虎穴
「セッタの10が5箱、キャビンの1が1箱、マルボロの6が7箱。これでいいですか? 」
「おお! 助かんぜジン! 俺らが相手だと中々売っちゃくれなくてさー。ジンのタッパと顔が羨ましいわー」
彼らは別に目立ったハーフ相手にヤキを入れにきたわけではない。
ちょっとした御使いの依頼である。
彼らの代わりに買い物をして、少しばかりの小遣いを頂く。要はギブアンドテイクだ。
彼ら3人は龍司の仲間だ。名前はよく覚えていない。
出会った当初に揉めた事もあったが、話してみると意外にも気の良い奴等だった。髪型と服装は派手だが。
まあうちの学校は私服OKなので校則違反ではない。法律には違反している奴等だけどね。
しかし今日は見ない顔がいるな。1年か?
「……キャビンなんて珍しいですね。これは彼の? 」
「ああ、そういや紹介がまだだったな。1年の新顔だ。9月から転校してきたんだとよ。おい」
金髪の先輩にせっつかれ背筋を伸ばす1年生。そんなに畏まらなくても良いのにな。
「1年の芳川っす。よろしくお願いします」
「こいつは2年の斑目刃だ。ジン先生は俺らにヤニを売ってくださる神様だからな。媚び売っとけよ! 」
3年連中に背中を叩かれ笑う芳川。君らのグループで初めて名前を覚えたよ。
まあ御得意様が増えるのは悪くない。微々たる物でもチリも積もればという奴だ。
「じゃあ僕はこれで」
「おう、あんがとな。今日もパチンコか? 」
「新台のSTにまだ入れてないんでね。まあ暇潰しですよ」
そろそろ貯金額が許容出来ない額になっているからな。
今日こそはあのクソ台にヤキを入れて引き下ろさなければならない。
「かー! いいなぁ。俺も早く遊びてぇよ」
「龍司の馬鹿はマスクとグラサン装備して打ってましたけどね」
「あいつは馬鹿だからな……」
「ほんとばかだったねー」
「龍司の脳みそはニコチンに汚染されてたからな」
満場一致だが本当に馬鹿だった。退店後もそのままの姿でいたせいで警官から職質を受けていたからな。僕は遠目で警官を見た時点で逃げたが。
……なんだか楽しくなってきたな。今日は勝てそうな気がする。
「……相澤さん。あれ2年なんすよね? ヤニ買うのに金なんか払う必要あるんすか? 」
「お前馬鹿か? あいつと揉めてヤニ売ってくれなくなったらお前の事殺すからな? 」
「ッ!? ……すんません」
「まあ相澤がやらなくてもジンちゃんに殺されるだろうけどねー。この前言ってた狂犬ってジンちゃんの事だから」
「あの人が……? 正直みえないす。なりは迫力ありましたけどなんか静かだし」
「龍司と組んで落ち着いたんだよ。……あいつが消えてもう1ヶ月だ。お前マジで刺激すんなよ? 殺されたくなかったらな」
「……うす」
「馬鹿な…………」
外れた。嘘だろ? あの演出で? 普通外れるか? あり得ないだろ。意味が分からない。
きゅいんきゅいん音を鳴らしながら登場した強キャラっぽい風貌の男は雑魚雑魚だったし、やたら露出の多いヒロインがいくら叫んでも主人公は復活しなかった。
きっとこの台の原作はクソアニメに違いない。絶対に見る事は無いだろう。
少なくとも、当たるまでは————。
「……帰るか」
スマホをみると時刻は20時半。大量の通知を見ると気が重くなるが仕方がないな。
走れば次の電車には間に合いそうだが…………やめておこう。どうしてか分からないが陰鬱な気分だ。走れるコンディションじゃない。
姿勢を正し、裏口から店を出る。特に意味はない。格好付けの為にわざわざ遠回りして景品交換所のある出口を選んだわけでは断じてない。
「はぁ……」
今日何度目かの溜息が聞こえた。ここのところ癖になっている気がする。
いや、ずっとか。溜息を吐かなかったこれまでが例外だったんだ。
退屈という毒は僕を蝕み続ける。
頭のてっぺんから爪先まで。じわじわと全身を犯し、感覚を奪っていくのだ。
————刺激がいる。内からこの毒を燃やし尽くす熱が必要だ。
スマホを取り出してホーム画面を開く。映っているのは基本的なアプリのアイコンと、暇潰しに入れた課金ゲーくらい。
扉のアイコンの姿は見えない。
願いを叶えるアプリね。スパムだろうと縋ってしまいたくなる気分だな。
————いやああああああ!
