覚醒
バーバ・ヤーガは動かない。
顔立ちは茉莉花に似ている気がするが、全身の皮膚が黒い為なんとも言えない。何より瞼と目玉が無い。
喉に傷は見当たらない。取り敢えず回復したものとして判断する。
対してこちらは満身創痍。右手はなんとか使えるが左の方は肘から先の感覚がない。疲労は勿論あるし背中もヒリヒリ痛む。
さて、どう戦うか? 風で飛ばされたのかナイフの所在は分からない。
かろうじて吹き飛ばされる前にスマホを拾えたのが救いか。こいつはこの戦いの生命線だ。
よし、
「うおおおおおおおお! 」
スマホを掴んだまま全力で走る。
そのまま茂みに飛び込み、バーバ・ヤーガからの射線を切った。
「————ッ! 」
茂み越しに覗くと、魔女がこちらに腕を向け叫んでいた。
雷がくる! 俺は急いでその場を離れる。
一瞬の閃光。街灯が雷を受け、破裂音と共に灯りが消えた。
光源が一つ減ったがまだ見える。しかし相手には目玉がない。ならば視覚以外の感覚で物事を捉えている筈。明かりがなくなるのはこちらに不利だ。
細かく走り回り、位置を変えながら拾った石を投げ牽制する。
そのうちの一発が当たり、魔女は小さくのけ反った。
どうやら極端に耐久力が上がったわけではなさそうだな。
「……キャアアアア! 」
喜んだのも束の間。魔女は怒った様に叫ぶと姿を消した。透明化か。
さてここからは賭けだ。俺は息を潜め音を消す。
敵の索敵能力が聴覚依存である事に全張りする。
そしてそろそろ時間だな。
「うおおおおおおおお! 」
「ッ! キィイイイイイッ! 」
茂みから聞こえる叫び声に反応し、魔女が声のもとに右腕を振るう。
茉莉花の時も攻撃時は姿を現していた。そういう制限だろうと踏んだが大当たり。今日はついてるな。
「……うおおおおおおおお! ……うおおおおおおおお!……うおおおおおおおお!」
「キッ!? 」
茂みの中から大音量で聞こえているのは、先程スマホで録音した俺の声だ。
魔女は戸惑ったように動きを止めている。今しかない。
俺は背後から忍び寄り、拾った煉瓦を振りかぶる。狙いは頸だ。
ここで決める。もうここしかない。死ね————
「……キャハ! 」
「……は? 」
突如として振り返りもせず、魔女は笑いながら後ろ手を伸ばしてきた。
……しくじった。罠か。
「————ッ! 」
魔女の叫び声とともに突風が起こり、俺の身体は弾ける様に吹き飛んだ。
「ガッ……! 」
魔女はわざとらしく鼻頭を掻いている。
そうか、嗅覚の方か。50%を外したな。パチンコでは負けたんだ。今夜くらい大当たりをくれたっていいだろうに。
「……キャハハハ」
遠くで魔女が笑っている。声はだんだんと近付いてくる。
距離を取らなければ。だが身体は動かない。
くそ……頭がぼやける……意識が……まだ遊び……のに
はじめまして、新たな挑戦者よ!
Monster/Battle は夢を叶えるアプリ。
モンスターを育て、戦い、仲間を集め、仲間を裏切り、そして勝つ。
至高の選択の末に、貴方の望みが叶うと信じて!
「は?」
気がつくと僕は扉の前にいた。
青銅で出来た重厚な扉。ドアノブ代わりの左右のリングを2匹の犬の彫刻がそれぞれ咥えている。
「なんだよ。結局負けているのか? 勝つのは俺ではなかったのか? 全くだらしがないな」
扉越しに声がする。さっきから頭の中に響いていた声。これには聞き覚えがある。それに大層鼻に付く喋り方だ。何者かは分からないが、僕はこいつの事が嫌いだ。
「僕ねぇ。随分と威勢が縮んだ様だな。諦めるのか?」
やるだけやって負けた。もう打つ手はない。
「本当にそう思うのか? まだ大事な生命線は消えちゃいないだろ? 」
……それは現実的な選択肢ではない。第一どんな物かも分かっていない。
「期待していた癖によく言う。録音機能を生命線呼ばわりなんて面白い冗談だな。それに現実的だと? 今お前を殺そうとしている物はなんだ? 気狂いのコスプレ女か? ……受け入れろよ。お前の現実はもう壊れているのさ」
受け入れたらどうなる? この扉からヒーローでも出て来て助けてくれるのか?
