第9話 緊急パジャマパーティ
その日、金曜日の夕方。七海の暮らすアパートの、固定電話が鳴った。
アパートには、七海の母親もいる。夜勤の多い七海母が、この時間に、珍しい。
そんな母親が、テーブルにお惣菜を並べている。七海は料理の手を止め、タオルで手を拭いて、受話器を取った。
七海「はい、藤咲です」
夢咲『七海ー! 生きてる!?』
美月『生きてるよね? ねえ、七海の家に泊まり行きたいんだけど?』
七海は視線を母に向けた。
七海「えっと……」
美月『今日の御影とのやりとり、事情聴取が必要と、広報委員は判断します』
夢咲『話、聞かせろ。今すぐ聞きたい。泊まりで!』
七海は小さく息をのむ。
七海「うち、狭いから、泊まれないよ。お風呂もないし」
七海母「ちょっと七海、何? あなた、友だちいたの?」
七海は、照れくさそうに頷く。
七海母「今週末は夜勤だから、私、家にいないし。友だち、泊まれるよ」
七海は、受話器に戻る。
七海「泊まれる……。らしい」
夢咲『確定! 土曜泊、日曜朝解散で!』
美月『差し入れと作戦会議の資料、持っていきます』
七海「資料って……」
七海が、受話器を置く。母はニヤリと笑って
七海母「七海、よかったね。あなた、パジャマパーティなんて、初めてでしょ?」
七海は照れ隠しに、テーブルの上のお惣菜の位置を、その必要もないのに入れ替える。
◇
土曜日。
午後の陽が傾き始めたころ、階段を上がる足音が2人分ある。夢咲は大きなトート、美月は大きめのリュック。
チャイムが鳴る前から、七海の妹、美香は玄関で待機していた。
チャイム。
美香「ようこそー! ねえねのお友だち!」
夢咲・美月「はじめまして! 超かわいー!」
美香は即座に笑って、自分の背の高さまでしゃがんでくれた夢咲と美月、ふたりの首に抱きついた。
六畳の部屋に、ビニールのガサゴソと、笑い声が流れ込む。差し入れは、駄菓子、ミニドーナツ、ココアの粉。
それから美月の手書きのメモが、テーブルに置かれた。「議題1. 知りたい発言の意味 議題2. 七海の安全保障問題 議題3. 恋バナ(各自アップデート)」
看護師をしている七海の母親は、夢咲と美月と入れ替わりで、これから病院の夜勤に向かうところだ。
髪をまとめ、ナチュラルメイクを施した七海の母親の横顔。七海母は、七海と同じ骨格で、驚くほど顔が整っている。
七海母「みんな、あと、よろしくね!」
夢咲と美月は反射的に姿勢を正す。その瞬間、ふたりは同時に、うっすら青ざめた。
美月「ここ、一家まるごと、安全保障が必要だよ……。ストーカー対策、強化案件」
夢咲「わかる。お母さんも美香ちゃんも、七海に負けないレベルで可愛い」
靴を履きながら、七海母は苦笑してうなずく。
七海母「それ、冗談じゃなくて。ほんと、時々あるのよ。だから近藤さんが、よく見回ってくれるの」
美月「近藤さん?」
七海母「近くの交番の、とてもよくしてくれる巡査さん。七海は男の人が苦手だから、近藤さんにも最初は固まってたけど。今は、だいぶ慣れたみたい」
七海「近藤さん、靴音だけで、わかる」
夢咲「あんた、そんな特殊能力を鍛えないと、普通に生きられないんだね……。超絶美人に生まれるのも、問題だな」
七海母「じゃ、行ってくる。あとでみんなで、銭湯行ってきなさい。女湯が空く時間、19時半くらいから」
ドアが閉まり、静けさが一瞬だけ広がる。そうした静けさを壊すのは、いつも夢咲だ。
夢咲「議題3 から行こう。恋バナ、アップデート!」
美月「普通、順番、逆じゃない? それ、パジャマ着てからでしょ?」
夢咲「ウォーミングアップだって。じゃ、わたしから。今カレは、いない。好きな人は、いる。以上」
美月「夢咲、結構モテるんだよね。過去カレは、まあまあいたし」
