執事と揺さぶり
ああ、頭の中がぐちゃぐちゃだ……。
どっちが上か、どっちが下か。こっちが右か、あっちが左か。視界が気持ち悪く歪んでいて、今にも吐きそうだ。
「よくもまぁ、ここまで頑張りましたね……」
歪む視界の中突然問い掛けられた声が、勇人の意識を現実に引き戻した。視界が開き、目の前に見知ったメイドが映し出された。
「……ハル……さ……ん」
「喋らない方が良いですよ。今にもリバースしそうな顔何ですから……」
ボヤケる晴子の顔に安堵の表情が溢れ、勇人のおでこにヒンヤリしたものが触れるのを感じた。
それが晴子の手だと、そして今、自分が膝枕されていることに、今の勇人には分かるわけもない。
この状態になる少し前、勇人は由利の希望でこの遊園地でもっとも怖いジェットコースター『ハイパードライブ』に連続で四回も乗ったのだ。まぁ、元々進めたのが勇人であるので、それを気に入った由利が何回も乗ろうと言い出すのは不思議ではない。
だが、二人が乗ったジェットコースターは都内でも屋外最恐と謳われる代物であり、普通の人なら一回で「もう一生乗るか!!」って青い顔で罵りながら家に帰るといわれるジェットコースターだ。
それを二人は間を置かずに四回連続乗ったのだ。こう為らない方がおかしい。
三回目あたりからの係員のもの凄く哀れな、そして奇妙な人を見る目で見ていたが、グロッキー状態の勇人に気にしている余裕はなかった。
そんな怒涛の四連続コンボを乗り切った勇人は悲鳴を上げる胃袋を気合でどうにか抑え込んみ、最悪の状態は免れたかに見えた。
しかし、そんな勇人に追い打ちをかける様に、由利が次に屋内最強(最恐)のジェットコースター『地獄への誘い』に乗ると言い出したのだ。当然エスコートする側の勇人は由利の希望を尊重しなければならない。しなくていいのならアレに四回も乗ってないハズだ。
そのまま由利のごり押しに負けた勇人は『地獄へのいざない』に乗ることとなった。
「イエェェェェェェェェェイィィィィィィ!!!!!」
「&#〇%△$#◆&%$ッアァァァアアアア!!!!!」
『地獄絵の誘い』での二人はこの際割愛させてもらう。 強いて言えば、勇人はリバースした。
ぶっちゃけ、横たわっている勇人は『地獄への誘い』の記憶などひとかけらも残っていない。一回目の落ちるとこまでは覚えているのだが、そこから今までの記憶が全くないのだ。
口に変な違和感を感じながら、勇人はボヤケる視界の中で辺りを見回した。
「そういえば……瑠璃さんは?」
「由利の生け贄に捧げました」
「さいですか…」
晴子の迷いない言葉に、勇人は少し前まで自分が居た場所に青い顔して座っている瑠璃の姿を思い浮かべながら、苦笑いを溢した。
時間は午後三時を回ったところ。
子供連れの姿がチラホラとしか見かけなくなり、代わりに女子二人組や、仲睦まじく歩くカップルの姿が目立ってきた。それに伴い、カップルを白々しそうに、半分羨ましそうに見つめている男の姿も見かける様になった。
いやしかし、勇人が一番気になるのは何故男性達のほとんどが勇人を舌打ち交じりに睨みつけてくるかであった。
(別に貴方たちが羨ましがる様な事一つもやって無いんだけどなぁ? てかどちらかというとそっち側の人間だし……)
もし勇人の心の言葉が彼らに聞こえていたら、一瞬のうちに勇人は血祭りにあげられていただろう。
傍から見れば、仲の良いカップルが白昼堂々『膝枕』なんぞという男の夢を目の前で見せつけているのだから。いや、最近のカップルでさえもやらないのかもしれない。
勇人が気持ちよさそうに晴子のスカートの裾に頬ずりし始めたのにビクッとなるも、晴子が顔を真っ赤にさせながら勇人の前髪を優しく撫でた瞬間、辺りから空き缶を握り潰す音が無数に響いたのは言うまでもない。
そんなふうに敵を増やしているなど露知らず、勇人はスカートから頭を上げて再度辺りを見回した。
「ここ……何処ですか?」
「ジェットコースターから少し離れた…、確か『トゥーンシティ』って所ですかね?」
『トゥーンシティ』は『ネバーランド』の住人『ティンカーベル』が住む町である。ここでは彼らの常風景を見たりするアトラクションや、運が良ければ写真を撮るなど触れ合えることが出来るのだ。
しかも、彼らは遊園地によくいる着ぐるみマスコットではなく、その姿を模した外国人スタッフがやっている。
これはキャラクターと写真を撮ろうとした時急に風が吹いて、『身体はキャラクターで顔がオッサン(結果的にオッサン)に抱き付く自分たち』なんて一生植え付けられるトラウマ、子供の夢を尽くぶち壊す写真が出来ることが起きないようにと夢の国側の配慮だ。
と、遊園地あるあるは置いといて、絶賛膝枕中の晴子は勇人の額に手を乗せたまま少し真剣な顔付きになった。
「……勇人君。一つ、聞いてもいいですか?」
「? 何ですか?」
勇人は首を動かして、その顔を見上げる体勢で聞き返した。それに晴子は一瞬躊躇したように目を泳がせたが、意を決して勇人を見据える。
「……今から私が質問すること、正直に答えてくださいね?」
「え? あ、はい」
思いがけない問いに、勇人は思わず目を見張る。そして、その頭でこれ見よがしにフル回転し始めた。
(これは……もしや告白では!!)
