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duplices  作者: rakia
64/71

因果率

 それでは時間もないので、投下したいと思います。


 はい、そうですね! タイトルはだじゃれ(以下ry


 ちなみに後半は七時ぐらに投下しますよ!


 えっ、何で一度に投下しないかって? 見直し終わってなかタヨ……。


 イマカラダヨ……。



 男は住宅密集地を抜け出し、繁華街の真っ只中に飛び出た。

 不味い。俺はともかく、男の格好はどう考えても目立ち過ぎる。どうしても人目を引いてしまう。

 危惧した通り、道行く人々は次々に振り返り、俺と男に不可解な視線を送っている。ある意味救いだったのは、ガラと代わった俺と前方を走る男の走る速度が尋常ならざるものであった事か。これならば携帯電話を取り出す暇さえ与えない。それでも携帯電話を向けるド阿呆はいるが、その前に俺と男は過ぎ去ってしまうのでまともに写せないので、心配はいらない――気がする。

 とりあえず、後日俺の姿が巷で話題になっていない事を願おう

 繁華街を過ぎた。薄暗い道路をひたすら走り、男の後を追う。何故だろう。既視感の様なものを感じる。前にもこんな事があった様な――。違う。あったのだ。あの夜に。あの――。

 ――陰鬱な哂い声が聞こえた夜に。

 

 ――嘘だろ……?――


 偶然しては出来過ぎている。必然にしては悪趣味過ぎる。

 静かに流れ続ける噴水。所々ひび割れた石畳。季節が過ぎ、蝉の啼かなくなった木々。夜景に溶け込む体育館。最終的に行き着いた場所。其処はあの夜(、、、、)に古雫さんの血に塗れた髪留めを見付けた、石動体育会館前の自然公園だった。何故か夜中を照らしている筈の照明の明かりは全て落ちている。月明かりのみが周辺を照らす――酷く昏い。


「……出てきたまえ」


 ガラが闇夜に向かって言った。

 ひゅう、と上擦った音で風が吹いた。まただ。また――嫌な風――。全部、あの時と同じ――。

 濃密な闇の中に仮面が浮いている。まるで俺達を待っていたかのように仮面の男は動かない。

 表情が常に固定されている仮面の眼は、こちらをじっと見詰めている。

 黄色の眼に射竦められ、ガラの中に居る俺は寒々とした悪寒を感じた。

 ――こいつ、何を考えていやがる。

 表情から読み取ろうにも、その表情自体が動かないのであるから、読むの何もあったもんじゃない。あるのは仰々しい顔の仮面の固定化された面相のみだ。

 

「さて……貴様は一体誰なのかね? いい加減に口を利いてくれないと拗ねるぞ?」


 ガラはいつになく厳しい口調で、暗中に浮かぶ仮面に向けて言った。

 木々が風に吹かれ、葉が騒がしく掻き鳴らされる。舞い散った葉で視界が埋まる。その中で仮面の男は羽藤さんを地面に下ろし、空いた両手で、自らが被っている奇怪な仮面に手を掛けた。

 仮面がずらされ、外されていく。仮面に隠れた男の素顔が徐々に現れていく。


「……仮面の下からまた仮面――という訳でもなさそうだね……」


 現れたのは殆ど表情など無いに等しい、能面の様な顔の男だった。先程まで被っていた仮面の方がまだ表情豊かに感じられるような顔である。それ程に男の顔には、人間らしい色が見受けられない。

 時が止まったかの様な沈黙の後、真一文字の閉じられた男の口が文字通り裂けた(、、、)。 


「ふははははははッ!!  あっははははは!! ……何と善き夜! 大きな獲物が目の前に!」


 口の裂けた男は狂ったかのように哂う。それは人形が突然笑い出したかのような歪な光景であった。

 世の摂理が捻じ曲がってしまっている。

 ふと思った。

 ――この人物は――本来この場所に、この時間に存在してはならない。


「……貴様は――」


 ガラの言葉を無視して男は残念そうな顔で眉を顰めた。

 表情というよりも、表情を模した形に動かない筈の仮面が変化したという方が正しい。


「なのに、口惜しや……。この様に美味そうな魂が眼前にあるというのに……、我が肉体で! 我が口で! 喰ろう事が出来ぬのだから! ああ、口惜しや!!」


 ぎょろりとした赤い眼球がこちらを向く。


「言ってる意味が解らないな……。一体、其処の青年に何をするつもりなのだね?」


 ガラは男の足元に横たわる羽藤さんを見下ろした。男は淡々と大きな抑揚を付け、応える。


「我は喰らうのみよ。しかしそれが出来ぬから、嘆いておるのだ。数多の魂魄を縛っておった赤き鎖に今度は我が縛られようとは、ああ、何たる皮肉か」


 ――こいつ……何を言ってんだ……? 魂を喰うって……どういう意味だよ……――


「……体が赤い……」


 ――それは――――


 俺が小さく呟くと、ガラはゆっくりと頷いた。


「……私の眼を貸そう……。見てみると良い」


 視覚の共有――それが更に高まっていく。ガラの視覚を通して見た男の姿は、先程の瑞樹神さんの眼と同様の色で、いいや――それよりも遥かに濃い密度の赤い色彩で構成されていた。


 ――おいガラ、あれって……!――


 二重存在の如き赤い色。色だけで判断するのなら、眼の前の男はまず間違いなく二重存在である。


「………………」


 ガラは応えない。嫌な匂いの風が白い庭にまで流れ込んでいる様だ。


「口上などいらぬ! 食事を始めようぞ! 今宵の宴は長い!」


 能面の様な顔の男は一足飛びにガラに向かって飛び込んできた。男の大きく広げた掌が、ガラの腕に弾かれる。男の手を弾いたガラは体を捻るようにして宙に飛び、右回転の蹴りを繰り出した。

 激しい勢いの爪先が鞭の様にしなりながら男の頭上に落ちていく。

 しかし、男は動じる事も無くその蹴撃を身を引いてかわし、無防備なガラの後ろ首を捕まえた。


「手荒だね……! もっと優しく掴んで貰いたいものだっ!」


 ガラは足裏で男の腹を蹴り、前に飛び出た。前方に回転しつつ男の方に向き直る。

 男は相変わらずの薄ら気味悪い笑顔を、能面の如き乏しい顔に浮かべている。

 距離は取れたものの、様子を見る限り男は全く動じていないようだ。

 いつもとは違う。こいつは――強い。

 にわかに男の姿が消えた。


「眼を閉じてしまっては見えるものも見えぬぞ」


 その声はガラの背後、耳元から聞こえた。ガラの顔の真横に男の顔がある。

 ガラの顔とは言うものの、正しくは俺の顔でもあるのでかなりぞっとした。

 

「趣味が悪いな……。私が言えた事でも無いのだがね……」


 視界が目まぐるしく変わる。俺が知覚出来ない程の速さでガラが動いているのだ。早送りになっている映像の様に視覚という画面は変化していく。何が起きているのか俺には理解出来ない。

 早送りになっている映像が止まる。俺がやっと認識出来た時には、ガラはあの男と真正面から対峙し、頭上から振り下ろされたと思われる男の腕を、眼前で掴み止めていた。ガラと男の力は拮抗している様で、どちらもぎりぎりと僅かに動くばかりである。

 ふいにガラが力を緩めた。男の右腕がガラに振り下ろされる。だが、ガラは男の腕を引き込むようにして左横に振り払った。ガラは続けて男のがら空きになった胸に掌打を叩き込もうとしたが、男の左肘に阻まれた。どちらも退かず、どちらも相手を寸前まで追い詰め、かわされていく。

 奇妙な攻防は続く。男は肘でガラの手を打ち払い、その勢いのままで抉る様にして肘をガラの顎目掛け突き上げた。ガラはそれを頭を捻る事で避けた。男は既に自由になっている右腕をガラの首筋に向けて薙ぐ。しかし、その前にガラは身を引き、男との間合いを計った。

 お互いに攻めきれない。ここまで予定調和の攻防であると、組み手の様にも思える。


 ――ガラ……!――


「ああ……。余裕は無いよ……。奴は強い……私と同じぐらいにはね……。お陰で私のユーモラスでお茶目なセンスがいつもの様に戦闘に盛り込めない! すまないな、葎! 今日は我慢してくれたまえ!」


 ――いや、そうじゃない。っていうか、普段も止めろや――

 

 こいつはこんな状況の時に何を考えていやがるんだ。

 

