女神の感情
市民館の窓から射しこむ陽が、彫刻や模型、磁器やガラス、包丁から刀まで、輝きと陰影を浮き上がらせる。大きなものは床から天井まであるが、小さなものは米粒程度。飛ばないようケースに入れられている。行き交う回覧者の影に、隠れては消える陰影が彫刻や模型がまるで本物かの様に感じさせる。陽は東から西へ、南の空を時計のように動いていって、床に描かれる影を北に描いていった。
市民館の入り口から愛と喜多郞が入って来る。市民館の中を見渡する愛。
「すごい。これ全部、街の人の作品なんだ」
「ああ」
「ここに喜多郞の絵も展示されてるんだ」
「俺の絵が展示されているのはもっと奥だ」
喜多郞は、足早に館内を歩いて進む。
「ちょっと待って」
「なに?」
「展示物も観て行きたい」
「わかった」
ふたりは歩みをゆっくりと進めながら、時に足を止め、展示物に目を配ってゆく。
心のテニス大会。表彰式が終わった後、五人で甘味処へ入り、ささやかな祝勝会が開かれた。普段、ツンデレ気味の心が、めずらしく上機嫌で五人の輪に入り歓談した。愛が家の手伝いで帰る時間になって、愛を見つめて喜多郞は言った。
「美術展。一緒に観に行って欲しい」
その真剣なまなざしのむこうに、モデルをしたとき、力強く自分を見つめ続けた喜多郞の目線を思い出し、頬を紅く染めた。
「どうしたの? 突然」
「愛さんをモデルにして描いた絵が展示されてる」
そういえば、完成作を観ていない。
「いいよ。せっかくだから、みんなで行こうよ」
「いや。愛さんとふたりだけで観たい」
「展示されているんでしょう? だったらみんなで観に行った方がいいじゃん」
愛の言を楽がさえぎる。
「ふたりで行ったらいいじゃん」
少し不機嫌な表情の楽。彼女の気持ちを察して怒鳥も言う。
「ふたりで行ってきなよ。俺たちは後で観に行くから」
「そう。わかった」
展示物、ひとつひとつに目を配りながら奥へ進むと、次の展示会場に入った。そこは雨戸が閉められ日射しが入らないようになっていて、照明の下には絵画や書が展示されている。
「ここに喜多郞の絵があるんだ」
「せっかくだから他の作品も見て回る?」
「いや。その絵が観たい」
喜多郞は、会場を足早に進めて自分が描いた作品の前に立つ。
「これが俺の絵」
50号のキャンバスの真ん中に、海辺に立つ女性がいる。照りつける太陽の下、砂浜を歩く蟹や花。海をゆく船や波。空を照らす雲や風が女性を恭しく取り囲んでいる。
「これが喜多郞の絵?」
「ああ」
「個性的ね」
「それは褒めているのかな?」
「褒めてるよ」
「感想を聞かせてくれないか」
愛がモデルになった女性は写実的に描かれている。手前に存在するものは大きく幾何学的だが、遠くへ行くほど小さく印象的に描かれている。水着で隠れていた部分は、日射しや海の波で隠れている。
「なんか、私が浮き出ているみたい」
「それは最高の褒め言葉だ」
「タイトルは?」
「『釧路の海の女神』」
「女神か」
「愛さん。俺はあなたが好きだ。つきあって欲しい」
その瞬間、愛の脳裏に、ゲリラ雷雨の日、自分を力強く支えてくれた喜多郞の姿がよみがえった。
「ひとつ、条件がある」
「なに?」
「その剥がれそうな日焼け痕、はがさせて」
「別に、いいけど」
喜多郞は肩を愛へむけた。愛は、はがれかかった皮膚をつまんで引っぱった。
「痛っ!」
「見て。こんなに大きくはがれた」
ふたりは大笑いした。
「夏休みも終盤だ。山へ行かないか?」
「ごめん。私、札幌へ検査に行かなきゃならないの」
「そうか」
「帰ってきたら行こう」
ふたり見つめあって、頬を紅く染め、クスクスと笑った。
愛は飛行機に乗っている。窓から見える風景は、一面、緑に覆われていて、飛び続けていてもあまり変わらない。
やがて、山脈に描かれた川の筋の様な白い模様が見えた。白い模様は、円で造られた建物の集まり。上流の大きな円から、下流にむかうほど小さく造られている。建物は木でも金属でもない、まるで泡のよう。
街に着陸した飛行機から降り、およそ半年を過ごした札幌の街に愛は立った。建物の中は、照明が淡白く柔らかい。美味しい空気で、暑くも寒くもない。壁も床も、金属のような光沢や堅さはないし、木のような感触もない。強いて言えば泡のよう。
歩いて行くと、見覚えのある男性がいた。
「愛。ひさしぶり」
「ひさしぶり。白」
愛は顔を紅く染める。
AIは考えた。
『人生愛脳内生体反応情報』
File No.397
4320:辻道喜多郞と絵画鑑賞
File No.399
3611:九十九白と遭遇。
『経過報告』
血圧や体温の瞬間的な上昇。神経の電流、電圧、周波数。ホルモン、ミネラルなど、化学物質バランスの変化。ふたつの状況に類似点を確認。
今だ感情を理解するには情報が不足している。引き続き情報を集める。