フル回転により、勇人は一人先走った思考で晴子を見据えた。
「もしあの時優勝していたら、君は何をお願いしていましたか?」
「はい?」
予想外の問いに勇人が面を喰らったような顔になると、晴子は更に真剣な眼差しで勇人を見た。
「前に北条様の執事を決める大会で、あの子が君に優勝したら一つだけ何でも願いを叶えてあげるって言いましたよね? 結果はアレでしたが、仮に優勝していたら何をお願いしていたのか気になりまして……って何落胆してるんですか?」
「へ!? いや、別に……」
先走り過ぎた自分を恥じるように勇人は目線を反らして押し黙った。その目には、あの日の自分の心情が映っていた。
あの時、勇人が最初に思い浮かべたものは『元の生活に帰りたい』であった。 あの頃、勇人は平気そうに振る舞っていたが、内心どうすれば逃げ出せるかを四六時中模索し続けており、仕事の合間を縫って逃げ出せる突破口を探していた。
更に勇人は自分を見付けようと躍起になっているであろう親友に電話して応援を募ろうとした。勿論、外で誰かが聴いているかも知れないから、カムフラージュのために冒頭部分を諦めさせるよう説得するフリをした程、勇人は帰りたかったのだ。
しかし、あの時の勇人の頭にはもう一つ、帰りたい気持ちよりも強く響いていたものがあった。
「……『隼人に謝りたい』って言ったと思います」
「隼人って……あの電話の?」
何故か眉を潜めながら首を傾げる晴子に、勇人は苦笑いで頷いた。
親友に助けを求めようとした時、彼はカムフラージュを真に受け、そして本気で怒った。その気持ちは電話越しからでも伝わってくるものであった。あまりの怒号と痛いほど伝わってくる気持ちに、勇人は罪悪感から逃れるように通話を切った。その時、改めて自分がやろうとしたことが愚かで、そして周りを考えない身勝手な事だと理解した時、己を殴りたい気持ちになったほどだ。
あの時、隼人には悪いことをしてしまったと、勇人は胸の内で常日頃思っている。
『俺のこと、忘れてくれないか?』
カムフラージュとは言え、もう少し言葉を選べただろう、と勇人は今でも思っている。もしあの時に戻れるならば、彼は自分自身を殴り飛ばしただろう。そして、電話を奪い取って二人に本心を伝えただろう。
(……いや、伝えれたのか……?)
あれ以来連絡を一つも寄こさずに、それで平然と二人に言葉をかけられることが出来るのか。
もっと言えば、話すチャンスもあった。それも、向こうから電話をかけてきてくれたまたとないチャンスだった。だが、勇人はその電話に出なかった。
どうしてかは、彼自身よく分からない。ただ単純に怖かっただけかもしれない。でも、そんな簡単な言葉で済ませれば、ここまで悩んだりしてないだろう。
あの時から、今の自分は少しでも変わったか?
今ならちゃんといた言葉をかけれるか?
元の関係に戻ることが出来るのか?
