六辺の華がひらりはらりと待っていた。鈍い色の花弁とのコントラストが、まさに絶景であった。その時、世にも奇妙なことが起きた。寒風に誘われて舞った花弁が彼の手に触れた時、世界が一瞬脈動したように感じた。
それと同時に彼が淡く優しい、まるでかつての金木犀のような色の光に包まれた。
「美しい…。だが何が起こっているというのだ…」
私の口から讃歎と驚愕が漏れ出る。
光が彼を覆いきった時、私が観たものは…
彼の肌が血色豊かな薄橙に戻り、右目を犯す金木犀の枝が枯れ落ちるところだった。
喩えるのならば、それは神の御技。奇跡であった。光が消え去った時そこに残ったのは、眼から大粒の涙を流す無垢な青年だったのだ。彼はその場に崩れ落ちた。そして絶望の声をあげた。
見守ることしかできなかった私は、意を決して彼に声をかける。
「君、私の元で暮らさないかい?嫌なら構わない…」
精一杯の優しさを込めたつもりだった。
そして手を差し出す。
彼はその手を受け取り、頷く。
「うん。」と
彼の話を詳しく聞くと、彼の9月末の異変の被害者とのことだった。自分がなぜあのような姿になったかは思い出せないようだが、ひとつだけ残酷なことを教えてくれた。嗚咽を漏らしながら、
「あの姿になった時の事は、イマイチ憶えていないんだ。」
「だけど。この手で確かに、親友を殺して、食べてしまったんだ。」
あまりの惨さに言葉に詰まってしまった。
彼は記憶の大半を失くしていた。だが‘そのこと’については鮮明に憶えていたそうだ。そして、もう一つ鮮明なのが甘ったるく不快な金木犀の香りだそうだ。
そこから数週間、彼は私のそばにいた。
家にいるも、外に出るも、必ず着いてきた。
彼は名前すらも憶えてないようで、私は名前をつけることにした。
「君の名前は、鬼灯 護だ。」
「ほおずき まもる…?」
「そうだ。意味はね――秋の惨劇はちょうど彼岸の時期に起きただろう?彼岸といえば鬼灯だ。そこから立ち直り、人々を護る存在になってほしい。そんな願いを込めてつけたんだ。」
護は小さく頷き、まだ少し不安げな表情を浮かべる。だがその目には、ほんのわずかな希望の光が宿っていた。
名前を付けてあげてからは、彼は私についてくるだけでなく、自分で考えて動くようになっていた。
日ごとに判断力が増し、動きにも迷いがなくなる。
その著しい成長速度には、私はただただ驚かされるばかりだった。
数週間も経つと、少しずつではあるが記憶を思い出してきたようだ。名前は天草遥。家族で銭湯を経営していて、齢は17。好きな食べ物はおっきなエビフライときな粉をまぶしたおはぎ。好きだったことは、親友と行く夏祭りの夜の金魚すくいの音や、熱いお湯で汗を流すときの湯気の匂いといった、細かい日常のひとつひとつだった。それを説明する彼の言葉遣いもかなり流暢になっていた。時の流れの残酷さを、私は改めて思い知らされる。
そして、3月の初め。冬の寒さはまだ残るが、町の空気には春の兆しが混じっていた。雪ではなく、淡い霧のような冷気が朝の街を覆い、廃れた銭湯の建物の前を通り過ぎると、崩れた壁や煤けた煙突が、かつての賑わいをかすかに思い起こさせた。この町にいると、金木犀ばかり意識してしまう。だが梅の花も満開だ。金木犀とはまた違った艶やかな香りが頬を撫でる。やはり、華というものは美しい。
話は変わるが、護は4月から私の元を離れて、この銭湯を復旧していくそうだ。銭湯で始まり、銭湯で終わる。なんとも儚いじゃないか。できる限りは自分でするそうだが、どうしても困った時は頼らせて欲しいとのことだった。今では護は息子のようなものだ。喜んで手伝おうと思う。4月までもう、後少し。3月は別れ4月は出会いの季節とはよく言ったものだ。
個人的には、嬉しさ半分、悲しさ半分といったところだ。息子が自立するのはもちろん嬉しい。嬉しくない親などいないのではないだろうか。ただ、その後の喪失感も凄まじいのだ。名前を呼んでも姿どころか声も聞こえない。虚しい日々が続くのだ。幸い、私の家から銭湯は近い。定期的に遊びにいくとしよう。復旧したら護と入るのもいいかもしれない。
護が決意を固め、私が寂しいと思っている間に1ヶ月が過ぎようとしていた。あっという間に旅立ちの日だ。
「相生さん。いや、父さん。あの姿から僕を救ってくれて、本当の子供のように接してくれて短い間だったけど、ありがとう。」
「私は、君の父になりきれていたのだろうか。」
「うん。返しきれないくらい、沢山貰ったよ。」
「そうか、ならよかった。何かあったら、頼ってくれて構わないから。」
「ありがとう。再建が終わったら是非遊びに来てよ。父さんなら無料だよ」
冗談めかした声音だったが、その奥に震えが混じっていた。
「ああ,行かせてもらうとするよ」
護は泣いていた。私と言葉を交わしながら。
記憶が曖昧だが、私も泣いていただろう。
穏やかな春の風が吹く。冬の冷え切った風は、もうない。ひらり、はらりと舞っていた六辺の華は、いつの間にか櫻散華に置き換わっていた。道端の隅に積もっていた絶望の華は、穏やかな春陽気の中で、じわじわと融けていった。
春になっても金木犀は咲いたままだった。
私の中で金木犀は、また一段と特別な華になった。
少しだけ、頬に冷たいものが当たった気がした。
六辺の華だろうか。いや、きっと気のせいだろう。
その日は快晴、穏やかな風がまた一つ、春を運んできた気がしたのだ。
読んでくれてあざした。
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