「それにしても奴をどうするか……。このままでは千日手になってしまいそうだ……」


 ガラがそう言った瞬間、小さな影がガラと男の間に割り込んできた。

 柔らかな栗色の髪が風に揺れる。鋭い眼光が男を睨み、こちらにも苦々しげな視線を送ってきた。

 よく見知った少女の顔は、いつもと違ってかなり不機嫌そうだ。それもそうか――。

 中身が違うのだから(、、、、、、、、、)


「――お前ら……夜は静かにしろ。 灯が起きたらどうすんだ。それとも……あいつが起きる前にお前らを永遠に寝かせてやろうか?」


 それは俺の友人、南屋灯の姿を借りた二重存在であるアリカだった。

 アリカは俺――正確には今はガラだが――の方を横目で見ながら低い声を発した。


「こんな奴に手こずってんのか? けっ……みっともねえな……、アホ紳士」


 幾分小馬鹿にしたような口調でアリカは言う。しかしガラはそんな煽りなど意にも介さず、にやにやと笑っている。それが更にアリカの機嫌を損ねたのか、彼女は口を本当にへの字に曲げた。

 彼女は相変わらず南屋さんとは似ても似つかない凶悪な雰囲気を纏っている。恐ろしい。


「アリカちゃんが来た! アリカちゃんが来たぞ、葎!」

「あ? 八つ裂きにされてえのか?」


 場違いな勇気は『無謀』とも『怖い物知らず』とも言う。そんな勇気は即時お帰り頂きたい。


「ふふ……冗談さ。時に手が空いているのなら、是非力を貸してくれ。私一人では身に余る」


 ガラの言葉にアリカは顔を引き攣らせるようにして歪めた。


「……相変わらずの賺した態度――ああ、クソむかつくぜ……! だが、それ以上に……」


 アリカは男を再度睨み付けた。それはいつもよりも数段増して刺刺しい視線の様に感じた。


「――何だか其処の野郎を見てると、無性に腹が立つしな……。仕方ねぇな。手ェ貸してやるよ」


 ぎりりと犬歯を噛合わせながらアリカは、好戦的な笑みを浮かべた。

 矢張り何か癪に障るようだ。やだ、あの子凄く怖いんだけど。

 男はアリカの姿を見て、その顔に貼り付けている嬉々とした色を更に深めた。


小娘(、、)――貴様は――」


 男が口を開きかけた瞬間には、ガラとアリカは男に向けて駆け出していた。


「くっちゃべってる暇あんのかよ。さっさと死ね」


 アリカはガラより一歩早く仮面の男の間合いに到達した。彼女は男の手前で急停止し、男を飛び越した(、、、、、、、)。男の視線が自分の頭上を通過するアリカを追う。男は手を伸ばしアリカの足を掴み取ろうとしたが、アリカの靴の裏を鋭い爪が掠めただけであった。


「余所見をしてはいけない。それが命取りだ」


 その間にも男の懐へと潜り込んでいたガラが、男の右側頭部に強烈な踵からの後ろ回し蹴りを放った。


「私の久しぶりの決め技!」


 アリカに気を取られ、男の反応が一寸遅れる。

 ガラの蹴りは完全に男の能面の様な横顔に入ったかに見えた――。

 だが――。


「この程度の小細工が通用すると思うてか!」


 ガラの脚と男の横顔の間には、男の手の甲が割り込んでいた。ガラはこれで決めるつもりだったのか、次の動作を取ろうとはしない。このままでは、男に反撃を喰らってしまう。

 しかしガラは何故かいつもの余裕ありげな嫌味ったらしい笑みを浮かべていた。

 男の背後に向けて、ガラは眼だけで合図を送った。


「――と見せかけた連携技だったりする」


 ひゅん、と風を引き裂く高い音が聞こえた。続いて生々しい音が響く。

 男の喉から白く細い腕が後方から飛び出している(、、、、、、、)。綺麗に整った爪。繊細な指先。それとは不釣合いな凶暴な雰囲気。男の喉を突き破った腕は、アリカのものであった。


「残念だったなぁ……、能面野郎さんよぉ? 俺を忘れたら駄目じゃねえか」


 アリカは獣の様な恐ろしい笑みを顔に湛えながら、喉を貫通している己の腕をぐりぐりと捻った。

 甚振っている。恐ろしい。しかもちょっと愉しんでいる。絶対敵には回したくない、恐ろしい。


「か……はッ……!」


 男は掠れた声を発した。血は出ない。男には人間の様に血が通っていないのだ。

 アリカは忌々しそうに男の喉から自分の腕を引き抜いた。無論、彼女の腕にも血など付いていない。

 男はうつぶせに石のタイルの上へと音も無く倒れ込んだ。


「うちのアリカちゃんは不意打ちが得意なのだよ! 油断大敵! ちなみに得意技は噛み付くだ!」


 ガラはアリカの頭を気安く、子供を褒めるように叩いた。一方俺は眼球が飛び出しそうになった。

 お願いだからアリカを挑発したり弄ったりするのは止めて欲しい。後で俺が(、、)死んでしまう。 

「ぶっ殺すぞ、誰がアリカちゃんだコラ」


 アリカの険悪な眼が鋭い光を走らせながらこちらを睨み上げて来た。嗚呼、恐ろしい。

 自分による自分の為のお題目でも唱えておくべきであろうか。生きて家に戻れる気がしないのだが。


 ――葎様! やりましたね!――


 白い庭でとりあえずお経っぽい文句を考えていると、ずっと黙し、姿を消していたひきこさんが何処からともなく現れ、掌が上になるようにして両手を下手から差し出した。


 ――あ……ひきこさん。今まで何処に――じゃなくてこの手は?――


 ――ガラ様のお部屋で観戦してました。白熱した試合でしたね。へーい――


 ひきこさんは、半ば強引に俺に体育会系のタッチを求めてきた。仕方が無いので応じたが、彼女もガラの使用人を自称するだけあって主人の性格を悪い意味で色濃く引き継いでいるのだと実感した。


 ――試合って……。はぁ……呑気だなぁ……。ま、俺が言えた事でも無いか……――


 呆れつつも、再びガラと共有している視界の中を確認する。

やけに(、、、)あっさりと決まった。強かった事には違いが無いのだろうが、こんなにも簡単に倒してしまうと拍子抜けだ。まぁ、苦戦するよりはずっとマシなのか。

 惨事を未然に防げただけでも良かった――。


 ――……? どうしたのですか? 葎様?――


 ひきこさんは、俺の様子を感じ取ったのか、訝しげに見詰めてきた。

 この子は出自が出自なだけに勘が鋭い。人の感情を敏感に嗅ぎ分け、察知してくる。


 ――何でもない……けど……―― 


 ――本当に倒したのか?

 ガラに突っかかるアリカの姿を眺めながら、俺は倒れた男に意識を向けた。

 起き上がる気配は無い。何だろうこの違和感は。どうにも腑に落ちない。こんなにも呆気なく終わるのだろうか。あの時の悪寒は未だ消えていない。現に俺の心に広がった嫌な波紋はじわりと広がり続けている。落ち着かない。まだ――終わった気がしないのだ。男はゆっくりと仰向けになり、表情が皆無に等しい顔でガラとアリカを交互に見比べた。

 忙しなく木々が揺れる。黒い枝が影絵の様に緩慢に揺れ動く。気持ちの悪い風は止んでいない。

 男の顔は矢張り――哂っていた。

 



ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


 


 秋穂が小波の様に揺れる。穏やかな風が吹いているのだ。

 黄金色で埋め尽くされた田は静かに流され、サラサラという耳に心地の良い音が空気へと溶けていき、風に流された流麗な音色は遠方へと過ぎ去っていった。

 何度も、何度も砂が流れる様な美しい音は現れては消え、消えては現れていく。それはまるで人の世の様を表しているかのような光景である。

 消えて――現れて――また消えて。風が止むまではこの音は止まらない。

 ふいに一迅の暗い風が吹き荒んだ。強風に晒された色付いた稲穂は、大きく靡き、折れ曲がりそうにもなる。風は止まらない。穂を刈り取るかのように鋭く、容赦なく吹いていく。

 穂もそれに負けじと耐えるが、風の方が圧倒的に強い。稲に実った穂は風に次々と飛ばされていく。秋色の染まった穂を巻き込んだ風は、田園の中を通り抜け、その先の大きな農村部へと流れ着いた。