考えれば考えるほど、勇人の頭はこんがらがり、まとまる事も纏められず今までズルズルと引きずってきたのだ。
「上手く言葉に出来るかどうか分かりませんが……取り敢えず、何でも良いから謝りたいです」
勇人の言葉に、晴子はそうですか、と声を漏らして遠くを見るような目をした。
「……あの、僕からも質問して良いですか?」
「何です?」
寝そべりながら勇人の問い掛けると、晴子はそれを見下ろしながら首をかしげた。
「お嬢様とハルさんって、どういう関係なんですか?」
「えっ」
勇人がそう問いかけた瞬間、その背中に言い知れる寒気が走った。何故か分からない分からないが、しいて言えば、晴子の瞳だろう。
勇人が問いかけた瞬間、彼女の顔から、優しげだった目から一切の感情が抜け落ちたからだ。その目はこちらを向いているものの、何処か別の場所を見ているような感じがしていた。
「どうしたんです? 藪から棒に?」
「え、いや、その……」
笑顔を見せながら晴子が優しく問いかけてくるも、その声すらも感情が籠っていなかった。その言葉に勇人の背中を寒気が走り、額にはいつの間にか汗がにじんでいた。
「あ、あれですよ! ハルさんって、お嬢様のことたまに呼び捨てにしますよね? これって結構長い間柄ってことですよね? だからいつごろからお屋敷で働いているのかな~、ってふと思ったもので……はい」
「……そうですか」
勇人の言葉に、晴子はそれだけ言うとニコッと顔を綻ばせて、勇人から顔を背けて考え事をし始めた。その時、勇人の背中を走っていた寒気が消え、滲んでいた汗も綺麗に引っ込んだ。
しかし、彼女の目だけは、一切変わっていなかった。一光の光も見えない、真っ暗な闇が渦巻いているような、勇人は人知れずそう感じた。
「私が案乃条家にやってきたのは二年前と結構最近ですよ? 当時、中学を卒業した時、親の仕事の関係上高校の進学を断念せざる負えなくて、就職をしたんです。それが、ここのメイドだったんですよ」
「でも何でタメ口で?」
「それはあの子から『同世代なんだからタメふちぃ……タメ口で良いわよ!! 私噛んでなんかないからね!! ホントだから!!』と言われたからですよ」
「噛んだ部分まで再現する必要あります?」
ジト目の勇人に晴子は悪びれもなく「大事です」と笑うと、大きく伸びをして空を見上げた。その横顔に、何故か悲しそうな表情が浮かんでいたをの勇人は見逃さなかった。
「……あ、あの――」
「何しとんじゃワレェェェエエエエ!!」
問いかけようとした勇人の声を掻き消すように、凄まじい怒号とスリッパが勇人の顔面を急襲、その顔面にジャストミートした。
「っああああァァァァァァ!!!」
「勇人くん!!!」
スリッパをモロに喰らった勇人は、晴子の膝から転げ落ちて顔を抑え踞る。踞る勇人を忌々しげに見つめるのは、真っ赤な顔に鬼の形相を浮かべて息を荒げている由利であった。その手にはスリッパが握られている。
「白昼堂々、ハルの膝で膝枕とはいいご身分じゃないの勇人~?」
口調は柔らかいが、その声は夏に似つかわしく冷えに冷え切っていた。それにより、勇人の背筋が一気に冷たくなる。
「ほ、ほりょおはま(お、お嬢様)!! ひっはいはひはんへすは(一体何ですか)!?」
「何言ってるのかな? それって言い訳?」
「ほ――ゲフッ!!!」
勇人の言葉を掻き消すように由利の手から第二派が襲い、勇人は再び激痛と悶絶の世界へと招待された。それを見ながら、由利は自らの膝に目を落とし、不満そうに頬を膨らませた。
「あたしだって膝枕くらい……」
「ふ? なんて?」
「っ!? う、うるさいうるさいうるさいうるさい!!」
勇人の間抜けな問いに由利はそう叫びながら、返答の代わりとして更に第三派、第四派と放っていく。
そして、いつしかそこは無数のスリッパを光のごとき速さで投げつける少女と、それを避けながら走り回り何発か喰らう執事、そしてそれを見ながら観衆たちが勇人に向けた怒りの怒号が飛び交う何とも言えない状況となっていった。
「やれーー!! やっちまえーー!!」「リア充爆発しろーー!!」「白昼堂々膝尼喰らって羨まし過ぎるだろが!!」「しかもその相手は茶髪の美女とかどんだけ欲張りなんだゴラァァ!!」「更に顔を真っ赤にさせた金髪美少女の嫉妬とか羨ましすぎ――ぶべらッ!?」「おい、一人倒れたぞ!!」「金髪美少女からのスリッパだ!!」「これはご褒美の予感!!」「お前ら!! 金髪美少女のことを大声で叫べば、もれなくスリッパがもら――っあ!?」「うわっ!? ホントに入った!!」「テメェら、ご褒美はココだぞォォォオオ!!」
「ハルさん、ちょっと良いですか?」
目の前で勇人の処刑、および変態達の宴が行われている中、それを引き気味で見ていた瑠璃がその光景を無表情で眺めている晴子に近づいた。
「何でしょう?」
「何故に膝枕を…?」
「この展開にするためですよ」
「顔を真っ赤にさせて、ですか?」
「…………今日は暑いですからそのせいです♪」
晴子がそう笑顔で言うと、試合終了の断末魔が鳴り響き、目の前の騒動が終わった。
「ふん!、勇人なんか知らない!!!」
そう言いながら、由利はもう一度勇人の顔面にスリッパをお見舞いすると、クルリと向きを変えて、ズンズンと歩き出した。それを慌てて瑠璃が引き留めに入るも、その道を塞ぐように倒れる顔面にスリッパ痕を付けた変態達で近づくことが出来なかった。
「ちょ、お嬢様!」
「ちょっとトイレ! 勇人が目覚める前には戻る!!」
変態達を踏まない様に近づきながら瑠璃が叫ぶと、一瞥もせずにそう返した由利は側の人混みへと姿を消した。
そんな後姿を見つめていた晴子がいつの間にか勇人の側に立っており、うつ伏せで倒れている勇人に意地悪っぽい笑みを向けた。
「お願い、変わりましたか?」
「考える時間を下さい」
そう声を漏らす勇人の傍らに、銀色に光る一枚のカードがあった。




