第4話 「異世界にいるんだから走馬灯ぐらい見るよ:後編」
仕事疲れでオレの脳みそはオートパイロット状態だった。
「さすがだ篠崎クン、今週に入って7人もフミコ(万引き犯)を摘発したのか」
黒革の回転イスにどっかりと体をうずめた恰幅のいい竹本部長が、感心したように報告書に目を通している。
「このショッピングモールに配属されてたった4週間で、24人を一人で釣ったのは驚異的だねぇ」
「ありがとうございます、部長」
「このモールはオープンしたばかりという事で荒食い(次から次へと万引きが発生する事)が深刻だったみたいでねぇ。支配人には早く結果出さないと契約先を変えるとせっつかれていたんだ。隊員の数を増やしたり、ベテランを配属しても大した成果がなかったんだが、キミのおかげで何とか契約を更新できそうだよ」
「ありがとうございます。これからもこの調子で頑張っていきます」
「うむ、私もこの業界に入って久しいが、キミのその観察眼は滅多にお目にかかれるモノじゃない。あと5年も現場を経験すれば、いずれは内勤に配属されて、待遇も今より良くなるだろう。キミも知っていると思うが、警備業界っていうのは役職についてからが稼ぎ時だ。期待しているよ」
「ありがとうございます、では失礼します」
ありがとうございます、なんて便利なワードなんだろう。どんな状況でも使用でき、返答に頭も使わない。しかも最後に何か一言加えれば誠実度がグンと上がるというオマケ付きだ。
日報を終えて事務所を後にしたオレは、そのまま駅まで歩いて、運よく停車していた自宅の最寄駅行きの電車に乗った。最寄駅に快速電車が停車しないため、各駅停車しながら40分ほど電車に揺られながら物思いにふける時間が、オレは好きだ。ふだんはマンガやアニメの世界の中に自分を送り込んで空想を展開させて遊んでいるが、今回はそういう気分ではなかった。
今日釣ったフミコの事が思い浮かぶ。塗装会社を経営している40代男性の泣き顔が頭にこびり付いて離れない。
「見逃してくれ、下の子供が小学生に上がったばかりなんだ」や「オレがムショに入ったら会社を追われるだけじゃ済まない、一家が路頭に迷う」など、さんざっぱら呪詛を吐かれた。
20歳で万引きGメンを初めて今年で4年目、フミコの弁明の言葉はおしなべて似たようなもので、この男がオレに向けて吐きかけた言葉も、耳にタコができるくらい聞きなれた定例文だった。
文字に書き起こせば聞きなれた言葉も、その言葉とセットで向けられる負の感情は何度聞いても慣れるということはない。モノを盗る瞬間は罪の意識がない当人も、いざ現場を押さえられ、事務所の机の前に座らされると、自分がやった過ちの重大さと自分の処遇を考えて様々な反応を見せる。
何も言わず警察が来るまで殺意を込めた眼でオレを見る女子高生。ひたすら家族の話をして情に訴えようとする大手商社マン。スキあらば殴ってくる土木作業員。示談金と称して財布から万札を出して交渉しようとする弁護士。反省の色を全く見せずにオレが当番の時を狙ってもう一回盗ると挑発するホームレス。泣きじゃくって許しを請う小学生。スカートをたくし上げて取引をしようとする大学教授の婦人。などなど。
老若男女、貧富の違いはあれど、みんな行き着く先は釣ったオレにマイナスの想いを突き付けるという事だ。
Gメンを始めた頃は正義感で任務にあたっていた。上司や雇い主に褒められて、同僚に「お前スゲぇな!」と言われて純粋に嬉しかった。釣った人数が増えるにつれて、黒くてドロッとしたものが少しずつ心の底に溜まっていったが、社会に貢献しているという誇らしさと嬉しさで自己を保てた。
しかしその誇らしさよりも精神的圧迫感の方が大きくなるまで、そう時間はかからなかった、社内と比べて、いや他社の隊員と比べても異常な数のフミコを挙げてうなぎのぼりに上がるオレの評判と同時に、オレの心労もその分はやく溜まり、去年から目がかすみ、動機、不眠、胃潰瘍、円形脱毛症、およそストレスで患う症状はおおよそ網羅した。
電車が最寄駅に到着し、オレはゆっくりと座席から立ち上がり、電車を降りた、ここからさらに20分ほど歩くあいだも、オレは暗い意識の底をさまよっていた。
むかし読んだマンガで似たような境遇に遭った主人公がいた。その主人公は幕末の志士で、上の命令で幕府に味方する攘夷志士を次々と暗殺していった。命令とはいえ斬った人が100を越した辺りから心に変調をきたし、その時の状況を彼は「人の血で徐々に手が重くなっていく」と表現した。
似たようなものじゃないか。規模や人を殺したか否かの違いはあるが、何人もの人生を狂わせたことには変わらない。万引きを現認して店を出てから捕捉された人は前科一犯、場合によってはムショに行く。
だがその主人公とオレには決定的な違いがある。その後に立ち直ったか否かだ。主人公はやがて愛する人ができ、その女性の助力でツラい時期を耐え忍び、ついに維新志士側が勝利し、二人はすえながく幸せに暮らした。
オレは今日捕まえたフミコの後にモールで泳ぎまわっていたバリ挙(不審者)が頭に浮かんだ。オレは愛する女性が現れるまで耐えることができなかった。バリ挙が商品をカバンの中に入れたのを現認し、店を出たにもかかわらず、オレは追わなかった。
人定は三十代男性、面長、メガネ、黒髪、短髪、たっぱ170cmちょっと、紺色スーツ。時間帯と歩幅で営業マンだと分かる。歩くたびにポケットのキーがジャラジャラ鳴っている、車で来たという事はこの辺りの会社務めではない。店にいる際に3回電話が鳴ったが、いずれも違う着信音。職種は卸関係か。この時期にしてはスーツのシワが目立たない。指輪をはめていないが、おそらく結婚している。製菓売り場でガムをポケットに入れた際に、少女アニメのプリントが入ったグミに一瞬手に取って戻した。娘が最低一人……。
驚いたことに、リフターを見逃した時のオレの心は晴れやかだった。まるで一人の人間を救ったかのような感覚を味わった。そう、実際にオレはあの人の人生を壊すこともできたのだ。彼だけでなく、彼の妻と娘の将来を狂わすことも簡単にできたのだ。しかし敢えてそれをせず、彼に後の人生をやり直すチャンスを与えたのだ。こんなに慈悲深い行動をとったオレに、あの男性は泣いて感謝するべきではないのか。
分かっている。そんな事をしてはいけない事くらい、言われなくても分かっている。オレが見逃したことで苦しむ者もいるのだ。万引きは犯罪だあの男性は捕まえられてしかるべきなのだしかしオレはかれをみのがしたこれはりっぱなはんざいだきっといまにてんばつがくだるほらくるまがもうすぴーどでこちらにむかってくるしんごうはたしかにあおなのにいやあおだからむかてきたのか……
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「は~い!お待ちかねのボーナスステージで~すパチパチパチィ!!」
どこまでも朗らかで、底抜けに明るい女の声がどこからともなく聞こえてくる。