表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
7/58

第7話 火のないところに立つ煙

 時は過去に戻って、数ヶ月前の4月。1学期のはじめ。


 北川高校の空気には、まだ新しい(くつ)(かばん)の匂いと、遠慮がちな笑い声が混じっていた。


 クラスで最初に目立ったのは、ふたりの女子だった。


 楢崎 夢咲(ならさき ゆめか)矢入 美月(やいり みつき)


 ふたりは、幼馴染なのだという。染めた明るい髪色に、爪には小さなラメが光る。ピアスにアクセ、ゆるく制服も着崩していた。


 彼女たちの笑い声はよく通り、廊下まで届いた。「中学のころからギャル」だと自己紹介し、担任を苦笑させた。その無邪気な明るさは、同時に、クラスメートの意識をざわつかせた。


 人間は、しばしば「火のないところに、煙を立てる」。誰かの「かもしれない」が、次の休み時間には「らしいよ」に変わる。それが放課後には「だった」に着地する。


 夢咲(ゆめか)の遅刻は「夜遊びだった」に、美月(みつき)が購買の列に割り込まれた日は「彼氏と喧嘩してた」に。


 火のないところに立つ煙が、灰となって、夢咲と美月のまわりに積もっていた。


 一方、七海(ななみ)には、学年を超えて男子たちからの注目が集まっていた。告白されたり、軽くストーカーされたりしていた。


 それがきっかけで、七海は、これまでと同じように、学校中の女子から「うとまれる」ようになった。


「先輩の彼氏を奪ったらしい」「こわい人と付き合ってるらしい」「子どもがいるらしい」といった具合。夢咲(ゆめか)美月(みつき)とは違う形で、七海の周辺にも、モウモウと煙が立っていた。


——しかし、そこに、火などなかった。



 4月末の身体測定。


 夢咲(ゆめか)は、列の最後尾で、保険係の生徒に「ありがとー、助かる」と礼を言っていた。美月(みつき)は列が蛇行すると、並びをなおしていた。


 それでも、夢咲と美月に向けられるクラスメートたちの視線は、冷たかった。「化粧、濃くない?」「あのふたり、尻軽でしょ」「中学でも問題児だったって」。そんなささやきが、七海の耳元をかすめていた。



