第10話 カイオと蓮
月曜日の朝、ホームルームの前。
七海は、胸ポケットに大切にしまってある付箋を、指でつまんだ。この付箋には『おせっかい、嬉しかった』と書かれている。
論文に貼りつけてあった付箋。しかし、いまは胸ポケットにある。
——この付箋を論文につけて、御影くんに返すんだ。
そのとき、御影は、古典の教科書を開きつつ、補習のプリントをとじ直していた。
すぐ前の席にいる七海が、後ろを振り返る。少しだけ無理な姿勢で、下をみながら、七海は御影に論文を差し出した。
七海「これ、ありがとう」
結局、七海が言えたのは、それだけ。『おせっかい、嬉しかった』と書かれた付箋は、まだ右手の指に貼りついたまま。
ほんとうに伝えたかったことを、七海は、伝えられなかった。
しかし御影は、差し出された論文を受け取らない。代わりに視線を上げ、
御影「論文、返さなくていいよ。データ残ってるし、あげる」
頬を赤らめた七海は、瞬きをひとつする。グルグルして、返す言葉がみつからない。付箋の糊は、もう、かわいている。
七海「ありがとう」
それだけいって、七海は前を向いた。論文は、七海の机の上に戻っている。
活躍できなかった『おせっかい、嬉しかった』と書かれた付箋は、七海の手の中で絶命した。
◇
昼休み。
教室の隅で、夢咲と美月は低い、小さな声で話している。
夢咲「今日、カイオ、当てる?」
美月「うん。昼練、ちょうど見学日。導線が自然」
そこへ、バスケ部の巨体、ジャージ姿が現れた。鈴木 カイオ 勇太。長身、日に焼けた腕、笑うと目尻にしわが寄る。明らかに、アジア人とは異なる外見をしている。
カイオ「ごめん、御影 蓮くん、いるかな?」
カイオは、その姿からは想像しにくい、控えめな優しい口調で言った。
カイオは、雑な人間ではない。
自らをネタにする冗談はよく言うけれど、誰かをイジるようなことは決して言わない。質問は短く、答えは相手のペースに合わせてじっくりと聞く。
困っている人がいれば、それとわからないように助ける。謝るべきときは即座に謝り、感謝すべきときは躊躇なく感謝する。そんな「心地よい圧」の持ち主が、カイオだ。
外見が理由で、小さい頃、カイオはいじめられた。けれど、体格が大きく育ってからは、いじめられることもなくなっている。
美月「カイオ、大好きー」
カイオ「美月ちゃん。俺も、大好きだよ」
夢咲「おまえら、よそでやれ、よそで」
カイオ「で、美月ちゃん、話してくれた御影くんって、いるかな?」
美月が目で示した先に、御影がいた。気配を消すように、机に座って、ノートに何かを書き込んでいる。
カイオ「御影くん? ちょっとだけ、時間、いいかな?」
御影「いいけど、なに?」
カイオ「転校生がいるって聞いてね。俺、バスケ部なんだけど、バスケに興味ないかなと思って」
御影「勧誘?」
カイオ「バスケ部に入ってもらえたら嬉しい。けど、いきなり勧誘じゃなくてさ。この時期の転校生だと、部活、入りにくいと思って。たくさんある部活の1つを、軽い気持ちで、見学してもらえないかなって」
御影「ありがとう。見学ならしてみたい」
カイオ「嬉しいよ! もう、ご飯食べた? じゃあ、ちょっとこれから体育館まで、一緒しない?」
「あの御影」が話しかけられている。そして「あの御影」が、結構、しゃべっている。御影、やばい奴ではないのかもしれない。
クラスのみなが、耳だけで、このやり取りに注目していた。もちろん、御影の前の席にいる七海が、このやり取りに一番、驚いている。
◇
体育館にて。
昼の光が、高い窓から帯になって差し込んでいる。バスケ部員が、シュート練習をしていた。
マネージャーが、ちょうど、数名いる見学者の受付をしている。見学者名簿に名前と連絡先を記入する御影。
カイオ「よかったら、ボール触ってく?」
カイオは御影に、気持ちのいい声で話しかける。
カイオ「俺、鈴木 カイオ 勇太って言うんだ。カイオでいいよ」
御影は一瞬だけカイオを見て、あらためて会釈をする。
御影「御影 連。こっちも蓮でいいよ」
カイオ「じゃあ……蓮、ちょっとパス回してみてもいい?」
蓮「……少しだけなら」
