第十三話第四章
――――――翌日――――――
放課後の廊下で、私は彼女に声をかけた。
「結城」
「なに?」
彼女は振り返り、いつもの笑顔を向ける。私は一呼吸置いて、言った。
「……少し、君のことが気になっている」
それは告白ではなかった。ただ、自分の心の変化を認める言葉。けれど彼女は目を輝かせ、柔らかく微笑んだ。
「それで十分よ。貴方が一歩踏み出したってことだから」
その瞬間、私は悟った。
――私は結城おうあに惹かれている。
恋人を作る気はない、そう言い切っていた私が。気づけば彼女の存在を求め、彼女の笑顔を望むようになっていた。夕暮れの校舎。廊下を行き交っている、その雑多な音を背に私は静かな図書室に足を踏み入れていた。
理由は一つ。――結城おうあに呼び出されたからだ。
窓際の席に彼女はいた。机の上には開かれたノートとペン。それを閉じ、私に視線を向ける。
「来てくれてありがとう」
彼女の声は柔らかかったが、どこか張り詰めた緊張が混じっていた。私は頷き、対面に腰を下ろす。
「それで……話とは?」
結城はしばらく黙った。細い指がノートの端を撫で、視線が揺れる。やがて深く息を吸い、こちらを真っ直ぐに見つめてきた。
「私が、君に近づいた理由を話すわ」心臓が不意に跳ねる。私は無言で続きを待った。
「最初はね、ただ気になったの。君がいつも一人でいて、誰とも深く関わろうとしない。その冷静さも、周囲と距離を置く姿勢も、私には理解できなかった。でも……同時に、羨ましかったの」結城の声は静かだったが、言葉はひとつひとつ確かに胸に届く。
「私は昔から、人前で完璧でいることを求められてきた。失敗したら笑われる、期待を裏切れば幻滅される。そう思うと、弱みを見せられなかった。だから、君が時々見せる無関心さとか、冷めた態度とか……自由に見えたの」彼女は小さく笑い、けれどその笑顔には影があった。
「でも本当に近づこうと思ったのは、もっと前。入学したばかりの頃、私が部活でミスして落ち込んでいた時、覚えてる? 廊下のベンチで一人、俯いていた私に、君はただ『帰らないのか』って声をかけただけだった」私は記憶を探った。確かに、そんな場面があった。私は気まぐれに声をかけただけで、彼女がどんな状態だったのか深く考えもしなかった。
「君は慰めなかったし、励ましもしなかった。ただ事実だけを口にした。……それがね、すごく楽だったの。私の弱さを責めないで、見透かしたように黙って隣にいてくれる人がいるって、あの時初めて知ったの」彼女の瞳が、まっすぐ私を射抜く。胸の奥が熱くなる。
「だから私は、君を好きになったの」その言葉は、あまりにも真っ直ぐで、重かった。
私は息を呑み、返す言葉を探した。だが彼女がすぐに続ける。「でも最初の告白は、正直言えば半分挑発だった。君がどんな反応をするか、見てみたかった。……ごめんなさい。」
「……そうだったのか」あの日の唐突な告白。周囲を揺さぶるような振る舞い。すべて彼女なりの試みだった。
「けど今は違う」結城は机の下で手をぎゅっと握り締めていた。
「私はもう一度、正直に君に伝えたい。都築くん――私は君が好き」静寂が降りた。
心臓の鼓動が耳に響くほど、図書室は静かだった。
私は唇を開いた。「……最初は、君が何を考えているのか理解できなかった。強引に近づいてきて、振り回して、噂を作って……正直、迷惑だと思った」
結城の表情が一瞬曇る。だが私は続けた。
「でも、文化祭で必死に指揮をとる君を見て、事故の時に躊躇なく私を助けてくれた君を見て……ようやく分かった。君は完璧に見えて、本当は必死に走り続けている。弱さも抱えたまま、それでも人を守ろうとしている」言葉を探りながら、胸の奥の想いを吐き出す。
「そんな君を見ているうちに……気づいたら、目を離せなくなっていた。私は――君が好きだ」
結城の瞳が大きく揺れ、そして涙が滲む。
「……本当に?」
「本当に」その瞬間、張り詰めていた空気が解けた。結城は小さく笑い、手で目元を拭った。
「やっと……やっと聞けた」彼女は机越しに手を伸ばしてきた。私はその手を取る。指先が重なり、温もりが伝わる。
「これで……正式に、なのね」
「ああ。ようやく、だな」
互いの手を握りしめながら、私たちは静かに笑った。図書室の窓から差し込む夕陽が、赤く二人を照らしていた。




