第28話 北灯祭当日、自己組織化
11月。北高の文化祭「北灯祭」。1年B組の出し物は、メイド喫茶である。
文化祭当日の朝、クラスでは、開店準備が進んでいた。夢咲と美月も、メイド姿でバタバタしている。
夢咲「おーい、冷蔵庫のスペース、まだ余裕あるよ! 商品のアイスコーヒー、念のため追加2本くらい、冷やしておこうよ」
美月「ホットプレート用の電源、足りてないんだけどー! 延長コードって、どこ?」
このクラスには、家庭科部に所属している男子が2名いる。彼らは将来、服飾系の専門学校に行くそうだ。彼らはさらに、普段はコスプレの衣装を、バイトで多数制作している。
このため、メイド喫茶のメイド服も、かなり本格的な作りになっている。作りだけでなく、サイズも、女子それぞれのサイズに合わせているため、見栄えがした。
採寸は、デリケートな面もあるため、女子同士で行った。ただ最終調整は、実際にメイド服を作った男子たちがするのがベストだ。
メイド女子たちは、その最終調整をやってもらっている。
しかし七海は、男性が苦手。家庭科部の男子たちも、七海に触っても大丈夫なのは御影だけと知っていた。そこで、「七海の最終調整をどうするか」という話になった。
七海は、自分を変えたい。男性が苦手なままでは、色々と不便も多い。この機会に、少しでも男性がこわくなくなるよう、七海は、チャレンジしたいと主張した。
——男性とか、女性とか。私は、相手の属性で、対応を変えたくない
そこで、「ダメそうなら、無理しない」ということで、やってみることになった。
七海「お願いします……なんだか、大丈夫な気がしてきました!」
男子A「無理しないで。ダメなら、ダメって言ってね。じゃあ、最終調整、やるよ」
——あれ? 私、こわくない? あ、まだ、ちょっとこわい
そんな七海が心配で、一旦、作業を止めて見守る夢咲と美月、ほか数名。
美月「知ってたけど、いやあ、七海って、スタイルもいいんだね」
夢咲「今更ながら、自分が嫌になるっていうか……比べても仕方ないけど」
女子A「七海は、キレイな海みたいなものだよ。海に嫉妬するとか、馬鹿げてる」
夢咲「すごいことサラッと言った! 確かに! それ名言だ!」
美月「七海は、キレイな海みたいなもの……なんだか、私ら、悟りに近づいてる?」
——やっぱり、男性への恐怖が、ずっと小さくなってる
御影との接触が増えたせいで、慣れてきたのもあるのだろう。しかし七海は、自分のもっと深いところで、なにか大きな変化が起きているように感じた。
男子A「はい! これで、おしまい! 七海ちゃん、すごくキレイだ!」
七海「大丈夫だった! 嬉しい! ありがとう!」
一方そのころ、御影はというと……
女装した御影のメイド姿は、妖艶。黒く長い髪はストレートにされ、前髪はピンで止められ、現れた美顔にはバッチリ化粧もされている。そこに、あの薄青い目が輝いているのだ。
女子A「……」
女子B「……」
女子C「……」
女子たちは、完成したメイド姿の御影を見て、ただ、見惚れてしまっている。
女子D「……御影くん、あなた、本当に男性?」
男子は唾を飲み、御影をみつめていた。何度も、「本当に御影だよな?」と確認しては、ため息をつく男子たち。
男子A「俺、本当にいま、御影に恋してる……自分が怖い」
男子B「これ、冗談じゃないから、マジで怖い。今晩、夢に出てくる」
男子C「僕の中で、開けちゃいけない扉が、いま開こうとしてる」
◇
いよいよメイド喫茶が開店する。
教室の窓から、来校者の姿がチラホラみえ始める。クラスのみんなが、ワクワクしている。
夢咲「じゃ、みんな、いっちょ、やってやろうぜ!」
「おー!」「がんばろー!」「やばい、焦る」「優勝しよー!」
御影と七海の役割は、「広告塔」と決まっていた。なので、メイド喫茶開店と同時に、ふたりは、「1-B メイド喫茶」と書かれたプラカードを首から下げ、校内を歩きはじめる。
メイド喫茶の方で、人員が足りないとなれば、グループチャットで連絡がくる。特に連絡がなければ、御影と七海は、このままずっと文化祭デートというわけだ。
七海「蓮くんの数理研究、持ってきてくれた?」
御影「これ。提出用じゃなくて自分用だから、きっちりは書けてないよ。コピーだし、あげる。メモ、書き込んでいいよ」
『空間自己組織化パターンはレジリエンス指標になり得るか——個体則から群集模様への数理と検証 / Can spatial self-organization serve as a resilience indicator? Theory and tests from local rules to collective patterns』
七海「タイトルにもなってる『自己組織化』って……なに?」
御影「似たような粒々が、いっぱいある状況を想像して」
七海「うん」
異様なまでに艶やかなふたりが、「ふたりだけの世界」に入りながら、歩いている。
七海は、真剣そのもの。コピーに、メモを書き込んでいる。「つぶつぶ」と。