 不吉な風だ。嫌な匂いさえする。肉の腐った様な腐臭である。

 そんな風が流れ込んだ村は平和そのものであった。不吉な予兆の風すら村を満たす平穏には霞む。何とも暖かい日向の如き大きな村である。

 不吉の風は暖かい陽射しに打ち消えたかの様に見えた。だが――風は消えたのではなく、村の周回を回っていた。ひゅるりという寒気すらする鋭い音と共に、不吉の風は村を飲み込もうと口を広げた。

 こんなにも不吉なものが迫っているというのに、村人達は何をしているのだろうか。 

 村の中――村人達はひそひそと噂話に花を咲かせていた。下世話な話。他愛の無い話。様々な話題はあれど、現在村人達の好奇の視線に晒されているのは一人の少女である。

 何とも汚らしい身なりの少女だ。肩には首を落とした山鳥が担がれている。全身を覆う蓑は黒い泥に塗れ、僅かに覗かせた、日に焼けた一つに束ねられている茶色の長髪によって辛うじて女性だという事が判る。化粧を施したならばさぞかし見栄えのするであろう端正な顔立ちの少女だ。

 しかし、彼女の瞳には少女らしからぬ獰猛な光が灯っていた。鋭くも暗い眼光である。

 鋭利な犬歯を噛み締めながら、少女は自分に物珍しそうな視線を送る村人達を無言で睨み返す。睨まれた村人達は小さい悲鳴を発したり、息を呑みながら、それぞれバツが悪そうに視線を逸らした。

 この少女には身寄りがなかった。生憎、生き延びる方法を教えてくれる人間は辛うじて居たが、その人物も少女を残して逝ってしまった。そうした経緯で完全に天涯孤独となった少女は、生き延びる方法としてマタギ紛いの仕事をする様になったのだ。山の動物を狩り、村々を渡り歩きながらそれを売り捌く。そうして少女は暮らしている。手段を選ばなければ少女一人でもどうにか生きていけるのである。

 少女は隙の無い視線を巡らして村の中を見回した。宿を探しているのだ。彼女はこの村に来たばかりで宿を取っていない。無論、こんな素性も判らぬ小娘など泊める場所などはそうそうありはしないから、商品として狩った獣を一夜の宿賃として渡す事で少女は民家に泊めてもらう。

 身なりは汚いとはいえ、綺麗にしてやればかなり器量は良さそうなこの娘に手を出そうとする輩は当然少なくない。だが、少女は獣の様な勘と持ち前の凶暴性を武器にそれらを回避してきた。

 だからだろうか、少女の顔にはいつも暗い影が刻まれている。人は信じないという意思の秘められた暗い影がくっきりと。これでは騙すも何もあったものではない。嘘を吐いても最初から疑ってかかり、その後の策(、、、、、)を用意しているのだから、騙した方こそが命取りになる。仮令謀る事が出来たとしても追われ、追いつかれ、殺されてしまう。故に少女に迂闊に近づく者は誰一人として居ない。

 今夜は野宿か――。

 村人達の好奇と侮蔑が入り混じった視線を浴びた少女は村から立ち去ろうと足を進めた。


「おい、君!」


 それは拍子抜けするぐらいに明るい声であった。背後からである。


「…………あ?」


 唐突に呼び止められた少女は、威嚇する様な声を出しながら振り返った。

 剣呑な視線で声の主を射止める。余程肝の据わった人物でなければ腰を抜かすような視線だ。


「泊まる所が無いんだろ? もう直ぐ日も暮れる。どうだ。うちに来ないか」


 少女を呼び止めたのは、少女と大して変わらなさそうな歳に見える彫りの深い顔立ちの青年であった。青年は声色と相違ない明るい表情で少女に笑いかけた。屈託の無い笑みは、まるで夕暮れまで遊び惚けた後、自宅に帰って来た少年のようである。笑いかけられた少女はそんな青年の顔を見て、不審感を感じる前に『何て馬鹿みたいに声がでかい奴なんだろう』と思い、眉根を寄せた。


「はぁ?……体は売らねえぞ……」


 奇妙な沈黙を破るように、少女は開口一番にそう言った。

 こういう事は先に言っておくに限る。もしそういう目的だったとしても、相手側が直ぐに掌を返したかのように断るからだ。その方が彼女としても血生臭い余計な労力(、、、、、、、、、)を消費せずに済む。

 青年は当然だ、とでも言わんばかりに頷いた。


「分かってるさ、そんな事。いいから来るのか、来ないのか?」


 青年はくるりと少女に背を向け、ゆっくりと歩き出した。わざとそうしているかのようである。

 少女は一瞬戸惑うような仕草を見せると、直ぐに青年の後を付いて行った。すると青年は唐突に振り返り、自分の後に続く少女にからからと笑いかけた。


「やっぱり来たか」


 少女は顔を逸らし、青年の踵を軽く蹴った。軽くは軽くなのだが、それは彼女の基準としての『軽く(、、)』であって、一般的観点に照らし合わせた『軽く』ではない。

 しかし青年は意外と頑丈な身体を持っているらしく、全く表情を変えずに歩き進んでいる。 


「声をかけて正解だったよ。道端で死なれては目覚めが悪い」


 前を見たまま涼しい顔で青年は呟くように言う。斜め後ろを歩く少女は視線を青年から逸らした。


「うるせえ……。お前は頭おかしいのか……」


 少女の眼はあくまで冷たい。意図が読めない相手ほど性質の悪いものはない。そういう相手に限って何か裏がある(、、、、)のだ。少女は今までの経験からそれを学んでいる。

 第一に青年が自分を招く理由が見当たらない。利益になる相手ならまだしも、このような娘一人招いて何の得があろうか。自分を蔑むように遠目から見る他の村人達の姿こそが常態というものだ。

 研いだばかりの刃物のような光を持つ眼で少女は青年を見る。身体か。狩った獣か。それとも身包みか。どれもそれ程の価値は無い。まあ、いずれにしろ――。 

 腰から下がっている使い慣れた獲物(、、)の柄を握った。


「後悔するなよ……」

 

 ――もしもの時は人を殺める事すら厭わない。


「どうにでもなるさ。……人生っていうのは、そんなもんだ」


 振り返らずに青年は言った。彼は夕暮れの空を虚ろな眼で見上げている。

 青年の横に並び、少女は青年の横顔を見た。そして、一度俯いてから、黙々と青年の横を歩いた。青年の家は村の外れにポツンと建っていた。近くには手入れの行き届いている畑があり、何のものかも分からない泥まみれの野菜の葉が地上へと飛び出ている。

 青年は自らの家の戸を開けると、少女を招き入れた。古臭い木材の匂いが一気に広がる。


「いらっしゃい、ようこそ我が家へ!」


 室内は至って普通の民家の様相そのものだった。中央には囲炉裏があり、色を欠いた灰の上には黒い鍋が吊り下げられている。質実剛健、無味乾燥。そんな部屋であった。ただ一つ、壁には農民が持っているとは思えない立派な太刀が、ひっそりと掛かっているのを除いては。

 土間で草鞋を脱いだ少女に、先に家へと上がっていた青年は手を差し出した。少女はムスっとした陰険な視線で青年を睨んだ。


「……何だよ……」


 睨まれているのにも関わらず青年は臆する事無く手を出し続けている。


「だから、その蓑だよ。貸してくれ、そのまま上がられると汚れて困るからな」

「……ああ」


 青年に促された少女は汚れた蓑を脱いだ。少女が蓑を脱ぐと蓑を纏っていた時には気付かなかった女性らしい柔らかな線が、薄暗い屋内にくっきりと浮かび上がった。肌蹴た着物から覗く肌は白く淡い。

 青年は蓑を受け取ると、自分の蓑が掛けてある金具へと少女の蓑を掛けた。

 少女の姿をジロジロと眺めた青年は腰に手を当て、鼻を鳴らした。


「さて! 体でも洗ってきてもらうか!」


 少女の姿はそれ程までに汚らしかったのだ。顔など元の色が判らぬ程汚れている。

 いきなり『身体を洗え』と言われた少女は訝しげな顔で青年を見ると、眉に深い皺を刻み付けながら憮然と腕を組んだ。


「……水は?」

「裏に汲んである。大きい桶の方だ。……ああ、大丈夫。最近降った雨水を溜めたものだからな。汚くはない。井戸水もあるが、それはまぁ、飯や飲料用だ」


 そこまで言うと青年は家の裏側を指差した。少女はどんよりとした顔で青年の指す方向を見た。薄暗闇の中では、落ちかけた太陽が厳かな輝きを放っている。それは夕刻――黄昏時を暗に告げている。