 5月の係決め。


 学級委員、図書委員、美化委員などと書かれた「マグネットの(ふだ)」が黒板に貼られ、誰もが顔を見合わせる。沈黙が続く中


夢咲「じゃあ、ポスター描くの得意だから広報委員やるよ」


美月「私、夢咲(ゆめか)と一緒に、デザインやりたい」


 教室の空気は、一瞬、(やわ)らぐ。


 けれど、すぐに誰かが笑い混じりに「また目立つほうへ行くんだ」「そんななりで、点数稼ぎかよ」と。和らいだ空気は、すぐにしぼんだ。



 ある日の昼休み。


 七海(ななみ)は一人、教室の隅で弁当箱を開く。アルミのふたに映る蛍光灯の白が、少し心細い。


 ふと窓の外を見ると、渡り廊下のベンチに、夢咲(ゆめか)美月(みつき)が肩を寄せて座っていた。


 ひとつのおにぎりを半分に割って、分け合い、笑っていた。遠くから、窓越しでも伝わる、彼女たちの暖かい笑いは、子どもの頃からきっと変わらないのだろう。


 でも。そこを通りすぎる女子たちが、わざとらしく夢咲たちから、視線をそらした。


 煙は、その日も立っていた。


——火は、どこにもないのに。



 放課後のホームルーム。


 プリントの束を、担任が配っていた。プリントが七海(ななみ)の机に届くのは、いつも最後だ。グループチャットの告知がまた、そのプリントの1枚として配られていた。


担任「グルチャ、まだ入ってない人は、だれかに招待してもらってね」


 七海は、経済的な事情から、スマホを持っていない。LINEの交換に応じられない七海は、いやでも、その事実をクラスメートに知られていた。


 前の席の女子が、振り向く。七海(ななみ)の机の上、QRコードの書かれたプリントを「ちらり」とみて、何も言わずに正面を向いた。


 七海は首を振るでも、(うなず)くでもなく、ただ、翌週の予定をノートに書き写した。



 その翌週。避難訓練の日。


 校舎の階段に、音の割れた警報が響く。列を乱す声がいくつか上がり、笑い声が混じる。夢咲(ゆめか)はふざけた男子のリュックをぐい、と前に押し出し


夢咲「ほら、進むよ。防災関連は、ガチでやっとけ。いざってとき、死ぬぞ」


 美月(みつき)は、しゃがみ込んでいた女子に「大丈夫?」と優しく声をかけていた。教師に事情を話し、避難訓練の最中、その女子を保健室に連れていった。


 そんな、「ほんとうの夢咲(ゆめか)美月(みつき)」をみていたのは、ごく少数だった。多くは、ふたりの頭上に上がる煙ばかりを気にしていた。



 6月、校外学習。行き先は、市内の科学館だった。


 バスの座席は自由。列の前から「仲良し同士」で埋まった。夢咲と美月は、最後部にふたり、一緒に腰を下ろした。


 七海(ななみ)は、バスの乗車口近くで所在(しょざい)なく立ち尽くしていた。そして最後の最後、七海は、補助イスを倒して、ひとりで座った。


 科学館の広いホール。


 クラスは3、4人ごとのグループに分かれて館内を回るよう、指示されていた。グループ毎に、後で「学習したこと」をポスターにし、発表せよとのことだった。


 A〜Gグループまで。それぞれのグループに、個人の名前を書き込む時間。


 夢咲(ゆめか)美月(みつき)の名前が書かれていたグループには、他の生徒の名前はなかった。最低でも、3人でグループを作るよう言われていたのに。


 七海(ななみ)は、そのグループに、迷いなく「藤咲 七海」と名前を書いた。


 書き終わって


七海「私も、いい?」


 夢咲(ゆめか)は、少し驚いてみせ、次いで笑った。


夢咲「もちろん。助かるー」


 美月(みつき)は、視線を七海から名簿へ、名簿から周囲へと滑らせ、それから肩をすくめた。


美月「わたしたちと一緒にいると、他の女子から嫌われるよ?」


 七海は、首を横に振った。小さいけれど、よく届く、芯のある声で


七海「女子から好かれたことなんてない」


 短い沈黙。夢咲たちが、視線を交わした。夢咲が噴き出した。


愛咲「なにそれ、こわ! いいね!」


 美月は口角だけで笑い、


美月「あなた、(きも)、すわってるのね」


 それから、この3人で展示を見て回った。


 夢咲(ゆめか)は体験型の装置に真っ先に手を伸ばし、プラズマボールに触れた。そして「髪、立ってる?」と笑って七海(ななみ)に聞く。


 美月(みつき)は説明パネルを丁寧に読み、要点を七海に伝えた。七海は、色々と質問をしつつ、それをノートに書き留めた。


 鉱物のコーナーで、夢咲が七海の(そで)を引く。


夢咲「これ、いい。七海(ななみ)、あんた、ほんとに『いい奴』だから、ぜったい似合う」


 七海は、首を(かし)げた。


七海「鉱石が、似合う?」


夢咲「うん。こういう、『光』が中にあるやつ」