御影「粒々を構成する粒は、全部に、同じ2つのルールが与えられてる」
七海「ルール、2つ」(メモメモ)
御影「ルール1. 近くにいる他の粒のことだけ気にする。ルール2. 他の粒に近づきすぎたら離れる・離れすぎたら近づく」
来校者たちと、すれ違い始めるふたり。
このふたりをみた来校者は、動きを止め、無言にさせられている。来校者のみならず、在校生たちも同様だ。
そうした視線を、気にも止めないふたり。校内は撮影禁止なので、勝手に撮影されることもない。
七海「ルール、それだけ?」
御影「基本は、これだけ。これだけで、鳥や魚の群れ、アリの行列、シマウマ、キリンやヒョウの模様、車の渋滞なんかを、数式で表現できる」
七海「もしかして、人間も……自分の近くにいる人だけを気にする。近づきすぎたら怖くなって離れ、離れすぎたら寂しくなって近づく?」
御影「俺は、そう信じてる。自己組織化のコアは、粒々に指示命令を出すリーダーの存在を否定すること。リーダーなんていなくても、全体は勝手に出来上がる」
七海「その考え方が、ガンの治療に役立つの?」
御影「ガン細胞は、この2つ以外にも、ルールをたくさん持ってる。でも、数えきれないほどじゃない」
七海「どんなのがあるの?」
来校者が、ふたりに話しかけようとしては、あきらめる。「せめて」と、プラカードで見た「1-B メイド喫茶」へと向かっていく。「広告塔」は、機能していた。
御影「栄養のあるなし、酸素のあるなし、スペースのある無しで、増えるか減るかが決まる」
七海「増えちゃ、ダメなのよね」
御影「ガン細胞同士は、ぶつかることを避ける」
七海「なんだか、難しくなってきた気がする」
御影「とにかく、ポイントは、1人の悪者が『この人を、ガンで殺せ』と命令してるんじゃなくて——」
いつの間にか、御影と七海のふたりは、バスケ部の出し物、3ポイントバトルの会場にいる。
ダムダムと、ボールをドリブルする音。シュートの成否に、上がる歓声。
七海「ガン細胞の粒々に、共通のルールがある。そのルールによって、ガン細胞が増えたり減ったりしてる」
御影「そう。で、世界中の研究者たちが、ガン細胞が持っているルールを明らかにしようとしてる」
七海「うん」
御影「お互いに名前も知らない、顔も見たことがない研究者たちが、みんな協力してる」
七海「うん。なんだか、すごい」
御影「俺は、そういうルールを数学で表現したい。それで、患者さんの、全体の『模様』から逆算して、ガン細胞を選択的にやっつける方法を示したい」
七海「逆算するための、数学ってこと?」
御影「ほぼ、その通り。ガン細胞は、七海たちの人生を変えてしまった。そういう、悲しいことを減らしたい。それが俺の『自分の学ぶべきこと』」
七海「どうして、研究テーマを変更したの?」
御影「君と出会ったからに決まってるじゃないか」
ちょうど、並んでいた最後の来校者が、3ポイントバトルを終えた。
挑戦者がいなくなったタイミングで、カイオが御影の存在に気づく。カイオは、すでにみんなのメイド姿をみているので、それほど驚かない。ただ、御影に少し見惚れているくらい。
カイオ「おーい、蓮! 一本、うってけよ!」
ボールが、御影の手におさまる。
御影の位置は、3ポイントラインの外側にあり、ゴールからかなりの距離がある。
メイド服を着た御影がパスを受け、シュートモーションに入り、ボールを放つ。
そしてすぐ、七海に向き直る。
御影「自分にとって、大切な人を『悲しい気持ち』にさせた原因を敵視する。人間という粒々に備わってる、大切なルールだ」
七海「うん」
御影「それで、十分じゃないか。偉い人が、『ガン細胞をやっつけろ』って指示を出したからじゃない。七海が、それで悲しい思いをしたから。俺はそれを、許せない」
御影から放たれたボールが、ネットを揺らす。歓声。
御影「そうやって、人間の社会は進歩してきた。『愛する人のために、自分が学ぶべきことを考える』っていうのが、人間らしさなんだと思う」
七海「うん」
御影「お義父さんの教え、『自分が学ぶべきことは、自分で決める』も、そういうことだと、俺は理解してる」
七海「ごめん、ちゃんとわかってない。そういうことって、なに?」
御影「つまりさ。『自分で決める』っていうのは、自分勝手って意味じゃない。『自分が学ぶべきこと』は、『自分の愛する人』との関係性の中で考えていくことなんだ」
第28話も、こうして最後までお読みいただき、本当に、ありがとうございます。
少しでも、読めるところがあったなら、是非とも☆評価をお願いしたいです。執筆の励みになると同時に、明日もまた頑張っていこうという気持ちになります。
さて。
科学的に非常に重要な概念、自己組織化について述べた回になります。数学(人工言語)で正しく理解するのは、とても難しい概念です。でも、日本語(自然言語)だと、意外とわかる。こういうの、不思議です。自然言語には、厳密性がありません。それが、返っって良いという事例ですね。
引き続き、よろしくお願い致します。