「ん? 何だ? やっぱりお年頃なのか? 心配するな! ここは村の中心からは外れているからな!」


 少女の表情から何かを察したのか、青年は少女に向けて安心するように言った。


「……覗くんじゃねえぞ」


 可愛げのない態度で少女は確認する。彼女とて女性である事に違いはないのだ。


「見られて恥ずかしがるような体じゃないだろう! ははははは!」


 この青年は親切でこそあるものの、空気は読めないようである。

 デリカシーというものが完璧に亡失してしまっている。


「ちょっと待て、今鉈出すから」


 青年の一言により眼が据わった少女は、手で腰の辺りを探り始めた。

 獲物(、、)の柄を探しているのである。


「おい、冗談だぞ! 早まるな!」


 顔色の変わった青年は必死で少女を諌める。少女はジロリと青年を一睨みすると、再び土間へと歩いて行く。段差に腰を掛け履物を履いた少女は、土が剥き出しになっている土間に降りた。

 ふわりと柔らかな土煙が立ち昇る。少女が戸を開けると、冷たく秋らしい風が室内へと流れ込んできた。舞い上がった土埃はその風に吹き散らされ、跡形もなく消え去っていく。

 冷たい風に顔を舐められた少女は寒気に顔を強張らせつつ、後ろを振り向いた。


「ぜってー見るなよ……」


 気難しいのか、心配性なのかよく判らない性格だと言えよう。


「はいはい。あ、これ、替えの着物だ」


 まるで年頃の妹でもあやすかのような調子で青年は適当に返事をすると、何時の間に用意したものか、丁寧に折り畳まれた小豆色の布の塊をひょい、と差し渡してきた。

 益々青年が何を考えているのかが解らなくなってきた少女は、睨み付けるようにして青年を上目遣いに見た。青年はのらりくらりと首を回し、少女の険のある視線を軽く往なしている。


「……お前は……何故ここまでする……? 俺はお前にとって得にはならない存在だ……。それどころかお前が何かしようものなら殺す意思さえある……なのに、何故平然と俺を家に入れる……?」


 それまで表立って出していなかった殺意が少女の身体に漲っていく。彼女は腰の柄に、先程とは違う流れるような動作で手を伸ばした。返答次第ではこの場で青年に手をかけるつもりなのだ。

 青年もそれには気付いているようであるが、特に恐れる様子もなく僅かに肩を竦めただけであった。


「さてね……ちょっとした罪滅ぼしかな……。たとえ俺がこの場でお前に殺されたって別に構いやしないよ。悲しんでくれる者も泣いてくれる者もいないんだ。それに――お前は俺を殺さない。これはちょっと自信があるぞ。じゃなきゃ自分の家に素性の知れない子供なんか招かないさ」

 

 青年はそう言ってやんわりとした笑みを浮かべた。


「……意味分かんねえ……」


 血や油の染み付いた木の柄から細い手が離れていく。少女は青年が差し出した小豆色に染め上げられた麻の着物を受け取り、穏やかに笑う青年を少しの間じっと見詰めてから乱暴に玄関戸を閉めた。

 出て行く間際の少女の瞳は少しだけ穏やかなものへと変化していた。

 張り詰めた弦を掻き鳴らしたかの如き震えた声が、透明な空気に染み入るように響き渡っている。

 蟋蟀(コオロギ)が啼いているのだ。

 辺りはもう暗く、夜の静けさと、昼の終わりの哀愁が入り混じったものが雲の向こうに垣間見える。

 空は葡萄の皮のような色に染まっており、その下地には茜色の陽光が見え隠れしているのが分かる。

 少女は小さな吐息を形の良い唇から零した。そして青年の家の裏へと回った。

 薄が風にざわめく。それは潮の満ち引きの音にも似ている。少女は桶の中身を確認してから、服をその場に脱ぎ捨てた。薄汚れた白い肌が、傾きかけた夕日によって仄かに照らされる。

 青年の家の裏は丁度、山を背に建っており、村の方からは少女の姿を見えないようになっている。おそらく青年も此処で水浴びをしているのだろうと、少女は理解した。

 少女は頭から水を被った。みるみると泥の付いた彼女の体は洗い流されていく。土色であった少女の肌も本来の白さを取り戻した。短く切った赤茶けた髪を振り乱し、少女は髪を伝う水気を切る。

 滑らかになった髪から滴る水の雫は、色の付いた大粒の真珠のように煌きながら地に零れ落ちた。


「――ふう……」


 大体の汚れを洗い落とし、人心地の着いた少女は、髪をかき上げ、紫雲の漂う空を見上げた。

 橙色の光が少女の顔を掠める。少女は眩しそうに目を細める。

 ――あら?

 声が聞こえた。勿論少女のものではない。薄の奥からその声は聞こえて来た。

 少女は身を硬くし、脱ぎ捨てた服の中から鈍く輝く鉈を掴み取り、鞘を外した。

 相手に自分の気配を悟らせないように、少女は極力物音を立てずに見通しの悪い陰から陰へと移動していく。薄から聞こえるざわめきが大きくなる。何かが薄の中で動き回っているのだ。少女は鉈を正眼に構え、薄の藪の中へ声を張り上げた。


「誰だッ!」


 返事は無い。気配は一つ。雰囲気も先程の青年とは違っている。ならば賊か――。

 その可能性もあるのだろうが、このように閉鎖的かつそれなりの人数が常駐している大きな村を単独で襲う理由が見当たらない。下手をすれば返り討ちにあってしまう。どんなに凶悪な賊と言えど、数には負ける。それに村社会というのは、結束力が強く敵に回すと厄介なのだ。

 賊でないとすれば――何だ? 

 少女の中で緊張が高まっていく。同時に若干和らいでいた少女の瞳も獣のそれに近くなっていく。

 とにかく――敵なら殺す。


「――よっと!」


 藪の中から小柄な人影が飛び出した。少女はその影に向かって鉈を振り上げた。

 手入れのされた刀身が斜陽の光を艶かしく反射する。眼が眩む――。


「げぇー! いきなりですかい!」


 飄々とした声に動揺する事無く、少女は鉈を振り下ろす。小柄な人影は、さっと飛び退きそれをかわした。だが、鉈を避けられた少女は既に次の攻撃を繰り出せる体勢になっている。抜かりはない。

 研ぎ澄まされた空気。獣を狩る時と同様である。忍ばせた殺意で相手の喉を掻き切るのだ。

 少女の鉈をかわした小柄な影はそれを察したのか、両手を挙げ、降参の意を示した。


「参りました! 降参! 降参ですぜ!」

 

 緊迫感の無い声に少女は力を抜いた。殺気も叙々に萎えていく。

 小さい影の正体は、家の中に居る青年や、少女と同じぐらいの年齢の少年であった。大きな風呂敷を背中に背負い、擦り切れた草鞋を履いている。愛想の良さそうな笑顔が特徴の少年だ。

 少年の表情を見た少女は顔の皺を深くした。何故なら、これから自分に殺されるかも知れないというのに、少年の表情はやたらと落ち着いたものであったからだ。


「お前――……」


 気の抜けた笑顔に気勢を削がれた少女は、構えていた鉈を下ろした。


「いやいや、良い眼の保養になりやした。それじゃあ、あっしは急ぎの用があるので――」


 何事も無かったかのように少年は少女に背中を向け、そろりそろりと再び草薮に消えようとした。

 しかし、そうは問屋が卸さない。

 少女は逃げようと背を向けた少年の着ている着物の襟首を確りと掴んだ。


「待てコラ」


 身体を隠そうとせず――尤も、殆ど夜に近い明度であるので隠す必要も無いのだが――少女は少年の後姿をきつい目付きで睨め付けた。少年の背中にうっかり道端で猛獣に出くわしたかの如き寒気が走る。


「ははー……。嫌だなーお嬢さん。あっしも男ですよ……? 引き止められたらそりゃもう、野獣のようになっちまいますぜ。ですのでね……此処は引き止めないで行かせて下せ――」


 少年の顔は心なしか引き攣っている。少女の剣幕に動揺している事が窺える。


「うるせえ、逃げんな」


 少女は、持っていた鉈の柄で少年の頭を問答無用で殴りつけた。そして少年はきゅう、と蚊の鳴く様な声を出して、その場に倒れ込んだ。一切の容赦が無い。

 そんな出来事が自分の家で起きているとは知らない青年は、囲炉裏の中心に置いた鍋に色々な食材を入れていた。夕食の支度をしていた。野菜ばかりなので聊か味気は無いが、汁物なので体は暖まる。青年の少女に対する心ばかりのもてなしである。

