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第10話 カイオと蓮

 月曜日の朝、ホームルームの前。


 七海(ななみ)は、胸ポケットに大切にしまってある付箋(ふせん)を、指でつまんだ。この付箋には『おせっかい、嬉しかった』と書かれている。


 論文に貼りつけてあった付箋。しかし、いまは胸ポケットにある。


——この付箋を論文につけて、御影(みかげ)くんに返すんだ。


 そのとき、御影は、古典の教科書を開きつつ、補習のプリントをとじ直していた。


 すぐ前の席にいる七海が、後ろを振り返る。少しだけ無理な姿勢で、下をみながら、七海は御影に論文を差し出した。


七海「これ、ありがとう」


 結局、七海が言えたのは、それだけ。『おせっかい、嬉しかった』と書かれた付箋は、まだ右手の指に貼りついたまま。


 ほんとうに伝えたかったことを、七海は、伝えられなかった。


 しかし御影は、差し出された論文を受け取らない。代わりに視線を上げ、


御影「論文、返さなくていいよ。データ残ってるし、あげる」


 (ほほ)を赤らめた七海は、(まばた)きをひとつする。グルグルして、返す言葉がみつからない。付箋の(のり)は、もう、かわいている。


七海「ありがとう」


 それだけいって、七海は前を向いた。論文は、七海の机の上に戻っている。


 活躍できなかった『おせっかい、嬉しかった』と書かれた付箋は、七海(ななみ)の手の中で絶命した。



 昼休み。


 教室の(すみ)で、夢咲(ゆめか)美月(みつき)は低い、小さな声で話している。


夢咲「今日、カイオ、当てる?」


美月「うん。昼練、ちょうど見学日。導線が自然」


 そこへ、バスケ部の巨体、ジャージ姿が現れた。鈴木 カイオ 勇太。長身、日に焼けた腕、笑うと目尻にしわが寄る。明らかに、アジア人とは異なる外見をしている。


カイオ「ごめん、御影 蓮(みかげ れん)くん、いるかな?」


 カイオは、その姿からは想像しにくい、控えめな優しい口調で言った。


 カイオは、雑な人間ではない。


 自らをネタにする冗談はよく言うけれど、誰かをイジるようなことは決して言わない。質問は短く、答えは相手のペースに合わせてじっくりと聞く。


 困っている人がいれば、それとわからないように助ける。謝るべきときは即座に謝り、感謝すべきときは躊躇(ちゅうちょ)なく感謝する。そんな「心地よい圧」の持ち主が、カイオだ。


 外見が理由で、小さい頃、カイオはいじめられた。けれど、体格が大きく育ってからは、いじめられることもなくなっている。


美月「カイオ、大好きー」


カイオ「美月ちゃん。俺も、大好きだよ」


夢咲「おまえら、よそでやれ、よそで」


カイオ「で、美月ちゃん、話してくれた御影くんって、いるかな?」


 美月が目で示した先に、御影がいた。気配を消すように、机に座って、ノートに何かを書き込んでいる。


カイオ「御影くん? ちょっとだけ、時間、いいかな?」


御影「いいけど、なに?」


カイオ「転校生がいるって聞いてね。俺、バスケ部なんだけど、バスケに興味ないかなと思って」


御影「勧誘?」


カイオ「バスケ部に入ってもらえたら嬉しい。けど、いきなり勧誘じゃなくてさ。この時期の転校生だと、部活、入りにくいと思って。たくさんある部活の1つを、軽い気持ちで、見学してもらえないかなって」


