辺境伯家の長男
辺境伯が逝去してから四か月が経ち、領主が不在となったシャルノビア領ではジゼノの遺言により、執事であるセルジュが代官として運営していた。
この件に対して王国内では反発する貴族たちが多くいたものの、辺境伯領内にある国境の最重要拠点であるソーン砦の防衛を担う騎士団の大隊長がシャルノビア家の家紋の封蝋が付いた遺言書を王宮に届け国王が承認した。
本来であれば成人した嫡子が継承するのだが、シャルノビア家の子息令嬢は皆若く成人しておらず、年若くして爵位を継ぐには成人の儀を行う必要がある。
また、成人の儀を行うには王宮にて当主と嫡子が国王含め王家の代表者3名と謁見しなければならないという条件が存在する。
よって俺こと、シルヴァノン・フォン・シャルノビアはシャルノビア家の長子であるものの爵位を継ぐことができていない。
だがそこに不満があるわけではない。むしろ、セルジュが代官になってくれて良かったとさえ思っているからだ。お陰で俺は書庫に入り浸れるからな。
「シルヴァノン様。こちらにおいででしたか」
扉の開く音と共に一人の侍女が書庫に入ってきた。
「ネル。何かようか」
「ライネル様が木剣を持って庭に来てほしいとのことです。レディル様もいらっしゃったので定期的なあれかと思いますが」
ネルの反応的に何で呼ばれているのか容易に想像できた。
「・・・あれか。わかった」
「行くんですね」
ネルが意外そうな表情をしながらそう口にした。
本音を言えば断ってしまったほういいのだろうが、断ればまた次に会った時により悪化するので仕方がない、と諦めている。
「断ってどうにかなるなら、俺だってそうしてるよ」
書庫を出て倉庫に行き木剣を一つ持って俺は庭に移動した。
「来ましたか。さぁ、剣を構えて下さい。シルヴァノン様」
庭に着くと刃を潰した鉄剣を持っている大男が待っていた。シャルノビア家の剣術指南役であるライネルだ。いつもは上着で隠れているが、シャツの袖を肩まで捲くり、そこから見える両腕は鍛え抜かれた筋肉がこれでもかと分かりやすく主張している。
よく見ると近くの芝生には大の字で寝そべり息を上げている弟のレディルと落ちているものと突き刺さっているものの二本の木剣があった。
先程まで打ち合っていたのだろう。
俺は言われるがまま剣を構えてライネルと向かい合う。
「参ります」
その一言を合図にライネルは剣を上段に構え、すぐさま振り下ろす。
俺はその一振りを受け止め、剣の重心をずらしてライネルの強い力を利用し、そのまま受け流す。
受け流された勢いのままライネルの体勢を崩すのを確認し、その隙を狙って一撃を入れる。
「な、小癪な」
ライネルは体勢を無理やり戻し、剣で攻撃を防いでからすぐに剣先を相手に向けて構える。
少し距離を取って再び互いに向けて剣を構え、向こうから動くのをじっと待つ。
「・・・負けだ」
しばらく続いた沈黙は、俺の降参の言葉で破られた。
「まぁいいでしょう。私の一撃を凌いだので、今回は大目に見ます。良かったですね。今日を生き延びることができて」
殺気の宿った目ですれ違いざまにその言葉を残して、ライネルはいつの間にか眠っていたレディルを抱きかかえ、二本の木剣を回収して屋敷の中へと入っていった。
「最初から痛めつけて殺す気満々じゃねぇか」
ライネルの攻撃を受けた両手首が痛みを伴いながら痺れている。
ライネルの一撃を俺は受け止めることができない。鍛え抜かれた大人と10歳にも達していない子供には圧倒的な差があるからだ。
互いに木剣であり、尚且つ相手が手加減をしてくれるならまだしも、あいつは鉄剣を全力で叩き込んでくる。
「メトゥーニ家の人間は強かだな」
自分の持っている木剣を眺め、その中に、作為的に入れたであろう切れ込みを見つめて俺は自分の立場を嫌でも理解させられ溜息を溢す。
少し休憩をしてから木剣を元々あった倉庫へと置き、屋敷の敷地内にある森の中の小屋へと訪れた。
小屋の中にはベッドが一つと木製の年季の入った机、様々な野草種類ごとに小分けされたツボが数個、そんな空間に足を踏み入れた。
「お帰りでしたか」
声をかけられた方を見ると同い年ぐらいの少女がいた。シャルノビア家のメイドのミレナだ。
肩口で切りそろえられた茶色い髪に真顔で居ると目立つ鋭い目つき、無表情でありながら両手に持っているのは数日分の衣服が入った籠。表情だけを見ればやる気は一切感じることはないが、屋敷で働いている侍女と同じ格好をしており、彼女が衣類の入った籠をここに持ってきている事が仕事をしていることを証明している。
「さすがに手首が痛いからな、屋敷をうろつくのは危険だし。それより、ミレナもういいよ。屋敷の方に戻りな」
「いえ結構です。バレたら後々母に怒られるので」
衣類の入った籠を受け取ろうとしたら断られてしまった。
ミレナは両手で持っていた籠をベッドの上に置き、その中から種類ごとに分けて置き、空っぽになった籠をもって小屋を出ていった。
これが今の俺の部屋のであり、俺の屋敷での立場を表している。
俺は長男でありながら父と産みの親である母が遺していった、後ろ盾のない力なき貴族だ。