ふたりは、フリースローラインの外で向かい合う。
最初のパスは、慎重に。それから、パスのテンポが上がる。カイオが受ける手の場所を少し変えれば、御影はその変化に合わせて肩を出す向きを変える。
ボールの音が、木の床に小気味よく響く。ボールをキャッチする音が、それに続く。
カイオ「やってた?」
蓮「少し。小学生のとき。中学は部活、やってない」
カイオ「なるほど。フットワーク、いけるじゃん」
カイオは笑い、ドリブルで御影を左右に振ってから、素直なレイアップを決めた。
カイオ「昼だけの幽霊でもいいし、しばらくは見学でもいい。本当は、新人戦に出てもらえたら助かる。メンバー、足りてなくてさ」
御影「俺、バイトしてるから、フルフルでは無理。でも、ちゃんと考えてみる」
カイオ「本当に? でも、他の部活もみてからでいいよ? 無理させちゃうのは、こっちも嫌だから」
御影はボールを胸の前で止め、わずかに目を細めた。カイオ。この人は、自分の「らしさ」を隠していない。肌の色も、名前の響きも、まっすぐにそのまま。
御影が青い目を、それ以外にも色々と隠していることを、カイオは知らない。
御影「カイオ、また誘ってもらえると嬉しい」
カイオ「もちろんだよ」
御影「気を使わせて、悪いな」
カイオ「全然いいよ。……あ、蓮。ひとつ、許可もらってもいい?」
御影「許可?」
カイオ「蓮が、どんな人かとか、美月ちゃんと、美月ちゃんの友だちに伝えてもいい? バイトしてるとかさ」
御影「もちろん、いいよ。本人が隠そうとしていない事実なら、そういう許可は、いらないんじゃない?」
カイオ「特別な人にだけ伝えたいこともあるよね。他の人には内緒にしてもらいたいこととか」
御影「……確かに、そうだね」
カイオ「まあ、初対面の俺が、蓮にとって特別な人のわけないから、気にしなくていいのか」
御影「今日のこととかは、いいよ、全然。内緒にしてもらいたいことがあったら、そう伝える」
◇
補習のない翌日の、放課後。
七海は、保育園の門の前で、美香の靴紐を結び直していた。脇で夢咲が七海の鞄を持ち、美月が小声で報告する。
美月「御影、バイトしてるって。あと、小学生のときバスケやってた。中学では部活やってない。口数は多くないけど、攻撃的じゃない。丁寧で無駄のない善人ってイメージ。初日だから、情報はこれくらい」
七海「なんだか、スパイしてるみたい……」
夢咲「あんた、御影のこと、知りたいんでしょ?」
七海「ちゃんと、本人の口から聞きたい」
美月「あんたが、それできないから、スパイしてるんでしょ?」
七海「そうだけど……」
美月「カイオはさ、御影から許可もらってるよ。私たちに、こういう情報、伝えていいかって」
七海「そうなの?」
夢咲「だから、こうやって共有される情報はさ、七海にも伝わること、御影、知ってる」
七海は返事を探し、結局、短く頷いた。
御影に、色々と話せる友だちができそうなこと。その話は、七海に伝わってもいいと、御影が思ってくれていること。
——なんで、こんなに嬉しいんだろう?
七海「あっ、論文! 私、勝手に夢咲と美月に話しちゃってる! 許可とってない! ど、どうしよう」
美月「なら、頑張って、ごめんなさいしようか」
七海「うん……」
——御影くんの目の色のことだけは、絶対に、内緒。
もう、第10話です。ここまで、お読みいただき、ありがとうございます。とても光栄です。嬉しいです。
少しでも、読めるところがあったなら、是非とも☆評価をお願いしたいです。執筆の励みになると同時に、明日もまた頑張っていこうという気持ちになります。
さて。
男性のコミュニケーションは、課題解決の手段として用いられることが多いです。ここでも、2学期に転校してきた御影が、部活に入りにくいという課題について、カイオが手を差し伸べています。男性は、こうした方法で、友だちを作っていく傾向があります。
これに対して女性のコミュニケーションは、相手の感情に共感する形を取ることが多いです。例えば「部活入れてなくて、ちょっと寂しいよね?」「一人なら、一緒にお茶しない?」といった具合です。まあ、あくまでも傾向ですが。
引き続き、よろしくお願い致します。