夢咲「うん。色々、反省することがある。成長したと思うし、恋愛偏差値なら、高い」
七海「全然、知らなかった。……美月は?」
美月「私は、継続中。中学から。鈴木 カイオ 勇太っていうの。北高の別クラス、1-D にいる。バスケ部。マジでかい。195cmとか、ある。で、まだ身長伸びてるんだってさ」
そういうと、美月は七海にスマホの画面を見せた。カイオ。巨大な体格と名前のインパクト。そして、日本人離れした顔立ち。
美月「カイオのおじいちゃん、ブラジル出身なの。法的にはミドルネームではないらしいけど、親族内では、カイオで通してるって。本人も、カイオって呼ばれるほうが、好きみたい」
美香「カイオ、やさしい?」
美月「やさしいよ。男子には珍しく、話を最後まで聞いてくれる。私から告ったの」
夢咲「さて、ウォーム完了。議題1、行こうか」
美香も含めて、3つの視線が、七海に生暖かく集まる。
七海は、あの日、返せなかった論文を膝に置いた。
論文の表紙に貼られた付箋、『おせっかい、嬉しかった』は昨日のまま。
呼吸を整え、言葉を探し、そして正直にいった。論文の内容など、事実を一通り話したあと、
七海「自分のことなのに、わからないの。男性がこわいのは、変わってない。死んだお父さん以外の男性、近藤さんでも、正直、こわい。でも、御影くんはのことは……」
——知りたい。知りたいの。
夢咲「うん」
美月「うん」
夢咲と美月は、七海の父親が死んでいることを、このとき初めて知った。その動揺を完璧に隠せるふたりの「うん」は、さすがとしかいえない。
七海「御影くんのこと、知りたいのは、ほんとう」
沈黙が、やわらかく降りた。否定や結論は、必要ない。
夢咲「ちと早いけど……。銭湯、行こっか」
夢咲が立ち上がった。加えて、
夢咲「湯気の中のほうが、話しやすいこともある。湯気の効果は、実在する」
美月「湯気の効果って……。あんた、ぜったい、いい加減なこと言ってるでしょ?」
みんなが笑う。
◇
銭湯は、商店街の端にある。古いネオン看板。番台に笑顔の可愛いおばあさんがいる。美香も含めた4人で、女湯ののれんをくぐる。木のロッカー、錆びたカラン、ケロリンの桶。
鏡越しに並ぶ顔は、それぞれ違う形の不安と期待をはらんでいた。それらが、湯気でうすめられている。
湯に浸かり、夢咲が天井を見上げた。
夢咲「七海、いい? 御影について、一つだけ、はっきりしていることがある」
七海「うん」
夢咲「論文はさ、男性は『魅力的な女性』を、『モノ』みたいに所有したいって話だったよね?」
七海「うん。そう」
美月「おお、夢咲、頭いいじゃん!」
七海「なに? 私、わからない」
美月「その論文をオススメしてくれた御影はさ、七海のこと、『魅力的な女性』だと認めてるってことじゃん。それって、御影の告白?」
夢咲「深読みすればさ……。御影=男。男=魅力的な女性を所有したい。つまり、御影=七海が欲しい」
美月「A=B、B=Cであるならば、A=Cであると。やばすぎ、完璧な推理すぎたろ? 冴えてるな、夢咲!」
七海はしばらく目をパチパチさせ、それからリンゴみたいに全身を真っ赤にした。銭湯だから、もう隠せない。幼い妹の美香は、初めてみる姉の姿に触れて、動揺している。
夢咲「論文はさ、男性は魅力的な女性を『モノ』として所有したい『事実』を述べてるだけっしょ? その『事実』が良いか悪いかなんてさ、そんなの、それぞれじゃん」
美月「そりゃさ、『モノとしてだけ』扱われるのは、みんな嫌だよ。でもさ、『モノ"としても』大事にしたいっていうなら、それは嬉しいでしょ? もちろん、女だって、誰の『モノ』になるかは、選ぶし」
夢咲「七海、あんたはどうなの? 『御影のモノ』になるのは、嫌なわけ?」
七海「……嬉しいかも」
夢咲・美月(おい、こいつ、どんだけカワイイんだよ!)