「扉からは何も出て来ない。誰も助けてはくれない。ただ扉の先に道があるだけだ。そして進まなければ死ぬ。さて、どうする? 」
……本当に嫌な奴だ。決まり切った事を聞くな。扉を開けたらいの一番にぶん殴ってやる。
「ははっ、嫌われたもんだ。俺はお前の事が好きだけどね。……では門番としてお前に問おうか。汝は何を欲する? 何を望む? その答えがこの扉の鍵となる」
答えは考えるまでもなかった。
茉莉花と戦い、そして殺した。その事に後悔はある。何も殺したかったわけではない。仮に時を戻せるならば、この結末を回避する様に自分は動く。
だがしかし、
俺はその時満たされていた。
知恵を絞り、身体に鞭を打ち、死に抗う。
最高に楽しかった。これが生きる事なのだと俺は悟った。
恥ずかしながら告白しよう。俺は命のやり取りに身を滾らせていた。
茉莉花との逢瀬は俺の心を輝かせた。つまらない日々が嘘の様だった。
退屈は俺を殺す。何度も俺の心を殺してきた。
だから俺は————
「退屈を殺す! そしてこのゲームを存分に楽しんでやる! 」
宣言と同時にリングに手を掛ける。驚く程軽く、その扉は開いた。
"実に俺好みの欲望だ。まあ精々上手く使う事だな"
目を開けるだけでも多大な労力を要した。
両腕の痛みは勿論のこと腹も痛い。肋骨が折れているかもしれない。
燃えそうな程身体は熱く、そのせいか頭がガンガンする。
何よりも疲労が酷くて指一本動かすのも面倒くさい。
だがその反面、気分は爽快だ。生まれ変わった様な感覚すらある。
胸の高揚に押されて身体が動く。立ち上がる。
いつの間にか右手にはスマホが握られており、画面には扉のアイコンが映し出されていた。
「ッ!? 」
それを見た魔女が焦った様に腕を向ける。だが遅い。
まるで鏡写しの様にスマホを向けた瞬間、俺を中心に発生した力の奔流が魔女を吹き飛ばした。
「ギィイイイイイイッ! 」
「さっきのお返しだよ」
不思議だ。何の説明も受けていないのに力の使い方が分かる。俺のモンスターが何なのかも。
もう負ける気はしない。小細工はいらない。ただ喰らうだけだ。
「————プロトコル起動。ケルベロス」
冥界を守る三つ首の番犬。それが俺の力。
溢れ出ていた力は収束し、俺に帰ってくる。莫大なエネルギーが身体に満ちていく。
————ケルベロスのプロトコル起動を確認。現在、ネスト内のモンスターは2体です。
「ははっ……」
全く最高だ。さっきまでの自分がどれほどか弱かったのかが良くわかる。
見た目には何も変わらない。怪我が治る事もない。バーバ・ヤーガの様に便利な能力を使えるわけでもない。
「ヒッ!? 」
だが速い。体勢を立て直した魔女の眼前まで、俺はひと息で跳んだ。
そしてこの速度から放たれる蹴りの威力は尋常ではないぞ?
「ギャァアアアアアア! 」
俺の下段蹴りは、小気味良い音を立てて魔女の膝を粉砕した。
魔女は転倒し、膝を抱えて踠いている。
倒すなら今が絶好の機会だが、まだこの力を試し切っていない。これからの事を考えるなら、もう少し試運転をしておきたい。
「ヒッ……ヒッ……」
痛みに苦しむ魔女が地面に手を翳す。すると奴の真下から細長い臼が出現した。
臼は魔女を乗せ、猛スピードでこの場を離れていく。
逃げるつもりか? しかし残念だな。
「ヒッ? ……キッ!? ヒィイイイイイ! 」
まるで見えない壁があるかの様に急停止する臼。
これが俺の能力。
冥界の番犬は亡者の逃亡を許さない。死人は俺の視界から逃れる事は出来ないのだ。
茉莉花の死体である魔女も当然効果の対象内だ。
「ヒッ…… 」
このままでは逃げられないと悟ったのか、魔女が姿を消した。
お次は透明化か。だが皮肉な事だ。
どんなに姿を消した所で、この鼻に付く茉莉花の香りは隠せない。
俺は背後から迫ってくる臼を後ろ脚で蹴り壊す。砕け散る臼と共に魔女の姿が現れ、そのまま地面へ放り出された。
「魔女が番犬に接近してどうする? 魔法は使わないのか? 」
「ギヒッ……、ヒィィィィィィィッ! 」
怯える様に地面を這い、逃げようとする魔女。戦う気力は尽きたらしい。
能力については試せた。これ以上甚振る意味もない。終わりにしよう。
ベチャリ——。
頭部を踏み潰された魔女は一瞬身体を痙攣させ、そして動かなくなった。
————Congratulations! オリジンモンスター、バーバ・ヤーガの撃破に成功しました。達成プレイヤーには特別ポイントが贈与されます。オーナーの消失によりネストが解除されます。
「なっ!? 」
音声の直後、目の前の魔女の死体が消えた。だがそれだけではない。
荒れた公園が元に戻っている。
抉れた地面も、折れた木々も。割れた街灯に至るまで。
まるで何事もなかったかの様に、戦闘の痕跡が消えている。チンピラ2匹の死体も見当たらない。
そして何よりも、俺の怪我が治っている。
……修繕か。茉莉花の身体や服が再生したのと同じ理屈だろう。
これが行方不明事件の真相。噂も馬鹿には出来ないな。まさしく神隠しじゃないか。
幽霊の正体見たり枯れ尾花、とはならなかったわけだ。
————ピピピピ、ピピピピ。プロトコル終了時間となりました。ポイントを使用し延長しますか?
アラームの様な音と共に音声ガイドが流れる。
自身の力は理解したが、このゲームのルールはまだ分かっていない。ポイントが枯渇した末路を見た後だ。無駄に使用出来ないな。
「延長しない。プロトコルは解除する——くっ、」
急な疲労、眩暈により俺は膝をついた。
力を解いた瞬間これか。ダメージの影響、それとも力の代償なのか? 分からないがそう美味い話はない様だ。
茉莉花はモンスターを呼び出せればリペアが使えると言った。
今なら使えるはず。だがどうやって……だめだ、くらくらする。意識が保てない……。
「……無茶をする奴だな。見込みはあるがね」
「ッ!? 」
背後から男の声。震える脚に力を入れ立ち上がる。
振り返ると長身の男がいた。
スーツ姿の若い男だ。長い髪を後ろに結んでいる。こいつは……。
「おい……かわ……? 」
「先生をつけなさい。そして呆けている場合ではないぞ。レイド撃破のアナウンスに釣られてプレイヤー達がやって来る。急いでここから離れなければ」
及川が近付いて来る。まずい……こいつの意図が読めない。とりあえずプロトコルを……あ、もうむり。
「やれやれ。この体格を運ぶのは骨が折れるな」
そんな言葉を聞いた直後。俺の意識は暗転した。




