生成AIの功罪
近年のコンピューターの高性能化、AIの進歩は著しいものがあります。
パソコンや携帯端末をインターネットに接続して、チャットGPT等に問い合わせたいことを質問等すれば、即座に正しいと思われる回答が得られます。
凄く便利になったな~って感心してしまいますが、自分で苦労して調べるってことが無くなってしまい、これで本当に良いのか?って思えてしまうのも確かなのです。
自分で色々と考えて正否を出したり新たな知識を得る行為を、場合によっては思考の放棄や思考の停止すらしてしまっているのですからね。
学校では『宿題』や『論文』等を生成AIに全て丸投げし、自分では全く考えることも無く、生成AIから出て来た回答やレポートをそのまま『コピペ』するだけで提出する生徒が大勢いるのだとか。
大人の社会の会議等でのプレゼンテーションでも、生成AIに資料の作成を全て丸投げしていて、内容的には理路整然としていて凄く素晴らしいのだが、プレゼンテーション発表者自身の考えが全く存在しない見えないので、本当にこの方たちに任せてしまって大丈夫なの?みたいなケースが多々見受けられるのだとか。
生成AIは計算や分析が得意なのですから、確かに業務の時間短縮とコストダウンになるでしょうし、ムダも無いのですから、上手く有効活用すること自体は業務の効率化って意味でも良いことなのです。
怖いのは、自分の知識や自分で考えたこと分析したことでは無いってこと、場合によってはプレゼンテーションの内容すらしっかりと理解していないままってことなのですよ。
一見して優秀らしく見えているが、実態は生成AI任せの丸投げ『コピペ』で、実は生成AIが無いと何も出来ない残念な人ばかりになってしまう。
それって本当に大丈夫?って思えて来ますよね。
それこそアニメの『エヴァンゲリオン』に出て来るマギシステムが、様々な問題を最終決定するプロセスみたいになるんですよ。
思考の放棄や思考の停止の先の未来は、場合によっては『瞬時に答えが出ない、曖昧で効率が悪い人類は不要』ってことになりそうです。
人は何もせずで、全ての判断を生成AIが決めてしまう、そんな『人は不要』って世の中になってそうな気がしてしまうのです。
確かに人が居なくなれば、地球温暖化等の環境破壊は無くなりますけどね。
そんな残念な世の中にしないためにも、便利な生成AIを活用するにしても、最終的には自分で考えて答えを出すことを放棄せずにいて欲しいものです。
そう言えば小説や楽曲、映像でも、生成AIが作成した作品を『コピペ』しただけで発表されているものが、既に多々あるみたいですね。
その中には悪意のある『フェイク』もあり、多くの人たちがアッサリと騙されてしまう。
だからこそ広く一般に公開される作品については、「この作品はオリジナルではなくAIで生成されたものです」って表示するようにしないとダメなんでしょうね。
既に画像投稿サイトの『みてみん』では、画像種別でオリジナルがAI生成画像かを自己申告ですが登録しないと、投稿すら出来ない仕様としていますよ。
生成AIに対する法制化が遅れているのも確かですが、それを巧妙に悪用しているのは人なんです。
もしかすると近い将来は、進化した生成AIが独自判断し始めて、人を介さず犯罪行為に手を染めている可能性すらもありますが・・・




