執事と開始
『平均以下のものを作ることです』
「ど、どういう意味なんだよ……」
周りの選手たちがそれぞれ調理に映る中、勇人は一人困惑した表情で立ち尽くしていた。晴子がアドバイスと称して残していった言葉が、未だに理解できないからだ。
孝章は生まれてこの方超一流のシェフが高級な食材で作る一級品しか食べ来なかった。ゆえにその舌は肥えに肥えており並大抵のものだしても『不味い』の一言で失格になってしまう。
もっと言うと、勇人は一様にも料理は出来る方ではない。
両親が共働きだったことで有り大抵のものは作れなくもないが、生まれてこの方高級食材なんぞテレビでしか見たことが無い。はじめて安乃条家の厨房に入った時、目の前に広がる数多の食材を前に、思わずたじろいでしまった程である。
勇人は重要なピースが揃わなくて一向に進まないパズルに悪戦苦闘しているような感覚であった。
「真張さんの前では『結構簡単ですね』なんて大口叩いちゃったけど……」
今更ながら、先ほど自らが発した言葉の重みに改めて現実を直視する破目に。何か泣けてきた。
『さて、先ほどからじっと立ってしまっている北方選手 一体どうしたんでしょうか?』
実況のアナウンサーがこちらを覗きこむように言った。
『まぁ、彼はただの一般庶民だからね、ただの一般庶民が僕のような高貴な人の舌を唸らせるほどの料理を作れるかな!!!』
こ~~の嫌みったらしい声は孝章だろうか? いやしかないよね? 胸の奥から何かどす黒いものが……溢れてくるよどうしよう?
『しかし、この中の何人が僕の舌を唸らせるだろうかね? この僕は生まれて超一流のシェフが最高級な食材を使った一級品の料理しか食べてこなかったからね? もしかしたらここで全員落ちちゃうかもね(笑)』
『それだけは止めてくださいね? 北条家執事決定戦やった意味なくなりますから』
孝章の暴言にさすがアナウンサーとでも言いたくなるような冷静なツッコミを決めている。しかし、その実況のマイクを握り締める手に血管が浮き出ているのを勇人は見逃さなかった。
「あの人、何やってんだか……」
先ほどの暴言で、何人敵ができたのだろう? ある意味これで危険が増えているんじゃないんだろうか……。
北条家の恥部を改めて確認しながら他の選手たちに目を向ける。
ほぼ全員と言っていいほど、みんな手際がいい。
ある人は魚を目にも止まらぬ速さで三枚におろしたり、ある人はフライパンを自分の手のように扱っている。なんか自分がここにいる人間じゃない、そんなアウェイな空気が漂っていた。
二回戦開始前に勇人たちに話しかけてきた外国人の人も笑顔で調理をしている。時々、観客に向かって何か叫んでいたようだが、誰一人として反応してくれなかったようで、今ではただ笑顔を絶やさず包丁を使いこなし調理を進めていく。
他の選手が着々と料理を勧めている一方で、未だに何も出来ていない勇人。
「ヤバイな……」
勇人はボソリと呟いた。
『さて、開始から十分が過ぎましたが北方選手は未だに動こうとしません。作る料理が決ってないのか、はたまた周りの選手たちの威勢にたじろいでいるのか? どうなんでしょうか?』
どっちもだよ、と勇人は心の中で呟く。
『まぁ、彼なんかには何も出来ないさ! 取り敢えずありきたりなものを作って、それで僕に『こんなクソ不味いもの食えるかァ!!!』って怒鳴られるのがオチだよ』
『な、なんか彼にだけ厳しくないですか?』
『あ、なんならココで発声練習してやろうか? 生まれてこの方一級品しか食べ……』
『はい、ありがとうございました~!!』
孝章が叫ぼうとした瞬間、待ってましたと言わんばかりに横からマイクを引っ手繰った真張が強引にしめた。
その後、実況席からなにやらギャーギャー騒いでいたようだが勇人は手を口に当てて考え込んでいた。
「一級品しか……」
先ほど孝章が言った言葉を改めて口にする。
『一級品しか食べたことのない』と言う言葉が頭の中でぐるぐると回っている。
そして晴子の言葉。
『平均以下のものを作ることです』
(平均以下とは誰の平均だ……? 僕でもハルさんでもない……てことは孝章の……?)
さり気無く孝章を呼び捨てにしていることに気にするはずもなく、勇人の頭の中では散らばったピースがどんどんはめ込まれていった。
(そして『一級品』というのは……孝章は一級品しか食べたことが無い……ってことだよな?)
勇人の頭の中で、穴ぼこだらけだったパズルが形を示していく。
(『その平均以下を作る』……つまり)
最後のピースがはめ込まれ、ついにパズルが完成した。
(そうか……そういうことか!!!)
勇人は顔を上げると真っ先に観客席の方を見た。由利の横に座っている晴子は、静かに勇人を見据えていた。
そして、優しく微笑んだ。『ようやく分かりましたか』とでも言うように。
勇人も微笑み返し、目つきを鋭くして食材置き場へと走った。
『おっと、ここでようやく立ち尽くしていた北方選手が動き出した!!』
アナウンサーが声を張り上げて叫んでいるが全く耳に入らない。
(取り敢えず必要なものは……っと)
勇人は手当たりしだい食材をかき集めていく。
(あとは……コレだ!!)
そう心で呟きながら紙袋を掴み、それぞれに用意された調理台へととんぼ返り。
(残り四十六,七分ってところか……?)
制限時間が表示されているタイマーをチラリと見て包丁を握る。
「よし、行きますか!!!」
◇◇◇
(ようやく気づいてくれましたか……)
勇人が包丁を握り締めた姿に、晴子はホッとしたように胸を撫で下ろした。
(もう少し……、言っても良かったかな……?)
勇人の手を逃れてから観客席に戻るまでに、晴子はちょっと不安になった。
晴子自身、勇人は結構細かいところまで気がつく方だと思っていた。しかし、その反面正直言ってあれだけのアドバイスで気付くかどうか不安だったりもした。
そんな思いから、もうちょっとヒントをあげてもよかったのではないだろうか? と言う後悔の念が胸にこみ上げてきて、今の今まで紐で心臓を締め付けられる感覚が晴子を襲っていたのだ。
「もう……遅いですよ……」
晴子は小さく笑いながら呟いた。
「…………」
その姿を無言で見つめる由利の目は、何処か寂しげで、そして羨ましげであった。