美月「それ、蛍光鉱物だって。紫外線当てると光る」


夢咲「きっと七海(ななみ)には、紫外線が出てる彼氏が必要だな!」


 七海は小さく笑った。そのときの七海には、夢咲が言っている意味がわからなかった。



 科学館での、昼食の時間。3人は、屋上のテラスにいた。


夢咲「七海、卵焼き、ひとつもらっていい?」


七海「いいよ」


美月「代わりに、うちのハンバーグあげる」


 この「おかず交換」が、七海(ななみ)には、とても嬉しかった。七海にとって、これが初めての「おかず交換」だった。


 風で紙ナプキンが転がり、3人でそれを追いかけて笑った。


 その笑い声に、他のテーブルにいたグループから、一瞬だけ視線が集まった。


 煙は、まだ立っている。けれど、七海、夢咲と美月、この3人の間には、煙ではなく、確かな火が(とも)り始めていた。


 まだ小さいけれど、暖かい「ほんとうの火」が。



 午後のワークショップ。グループごとに、科学館で学習したことを、ポスターにまとめる。


 夢咲(ゆめか)はペンを握ると、迷いなく線を引いていく。美月(みつき)は、七海(ななみ)のノートをみながら、夢咲に、ポスターの中身を短い言葉で提案していた。


 七海にはやることがなく、手持ち無沙汰になった。


美月「ここは、私たちに任せていいから。七海は、遠くからみてどうか、確認よろしく」


夢咲「七海。気にすんなよ。私らは、こういうの、大好物なんだ!」



 帰りのバスは、行きのバスよりも大型だった。それで、席数に余裕があった。


 七海(ななみ)は、通路をはさんで夢咲(ゆめか)の隣に座った。美月(みつき)は後ろの席からふたりの肩越しに話しかけた。


 窓の外には、住宅街の屋根が流れていた。


美月「さっきのプラネタリウム。寝てたでしょ、夢咲(ゆめか)


夢咲「星の気持ちになってた」


美月「それを世間では寝てたって言うんだよ」


 七海(ななみ)は小さく笑う。


 その笑いのあと、ふと七海は、窓に映る自分の顔を見た。そこには、見慣れない表情があった。「ほんとうに嬉しそうな笑顔」が。


 学校に戻るとすぐ、引率の教員から「解散」の号令があった。


 昇降口で靴を履き替えながら、夢咲(ゆめか)七海(ななみ)の肩を軽く小突いた。


夢咲「帰り、駅まで一緒に行こ。あんたがよく、チャラいのにからまれてるの、知ってるし。変なのいたら、うちらが前に出るからさ」


美月「商店街を抜けるところまでは、ガラの良くない連中も多いからね。そこからは七海(ななみ)、どっか行かなきゃなんでしょ?」


 夢咲(ゆめか)美月(みつき)は、すでに七海の事情をある程度、把握していた。これまで、話したこともなかったのに。


 七海は小さくうなずいた。嬉しかった。



 その翌週、1年B組の「小さな政治」を固める事件が起きた。


 クラスの掲示板には、文化祭の準備に向けたアンケートが貼り出されていた。


 夢咲(ゆめか)美月(みつき)は、広報委員として、試しのポスターを数枚、作ってきていた。黒板にマグネットで貼られたそのポスターは、どれも素人とは思えない出来だった。


生徒A「ギャルのくせに、やるじゃん」


 その発言に、七海の視線がすっと上がり、黒曜石みたいに光る。


 七海(ななみ)は、ガタと音を立て、立ち上がる。クラスメートたちの目線が、七海に集中した。


 それから七海は、周囲にそれとわかるよう、あからさまに首をかたむけてみせ


七海「くせに?」


 沈黙。


七海「謝って」


生徒A「なに?」


七海「『ギャルのくせに』って、なに?」


 七海は、微笑んでいた。


 誰もみたことのないほど整った七海(ななみ)の微笑みは、相手から体温を奪った。そこには、一切の甘さが、感じられなかった。相手に、退路などなかった。


 長い沈黙。


生徒A「悪かったよ」


七海「きちんと、謝りなさい」


生徒A「申し訳……ありませんでした……」 


 火がなければ、煙は続かない。「ほんとうの火」は、煙に負けたりしない。


 七海、夢咲と美月。3人の火は大きくなり、少しずつ、クラスの空気を暖めていった。


 春に開幕した「小さな政治」争いは、こうして、夏までには決着していた。



 いつものように、商店街を抜けたところで別れるとき


夢咲「LINEなくてもさ、家電にかけるから」


美月「グルチャで連絡あったら、私も家電にかけるから心配しないで」


 七海(ななみ)は「うん」とだけ答えた。


 七海はそうして、生まれてはじめて「友だちと呼べそうな他人」に、自宅の電話番号を教えた。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