 青年の家の戸が慌ただしい音を立てながら開いた。開いた戸から、すっかり広がり切った夜の闇が家の中へと入って来る。青年は鍋の支度を中断し、戸の方へと視線を遣った。

 明るさと暗さが混在した戸口には大きな何か(、、)を背中に背負った小さな影法師が立っていた。

 青年は目を細める。物の怪の類を見るのは彼としても初めてだったのだ。しかし、暗闇に眼が慣れるにつれ、その影法師が自分の見知った顔をしている事に気が付いた。


「お、お前……。その格好は? 背中のそれは? まさか……熊か?」


 影法師はぶっきらぼうに首を左右に振り、答える。


「落ちてた」


 開いた戸の向こうには、着物の帯を締めず、着物をただ羽織っただけの少女が、何やら大きな物体を背に担いでいた。物の怪などではない。

 目を丸くした青年は、いそいそと家の壁に掛けてある帯を掴み取り、少女の方へと向かった。


「何て格好してんだよ、冷えるだろうが! ほら! それ下ろして後ろ向け!」


 少女は、青年の言う通りに、背負っていたそれ(、、)を土間に下ろすというより落とし、青年の方に背中を向けた。少女の腰に帯が回されていく。少女は特に抵抗する事もなく帯に巻かれた。


「……悪い」

「こういう時はありがとうって言うんだよ」


 帯で少女の着物を留めた青年は、少女の背中を軽く叩いてから笑った。


「あり……と」


 少女の小さい声は、青年の耳には届いていない。

 青年は首を傾げて、少女が背負っていたそれ(、、)を見ている。


「――で、あれは何なんだ?」


 青年は土間に転がる物体に指を指した。


「家の裏に居た。だから捕まえた」


 簡潔かつ、かなり説明不足の説明である。少女は改めて青年に貸してもらった着物の襟を整えると、土間に横たわるそれ(、、)の足を踏み付けた。微量ながら自分の裸体を見られた憎しみが籠っている。


「殺したのか?」

「いいや――」


 少女が口を開きかけた所で、土間に寝ていたそれ(、、)は身を起こした。


「死んじまう所でしたぜ……。そいじゃ失礼しますわ」


 少女と青年は、頭を擦るそれ(、、)こと青年の家の様子を裏から窺っていた少年を眺め、顔を見合わせた。起き上がった少年は呆気に取られている二人を余所に、戸を開け、そっと出て行こうとしたのだが――。


「逃げんなクソ野郎」


 先程と同じように再び少女に襟首を引っ張られ、引き戻された。


「あ~……やっぱ駄目ですかー……」


 観念したのかしてないのか、判り難い表情で少年は笑う。


「当たり前だろうが、馬鹿かお前」


 死にそうな笑顔で少年は愛想を振り撒いた。大半の人間が心を許してしまいそうな笑顔である。

 しかし、青年は兎も角、少年の胸倉を掴み上げている少女には全く効力を発揮していない様だ。


「……こいつどうする? 解体(バラ)して撒餌にでも?」


 少女は少年を確保しつつ、青年の方を仰いだ。眼が冗談ではなく本気であると雄弁に語っている。

 青年は瞼を閉じ、首を大きく横に振る。それを見た少年の顔色が途端によくなった。


「俺の家が血だらけになるだろうが。殺す(やる)なら外で()ってくれ」


 青年は外に向けて手を払うような仕草をした。少年の顔が蒼褪めていく。


「助けてくれねえんですかい!? こっちの凶暴なお嬢さんと違ってまともそうなのに!?」


 半ばやけくそ気味に少年は、青年と少女に向けて交互に顔を向けて抗議する。


「……お前、それ、俺に喧嘩売ってるんだな? え? おい?」


 鋭い犬歯を擦り合わせ、歯軋りをし始めた少女に、少年の恐怖の色は一層濃くなった。

 

「……全く。そこまでにしておけよ。人が死ぬの傍目から見るなんざもう十分だ……」


 青年は少女の肩を掴み、言った。すると少女は意外にもあっさりと引き下がり、少年の襟首を離した。青年に窘められた少女の顔は、親兄弟に叱られた子供の拗ねた顔にそっくりである。それを見た少年は噴出しそうになったが、少年を見咎める少女の鬼の様な形相に大人しく閉口した。


「ほらほら、お前ら、こっちに来い。飯だ飯!」


 手を叩き青年は大きな声を出す。鍋の支度の最中であった事を彼は思い出したのだ。

 少女は無言で囲炉裏の方へと歩いて行き、事情が呑み込めない少年もそれに従った。


「あのう……。あっし……此処に盗みに入ろうとしたんですが……」


 少年は少女を追い越し、囲炉裏傍に座る青年に恐る恐る問いかけた。再び鍋の準備をし始めていた青年は意外そうな顔で少年を見上げ、表情を崩した。


「いつ死ぬかも分からないのに、盗みも何も無いだろう。皆生きる事に必死なんだ。お前が此処に来たのも何かの縁……今夜ぐらいは飯食ったって罰は当たらないぞ。お前、随分と飯食ってないだろ?」


 青年は少年の着物に薄っすらと浮き上がるあばら骨を見ながら、鍋の中をゆっくりと箸で掻き混ぜた。少年は何か言おうと口をもごもごと動かしたが、何の言葉も出なかった。結局、少年は青年の近くに正座の形で座した。


「お人好しに盗人……けっ……この家には変な奴しか集まってねえのかよ……」


 どっかりと腰を下ろした少女は乱雑に胡坐を掻きつつ、自分の横膝の上で頬杖をついた。


「お前も大概だろ。『俺』なんて言う娘なんて初めて見たよ」

 

 青年は少女の方を見ながら言う。からかうような口調である。

 少女は横目で青年に子供が一目で逃げ出すような視線を投げかけたが、青年は動じない。


「……余計なお世話だ」


 あからさまに不機嫌になった少女は青年から顔を逸らし、寝転んだ。そして思い出したように床の上に置きっぱなしになっている自分の荷物の中から首を落としてある山鳥の足を掴み、起き上がった。


「こいつも入れろ……」

「いいのか?」


 鍋から視線を外さず青年は少女の声に応える。その口元は僅かに上がっていた。


「……泊めて貰った礼だ……」

「ははっ……じゃあありがたく……。って毛、毟ってないのかよ」


 漸く少女の方に顔を動かした青年は、黒々とした毛がびっしりと生えている鳥を見て、何とも言えない顔をした。まさか背に担いでいた鳥を丸のまま差し出されるとは、彼とて思わなかったのだ。


「……明日にでも食え」

「明日ってなぁ……」


 青年は、少女の差し出す山鳥を微妙な表情で受け取った。


「もしかしてですけど――」


 黙りこくっていた少年が急に口を開き始めた。少年は家の中を見回しながら、青年の方をじっと見た。


「この家……。普通の家よりも……。何というか……普通じゃねえんでは?」


 少年は訝しげに青年を眺める。青年の顔色は全く変わらない。


「あんた――……何者で?」

「……何者でも無いさ」


 鍋を掻き混ぜる箸が止まった。気付けば青年は少年の方を見据えている。

 いいや――青年は少年を見ていない。青年が見ているのは、もっと遠くの。決して手の届く事の無い情景である。赤く染まった野原。水の代わりに流れる血。守りたかった者の亡骸(ざんがい)――。

 青年が見ているのは、自分の掌から零れ落ちた夢の跡なのだ。

 再び鍋を掻き混ぜ始めた青年は、遥か遠く、自分にしか見えない情景を見た。


「守りたかったものを守れなかった人間なんて、死んでいるのと変わらないと思わないか」


 突然青年はそう呟いた。問いを返された少年は、くい、と片方の眉を大きく引き上げた。


「死んでいる……ですかい?」


 風に煽られたからなのか、家鳴りが聞こえる。青年は淡々と続ける。


「……俺が山奥に引っ込んだのも、それが理由さ……。幕府だの何だの騒がしいが、もう俺には関係無い。金目のもんさえ売り払ってしまえば、そこらの農民と見分けが付かない。少々裕福ってだけでな」

 