悲鳴が聞こえた。女の声だ。声の先はあっちか。公園があったな。
行方不明者が急増しているこの街での悲鳴。無視は出来ない。
息を深く吸い呼吸を整える。それから駆け出した両脚は驚く程に軽かった。
しかし妙だ。近付いている筈なのに声が聞こえない。それに、すれ違う人の様子にも変わりは見えない。
あの距離でも聞こえた悲鳴だ。もっと騒ぎになっていてもおかしくはない。
既に攫われてしまったのだろうか? それとも……殺されたか。
意識を切り替えた方が良さそうだ。武器になりそうな物は……まあ無くはないな。なんとかなるだろう。
程なくして公園の入り口が見えてきた。が、
「……なんだこれ? 」
公園は霧に包まれていた。
中の様子は何も見えない。異様な状況だ。
空気はカラカラに乾燥しており、霧が出る様な環境ではない。ましてや公園だけをピンポイントで隠す様に発生するなど。
そして何よりも。
この異常な状況を気にする者が一人もいない事が異常である。
隣同士笑いながら歩くカップル。スマホを見ているサラリーマン。巡回中であろう警官に至るまで。
誰も不審に思ってはいない様だ。
……なるほど。仮に今この中で行方不明者が生まれたとしても、誰も気付きやしないだろうな。
どくんどくんと、まるで警鐘の様に心臓の音が大きくなっていく。
"この先に行くのはやめろ"
そう誰かの声がする。だが一方で進むべきだという声も聞こえる。
————ジンはさぁ、考え過ぎんだよ。たまには馬鹿になって突っ込んでみろよ。俺みたいにな。
「…………そうだな」
小難しくお利口に考えるのはやめよう。
この霧の先には間違いなく危険がある。それも命の危険だ。そんな予感がある。
だがそれがどうした?
頭の中は女性とする時より興奮しているし、今すぐ服を脱いでしまいたいくらいに身体が熱い。
どんどんと胸を叩く音は警鐘ではない。これは福音だ。
逸る気持ちを脚に乗せ、俺は公園に入った。
——————バーバ・ヤーガのネストに入場しました。
「ッ!?」
今のはスマホからか? バーバ・ヤーガ? なんだそれは? ネストとは巣の事か? どういう……
「嫌っ! やめて下さい! 」
考える時間は無さそうだ。声はさっきより鮮明に聞こえる。距離は近い。
声のもとへ急いで走る。外から見えていた霧が一切見えなのは気に掛かるがひとまず置いておく。
……いた。街灯の脇の芝生に3人。女1人に男2人。1人は膝までズボンを下ろして女に跨っている。もう1人の男の手にはスマホとナイフ。
ただのレイプ現場? こんな非日常染みた空間で? どうにも違和感が拭えない。
だがアクシデントには違いないか。とても同意のもとでの行為には見えないからな。
俺は花壇に使われている煉瓦を1つ手に取った。そしてそれを強姦魔の背中に思い切り投げつけてやる。
「ギッ! ……カハッ……ゴホッ……」
「やだあああああああああ!…………えっ、何?」
煉瓦は無事に猿へ命中。痛みと呼吸難から女にのし掛かる様に倒れ込んだ。
「誰だッ!? 」
ナイフの男が混乱気味に前に出てくる。まだ正確な俺の場所は分からない様だが方向はバレたみたいだ。飛んできた煉瓦を見られたか。
なら姿を晒してやろう。女相手に逆上されても困る。
「やあ。こんばんは」
「てめぇか!? ふざけやがってよぉ! 」
吠えるが向かってこない。警戒しているのか、単なるビビりなのか。
男が前に出たことで、街灯が彼の姿をはっきりと映し出す。
