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 鏡の前で何度も回った。いつものTシャツとジーンズではなく、小さな花柄のチュニックに春色のカーディガンを羽織った私は、なんだか私じゃないみたい。

 高校に合格したあと、初音と買いに行った服。すごくお気に入りだったのに、ずっとクローゼットの奥で眠っていた。

「あら、かわいい」

 洗濯物を持って来てくれたお母さんが、鏡の中の私を見て微笑む。

「どこか出かけるの?」

「うん。ちょっと……」

「気をつけてね」

 お母さんは何も聞かない。だけどいつも私のことを、気にかけてくれているのを知っている。

 お母さん、ごめんね? いっぱい心配かけちゃって、ごめんなさい。

「お母さん」

「ん? なあに」

「今度、私が作ったパン、食べてね?」

 私が言ったら、お母さんは嬉しそうに笑ってくれた。


 坂道をのぼって「こむぎや」に行くと、いつもの定位置にベビーカーが置かれ、こむぎちゃんが眠っていた。

 春のあたたかい陽だまりの中で、こむぎちゃんは桜色のベビー服を着ていた。

「あ、これ」

「どう、ステキでしょ? 私の大事な姪っ子からのプレゼント」

 祥子さんに「大事な」と言ってもらえて、嬉しいけれど照れくさい。

「志乃ちゃんもその服、すごく似合ってる」

「……ありがとう」

 なんだか恥ずかしくてうつむいてしまう。そんな私を見て、祥子さんはいつもみたいに明るく笑う。

「おーい、できたぞー」

「はーい」

 伝助さんの作った焼き立てパンを祥子さんが運ぶ。私も手伝おうとしたら「志乃ちゃんは、今日お休みなんだからいいの」と断られた。

 店の前に人影が見えた。今日一番のお客さんが入ってくる。

「いらっしゃいませ」

 そう言った私の前にお金を置いて

「いつものあります?」

 って、康太くんが笑った。


 坂道の途中にある小さな公園は、桜がちょうど見ごろだった。

 近所の子どもたちのはしゃぎ声を聞きながら、私は康太くんと満開の桜の下を歩く。

「あ、なんかこの感じ」

 隣を歩く康太くんが言う。

「前にもあった気がする」

 私は笑って康太くんに答える。

「あったよ。一年前。桜の下を、康太くんと歩いた」

 あの頃の私と、今日の私。ほんの少しでも成長してるといいな……。

「これも……持ってるの」

 私はバッグの中から栞を取り出す。桜の花びらを押し花にして作った、手作りの小さな栞。

「康太くんにもらった花びら」

「うわ、そんなのまだ持ってたん? なんかめっちゃ恥ずかしいんですけど」

 康太くんが照れたように笑っている。

「だって、嬉しかったんだもん」

 落ち込んでいたとき、康太くんが私にくれた。言葉がなくても、康太くんの気持ちが伝わって、すごく嬉しかった。

 だから私も伝えたい。たくさんたくさん……「ありがとう」って。


 春のやわらかな風が吹く。淡い色の花びらが、ふわりと私たちの上から落ちてくる。

「あ、ちょっと待って」

 康太くんの手が私の髪に触れる。

「ほら、桜」

 私の髪にのった花びらを、康太くんがそっと指でつまむ。そしてそれを目の高さで私に見せて、そのままぱっと手をひらいた。

 ひらひらと一枚の花びらが、私の目の前を舞い落ちる。

「一年後も、こうやって会いたいな……」

 ふとつぶやくような康太くんの声。

「あ、ほんとは明日も明後日も、会いたいんだけど……志乃ちゃんに」

 顔を上げたら、照れくさそうに笑っている康太くんが見えた。私はそんな康太くんに言う。

「私も……会いたい」

 明日も明後日も、康太くんに会いたい。そして来年の春も、こうやって康太くんと並んで歩けたらいいな……。

「今度の日曜日……また会える?」

 勇気を出して私が聞くと、春風に吹かれながら康太くんが答えた。

「『こむぎや』に、迎えに行くよ」

 顔を見合わせて、どちらともなく笑う。康太くんが差し出した手に、私の手を絡ませる。

 つないだ手から、伝わった。

 康太くんの気持ちが、私の気持ちが……ちゃんと伝わった。


 ぽかぽかした坂道を、康太くんと手をつないでのぼった。

「私ね、また勉強したいなって思うの」

 隣にいる康太くんが、私の言葉を聞いている。

「もう一度、やれることからやってみたい。その先はどうなるのか、今はまだ、よくわからないけど……」

「あせることない。ゆっくりやればいいよ」

 顔を上げて康太くんを見る。

「って、祥子さんなら言うね」

 そんなことを言って笑う康太くんの向こうに、桜の花。

 そういえば去年の春、「お花見なんて、何年もしてない」って言った、祥子さんの言葉を思い出した。

「この桜、祥子さんと伝助さんにも見せてあげたいな……それから、こむぎちゃんにも」

「じゃあ、見せてあげようよ。俺たちが店番してればいいじゃん?」

 康太くんが私の顔をのぞきこんで言う。

「そうだね」

「そうそう、ついでにバイト代ももらってさ」

 いたずらっぽく笑って、康太くんは私の手をぎゅっと握った。


 坂道の上に「こむぎや」さんが見えてきた。

 甘くてやさしい、私の大好きな場所。

 一歩一歩進む私の足取りは、まだ本当にゆっくりだけど、そんな歩幅に合わせてくれる康太くんが隣にいる。

 いつかスキップしながらこの坂道をのぼれるまで、もう少しだけ見守っていてね?

 自動ドアから出てきたお客さんを見送るように、こむぎちゃんを抱いた祥子さんも外へ出てきた。

 そして私たちの姿を見つけると、ちょっと驚いた顔をしたあと、すぐに笑って手を振ってくれた。

 そんな祥子さんに、私も手を振り返す。

 花開く、いつもの坂道。

 空は青く、空気はあたたかく、風はやさしく吹いていた。

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― 新着の感想 ―
[一言] 読み終えました! ほんわかした最終話にわたしの心もぽかぽかです。 あんぱん食べたい!
2023/10/28 19:27 退会済み
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