 少年はやっと青年の異様なまでに落ち着いた物腰の理由に気が付いた。


「あんた……まさか……」

「止してくれ。今はただの農民だ。……そうじゃないか。今も昔も……だな」


 青年は傍らに置いていた椀を取り、鍋の中身をよそった。そして、その椀を何故か恨めしげに見ている少女に手渡した。少女は黙々とそれを受け取る。


「おらよ、腹ペコ姫」

「話……長い」


 椀の中身を啜りながら、少女は少年と青年に交互に視線を遣った。


「辛気臭せえ話してんじゃねえよ。飯が不味くなるだろ」

「はははは……! その通りだな! 飯が不味くなる!」


 青年は言いながら、次に鍋の中身をよそった椀を少年に渡した。


「ですねえ……。人それぞれ事情なんてありますからねえ……。聞くのが野暮ってもんでした」


 少年は気を取り直したように椀を受け取った。木の椀からは温もりがじんわりと伝わってくる。


「お前らこそどうなんだ? どっちも俺よりもずっと下だろう」


 実の所、青年の年齢は単に若作りであるだけで少女や少年よりもかなり上の方であるのだ。 

 青年の問いに対し、少年は自嘲気味な笑顔を浮かべ、少女は椀の端から唇を離した。

 最初に少年が自らの境遇を話し始めた。


「……親は口減らしの為にあっしを殺そうとしたんでさぁ」


 ――少年は思い出す。自分を前にした母親の姿を。親が親でなくなる瞬間を。


「でも、あっしは足が速かったから、簡単に逃げ切れました。それから、ずっと、同じような目に遭った奴と着の身着のまま暮らしていたんですけどねぇ……」


 ――逃げた先で少年は足の悪い一人の少年と出逢った。足の悪い少年は頭が良く、常に笑顔であった。しかし、彼も親に捨てられていた。少年は自分と似た様な境遇である足の悪い少年を見捨て置けず、思わず手を差し伸べてしまった。それからは長い様で短かった。二人の子供にとっては辛い日々だったが、彼らは幸せだったのだ。少年は足の悪い少年と何年も暮らした。少々悪さをすれば生きる事だけは出来る。盗みは専ら少年の仕事だった。少年はいつも自分の帰りを穴倉の様な住処で待っていた。

 待っていた筈なのに――。

 不自由な足が仇となってしまった。


「そいつ……殺されちゃったんですわ。で……まぁ、こういう稼業をしながら暮らしているとね」


 風に揺られ、家がきしきしと軋む。唸るような音が壁越しに聞こえる。


「良い奴だったんですけどねえ……。運が悪かったんでしょうねぇ……」


 少年は寂しそうに笑った。赤く燃ゆる炎の光が少年の顔を鈍く照らす。


「おい、肉が入ってねえぞ」


 唐突に少女は不満げに椀の底に溜まっている具を指で掻き出しながら言った。


「肉なんて入ってる訳が無いだろう。俺は畑仕事専門なんでな」


 青年はゆっくりと汁を口にした後にそう応えた。


「…………」


 少女は口を無言で尖らせた。まるで子供のような仕草だ。


「で! お前さんはどうなんだよ、お姫様?」

「そのむかつく呼び方やめろ……。……俺だって大してそこの覗き野郎と変わんねえよ……」


 少年の顔が引き攣った。飄々としている割に表情が表に出やすい少年である。

 後々、それを理由に強請られたらどうしよう――と彼は肩を震わせながら言い返す。


「覗きって……人聞きが悪いですねぇ。ありゃあ、不慮の事故ってもんでしょうに。あっしだって出る所が出てる女の方でねえと見た気に――」


 少年の顔を少女は、般若が卒倒しそうな極悪な表情で睨み付けた。

 睨み付けられた少年は小さな悲鳴を零し、仰け反った。


「こらこら、一応女の子なんだぞ。一応」


 青年は少年を窘めるように言う。宥めているが、少女の怒りを無自覚に煽ってもいる。


「あれか、お前ら二人共、纏めて山犬の餌にされたいんだな?」


 強烈な表情の少女は、抜き身のままの板床に置いてある鉈の柄を指先で撫でた。多くの血を吸ってきたであろう鉈は、鈍重な光沢をもって囲炉裏で燃え盛る火を生々しく反射している。


「落ち着こう。落ち着けば何とかなる」


 青年は蒼白い顔で持っている空の椀を飲み干す仕草をした。中身など入っていない。


「……俺に……」


 少女は青年に空の椀を差し出し、おかわり(、、、、)を催促しつつ語り出した。


「……親なんて居ない。両方とも疫病で死んじまったよ。だけど……妹が一人居た……。俺はその妹と一緒にマタギの爺さんに引き取られた……。良い爺さんだったぜ。何から何まで世話になった……」


 少女は懐かしむような口調で滔々と言葉を続ける。


「ある日妹の姿が消えていた……。俺が住んでいた山の下には小さな村があってな、妹は爺さんが止めるのも聞かず下りていったらしい。……もっと早く俺が気が付いていれば良かったんだがな……。妹は村の奴らに乱暴された挙句、ぶっ殺されてた。……馬鹿な()だよ……。あれ程爺さんから止められていたってのにさ……」


 少女を見ていた青年は、漸く少女に少女らしさというものが戻った様に思えた。

 酷く脆く、繊細な氷柱の様な心が不安定に揺らぐ。


「俺は村の野郎を皆殺しにしようと思った……。でも、その前に爺さんが鬼のような形相で飛び出して行って、村の奴らを殆ど皆殺しちまった。とんでもねえ爺だったぜ……。でな――血だらけになった体で言うんだよ『すまなかった』って。それ聞いたら、何だか怒りなんて何時の間にか萎えちまってた」


 少年はちらりと少女に視線を動かした。朱色の外炎に照らされる少女の顔は、ぼんやりとした影が差していてよく見えなかった。少女は独り言のように小さな声で続ける。


「……第一、しっかりするべきだったのは、俺の方なんだよ……。俺が気付いていればあいつもあんな目に遭わずに済んだのにさ。……その山に居られなくなった俺と爺さんは、ふらふらと色んな山を渡り歩いた。ほんとに色んな場所を――な。そんで、その内……爺さんもポックリ死んじまった」

 

 ――少女は愛していた妹の顔を忘れない。陵辱され、見るに耐えない顔になった妹の顔も忘れない。卑劣な村の男衆の死に顔も、仇をうってくれた老人の顔も、全部、全部忘れない。

 彼女はどうしても忘れたくないのである。自らの胸中で未だに燃え滾る怒りも。行き場の無い憎しみも。鈍色(にびいろ)の悲しみも。全てはいつか、思い出せない程に色褪せてしまうから。

 

「……どこも似たり寄ったりだな……」


 青年は少女に椀を渡し、暫し俯いてから静かな声を発した。


「ろくでもない世だ……」


 彼は思い切るように少年と少女を真っ直ぐに見据えてから口を開いた。


「なぁ――お前らが良ければだが……、暫く此処に住んでみないか? どうせ行く所もないだろう? ガキの二人を食わせるぐらいの食い扶持はある」


 枝を折るような音が囲炉裏から響く。少年と少女は、お互いに確認するように視線を交わした。

 柔らかな沈黙が室内に満ちる。火が爆ぜる音だけが彼らの鼓膜を心地よく揺らす。

 ゆっくりと時間は流れていく。会話が無いだけあって、それは長く、永く感じる。

 最初に沈黙を破ったのは――少女であった。


「……明日(、、)は肉を入れろよ」


 やたらと投げ遣りに聞こえる声色であった。それに少年も続いて、


「奇妙な縁ですが――暫く厄介になりますわ」

 

 と返答する。こちらははにかむように顔を歪めている。

 二人の返事を聞いた青年は大きく笑い、少女と少年の頭を両手でガシガシと引き寄せながら撫でた。


「そうかそうか! そりゃよかった!」

「痛いですぜ……」

「やめろ……うっとおしい……」


 頭を撫でられた少年は、照れ臭そうに微笑み、少女は相変わらずの愛想の無い顔でそっぽを向いた。

 家鳴りが聞こえる。どうやら風が強くなってきている様だ。

 外では黒い風が逆巻き、家々の間を駆け抜けている。不吉な風――いや、貪欲と形容すべきか。

 青年が微かな幸福の予感に浸っていた頃、村の外に一人の男が現れた。

 男は猿楽――現代で言う能楽の面を被っていた。鬼のような獣のような朱塗りの面である。

 どこを見ているかも分からぬ能面の細められた眼は、村の方向に向いていた。

 底の知れない伽藍堂の視線が夜の闇を射止める。不吉なざわめきが村を取り囲むように広がる。

 男は面を外した。僅かに覗いた男の口は――裂けたように哂っている。

 夜が哂う。宴が始まる。これから起こる惨劇に月は赤い涙を流し、自分の体を染め上げた。


 ――喰わせろ。


 青年達の掴みかけたささやかな幸せは、一夜にして消え去った。

 この後、暴食の徒は五色の光を操る者により打ち倒される。だが、喰らわれた魂が戻る事は無い。

 惨劇の残り香は風に消え、赤き鎖は新たな因果を運ぶ――。



 