御影「ありがとう。見学ならしてみたい」


カイオ「嬉しいよ! もう、ご飯食べた? じゃあ、ちょっとこれから体育館まで、一緒しない?」


「あの御影(みかげ)」が話しかけられている。そして「あの御影」が、結構、しゃべっている。御影、やばい奴ではないのかもしれない。


 クラスのみなが、耳だけで、このやり取りに注目していた。もちろん、御影の前の席にいる七海が、このやり取りに一番、驚いている。



 体育館にて。


 昼の光が、高い窓から帯になって差し込んでいる。バスケ部員が、シュート練習をしていた。


 マネージャーが、ちょうど、数名いる見学者の受付をしている。見学者名簿に名前と連絡先を記入する御影。


カイオ「よかったら、ボール触ってく?」


 カイオは御影に、気持ちのいい声で話しかける。


カイオ「俺、鈴木 カイオ 勇太って言うんだ。カイオでいいよ」


 御影は一瞬だけカイオを見て、あらためて会釈をする。


御影「御影 連(みかげ れん)。こっちも蓮でいいよ」


カイオ「じゃあ……蓮、ちょっとパス回してみてもいい?」


蓮「……少しだけなら」


 ふたりは、フリースローラインの外で向かい合う。


 最初のパスは、慎重に。それから、パスのテンポが上がる。カイオが受ける手の場所を少し変えれば、御影はその変化に合わせて肩を出す向きを変える。


 ボールの音が、木の床に小気味よく響く。ボールをキャッチする音が、それに続く。


カイオ「やってた?」


蓮「少し。小学生のとき。中学は部活、やってない」


カイオ「なるほど。フットワーク、いけるじゃん」


 カイオは笑い、ドリブルで御影を左右に振ってから、素直なレイアップを決めた。


カイオ「昼だけの幽霊でもいいし、しばらくは見学でもいい。本当は、新人戦に出てもらえたら助かる。メンバー、足りてなくてさ」


御影「俺、バイトしてるから、フルフルでは無理。でも、ちゃんと考えてみる」


カイオ「本当に? でも、他の部活もみてからでいいよ? 無理させちゃうのは、こっちも嫌だから」


 御影はボールを胸の前で止め、わずかに目を細めた。カイオ。この人は、自分の「らしさ」を隠していない。肌の色も、名前の響きも、まっすぐにそのまま。


 御影が青い目を、それ以外にも色々と隠していることを、カイオは知らない。


御影「カイオ、また誘ってもらえると嬉しい」


カイオ「もちろんだよ」


御影「気を使わせて、悪いな」


カイオ「全然いいよ。……あ、(れん)。ひとつ、許可もらってもいい?」


御影「許可?」


カイオ「蓮が、どんな人かとか、美月(みつき)ちゃんと、美月ちゃんの友だちに伝えてもいい? バイトしてるとかさ」


御影「もちろん、いいよ。本人が隠そうとしていない事実なら、そういう許可は、いらないんじゃない?」


カイオ「特別な人にだけ伝えたいこともあるよね。他の人には内緒にしてもらいたいこととか」


御影「……確かに、そうだね」


カイオ「まあ、初対面の俺が、蓮にとって特別な人のわけないから、気にしなくていいのか」


御影「今日のこととかは、いいよ、全然。内緒にしてもらいたいことがあったら、そう伝える」



 補習のない翌日の、放課後。


 七海(ななみ)は、保育園の門の前で、美香の靴紐(くつひも)を結び直していた。脇で夢咲(ゆめか)が七海の鞄を持ち、美月(みつき)が小声で報告する。


美月「御影、バイトしてるって。あと、小学生のときバスケやってた。中学では部活やってない。口数は多くないけど、攻撃的じゃない。丁寧で無駄のない善人ってイメージ。初日だから、情報はこれくらい」


七海「なんだか、スパイしてるみたい……」


夢咲「あんた、御影のこと、知りたいんでしょ?」


七海「ちゃんと、本人の口から聞きたい」


美月「あんたが、それできないから、スパイしてるんでしょ?」


七海「そうだけど……」


美月「カイオはさ、御影から許可もらってるよ。私たちに、こういう情報、伝えていいかって」


七海「そうなの?」


夢咲「だから、こうやって共有される情報はさ、七海にも伝わること、御影、知ってる」


 七海は返事を探し、結局、短く(うなず)いた。


 御影に、色々と話せる友だちができそうなこと。その話は、七海に伝わってもいいと、御影が思ってくれていること。


——なんで、こんなに嬉しいんだろう?


七海「あっ、論文! 私、勝手に夢咲と美月に話しちゃってる! 許可とってない! ど、どうしよう」


美月「なら、頑張って、ごめんなさいしようか」


七海「うん……」


——御影くんの目の色のことだけは、絶対に、内緒。

もう、第10話です。ここまで、お読みいただき、ありがとうございます。とても光栄です。嬉しいです。


少しでも、読めるところがあったなら、是非とも☆評価をお願いしたいです。執筆の励みになると同時に、明日もまた頑張っていこうという気持ちになります。


さて。


男性のコミュニケーションは、課題解決の手段として用いられることが多いです。ここでも、2学期に転校してきた御影が、部活に入りにくいという課題について、カイオが手を差し伸べています。男性は、こうした方法で、友だちを作っていく傾向があります。


これに対して女性のコミュニケーションは、相手の感情に共感する形を取ることが多いです。例えば「部活入れてなくて、ちょっと寂しいよね?」「一人なら、一緒にお茶しない?」といった具合です。まあ、あくまでも傾向ですが。


引き続き、よろしくお願い致します。

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友達とカイオが優秀すぎて感動
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