風呂上がりの脱衣所で、3人は各々の髪を拭いた。美香はコーヒー牛乳を両手で持って満足げ。
自販機の淡い光に寄せられて、小さな羽虫が数匹、飛んでいる。羽虫なんて気にもしない4人……といいたいが、美月だけ、それが他の3人にバレないように、必死で羽虫を避けている。避けながら、
美月「御影はさ、チャラ男にからまれる七海のことを考えた」
夢咲「どうして七海が、多くの男から嫌な思いをさせられるのか、知りたくなった」
美月「それは、『七海が魅力的だから』と仮説を立てた」
七海がまた赤くなる。キュンとなる夢咲と美月。
夢咲「御影は、その仮説を裏付けるような論文を『必死に』探して、みつけた」
美月「論文をプリントアウトして、『わざわざ』キザな付箋までつけて……」
夢咲「クラスに誰もいないときを見計らって、誰かにみられるんじゃないかと、ドキドキしながら……」
美月「『論文という名のラブレター』を、そっと七海の机の中に……忍ばせたー!」
夢咲「忍ばせたー!!!」
美香「しのばせたー!!! うきゃ」
七海「やめて! 美香まで! 耐えられない!」
両手で顔を隠す七海。身体を隠していた大きめのバスタオルが落ちる。全身、真っ赤。また動揺する美香。
夢咲「ちゃんと読んでくれるかな? 俺、キモくないかな? 喜んでくれるかな? とか、ウジウジした」
七海「御影くんは、ウジウジしないっ!」
帰り道、アーケードのシャッターに、街灯を背にした4人の影が斜めにのびる。
ふたりの推理を聞いた七海は、御影のことを想像して、「ほんとうは、ホカホカした気持ち」でいる。が、七海は、それを顔に出さない。出したくない。
美月「残る問題は、さっきの推理がどこまで正しいか。御影の『ほんとうの気持ち』を確認すること」
夢咲「御影も、七海と同じで、天然っぽいからなー。本人、気づいてないかも」
美月「うちらの誰も、御影と『まだ』仲良くない。接触、増やして、情報集めないと……。そうだ、カイオ、当ててみるか」
夢咲「何すんの? 七海のこと、話す?」
美月「いや、自然な導線がいい。御影、背、でかいじゃん。動きみてっと、運動神経もありそう。だから、カイオに、御影のこと、バスケ部に勧誘させるの、どう?」
この方法なら。御影がバスケに興味なくても、接触だけは増やせる。
美月「カイオは人をみるのがうまいし。御影の性格とか、人間関係とか、距離の取りかたとかを探る。できれば、北高に転校してきた理由とかも」
◇
夜。狭いアパートの部屋。
七海の母親は夜勤でいない。
小さな部屋に、布団が3枚。3枚の布団に、美香を含めた4人で寝る。
窓の外に見えるタワーマンションの明かりが、キレイ。
——色々な、家族の形がある。あの明かりの向こうには、どんな家族がいるんだろう。
七海は枕元の論文に手を伸ばし、表紙の端をそっと撫でた。
——論文は「モノ」だけど。御影くんは、この「モノ」を通して、「モノではない私」に何かを伝えようとしてくれてる。
すべての「モノ」は、ただの「モノ」にすぎないのだろうか。「モノとしてだけ、求められるモノ」など、あるのだろうか。
なんらかの意味づけをされた「モノ」は、「ほんとう」を身にまとうこともあるかもしれない。「ほんとうのモノ」などないと、誰がいえるのだろう。
一同は、美香が寝るまで、しばらく無駄話を楽しんだ。
それから3人は、無言で同じ「小さな天井」を見上げている。それそれが「ほんとうに幸福になる未来」を、「ほんとう」に願いながら。
布団の中の温度が、静かにそろっていく。