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 蒼雷が真を襲う。蛇のようなしつこい動きで雷の線は動きを変え、流れを変え、真を追い詰めていく。彼は幾重にも伸びた雷光を避けながら、右手に携えた五つの金属が収められた手甲を地面に翳した。


「土行――土塊」


 地中の中が大きく動く。地面は隆起し、整備された道は二つに割れる。その裂け目から瞬時に毒々しい色の溶岩が噴出し、真を狙う雷撃の前に壁の様に立ちはだかった。

 噴出した溶岩が瞬時に固まっていく。一瞬にして形成された巨大な岩壁が雷の進行を阻み、掻き消した。


「操られているのか……」


 真は、汚泥の様な闇の真っ只中に浮かび上がる不気味な赤い二つの光に視線を遣った。

 夜の闇が点滅する光で照らされる。真の視線の先――空中を漂う雷光に照らされる瑞樹神広尾は、その身に巨大な白蛇を巻き付けながら、生気の無い赤い瞳で真を凝視していた。

 真は安堵した。幸いな事に、広尾が纏う白蛇の眼には、広尾の瞳に潜む赤き光は見受けられないからである。もしあの白蛇が操られる事があれば、真も、それを使役する広尾自身もただでは済まない可能性が出てくる。しかし白蛇を見る限りその様子は無い。式神は使役する人間の意向に従う。白蛇も操られている広尾に従って動いているだけなのだ。それだけでも、最悪の事態(、、、、、)は防げている。


()は使えないようだな」


 真は静かに呟いた。


 ――してどうする。矢は使えないとしても、あの娘の雷は脅威だぞ――


 真の手甲から黄色の光玉が現れ、彼に話しかけた。貫禄のある野太い男の声である。


「そうですね……。土行も雷とは相性は良いとはいえ、威力までは殺し切れない……。式を使えなくするには、動きを封じるのが手っ取り早いですから、木行を使います」


 ――その前に、あの蛇の動きを封じなくてはな――


「ええ。宜しくお願いします」


 広尾の体から白蛇が離れ、真に襲い掛かろうと首をもたげつつ、地面を這いずる。


 ――いざ!――


「土行――土塊」


 地鳴りが轟き、真の耳を揺らす。地面がうねる(、、、)。アスファルトの表層は粉々に砕け、その振動の余波が剥き出しとなった地表を流れていく。すると隆起していた地面が、今度は逆に凹み始めた。

 広尾の周囲を眼に見えない大きな力場が取り囲んでいく。その力場に、未だに健在であった自販機はアルミ缶の様に潰れ、地面は陥没していった。とてつもない力の流れは、唯一、生身の広尾だけを外して周辺へと多大なる圧力をかけた。白き大蛇は地面へと押し潰され、苦しそうに鈴の様な鳴声を上げた。


「木行――穿枝」


 緑の閃光が迸る。その光は先程の黄色の光玉に並んだ。

 広尾の足元から巨大な木の根が生え出し、彼女の体を雁字搦めに絡め取る。壮健な木の根に巻き付かれ、締め上げられた広尾は、眠りに就くかのように緩やかに瞼を閉じた。


「捕縛せよ」


 真がそう言うと、広尾に巻き付いた何本もの太く剛健な木の根は、完全に一体化し、広尾の両手足の自由を奪った。使役者が行動不能となった白蛇は、ぼんやりと薄らぎ、光の粒子となり消えていく。

 最終的に残ったのは芋虫の様に横たわる広尾のみとなった。


「……何とかなりましたね……」


 一息ついた真は地面に転がる広尾の傍に歩み寄り、瞼の閉じられた少女のような顔を見下ろした。

 意識はない。木行の能力で彼女は深い眠りに落ちている。暫くは眼を覚まさないだろう。

 黄色の光は役目を終えたかのように真の手甲へと消え、残ったのは緑の光のみとなった。


 ――真君は結構な無茶をしますね……。周り、凄い事になっていますよ……?――


 空中に留まっている緑の光がふわふわと漂いながら言葉を発した。

 聞いただけでは女性のものと間違えてしまうような柔らかな調子の男の声である。


「恐縮です」


 緑の光の声に、真は丁寧に頭を下げた。緑の光は困ったように彼の周囲を旋回した。


 ――いや、褒めてないぞ、それ――


 緑の光に続いて赤色の光球が現れた。こちらは若さが滲み出ている明るい響きの声だ。


「…………?」


 真は首を捻った。まるで意味が解っていない。 


 ――もういい……もういい……俺が悪かった……――


 赤い光玉は諦めた。真に裏の意味がある言葉(、、、、、、、、、)は通じない。どんなに頑張っても『何か違う方向』に逸れてしまうか、そのままの意味の言葉として受け止めるか――。

 その二択しか彼の中には存在しないのだ。だからといって決して単純でも偏屈という訳でもない。単純でもないし、偏屈でもないが、人によっては扱い難いであろう事は間違いない。無論、彼を慕っている人間も数多く存在しているので、特にその性質による生活に対しての支障はないらしい。

 極めて一般的な変人である。


 ――あの~―-


 緑色の光が細々とした声を出しながら赤色の光の前に出た。遠慮がちにも見える。


 ――んだよ……――


 赤色の光球は煩わしそうに緑の光の上へと移動した。こちらは態度が悪い。


 ――いえ……僕は早く逃げた方がいいんじゃないかなーって……――


 慎み深く提言する緑の光は、動きによって何が起きているのか(、、、、、、、、、)を表現した。


「え?」


 ――え?――


 真と赤色の光が同時に声を発した。見れば先程の真と広尾の戦いを、大きな地震か何かと勘違いした近隣の住民達が、次々に外へと必死の形相で飛び出して来ている。 

 あれだけ派手に()り合えばこれも必然と言えば必然なのだろう。


「……逃げますか……」


 このままこの場に留まれば、遠からず騒ぎの中心になってしまう。そう考えた真は身動きの取れない広尾を荷物の様にぞんざいに脇に抱え、夜の帳へと素早く姿を消した。


 


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 空が昏い。茫洋とした蒼白い月の光が今日は弱弱しく感じる。

 蕩けた蒼い雫は夜天の深い黒色の上に、水で薄めた絵の具のように上塗りされている。黒い色の方が濃度が濃いから、蒼い色が拒否され、弾かれて、浮き上がっている。所詮は上から色を零しただけなので色が全く定着していない。景観という表層に色の付いた膜を張っているのみだ。

 肺が締め付けられる。白い庭では身体の感覚はないが、それでも感じるものは感じる。

 形のない不安感。一度(ひとたび)衝撃を与えてしまえば、凝固し、実体を持ち得る不安定な感情である。

 気のせいなのか。気のせいなのだろう。全て終わった事だ。不穏の元凶は刈り取った。そうだ。その筈なのに――この不可解な気持ちの悪さは何だ。俺の考え過ぎなのか。

 自らに『大丈夫』と言い聞かせようとしても、それは埋まらない余白を無理矢理埋めているようで全く意味を為さない。それどころか、空白を埋める為に用意した理屈や何かこそが『不安』へと変容してしまう。繰言のように不毛だ。考える事が無意味ならば、この『不安』はどう片付ければいいのだろうか。自己完結出来ればそれに越した事は無いのだろうが――。

 ガラの視界は未だに注意深く石畳に倒れている男の姿を捉え続けている。ガラもまだ気を抜いてはいないのだ。あいつはいつも余裕をかましているが意外と用心深い奴だ。もしも(、、、)何かがあったとしても、対処出来るように常に構えている。

 心配は――要らないのか。この場にはアリカも居る。多分――大丈夫だ。

 念の為に、頃合を見計らって話しておこう。そうすれば案外あっさりとこの『不安』を拭い去れるかも知れない。不安なんて必要無いんだ。そうに――決まっている。


「さて、アリカちゃんよ。この男――なのか? まあ、男という事にしておこう。これはどうするかね? 私としては色々と訊きたい事があるのだがね。……む? どうしたのかね? そんなに――」