ニット帽を深く被った彼は、右手にナイフを構えて眼を血走らせていた。
結構小柄だな。腕も短い。これなら問題ないだろう。
「わっ!!!!!! 」
「ッ!? 」
突然の大声に彼の身体が硬直した。その隙に正面から全速力で接近する。
慌ててナイフを構えるがなっちゃいない。どこを狙っているんだ。
姿勢を低くし接近。刺突を左に避け、そのまま回り込む。
「消えっ……!? 」
帽子を深く被り過ぎたな。ただでさえこの暗がりの中だ。視界は酷く制限されている事だろう。こちら側のリスクは小さい。
この角度からならナイフも振りにくいからな。
「オェ……! 」
そして俺の脚は彼の間合いより長い。
鳩尾を蹴られたニット帽の男は、自らの吐瀉物で出来た池に沈んだ。臀部丸出しの彼も倒れたまま全く動いていない。
ただのチンピラだったな。こんなものでは飢えは満たされない。
だが頭の中で何かが俺に強く囁いてくる。
"まだお前はテーブルにすらついていない"
"そら、座れ。前菜が運ばれてくるぞ"
「刃君。…………どうして」
聞き覚えのある声だ。
声の方に顔を向けると被害者であろう女性が立っていた。
女は粘ついた眼で俺を見てくる。いくら俺でも流石に忘れやしない。
こいつは柏音茉莉花だ。
「学校ぶりだね。怪我はないかな? 」
「…………うん。ありがとう。助けてくれて」
茉莉花は動かない。無理もない事だろう。直前にレイプされかけたんだ。クラスメイトだからといって迂闊に男に近寄れはしない。
——————なんて事は欠片も思わない。
「……そこの強姦魔さ。背中に煉瓦喰らっただけにしてはヤケに動かないよね。ちょっと心配だから様子を見てくれないか? 」
「えっ……そんな……無理だよ。私……」
茉莉花は酷く怯えた様子だ。彼女はその場から動く事も出来ずにただ震えている。
足元に自分をレイプしようとした男がいるのに。
「ごめんね。無理を言ったな。でも1つだけ質問に答えて欲しい。……いいかい? 」
「……いいよ。何かな? 」
「ありがとう」
鞄からメビウスを1本取り出し火を付ける。
煙をゆっくりと吸い込み、鼻腔を通してそれを吐き出した。
茉莉花が顔を顰めている。あまり品は良くなかったな。
ライターをポケットにしまい、鞄をベンチに放り投げる。その後、煙草を地面に落として火を踏み消した。
一連の所作にあまり意味はない。頭を冷静にさせる儀式の様なものだ。さて、
「それじゃあ聞くけどさ…………バーバ・ヤーガって知ってる? 」
「………………やっぱりプレイヤーなんじゃん」
「ッ!? 」
突如、茉莉花を中心に暴風が吹き荒れる。
木々を揺らし葉を散らす。
この距離にいても吹き飛ばされそうな程の圧。
現に彼女の足元にいる男が、転がる様にこちらに飛ばされてきた。
距離が近付いたため、初めて男の顔が見えた。
男は身体中の水分を奪われたみたいな、まるでミイラの様な相貌をしていた。
茉莉花がスマホを握り締めている。その画面にはドットで描かれた扉が映し出されていた。
「————プロトコル起動。バーバ・ヤーガッ! 」
その声とともに風が止んだ。だが今まで暴れていたエネルギーが消えたわけじゃない。
力の全てを集約して押し固めたような。そんなとんでもない密度を茉莉花から感じる。
彼女は口角を上げ、挑発的にこちらに笑い掛けている。
これは捕食者の笑みだ。
嗚呼、なんて魅力的な表情をするんだろう。
「……好きになってしまいそうだ」
少なくとも彼女と遊ぶ事に退屈はしない筈だ。




