14話
将軍の眉間の皺がぐっと深くなるのを目に捕らえ、心の汗が膨大に噴出すのを堪えながら返答を待つ。
唐突すぎただろうか、却って不審に思われたかも、などの渦巻く思いがフォローの言葉を吐き出させようとするけど、それらを重ねることで言葉が薄くなるような気がしてどれも口にはできなかった。
ただ、目を見つめて。
その、長かったのか短かったのかも分からない緊迫した空気を、ふいに中庭を吹き抜けた風が強く揺らした。
「っ」
舞い上がる髪に視界を塞がれた中、一瞬彼の口が動いたような気がした。
したのに。
「ξχυθζ」
私の背後から声をかけた人物に、将軍の視線はすいっと移ってしまう。
・・・二人きりの空間は破られてしまった。
再度この話を持ちかける機会があるかも分からないのに!
邪魔したのは、だーれーだー。
ぎろっと恨みを込めた視線で振り返った先にはつい先ほどまで見ていた顔があった。
「ハルバード候」
「μνξοπρστ」
「γδεζ、ηθκκλμλμνξο」
う、将軍にイヤリングを預けてしまっているので二人が何を言っているのか分からない。
けれどハルバード候が私の前に庇う様に立ったことからして、どうやら将軍から私を守ろうとしているようだ。
確かに先ほどの将軍の態度じゃ私に何か危害を加えると思ってもおかしくない。
将軍は無意識だったみたいだけど、端からみれば強引に私を連れ出したと見えるし。
「あの、ハルバード候、別に私、将軍に何もされてませんよ」
フォローを投げてみるけど、候はこちらを振り返って優しそうに微笑み何か言ったものの、すぐに将軍に向き直り、穏やかな中にも責めるものを秘めた語調で続けた。
やっぱり何言ってるのかは分からないけど、どうやらフォローは失敗した模様。
ごめん、将軍。
当の将軍はといえば最初に二言三言何か言ったのみで、反論しても無駄と思ったか無言でハルバード候の言葉を聞いていたのだが、候の言葉の切れ間で何かを言うと、徐に踵を返した。
ハルバード候がその背に重ねて何かを言うがもう振り向きもしない。
あ、行っちゃう。
思わず追いかけるように手を伸ばした背中ごし、何か光るものが投げられる。
慌てて掴んだそれは預けていたイヤリングで、確認して顔を上げたときにはその姿は遠くなってしまっていた。
・・・はー。
折角の機会を逃してしまったことに漏れたため息を安堵のそれと誤解したのか、ハルバード候が安心させるように微笑む。
「神女様。さぞ恐ろしかったことと存じます。もう大丈夫ですよ。将軍は行ってしまわれましたから」
「は、あ」
いやだから何もされてないっていうのに。
「あぁ、こんなに滑らかで美しい肌が赤くなってしまって。なんとおいたわしい」
肩の布の端から覗いた肌が赤くなっているのを見咎め、候が手を伸ばす。
ぞくっとして思わずその指先から身を引いてしまった。
なんだか、気持ち悪い。
見た目でいえば、ハルバード候はナイスミドルだし、別におじさま方にありがちな手がねっとりしてる感じでもないんだけど、私の中の何かが考えるより先に拒否をした。
けれど、やってしまってから失礼だったかと日本人的フォローで笑みを浮かべて手を振った。
「あ、あの、別に痛くないので大丈夫です。将軍も悪気があったわけではないみたいですし」
「なんと、お優しい。このハルバード感激いたしました。そのお心根が姿形にも現れていらっしゃるからこそお美しいのですね」
「は、は、は」
その吐きそうに甘いお世辞に作り笑いを引き攣らせながらイヤリングを耳につける。
同じようなことを言われても、サシェアと候とでこんなに受け取る気持ちが違うのは何故だろう。
「それにしても、ハルバード候はどうしてここに?」
「将軍に連れ去られた御身が心配でお探し申し上げていたのですよ。何かされる前に間に合ってよろしゅうございました。・・・このようなことを申し上げるのは憚られますが、将軍にはあまりお近づきにならないほうがよろしいかと」
「・・・なんで、ですか?」
「あの方は王弟という身でありながらも神女様を敬う心持がおありでいらっしゃらない。神女様にはご不快でありましょうが、身の程知らずにも人の身で魔物、ひいては闇の盟主を倒すべきだと繰り返し主張されているのです。御身にお縋りする以外に我らに道はないことは明白であるというのに」
嘆かわしいと言わんばかりの長いため息が漏らされる。
私にとって本当に嘆かわしいのがどっちかなんて想像もしないんだろう。
でも、これはいい機会なのかもしれない。
「あの、ですね。昨日も言ったと思うんですけど、私にはこの世界を救う力も気持ちも持ち合わせがないんです。そこのところ、ご理解いただけてますでしょうか」
ご理解いただけていないことは承知で問いかける。
さぁ、こうして真正面からぶつけられて、どう答える?
試す気持ちで見つめる私に、ハルバード候はにっこりと笑った。
「神女様こそ、未だご理解いただけてらっしゃらないようですね。大丈夫です。いずれ自ずと使命を悟られることでしょう。何も心配なさることはございません」
・・・こう答えられてしまったか。
予想はしていたけれど、駄々っ子を宥めるような笑顔付きなのがより一層がっかりさせる。
何を言う気力も無くしてしまった私に、ハルバード候はいかに神女たる私が素晴らしい存在かと、美辞麗句を重ねて語り始めた。
その怒涛のような語りはサシェアが追いついてきたのを幸いと逃げ帰るまで続いたのだった。
・・・ちょっと、痩せた気がする・・・。