 平常運転とも言うべき口調でガラはアリカに声を掛けた。アリカは――男の方をいつになく真剣な表情で睨み下ろしていた。口はきつく閉じられ、細い手は握り締められていて、南屋さんよりも鋭い瞳は男の顔だけに一心に向けられている。見方によっては、思い詰めているようにも見える。

 どうしたのだろうか。彼女が無口なのは前からだが、幾ら何でも今日の様子は変だ。

 誰も喋らない。沈黙という騒音のみが耳を刺激する。あの喧しいガラでさえ、黙し、アリカと男の様子を静観している。

 

「…………お前は……誰だ。何故、俺はお前の事を(、、、、、、、)知っている(、、、、、)……?」


 居心地の悪い静けさを破るように、アリカはそう口を開いた。男だけを視ている。

 男は――仮面のような気味の悪い印象の男は――。


「くっ……くくくくく……何の因果であろうか……。久方ぶりだのう……小娘(、、)……。御主の顔は確りと憶えておるぞ。くく……忘れよう筈も無し……何せ――」


 ――哂っている(、、、、、)。この追い詰められた状況で、男はまだ哂っている。


「我が喰ろうたのだからな」


 男は嘲笑う。愉悦を噛み締めるように、その肌が沸き立つような気味の悪い声を毒のように暗中にぶちまけ、空気を腐らせていく。ああ、何て厭な声なんだ。聞きたくない。耳を塞ぎたくなる。

 だが――この声じゃない(、、、、、、、)。俺があの夜に聞いた声はこれではない。


「……いい度胸してんじゃねえか。俺を喰らっただと? 寝言は寝てから言えや」


 アリカは男の着物の胸倉を右手で掴み上げた。今にでも噛み付きそうな空気が彼女の身体から滲み出している。だがそれでも男は哂う事を止めない。作り物のような無機質な顔を歪め、からくり人形のような声を響き渡らせている。不気味としか言いようの無い光景だった。


「忘れようものか。知っておるぞ! 御主はあの夜、我に喰われたのだ! そうそう……その場には他に二人おったな。一人は太刀を手に真っ先に我に向かって来た男……。あれは美味かった……。そして、もう一人はお主を必死で逃がそうとしておった小僧だ――。少々骨っぽかったが、中々に味があった(、、、、、)。最後にお主だ、小娘よ。御主は泣き叫んでおったな……。非力を嘆き、寂れた刃を手にしてこちらを睨め付ける様は心打たれたぞ! かかか! 最期の瞬間まで我に怯えなかった御主ら三人の顔はよく憶えておる! 美味であったからなぁ!」


 鬼気迫る声で男は饒舌に語った。それが何の出来事を指しているのか俺には解らない。ただ、男の言葉によってアリカの様子が悪い方向へ(、、、、、)変化している事だけは理解出来た。

 アリカは今までに見た事がないような苛烈な表情で歯を強く噛み締めている。怒りの中に僅かな冷たさを残しているいつもの彼女とは様相が異なる。何がそこまで彼女を駆り立てているのか――。

 硬い物に亀裂が入る音が聞こえた。歯切れの悪い音だ。音の出処を探る。見ればアリカの空いている方の手が石畳に深々と食い込み、その表面を粉々に握り潰している。

 近づいただけで燃えてしまいそうな殺気。痛々しいぐらいにまで純粋な怒気。今の彼女は贔屓目に見ても冷静さを欠いている。俺はそれが何故かいつになく人間臭い感情に思えた。血が通っているというべきか――彼女の素顔が少しだけ顔を出した――そんな風に感じたのだ。

 

「訳解らねえ事ぬかしてんじゃねえっ! 二人だと? 誰の事を言っているッ! 答えろ! お前は俺の……俺の何を知っている……ッ!」


 男の顔に夜の闇より濃い影が差した。含み笑い――噛み殺すような哂い声。


「焦るな、焦るな。宴はまだ始まったばかりよ……。さあ、余興はこれにて――。くく……来たぞ!」


 腐臭の混じった温い風が夜を駆ける。木々を揺らし、空気の隙間を埋め、細かい土を吹き上げる。

 月が。星が。全てが暗雲に覆い隠され、舞台が暗転するように光が消えていく。酷く昏い――。

 危うい静けさが寒々とした空気に満ち始める。時が凍てついてしまっている。

 男は哂っているようだが、声が聞こえない、無音の狭間では声など伝わる筈も無い。

 少女の顔は氷像のように硬直し、眼を見開いたまま、哂い続ける男だけを見詰めている。

 

 ――けらけらけら……。


 哂い声が聞こえた。


 ――けらけらけらけらけらけらけらけらけらけら。


 それは叙々にはっきりと。


 ――けらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけら。

 

 増殖するように大きくなっていった。


 ――けらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけら。


 ああ、これは――あの時(、、、)の声だ。誰だ――この声は――誰の――。


「――遅くなって悪かったな。……おお、皆集まってるねぇ」


 その声を契機に、哂い声がぴたりと止んだ。

 暗闇には一つの影が輪郭だけを浮かび上がらせている。近づくにつれ、その影の顔は鮮明に見えるようになり、それが誰であるか(、、、、、、、、)が認識出来た。

 特徴の無い顔。特徴の無い凡庸な雰囲気。瑞樹神広尾と共に姿を消した男。


「栖小埜君に、南屋灯さん――いや、今はガラと……アリカだっけか」

「……何となくそんな気がしていたんだがね……まさか、本当に君だとは思いもしなかったよ……!」


 ガラの問いかけに、その人物はくすりと哂った(、、、)


「いやあ、先輩にも困ったものだけど、こっちの方も勘が良すぎて駄目だな。せっかく今までこっそりと食べていた(、、、、、)のに気付かれちゃうなんて……。あの時(、、、)もそうだったよな? 出ておいで、僕と話そうぜ、栖小埜君――」


 俺の名前をその人物が呼んだ瞬間、ふいに頭の中に古雫さんの顔が蘇った。

 信じられない。哂い声の正体(、、、、、、)が――。

 不定形の不安がついに固まってしまった。恐ろしいというよりもおぞましい。どうしてこの人はこんなにも平然とした顔でこの場に立っていられるのだろうか。

 人を少なくとも一人は殺している筈なのに、何故この人は日常の範疇から逸脱していないかのような普通の表情(、、、、、)を顔に浮かべていられるのか。


 ――ガラ……代われ……――


「……いいのかい」


 この人が――古雫さんを、そして彼女の二重存在を殺したのだとしたら――。


 ――いいから代われッ!――


「……分かった。重々に気をつけたまえ。それは……最早人であるかも怪しい――」


 そう言い残して、ガラは俺と入れ代わった。感覚が戻った自分の眼で、再びその人物を見据える。

 間違いない。本人だ。前に会った時と寸分違わぬ顔で哂っている。

 

「――あんたが……ッ。あんたが古雫さんを殺したのか……! 何でだよ!」


 ――絶対にこの人物を許す訳にはいかない。


「人聞きが悪いな。返して貰った(、、、、、、)だけだって」

「返して貰った……? 何だよそれ……!」


 その人物は――そいつは――呆れたような表情を作って首を傾げた。


「君達が勝手に名付けた『二重存在』――あれね、こちらの――」


 仮面の男の方を向き、そいつは続ける。仮面の男は声を発さず口の線を曲げている。


俄面陰我(、、、、)さんが喰った人間だ」


 ――私は二重存在が二人中に居るんです…。インとヨウって名前で――。


 イン――陰我――そういう事か。馬鹿馬鹿しい。何なんだこの茶番は。


「喰い殺した人間の魂を束縛出来るんだってさ。……死んでも尚、地上に縛り付けられるってどういう気分だろうなぁ。まぁ、今は私がそれを引き継いでいるんだけど。あっ、そうだ。あの煩い女……古雫楼花もちゃんと居るよ――俺の腹ん中に」


 悪臭が入り混じった強い風が雲を動かしていく。黒い雲の下から現れた空もまた黒かった。

 月は赤く怪しく輝き、星は闇に悉く呑み込まれている。夜光ですら薄っすらと赤みを帯びている。

 ああ、またか。また夜が哂っている。この声は厭だ。


「あいつ……不味かったなぁ」


 三重存在の男――伊井都雅峰は、けらけらと歪な哂い声を鳴り響かせた。



 無いよ! 何も無いよ!

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